「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

街道をゆく・・・なんちゃって(3) 十二所(鎌倉市)ってモンタナ州みたい

2022-02-28 18:41:29 | あちこち見て歩く
長い散歩だ。

やっと我々夫婦は鎌倉市十二所(通常十二所の読み仮名は「じゅうにそ」とし、声にだす時は最後を少し長めに「じゅうにそぉ」みたいに言う)の平坦なところまで降りて来た。


梶原景時が太刀を洗ったとされる太刀洗の水を前回ご紹介した。

その水は、朝夷奈の切通あたりを源流とする流れに注ぎ込み、それが太刀洗川と呼ばれるようになる。


しかし下の図に説明があるように、この太刀洗川はすぐにまた別のところから来た滑川と合流してしまう。


ここ(↓)がその合流点だ。


こうして他の川と一緒になり流量が増して、滑川は徐々に大きな流れとなり、鎌倉の中心部を通って由比ヶ浜で海に注ぐ。


ここが十二所の住宅地だ。


私はこの十二所を「鎌倉市のモンタナ州(米国)」と思う(暴論?、雑な例え?(笑))。

だって十二所は、鎌倉市の東の外れにあって、鎌倉市以外の自治体と延々と接していて、内陸部なため海に縁はなく周囲は山ばかりで人口密度が低い。本当に山ばかりだ。

モンタナ州もご覧のとおりの位置(黄色で囲ったところ↓)で米国の北のはずれで、北側は延々とカナダとの国境をなし、モンタナなんて名前が示す如く高い山だらけで、海とは縁がない内陸部で、人もまばら。ワイオミング州同様、人口が希薄なことでは有名だ。十二所とそっくりでしょ。



白色人種の移民の子孫だらけで、アジア系やアフリカ系なんてゼロに近い。

十二所がモンタナなら、我が七里ガ浜はカリフォルニアかフロリダかハワイ。

だって、鎌倉プリンスホテル前の坂道はサンフランシスコのよう(^^;;



海沿いのショップはサンタモニカのそれのよう(笑)。


我が住宅街の中心部は、まるでキー・ウェスト(フロリダ州)のよう(爆)。


海を見下ろすテラスでは、ハワイのハンバーガー食べてるし。



Teddy'sってハワイから来たハンバーガー屋さんの七里ヶ浜店があるよ。

あまり書いていると十二所の人たちに怒られそうだが、先に指摘したことはみなウソではない。

下の地図でご覧のとおり、十二所(ピンクの線で囲った地域)は鎌倉市の東端にある。

そして北と東は延々と横浜市と接している。南は逗子市だ。

モンタナ州が米国の北辺(アラスカを除く)にあって、延々とカナダと国境を接しているのと似ている。


しかも山ばかりで、人は希薄だ。それも似ている。

そんなこと言うとまた叱られるかもしれない。

「だって、さっき住宅がいっぱいの画像が見えたじゃないかー、稲村ケ崎の谷戸と変わらないじゃないかー」という人もいるだろう。

たしかにちょっと前、この画像(↓)を掲載した。



しかし冷静になって、鎌倉市十二所全体を俯瞰してみましょう。

これがそうだ(↓)。ピンクの線で囲ったところが十二所だ。

面積的に言って、ほとんどが山だ。


より正確に言うと、「山と墓」である。

「えぇ!」と驚くかもしれないが、ご覧のとおり、それが十二所だ。

周りは全部山。そして中央に巨大な墓地。

これ(↓)が墓地だ。西武が開発した鎌倉霊園である。


上の図で、我々は古来からの道を②⇒④⇒⑤と来た。

鎌倉時代からの美しい六浦道(路)だ。

現代では、横浜市金沢区から鎌倉市に直接的に入るには、99.9%以上の人が横横(横浜横須賀道路)の朝比奈IC近くから始まる①⇒③⇒⑤の二車線舗装道をクルマで通り、楽々と鎌倉市内に入る。

しかしその道路が開通したのは、なんと1956年のことだ。わずか66年前のことなのだ。それまでの何百年もの間、現在の横浜市金沢区から距離的に最も近く鎌倉中心部へ入るには、我々が今回徒歩で入って来た道しかなかった。

なんて詳しい解説でしょ(笑)

鎌倉は自然の要害。東、北、西は山に囲まれ、南が海。だから外から入るの大変で、陸路をつくるのにいくつか切通が造られた。そのひとつが今回ご紹介した切通のある道だ。

南側の海、由比ヶ浜や材木座海岸はかなり遠浅で、小さいドガティ君でも簡単に遊べる(↓)。

遠浅だとドガティ君は喜ぶだろうが、街の発展には不都合だ。近接した海が港湾施設に適さないのだ。だから人々は和賀江島(港湾施設)を沖合に作った。

下の画像で沖合に見える。


見えない? 

見えないよねぇ~(笑)

ではライフジャケットを着て、颯爽と(?)泳ぐドガティ君ではなく、その沖合をご覧ください(↓)。

これが和賀江島だ。


しかしこの港湾施設も不完全なもので、ここに繋いだ船は荒波が来るとすぐ破損してしまったようだ。

そんなわけで、多くの物資を積んだそれなりのサイズの船は、三浦半島の東側にある天然の良港、六浦(東京湾側)に入り、その物資は我々が今回歩いた六浦道(路)を通り、朝夷奈の切通を抜け、鎌倉に運び込まれた。

六浦の塩田で生産された塩も同じ道を通り、運び込まれた。

それらを運ぶ人々が「やっと鎌倉側に入ったぞぉ」と実感したのが、この十二所のあたりだ。まだ先は長いのだけれどね。

で、話をもとに戻そう。

私の言う「十二所が山と墓しかない」というのは、おおむね事実だ。画像を再掲すると、緑でない部分はほとんどが墓地である。



しかしこの墓地が、とんでもない墓地なのである。

ここでまた西武が出て来る。

我々夫婦が住む住宅地その他、鎌倉の歴史にやたら出て来るパワフルな企業グループ西武がこの鎌倉霊園を開発、分譲したのだ。

【Source: 鎌倉霊園HP】

広大でバブリーな墓地で、著名人も眠る。

私は見に行ったことはないが、西武の創業者である堤康二郎氏の巨大な墓もここだ。その広大な面積を誇る墓は、Google Mapsを衛星写真に切り替えるとすぐにわかる。PCで誰でも真上から見られるよ。

管理は、我が住宅地内の最大の駐車場、あるいは七里ヶ浜の海岸部の大きな駐車場、あるいは都内でも紀尾井町ガーデンテラス等々巨大なビルをたくさん管理している西武プロパティーズ。

【Source: 同社HP】

この墓地は昭和以降のものではあるが、この墓地に著名人が多くお入りになった。

杉原千畝さんがそうだ。リトアニア在カウナス日本領事館領事代理 。

第二次大戦中、当時の日本政府の意図に反し、のちに「命のビザ」と呼ばれるビザをユダヤ人に発給し、国外に逃し続けた外交官だ。

したがって今もイスラエル政府高官、大使がこの墓地を訪れる。

【Source: イスラエル大使館】

先述のとおり、七里ガ浜や七里ガ浜東が海に面し明るくカリフォルニアやフロリダ的で開放的であるのに対し(笑)、十二所は内陸部であり山と墓ばかりだが、海外に、特にイスラエルに向かって開かれていたのでした。

実は、それだけではない。鎌倉霊園は、鎌倉という土地柄か、あるいは昭和の開発だからか、政財界というよりも比較的文人や芸能人が多く眠る。

例えば川端康成さんなんて人もいれば、あの青江三奈さんもそうだ。

ドゥドゥビ・ドゥビドゥビ・ドゥビドゥバウワァ~♪

 伊勢佐木町ブルース/青江三奈 

 

ちょっと疲れたので、十二所の記録の続きは次回ね。

こんな適当なブログでも、書くのは結構疲れる。。。

【つづく】
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街道をゆく・・・なんちゃって(2) 朝夷奈の切通と熊野神社、そして鎌倉市十二所へ

2022-02-27 09:14:40 | あちこち見て歩く
さあ、街道をゆくよ。

こんな普通の道を。


朝夷奈の切通へ向かうのだ。


あとでこの画像の下(↑)にある飯塚板金の前を通るよ。

これぞ街道をゆく! by 司馬遼太郎だ。

司馬遼太郎先生の文体を真似てみましょう・・・

・・・私はここで大きな道を逸れて、西へ。

このあたりは「切通」と呼ぶにはまだあまりに開けた土地である。

右手に、大きな木が鎮座している。御神木だろうか。

私は縄を見ていた・・・(ちょっとだけ、司馬遼太郎風)。


この大木はトウヒだろうか。

否。モミではないのか。

この木を見ているだけで、中世の道に迷い込んだ如き錯覚に襲われる・・・(ますます司馬遼太郎風💗)。


ふざけていると司馬遼太郎先生に叱られる。

こちらが先ほど申し上げた飯塚板金。


自動車ではなく、住宅の板金だ。

屋根とか樋とか。

朝夷奈の切通の説明はこちらだ。


この鉄工所を最後に、この先しばらく建物はないよ。


あとはずっと切通に向かうだけだ。


では、音楽を。

カラヤン指揮のBPOで、ドボルザーク作曲交響曲第9番、第四楽章をどうぞ♪

 

東欧的な音楽だよね。

山の中をこれから歩くわけで、音楽的にはせめてこれくらい熱情的なものを聴かないといけない。

いきなりここからいにしえの六浦道(路)的になる。


古来からの道。

東京湾側の六浦(横浜市金沢区)から、三浦半島を横切り相模灘側の鎌倉に入った道。

遠くから海路を六浦までやって来た物資や、六浦の塩田で作られた塩を、鎌倉へと持ち込んだ道。

鎌倉へ入る七口の一つがこの朝夷奈の切通なのだ。


このあたりから、いきなり空気感が変わるよ。

さっと空気が冷たくなる。


鎌倉時代最大の建造物がこれ(↓)だ。


・・・ウソ。

これは昭和時代の巨大なコンクリート建造物で、横横(横浜横須賀道路)だ。


勝手に、それも朝夷奈の切通の上を、横切るとはけしからん。

私もよくそこを通り抜けてるけど(^^;;

しかもクルマで(^^;;;;

その下をくぐり抜けて、我々夫婦は先人たちにならい、徒歩で鎌倉入りするのだ。


落石注意だ。


もうこのあたりから鎌倉時代にタイムスリップするよ。

これが朝夷奈の切通のうちの、小切通だ。


上を見上げるとこんな状態。


どぉ?

先人の努力を見よ。

ショベルカーもブルドーザーもダンプカーもない時代にこれをやった。

もっとも鎌倉時代以降も、なんども改修や追加的工事があったみたいだが。


横浜市さん、この(↓)の緑の樹脂製フェンスが嫌だー。


どうせここを通るだけで危ないのだから、いっそのこと取り除いてよ。

すごいよねー。これぞ The 切通。


何度も見せちゃうぞぉ。


美しいねえ。

工事開始から、幾度も改修が行われてはいるが800年以上が経過した。

角が取れて丸くなった岩の壁。


これを見て(↓)!!


地層の柔らかいところと固いところがよくわかるでしょう?

上の画像のとおり、柔らかいところは、左右対称に溝のように流れ落ちているから。

地層好きなブラタモリのタモリさんを連れて来たい。これを見せたい。

この興奮を分け合いたい。


鎌倉観光で、寺巡りも面白いんだけど、こんな面白いものはないよ。

だいたい、見ただけで美しいじゃないの。

日本では稀。

人の手がちょっとだけ加わって、でもそのままに何百年の単位で保存されている。


この流れ。


僅かだが水が湧き出て流れている。

ここはまだ登坂で、我々は東京湾側、三浦半島の東側から登って来ているのだから、この水は東京湾へと流れ込むものだ。


水が湧き出てそれが三浦半島の西側、つまり鎌倉に入り相模湾に流れ込むことになる分水嶺はまだ先だ。

それまでは、まだまだ登坂が続く。

落石注意だらけ。だから楽しい場所なのだが。


通らせてくれるだけ、ありがたいと思おう。

あ、やぐらかな?


これ(↓)も古来の道っぽいよねぇ。


また落石注意だ。


ここで一旦、左に曲がる。


熊野神社だ。

源頼朝の勧請で、建造された神社だ。


山奥ゆえ、今でも徒歩でしか行けない。

それにしてはかなり立派な神社であって、その歴史を感じさせる。

朝夷奈の切通は、鎌倉七口のひとつで、最も難関と言われたところ。

そこを護る意味で建造されたらしい神社だ。


そこへ行ってみましょう。

のどかな山道。


木々が伐採されていて、道は明るいが、どころどころぬかるんでいる。


これ(↓)が見えたら右へ。スグですよ。


この先だ。


ほら、あった。


今も徒歩でしか行けない熊野神社。

しかし立派なものだ。


昭和、平成と寄進者はたくさんおられたみたいだ。

あらたに拝殿も建造されている。


とてもしっかりしたものだ。


しかし鳥居や灯篭は相当古い。


角がなくなり、丸い。


いいよねえ。

先にお見せしたのは新しい拝殿であって、本殿は上にある(↓)。


拝殿からは、このように不自然な階段がある。


おそらく拝殿はあとから出来たのでしょう。

この階段(↑)は使えなくなっている。

で、新しい参道はこちら(↓)。


このとおりだ(↓)。


この階段を迂回路のように使うと、本殿に行き着く。


徒歩でしか行けない山奥ゆえ、賽銭の管理まで出来ならしく、賽銭箱はない。

しかしここでいつもの私のお願い。

「カネと健康、カネと健康、カネと健康」


お願いしたら戻る。


お願いが終わった妻はサッサと戻る。


そしてもと来た道をまた上る。


鎌倉目指して、上がるのだ。

そしてまた落石注意。


ここが大切通だ。

なぜかヤンキー座りの妻。


元ヤンキーなのだろうか。

知らなかったが。

深く掘り込まれた切通だ。


恐ろしく深いよ。


重機が何もない時代に、よくぞここまでやったね。

根本には水平に深い穴。


誰がどういう思いで掘ったのか。

やはり寺巡りより面白い。


すごいねぇーー。

切通が巨大なのか、妻が小さいのか。



神奈川懸と書いてある(↓)。


「横濱市」とある。


はい、ここまでが横浜市金沢区なのであります。

ここが東西の分かれ目、分水嶺でもある。

ここまでが上りで、ここからが下りだ。そしてここから先がいよいよ鎌倉だ。

現代の住所区分で言うと、鎌倉市十二所となる。


これ(↓)は何が掘られたもの?


朝夷奈の切通を東から来ると、うっかりすると見落とすのがこれ。


摩崖仏(まがいぶつ)だ。

横浜市側からここへ来た人は、しっかり振り返り、これを確認しましょうね。


もっと拡大して魅せちゃう。


その横には深い穴が掘られている。やぐらという感じではないが。


ここからは鎌倉への下り道となる。


道を造った人への供養塔らしい。


どんどん鎌倉っぽくなるよ。


ちゃんと読み取って来なかったが、南無阿弥陀仏と書いてある。


あちこちから水が染み出て来る。


先ほどまでとは違い分水嶺は通り過ぎている。

三浦半島を西へ進み、やがて相模湾に流れ込む川の始まりだ。


こうやって流れて行く。


そしてやがてこの流れは滑川となり、鎌倉の中心部を流れて由比ヶ浜から海に注ぎ、シラスを育ててシラス漁があって、我々がそのシラスを食べる。

鎌倉の谷の始まりの典型的な風景だ。


鎌倉の谷戸って、どこもジトジト。

でもこれが自然なんですねえ。


鎌倉市の紋章が、ここが鎌倉市十二所であることを主張している。


ズルズルと足を滑らしながら、下る。


流れが勢いをつける。


なんて美しいこのブログ((´∀`*))ヶラヶラ

水量が僅かではあるが、増えて来る。


下って行くよ。


どうです、司馬遼太郎先生的な旅になるでしょ。

こちらは三郎の滝。


朝夷奈の切通を開いたとの伝説がある朝夷奈三郎義秀の名から、三郎の滝。

下の画像で、左が我々が下りて来た道で、そこにさっきからずっと追って来た流れがある。右が三郎の滝だ。


それらがここで合流する。


そして一つの川となる。

そこにさらに、太刀洗水が注ぐ。


梶原景時が太刀を洗ったとされるのがここだ。

梶原景時たって、中村獅童じゃないよ。TVドラマじゃないんだから。


上を見上げると、もう住宅が迫っている。


現代の山越えは、今回我々が歩いた古道よりも高いところにある県道を抜けて来るのだ。

こちらがそれ。画像中央部に一ガードレールが見えている(↓)


その道路の下にはやぐららしきものがいっぱいだね。



今回の連載の中で、最も司馬遼太郎的なストーリーな部分が終了した。

次は鎌倉市のモンタナ州こと、鎌倉市十二所を紹介する。長ぁ~い。

【つづく】
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街道をゆく・・・なんちゃって(1) 七里ガ浜~稲村ケ崎~鎌倉~逗子~六浦~朝比奈

2022-02-26 00:00:54 | あちこち見て歩く
本日のストーリーは、位置的に中心が逗子にあるので、逗子の音楽で。

【Full】 マイベイビー ~好きになればなるほど~ / 逗子三兄弟♪

 

今日は歩きますよ。


鎌倉の西の果てである七里の自宅を出て、逗子市に入り、そこから横浜市金沢区に移動し、そして鎌倉の中心部に入る。

これから始まるお話は、街道をゆく(三浦半島記)なのである。


司馬遼太郎先生は話をするのに点で解説せず、面で解説する。

三浦半島の根本にある鎌倉の歴史を説明するのに、左右のもっと大きな二つの半島も含めて説明している。


これを読めば、鎌倉殿の13人なんてドラマは視聴しなくて良いくらいだ。

司馬遼太郎先生は鎌倉を訪問するにあたり重要なこととして、以下の3点を強調した。

1.葉山から大磯にかけての海沿いの地域を大雑把に「湘南」と呼ぶが、その中で鎌倉だけは三浦半島の一部という色が濃い。

2.鎌倉の寺や神社やその他をバラバラの観光スポットとして捉え、コース的に便利な順にいくつか見て満足するなんてことではダメ。鎌倉を線や面として捉え、もっと重要なこととしては山や海や川や平地と言った自然の地形全体を俯瞰するように意識して移動しながら、各スポットを理解する努力が必要である。

3.そのためには、JRあるいはクルマでいきなり鎌倉駅その他に入ってそこから観光することを避け、鎌倉の外から、古来からの細い道を使って徒歩で山を上り、そこをやがて下って鎌倉入りせねばならない。



渋い言葉だ。

本当に司馬遼太郎先生はそんなことを言ったのだろうか。。。 (^^::

言ってない。1.は本当だが、2.と3.は怪しい。それもかなり怪しい。私の創作だからだ(笑) 

でも本日はその2.と3.を実行に移す。三浦半島を東から西へ横切り、峠を越えて鎌倉入りする。それも徒歩で。

稲村ヶ崎の谷戸に向かう。


これは江ノ電稲村ヶ崎駅に向かう道。


毎日何百人もの人が通ることでしょう。


巨大な土地が売り出されてるよー。


ソフトバンクの携帯電波中継アンテナが立っているので、貸地料が結構入るはずだ。

固定資産税の一部がそれで賄えるよ。

江ノ電稲村ヶ崎駅。


軒は木材。


この屋根工事は何年前だっけ?

鎌倉行が到着。


江ノ電がやがて鎌倉駅に着く。稲村からは、10分ちょっとかな。


江ノ電がぶつからないように、親子ガエルが見守る。


カエルがその役割を果たしているというよりは、この鉄の巨大な車止めがその役目を負っている。

これはラヴィー社(ドイツ企業)の製品。。。って、知ってた?


ラヴィー社のホームぺージはこちらだ(↓)。



とにかく江ノ電の車両は、親子ガエルとドイツ企業により守られている。


鎌倉駅で江ノ電からJRに乗り換える。

そして横須賀線で逗子へ向かいましょう。


結構待たされた。

横須賀線の逗子止まりが来た。その先へ行く人が、逗子で乗り換えるやつ。


しかし我々は逗子駅で下車。


元逗子市民の私としては、たまに来るたびに、懐かしくなる風景が広がる。

逗子駅前と言えば一番有名なのがここだろう。

魚佐治。


鮮魚店だよ。

見ていて、いつも楽しくなる。


これに相当するのものが、我が家の近くに欲しい。

子供の頃に近所にあったような、大きな鮮魚店だ。


いいよなぁ。

イワシだとか、豆アジだとか、いっぱい入れて安く売っている。


東京の人に私の自宅が七里ヶ浜ですなんて言うと「お魚が新鮮でいいですねぇ~」なんていう反応が返って来るが、お魚は東京の方が流通の関係で、早くて多いと思うよ。

私も逗子市民に戻ろうかしら??


魚佐治の店頭をいっぱい見せちゃう。

これを見ていると、逗子に住みたくなる人が多数おられるはず。


JR逗子駅で下車して、自宅に帰る途中ここで魚を購入して、夕食は焼き魚や刺身なんて人は多いのだろうねぇ。


久しぶりの魚佐治店頭。名残惜しいが、先を急ぐ。

私にとってはおなじみの逗子市役所だ。


するとすぐに現れるのが、京浜急行新逗子駅。


こちらから入ると、通路が長いので~す。


あ、羽田空港行き急行が到着した。


その次も羽田空港行き急行、さらにその次も同様。

京浜急行の新しい車両は豪華である。。。座面が。


まるで高級ソファに腰かけたようだ。

分厚い。

しかもなんとも心地いい固さ・柔らかさ。


この快適なソファ付き車両に乗れば、そのまま羽田空港まで行けてしまうのだ。


さらにそのまま羽田から、ハワイに行きたい。。。と思った。

しかし我々は新逗子駅始発でわずか2駅目、六浦駅で降りるのだ。


長い電車が行ってしまった。


京急六浦駅でトイレ。


ここからしばらくはトイレがないからね。

六浦ってのは古い地名だ。「浦」ってくらいだから、海がある場所である。

六浦は「むつうら」と読まれるけれど、六浦道あるいは六浦路と書かれると、たいてい「むつら」と読まれる。



遠浅で良港を持たない鎌倉にとっては、三浦半島を挟みその反対側である東京湾沿いで現在の横浜市金沢区の良港六浦は重要だった。六浦に船で到着した物資や六浦の塩田で作られた塩を、六浦道(路)を通って鎌倉中心部に招き入れた。

京急六浦駅の前はこんなところだ。海岸線は鎌倉時代と比べれば遠い。江戸時代以降はどんどん沖が埋め立てられているし、六浦駅はちょっと内陸にあるから、海辺の雰囲気は京急六浦駅前にはない。


ちょっと行くと三信住宅が現れる。


三信とは三井信託銀行のことで、ここは同行系の三信住宅販売から売り出された住宅地だ。

その住宅地に近づきましょう。坂道だ。


かなりの急坂で、三信住宅地に到着するのは大変だった。

ここがその住宅地だ。


このあたりから住所は東朝比奈になる。もはや六浦ではない。


朝比奈という地名は、これから行く朝夷奈切通しの朝夷奈とは同義。

朝比奈(朝夷奈)とは、家名でもある。同姓で、三郎義秀なんて有名。

まだここは三信住宅の中だ。


大きな橋を渡る。


この橋の下を横横(横浜横須賀道路)が通っている。

残念ながら、せっかく上った三信住宅の土地から、一旦降りなければならない。


さらにまた先で、かなりの登坂になるのだが。

ほら、横横。


こちらが横横。

奇抜なデザインのマンション。

0

古いマンションもある。水道のタンクを高く置くタイプ。


金沢八景クローバーハイツと云うらしい。


ちょっと八景には遠くないかねぇ?

朝比奈って感じだな。

どんどん下ってしまう。ここまでの上りがもったいない。


やがて三叉路に来る。

右に行くと東京湾方面だ。

左は内陸部へ向かう道。そこを行く。


先にお見せしたところの住所は東朝比奈。

ここからは朝比奈町。どちらも朝比奈(朝夷奈)だが、ちょっと違うのよ。


こちらは昔からここにあるワットマン。


ただし昔は単なる電器店だったが、今はかなり複雑。

中古品いろいろ。

さて、ここは完全に内陸部だ。


ここが朝比奈のバス停である。


鎌倉からここへ来るのには、我々が来たような大変なルートもあるが、JR鎌倉駅から京急バスでここまで一気に来る手もあるよ。

ここも朝比奈町だ。


やっと現れたのが、朝夷奈の切通入口である。


ここからがまた大変。

【つづく】
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鵠沼を歩き、またまた味の古久家藤沢店まで徒歩で行き、汁なしサンマーメンを初めて食べる

2022-02-24 12:00:02 | あちこち見て歩く
今回の投稿はかなりの枚数の画像が貼り付けてある。

どうしてこのブログは、画像がたくさん貼り付けてあるのでしょう?

自分でもよくわからない(^^;; なぜか貼り付けてしまう。


七里ガ浜住宅地を下がる。

海が見えて来る。


下の画像で、向こうにあるのが江ノ電の線路。手前が私が立っている橋。


でもどう見ても、以前は、この橋と江ノ電の線路の間に、また別の橋があったように見える。橋の付け替えの時に新しい橋に合わせて道路を移動させ、併せて家も移動させたのだろうか。


不思議な形だ。

江ノ電七里ヶ浜駅のベンチ。


いつも見ているが、いい味出している。

江ノ電藤沢駅行きが来た。


しばらくして境川を越える。すると鵠沼駅だ。

その手前で松がたくさん見える。鵠沼の元別荘地のあたりだ。


鵠沼駅で降りてみる。


このあたりの住宅地としては、かなり高価格帯なエリアだよ。

湘南では、誰もが憧れるエリア。


川崎市にも鷺沼なんて場所があったね。

鵠沼、鷺沼。鳥が含まれた字があって、次に沼だ。

どちらも昔はのどかな場所だったのでしょう。

鵠沼駅に出入りするには、地下に下りたり上がったりしないといけない。


わかりやすいでしょ。ホームへは階段で。


駅の外に出ましょう。

往時と比べると本数は激減しているので、もはやその痕跡もないと言うべきかもしれないが、それでも他の住宅地と比べて明らかに目立つのは松の木の多さだ。


ここは鵠沼松が岡(藤沢市)。

1区画が巨大な別荘地として売り出された当時は、見事な松が林立する風景だったらしい。

鵠沼松が岡とか、その隣の鵠沼藤が谷とか、「が」がひらがなで、藤沢市の住居表示は優しい感じがするね。

鎌倉市は七里ヶ浜とか稲村ヶ崎という書き方ですらなく、ひらがなでもなく、カタカナで七里ガ浜とか稲村ガ崎と住居表示する。

でも私の好みとしては「が」や「ガ」ではなく、「ヶ」なんだが。

それはともかく、松。


松が多いのですよ、ここは。

藤沢市鵠沼松が岡をしばらく楽しみましょう。


湘南の巨大別荘地として明治時代に売り出された鵠沼の今をご覧くださいね。

湘南的で昭和的な曲をどうぞ♪


ワイルド・ワンズで想い出の渚♪


いやぁ~鵠沼松が岡はどこも松。

日本の海辺の基本は松なのですねえ。


これをご覧くださいな。


海抜は5.1mらしい。


海からは2kmくらい離れているここで5.1mなのだから、非常に平坦だと言える。

そこに立派な松。


往時を偲びましょう。

鵠沼が立派な別荘地だった頃を。


藤沢市鵠沼松が岡のとなりに同市鵠沼藤が谷ってところがある。

ここは下藤ヶ谷公園という公園だが、住所は鵠沼藤が谷ではなく鵠沼松が岡である。

ややこしいね。


この公園も松だらけだ。


加えて砂が多い。すぐ先がまるで海岸であるかのような、砂だ。


でも海岸から2kmはあるんだよ。

鵠沼はかつては立派な別荘地であり、基本は松であぁ~る!

これが今回言いたかったことなのでした。


いやっちゅうほど、松を見せちゃう。


この子、コサギ? かわいいねえ。近くまで行っても逃げない。


沼というか、池みたいなものが、ここだけではなくて、ちょっと離れたところにもある。


鵠沼っちゅうくらいだから、昔はもっとたくさん沼があったんだろうねえ。

何度も言う。松に砂。


「レモン」とったらあかんよ。


「とるな」


立派なレモンがなってるね。


夏ミカンらしきものもあった。「夏ミカン」と書いてあったから、きっとそうなのだろう。


日本は土地用途を計画的に分別して管理することや、開発に規制を設けることをいつも躊躇し、結局どこも個人の勝手にしろみたいなこととなって、景観を守るのが下手だ。

ということで鎌倉同様すでにかなりズタズタではあるものの、それでも往時の雰囲気が残る土地、鵠沼。

あなたも1区画どうですか? 静かな鵠沼。雰囲気が良いですよ。

ほら、大きな空き地があるよ。


松もいっぱいあるぞ。


しばらく歩いてみましょう。


どことなく昔の湘南の別荘地の風情が残っている。


ここにも(↓)松があるよ。


ちょっとずつ松が残っている。


更地をあなたも買ってみたら、どぉ? 高そうだけど。


ここを買って、敷地に松を植えてみましょ。

鵠沼駅を出てから初めて高い建物(左手)を見た。そこにも松。


高齢者の施設だった。

私はすでに鵠沼松が岡一丁目から同二丁目に移動したようだ。


後ろの白い建物(↑)はなんだ?

おっ、東京国税局(の寮)。嫌な響き(笑)。


早く立ち去る。

隣接地区は鵠沼藤が谷。


やはり郊外の住宅地の価値は緑の多さで決まるね。

歩いていて思う。


ズタズタになったらダメだ。

鵠沼の中を鵠沼松が岡、鵠沼藤が谷と来て、今度は鵠沼桜が岡。

松、藤、桜。


どんどん歩いて行くと、歩道も広くなり車線も二車線ある道路に来た。


ここにも沼がひとつ。第一はす池というらしい。


鵠沼高等学校のとなりだ。

柳が立っている。


そういえばここから最寄りの駅は、江ノ電柳小路駅だ。

昔は沼がもっとあり、そこに柳が並んでいたのだろうか?

柳のあるところは、たいてい水が多いところだ。

新潟市内の〇〇堀通りとか△△堀通りとかいうかつて堀だったところの道路際にも柳が並んでいる。

銀座もそうだよね。


でも調べてみると、柳小路って、そんなこととは関係なかった。

で、この池沿いの広い通りはいきなり終わる。

江ノ電の線路に対し、斜めに突き刺すような形で終わるのだ。

中途半端に終わる。


二車線のうち左車線は1軒の住宅の車庫に突き刺さり、右車線は江ノ電の線路に突き刺さり、一部が細くなり、江ノ電の線路沿いに左に曲がって行く道となる。


ここって、やがては江ノ電の線路と上下で交差させるつもりなのか(↓)。

あるいはその計画は中止されたのか。


とにかくこの細い道だけが辛うじてずっと江ノ電に沿って存在するから、それを行ってみましょう。


ここだけ駐車場?


無断駐車かと思ったが、そうではないみたい。

細かく線で仕切られている。


駐車場の先はちょっとした庭風のつくり。


さてこの庭みたいな部分は、市道の一部か、江ノ電の土地か、あるいは誰かの私有地か。

あ、江ノ電が来た。


この仕切り方(↑ ↓)を見ると、江ノ電の柵(グレーっぽい柵)よりもこの土地は線路寄りだから、きっと江ノ電の土地なのだろうなあと思うが、それなら緑の柵はなんだ?


よくわからんねえ。

江ノ電の駅のうち、最も藤沢駅に近い駅がこの石上駅。


藤沢駅周辺の中心部がすぐ先に見える。


この石上駅を出た藤沢駅行き電車は、すぐにゆっくりした登坂(↑)を上がることになる。

表参道駅まで地下を走っていた東京メトロ銀座線の地下鉄が、いきなり渋谷駅手前から地上高くを走り始めるように、鎌倉駅を発車してから石上駅までずっと地上をトロトロ走っていた江ノ電も、終点の藤沢駅手前でいきなり高いところを走り始めるのである。


やっとここで海抜11.2m。藤沢市ってかなり平坦。


細かい話ばかりで恐縮だが、この歩道のつくりは変だよね。


先に作った歩道(右側)の横に新たな自転車専用レーン(左側)を足したんだろうねえ。

江ノ電さん、がんばってね。


さて、前回の投稿に続きまたやって来た。

藤沢駅南口391街区だ。


私は今回も味の古久家藤沢店に行くぞ。


他店はどうでもいいから、そのまま地下に行きましょう。


でた、味の古久家藤沢店。


メニューなんて見なくてもいい。


もうわかっている。

私は前回見たこれ!(↓)、汁なしサンマーメンを食べるのだ。



前回食べたのが普通のサンマーメン。

今回は汁なしサンマーメン。連チャンでサンマーメン。

レジで注文して食券を受け取り、席につく。


出て来た!

これが汁なしサンマーメンよ。おいしそうでしょ。


サンマーメンは今までに何度も食べているが、汁なしは初めてだね。

もっとよくお見せしましょう。


麺は黄色いストレートだ。炒めた形跡はない。

湯がいて、湯を切り、そのまま丼に置いたかな。

あるいは一旦湯を切り冷水で洗って締めて、さらに温めてそこにあんかけ焼きそばのあんのようなスープをしっかりかけたかな。


おいしいねえ。


ごちそうさま。

391街区って、本当に建て替えられちゃうのかねぇ。

3つのビルが集まった391街区。中心部は上に空気が抜けているよ。


下の画像で左がダイヤモンドビル(古久家藤沢店が入っている店)で、右がフジサワ名店ビルだ。前回くどいくらい紹介したよね(笑)


藤沢駅南口391街区をよくご覧くださいね。


あ、金ぴかな帽子とジャケットを着て、金ぴかな靴を履いた3億円おじさん。おまけにズボンは赤い。


このおじさんを見たら、当たるかもしれないという気がして来た。

フジサワ名店ビルの売り場で買ってみましょう。

連番10枚。3億円当たったら、どうしよう。

その時は藤沢駅近くのどこかの小型ビルでも買おうかな。いや、それでは興奮に欠ける。やはりここは小さなスタートアップ(新興)企業に出資するかな。


駅前のビックカメラへ。


ここはすごい。なんでもある。

日本酒を購入した。


江ノ電藤沢駅。


江ノ電に乗り、七里ヶ浜駅で下車。

七里ガ浜循環バスに乗る。


藤沢市の話だばかりったが、鎌倉市に戻った。

このマンホールを見たら、鎌倉市。


今日もよく歩いたねー。
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味の古久家藤沢店のサンマーメンはうまいことを再認識する

2022-02-23 00:00:09 | 
「おとーさん、どこ行くの?」


郵便局と藤沢の古久家だよ。

「ボクは、おかーさんにキレイキレイされてます。いってらっしゃい」


自宅を出る。


郵便局の坂へ。


郵便局へ立ち寄る。


速達で簡易書留を出す。

本当ならもっと早く出したかった書面があるのだが、事情があり遅れた。

住宅地をさらに行く。


江ノ電に乗るのだ。


七里ヶ浜駅からね。


藤沢駅行きに乗る。

藤沢行き電車が七里ヶ浜駅を出てスグに、七里ヶ浜駅と隣の鎌倉高校前駅の間で、単線である江ノ電の両方向の電車がすれ違わせるため、先に来ている藤沢駅行が停止する場所がある。そこで撮影。


電車が動き始めたらすぐに、今度は鎌倉高校前駅に電車が到着し、また停車する。そこで撮影。


ガラガラの車内。気兼ねなく座ったまま、反対側の座席越しに海を撮影。

江ノ電に乗っていると、居眠りしそうな日だな。穏やかな天気。

藤沢駅着。丸い窓枠が昭和的だ。


江ノ電藤沢駅の中を改札へ向かう。


ちょっと前のことだが、藤沢駅のすぐそば、通称391街区のビル3棟が再開発で建て替わると発表された。

藤沢市民にとっては一大事。東京都民に置き換えたら、東京駅の前にある丸ビルが建て替わるような話だ。

ここだ(↓)。線で囲ったところ。


Google Mapで上から見てみましょう。



黄色く囲ったのが391街区である。

藤沢駅から連絡橋が直結しているくらいのビルだよ。

そこが建て替わる。まだかなり先の話らしいけどね。


神奈川県で書店といえば有隣堂。


その店舗が入っているのがフジサワ名店ビルだ。

「魅惑の頑固商店街」 ちょっと不思議な表現でいいね。


「ザ・メイテン」とある。「ザ」ってのがいいね。しかしその上にある「藤沢最奥」って、何でしょ? 藤沢最大の駅の前にあるビルが、なぜに「最奥」なのか?


謎が多い楽しいビル。

こちらがそのフジサワ名店ビルの中の有隣堂。


中でフジサワ名店ビルは、隣のビル(ダイヤモンドビル)とつながっていたりする。

レディース・ファッションはレナーレへ。


地下に降りましょう。

左は陶器店。右は名店、味の古久家藤沢店。


どうです、入りたくなる店構えでしょ。


町中華の代表格。

東海道本線の向こうに藤沢市役所がある。


巨大な白亜の館。


ちょっと用事があり、立ち寄る。

エスカレーターも厳かに滑るように動く。


藤沢市役所は清潔で広くて使いやすい。イマドキな市庁舎だ。

鎌倉市役所とまったく同じで、藤沢市役所も市庁舎の外に横浜銀行とスルガ銀行のATMがある。

なぜにスルガ銀行なのだろう。

湘南信金でもメガバンクでもなく、スルガ。


駅前にはビックカメラ。


そして餃子の王将藤沢駅前店がある。いつも激混みだ。


ランチの時間帯は持ち帰りも店内でも、待ち行列。

駅ビルのルミネ。


その中に神戸屋キッチンがある。


神戸屋キッチンのおねーさんは皆かわいい制服を着ておられる。

昔のアンナミラーズをちょっと想起させたりもして、うれしい💛(←どういう発想なのか?)

おねーさんから巨大なジャーマン(パンの名前)を購入した。

ここで先にちょっとだけご紹介したダイヤモンドビルに入りましょう。


連絡橋から2階に入る。


下がる。ちょっと暗い。


さらに下がる。


どんどん下がる。


タバコ屋さんがあったりする。


葉巻もパイプも紙巻タバコもあるよ。輸入品が多い。



そんなダイヤモンドビルの中に、創業から75年も経とうとしている老舗があるのだ。

先にチラッとお見せした味の古久家藤沢店である。


いい構えでしょう。

この店、頑張ってんなぁという感じがするでしょう。


店の構えをいろいろと撮影したいのだが、通路が狭すぎて撮れない。


近過ぎる。。。

後ろはすぐにまた別の陶器店の棚があるからね。下がれないのよ。



この陶器店の商品がまためちゃ安い。

陶器店の人がお客さんに「レジが開かなくなっちゃっておつりが出せないので、今日はおつり無しの人にしか商品を売れないんだよー」と嘆いていた。

味の古久家藤沢店へ入る。

そのまま席に誘導されるのではなく、自販機で食券を買うのでもない。

まずは入口に高く掲げられたこのメニューを見ながらレジで口頭で注文し、お金を払い、食券を受け取る。


空いている席に座る。食券をテーブルに置く。

食券の上に「券おき」を置いて、食券が風で飛ぶのを防ぐ。


「券おき」と書いてある紙は、台帳やフォルダなんかに付けるインデックスだね。

感染症対策もあり、店内はゆったりと座らせてもらえる。


古い内装だねえ。


のどが渇いた。お水も大量だ。


木の床。テーブルの脚が少しがたついて、テーブルが揺れるが、そんなこと問題じゃないと思えちゃう雰囲気がこの店にはある。


出ました、これが神奈川県名物サンマーメンだ。


野菜いっぱい。とろみをつけてある。


名店古久家の名物サンマーメン。


一度は食べた方がいいですよ。

寒い日にはこういうのがめちゃいいんです。

麺は黄色いストレート。


なんと、汁なしサンマーメンもあるという。


諏訪のテンホウのチャーメンみたいなものか。

食べてみたいな。

なんて思いながらサンマーメンをすする。


ここは人気店。

湘南の老若男女が押し寄せて来る。お昼時は、サッと食べてサッと出ましょう。

ごちそうさまでした。


下の画像で、左がフジサワ名店ビル、右がダイヤモンドビルね。


立ち去りがたいね。


遠くからまた撮影。


江ノ電藤沢駅である。


鎌倉駅行きの電車で帰りましょう。


鎌倉高校前駅から少し西寄りあたりを走る江ノ電。


七里ヶ浜駅で下車して、坂を上がる。

すると、我が住宅街に到着。


神戸屋キッチンのジャーマン。巨大です。



藤沢中心部への旅でした。
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ウォルマートからKKR&楽天への変化と牡蠣のあんかけ中華風丼@鎌倉七里ガ浜自宅厨房

2022-02-22 00:00:19 | モノ・お金
昨日朝、自分のブログを見て驚いた。


一昨日(2月20日の日曜日)の訪問者が8,728人(同じ人が複数回見ても1人と数える)で、のべ19,505ページが閲覧されたとあったからだ。

gooには、300万ほどのブログが登録されているはずで、同日当ブログは閲覧数で第10位。平常時の5~6倍は見られていることになる。

その日のトップ記事はこれ。


鎌倉山を延々と歩いて、七里ガ浜住宅地内の高山商店に七里ヶ浜弁当を買いに行くというなんとも退屈なストーリーだった。


その日にこのブログを見た人の数(同じ人が2度訪問したら、2とカウントするのべ数)をページごとに見ると、ご覧のとおりだった。



いったい何がこのブログへのアクセスを増やすかって、よくわからないねえ。

さて、本日の話題はどうだろうか?

セゾンカードから郵便物が来た。


今までは、青いウォルマートのカード(↓)を使って西友で買い物すれば、通常価格から3%引き、特別な日なら5%引きにもなるという特典があった。


それが3月末で終了するとの残念な連絡である。

加えて、ウォルマート・カードがこのセゾン・ゴールド・アメリカン・エキスプレス・カードに切り替わった。それを送って来た。


しかしこのカードを使っての西友でのお買い物に、4月以降は何の特典もない。

西友はこの変化に関して、すでにカード利用者に対して、郵便や西友店内のポスターや西友のホームページを通じて、顧客に連絡している。


上の画像の黄色い線を引いた部分(↑)にご注目。

春以降は、楽天の会員プログラムを利用すると、西友での買い物に何かお得なことがあるらしい。

どんどん割引してほしいねえ。


我が七里ガ浜住宅地は西武グループの開発で、隣接して鎌倉プリンスホテルがあったり、中心部には西友があったりする。以前は西武園芸や西武不動産の営業所もあった。

西武グループは今やバラバラなのである。すでにこのブログで書いたとおり、プリンスホテルや同グループのスキー場施設のうち、31がGIC(シンガポール)に売却される予定だ。鎌倉プリンスホテルはそれには入ってない。

西友はすでに資本は別だ。かつては完全に米国のウォルマートの傘下にあったが、一昨年ウォルマートが西友の株式の売却を発表。

西友とかつては同じグループに属した西武百貨店は、随分前に7&iホールディングス(セブン・イレブンやイトーヨーカドーやデニーズ等のグループ)の傘下に入ったが、それも最近売りに出されることが決まった。もはやみんな別ものなのだ。

話を西友に戻そう。ご覧のとおり(↓)現時点では、西友の持株会社の65%をKKR、20%を楽天が保有している。ウォルマートは今やわずか15%を保有しているに過ぎない。したがってウォルマートのカードは終了。今後は楽天でどうぞ!ってことになったのだ。


今や西友の最大の株主となったKKRとは、創業メンバーであるコールバーグ(すでに故人)、クラヴィス、ロバーツという3人のおじさんの名前の頭文字である。とても有名な米国の投資会社あるいは資産運用会社で、1980年代の終わりに彼らが仕掛けたRJRナビスコ(あのお菓子の会社)の巨額買収ストーリーは伝説となっており、今もよく語られる。

KKRのホームページも日本語で用意されている(↓)。日本にオフィスもある。


今や西友の最大の株主となったKKRは、西友にヒトも複数送り込んでいる。例えば西友ホールディングスのホームページ上には、取締役・監査役として「春山 絢 レベッカ」という名前が見える。その春山さんはKKRの人だ。KKRのホームページに画像がある。見たら驚く。若いからねー。

会社の株主構成がどんどん変化し、経営陣に新しい若い人が外からいきなり入って来て、カードの提携関係も変わり、経営方針もガラッと変わる。昔々、西友に入社して長年そこに勤務している西友のベテラン社員たちはいろいろと思うことがあるだろうねえ。

そして西友の株主構成の変化は私の生活も変化させるかもしれない。私の個人的関心事は、西友という大企業の盛衰や主要株主構成などという世の大問題ではなく、極めて些細なことである。

もはやウォルマートの持ち株比率は15%に過ぎなわけで、今後このGreat Value(ウォルマートの商品ブランド(↓の画像))の表示がある商品は今後どうなるのだろう? それが私の関心事だ(笑)。些細なことで申し訳ないが、今後も西友で取り扱ってほしいなあ。ハチミツとかオリーブオイルとかパルミジャーノ・チーズとか。私は結構好きなんだなあ。安くて、大きくて(笑)。


あるいはまた、ウォルマートとの関係があってこそのASDA(英国)を経由して、西友で売られる輸入食品・菓子なんて、どうなるのか? 安くて高品質だと思うが。もっともウォルマートはASDAの株式も多くをすでに売却している。それを考えると、西友の株式売却も時間の問題だったのだろうね。

本日も西友で牡蠣を買って来た。


さらにお値下げだ。


材料はあまり多く必要としない。

牡蠣以外には、ニンニク、ニラ、白菜程度だ。


調味料はこれだけ。あとは片栗粉と胡椒くらいだよ。


こちらではスープづくり。


ネギ。これもスープに入れる。


白菜を刻む。


ニラも刻む。


ニンニクをみじん切り。


片栗粉を2度使う。


一度は牡蠣に使う。


ここに片栗粉をまぶす。


そしてごま油で焼く。ちょっと揚げるみたいに。


中華鍋にごま油を入れて、ニンニクを加熱し、白菜を炒める。


ニラを入れる。


水を加えて、オイスターソース、鶏ガラだしを入れて加熱。


片栗粉も水に溶いて入れよう。


とろぉ~り。


胡椒もね。


先ほどの牡蠣を入れる。


軽く加熱したら完成。

ごはんといっしょに、盛り付け。


牡蠣のあんかけ中華丼だ。


スープもね。


牡蠣がうまい。


ごはんと一緒に。あんあけ中華丼っていいよね。


学生の時の私は、中華丼ばっかり食べてたな。

と斯様に、西友の将来についていろいろと思いながら食べる、西友の牡蠣を使ったあんかけ中華風丼なのでした。
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JR SKISKI♪ おやつカンパニーのベビースター・ラーメンと麻婆茄子@鎌倉七里ガ浜

2022-02-21 00:00:41 | 食べ物・飲み物

冬も終わりだ。

このJRのポスターは良かったよね。

私を「新幹線で」スキーに連れてって(笑)



ユーミンでどうぞ♪


バブリーな頃と言うか、日本のおカネが世界を制覇しそうだった頃に公開された映画「私をスキーに連れてって」。

それを想起させる、冒頭の数年前のJRのポスター。

今シーズンも使われていた。50~60代の人は今のこのポスターを見て喜んだはずだ。「懐かしい」と。

さて、麻婆茄子の用意。


ところで、これをご存じですか?

ベビースター・ラーメン。


おやつカンパニーって会社が作っているお菓子だ。おやつカンパニーって、もとは松田産業あるいは松田食品と呼ばれていた三重県の会社である。

私をスキーに連れてってなんて映画が公開された数年後、むやみに有頂天だった日本のバブルがはじけた。さらにそこから数年経って「ひょっとして、日本って落ちて行ってる?」なんて人々が思い始めた1993年、その会社の名前は創業者一族の姓である「松田」が取れて、おやつカンパニーに変更となった。「日本って落ちて行ってる?」もその頃は序の口。その後日本は延々と落ち続けることになる。

実はその1993年頃に、私はそのおやつカンパニーの重役とお会いしたことがある。その会社に私は転職する可能性がわずかにあったからだ。

麻婆茄子の話に戻して、ナスとピーマンを切る。


で、またそのおやつカンパニーの話ね。それは三重県の会社だ。

その頃私の両親が、三重県の山の中に大きな家を建てて移り住み、私にその山の中の家に「一緒に住まないか?」と言って来た。

「そうは言っても三重県の中部じゃ、私にできそうな仕事がないだろうが・・・」と私は思ったが、探してみたら2つあった。そのひとつが、このおやつカンパニーだった。

会社の所在地は今も三重県でしょ?(↓)



おっと、麻婆茄子の話だった。

ジャン・ジャン・ジャン・トリオを用意。


でもまた話を戻す。

当時30歳過ぎたばかりの私はそのおやつカンパニーの重役にお会いして、お食事をご馳走になったりしたが、結局ご縁はなかった。



私は外資系金融機関から離れることはなく、ずっとその世界でやって来た。

長ネギをみじん切りしてこれは麻婆茄子に入れる。奥の小口切りはスープへ入れる。


豚ひき肉を炒める。


ドガティ君が飛んで来る。「油が飛ぶ、油が飛ぶ」


肉の表面がしっかり焼けて、油が透明になったらいいよ。


「油が飛ぶなあ、うれしいなあ」


オトナの味、ビターレモン。


レモンサワー。


黒い鬼レモン。


どれもオトナ味だよ。

ニンニク、ショウガ、豆板醤。


水、鶏ガラスープ、甜面醤、豆鼓醤、醤油、酒、砂糖。。。


強火でガンガン、ガンガン。


炒め切ったら、水溶き片栗粉。

先にナスを揚げるとか、湯通しするとか、そんな面倒なことはしてないよ。

でもおいしいのだ。

完成!!


しっかり食べましょう。


どんだけおいしいんねん?っちゅうくらいの素晴らしい出来栄え。



かなり端折って簡単に作っているがね。それでも美味しい。

ではこの鬼レモンを飲みましょうか。


ベビースター・ラーメンをつまみに。


その節(1993年あたり)は、お世話になりました。

私を食事に誘ってくださった重役さんは、今もお元気でしょうか?

ご縁はなかったけれど、そしてめったにその製品は食べないけれど、私が一方的に親しみを持っている会社、おやつカンパニー。


バブル崩壊後、数年経ってからの私の思い出でもあるベビースター・ラーメン。

みなさんもたまには食べてみてね。

おいしいベビースター・ラーメン♪
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七里ヶ浜弁当を買うのに高山商店へ行くが、自宅からあまりに近いため、わざわざ鎌倉山経由で行く

2022-02-20 00:00:15 | あちこち見て歩く
ドガティ君の散歩にゆっくり行って、帰り道の途中で高山商店に立ち寄って七里ヶ浜弁当を予約し、帰宅してから朝ごはんだ。

タンパク質がいっぱい。


最近私が気に入っているのがタマゴをご覧のように焼くこと。

直径18cmほどのフライパンにタマゴ2個を溶いて入れ、そこに細い溶けるチーズを少々入れ、ゆっくり焼いてフライパンの中で半分に切ったもの。その半分が1人分だ。


ドガティ君は頬に暖気を当てるのが好き。


庭のシークワーサー。


いっぱい実がついたがそれを放置すると、今頃になって熟して来るらしい。

おいしいのか、鳥がたくさんやって来てつついて行く。


中が空っぽだ。


散々齧ったものがあちこちに落ちている。



さて、今日は歩くぞ!

七里ヶ浜弁当は我が住宅街唯一の酒店である高山商店に売っていて、それを受け取りに行くのだ。しかし高山商店は自宅からあまりに近いので、ただ受け取りに行くだけではつまらない。

だから鎌倉山経由で高山商店に行くことにした。鎌倉から大阪に行くのにハワイ経由で行くような感じだ。

音楽はベートーヴェンの交響曲第五番の第4楽章のみ。

カラヤン指揮BPOの演奏。


弦楽器や管楽器が「これでもか、これでもか」と聴く人に襲い掛かって来るような音楽だ。

それも全力で。

パワーに圧倒されて聴いているうちに、こちらはどんどん気が大きくなってしまい、私は何でも出来るぞ!みたいな気分になってしまう。

道を歩いていてクルマとぶつかりそうになっても、こちらからクルマを弾き飛ばしてやろうという気持ちになり、ちょっと危険な音楽だ。


住宅街を北へ向かう。


富士見坂を上りましょう。


富士見坂はどんどん急になるのだ。


右へ左へと折れ曲がる急坂。


行く先は鎌倉山だ。


三段構えのこのあたりの地勢。

海があり、そこから坂を上がったところにあるのが我が住宅街(七里ガ浜住宅地)。

そこからまた坂を上がったところにあるのが鎌倉山の住宅街。

鎌倉山の途中から我が住宅街を見下ろすとこうなる。


坂道はまだ続く。それもかなり急だ。


すでに気分的には嫌になっている。


普通に平らな近道を高山商店へ行けば良かった。

こんな表示は前からあったっけ?


でもそんなに新しいものではないね。ずっとここにあったのだろう。

この奥に鎌倉山神社があるよ。今日は行かないけど。


先を急ぐのである。


西へ。西南西くらいかな。


ここは我々にとっていつもの散歩道だ。

鎌倉山の住宅地の中でも、七里ガ浜住宅地に最も近いところである。


ずっと鎌倉山の住宅地が続く。飽きてきたねえ。


ここはかつて棟方志功の美術館だった。


もはや中はスッカラカン。

大きな建物で、住宅として使うには不向きなつくり。

建て替えるとしたら、かなり大変。土地全体はかなりの斜面だ。


ずっと建物はそのままになっている。


うまく使えませんかね?


大きな建物なのにね。


裏側から見ると(↓)やはりかなりの斜面で、基礎工事もすごいものだったろうね。


こんな静かな良い通りなんだけどねえ。


すぐ近くには有名店のマウンテンもあるし。


コーヒーが飲みたい。すでにかなり疲れている。


でも私がここを通る時、このお店はたいてい閉まっている。


閉店しているわけではないようだが。


鎌倉山の幹線道路を行く。


途中から歩道がなくなる。

しかもクルマはここをかなりの速度で走る。


檑亭の前なんて、怖いよ。

カーブの向うからクルマがどんどんやって来るのだが、そのドライバーからは、直前になるまで私が見えない。



道のどちら側にも歩道はないのだ。


檑亭に私は入ったことがないのでした。


怖い道を通り抜けると、檑亭の先に夫婦池公園の入口のひとつがある。


この入口から夫婦池公園に入ると、最初はかなりの下りだ。

ここまでせっかく上がって来たのに、下るのはもったいないと思う。


まだまだ下がる。


さらに下がる。やだぁ~。


リョウメンシダ。


すごく表情が細かい葉だ。よく見ると、キレイだね。


拡大しますよ。

ね、きれいでしょう。本当に細かい。



葉の表(↑)、葉の裏(↓)の見分けがつきにくいことからリョウメンシダという名前がついたらしい。


リョウメンシダの葉の細かさを見に来てください。

ここにたくさんありますよ。


シダにアオキ。鎌倉の山にはやたら多い植物だ。


やっと平らな道になった。


楽しい道だね。こりゃいいや。


ちょろちょろと流れがあるよ。


この流れは夫婦池につながるのだろうね。


見えて来た。これが夫婦池のうちのひとつで、上池。


江戸時代に、灌漑目的で新たにつくられたか、あるいは改良されたらしい。


夫婦池と二つの池を合わせて呼ぶが、夫池、妻池なんて呼び名はなく、上池、下池と書いてある。


中央に堤がある(↓)。左が上池、右が下池。池の水面の高さもかなり違う。


この奥にも散歩道が続いている。


ここは水鳥を観察、撮影に来る人が多いらしい。


最後にもう一度下池を見ましょう。


さて散歩を続ける。


するとアデニウム鎌倉山が現れた。


販売開始時に、私も見たことがある。

間取りもゆったりだし、お風呂がとても広いマンションだった。

めちゃくちゃオープンでオシャレなキッチンで、料理嫌いな人も料理好きになりそうだったし、お片づけが苦手な人もキッチンをピカピカにしてお片付けせずにはいられないくらい周囲から丸見えなキッチンだったよ。

駐車場もトランクルームのスペースもゆったり。


アデニウム鎌倉山は、この坂道(↓)の上に建っている。


このあたりは、上がったり下ったりとなかなか起伏のある地区だね。


そんな坂道を登り切り、少し行ったところに鎌倉山らしからぬ開けた住宅地(↓)がある。


「鎌倉山らしからぬ」というのは、この住宅街は道幅が広くて、山というか木に覆われておらず、風通しが良さそう。鎌倉山の住宅地って一般的には、こことは真逆なイメージがあるからね。

そこに先ほど見たアデニウム鎌倉山の入口がある。


こちらがメインのエントランスだ。


法的にはこの高さが1階あるいは2階で、先ほど見た巨大なマンションらしい建物はみな地下フロアってことにしてあるのでしょうね。横浜でよく見かける形式。

アデニウム鎌倉山。たしか2009年竣工のはず。


こちらから見たら、巨大なアデニウム鎌倉山の建物の一番上の部分(↓)が見える。


ここから先はまたすごい下りだ。本日は止めておきましょう。


また来た道を戻る。


鎌倉山の住宅地の一般的なイメージとは、本当に真逆。。。


1区画空いてますよー。


ここからは七里ガ浜住宅地の方へ戻って行きましょう。


ここは山の中のように見えるが、実はタクシーが多く通る道だ。


鎌倉駅西口から七里ガ浜住宅地の自宅にタクシーで帰るには、ここを抜けて行くのが一番早い。


鎌倉山で価値あるものを見つけたぞ!(↓)

日本の鎌倉 
世界の鎌倉 
いつも奇麗に美しく 
鎌倉観光協会。


それがどうした?ってもんだが、面白いのはその下だ。

「外装変速装置は三光舎」とあるでしょう?

この三光舎ってのは自転車のパーツを製造していた企業で、1968年には倒産している。ってことは、これも、これが打ち付けられている木の電柱も半世紀以上ここにあるってことだろうね。こういうの、眺めるのが好きです。

さらに先へ進む。


最近出来たお店で、惣 commonという。


本、SDGs、コーヒー。

まだ入ったことがないんだなぁ。。。。


鎌倉山は古いサクラが多く、片っ端からダメになっていってる。


ここも切られてしまった。横に電柱まで打ち込まれているね。

でもその切株から新しいサクラの枝が出ている。


こっちも。頑張ってるんだねえ。


どんどん七里ガ浜住宅地に近づいて来た。


ここから階段を登ればいつもの広町の緑地。


今日は行かない。

ここからながーーい階段を下りる。


これ(↓)。下りたところが我が住宅街の端っこ。


下りました。振り返るとこんなの。


ちょっと行って・・・


また階段を下りる。膝が疲れるねえ。


我が街を歩く。

鎌倉山と比べたら、我が街七里ガ浜住宅地は本当に新興住宅地って感じだ。でももう分譲開始から半世紀以上経過しているけどね。


はい、やっと着きましたよ、高山商店。


まっすぐ来れば5分。でも今日は90分くらいかけて歩いて来た。

それも上がって下って、大変なコースで。

七里ヶ浜弁当を受け取る。


よく歩いたねぇ~。


ドガティ君が弁当を見せろというので、見せてあげた。


内容充実の七里ヶ浜弁当。

すごいです。

一度に食べ切れないという人も多いらしい。


私は全部一気に食べるけどね。


お昼ごはんには、七里ヶ浜弁当をどうぞ。

朝から予約しないとすぐ売り切れるよ。

高山商店:
鎌倉市七里ガ浜東4-2-12 
(電話 0467-31-5514)
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フムスなるものをGarden Houseの真似して作ってみる@鎌倉七里ガ浜自宅厨房

2022-02-18 19:12:25 | 食べ物・飲み物
チクピー豆。乳首じゃないよ。チクピーだ。


これで、何をするのか?っちゅうと、ちょっと前にGarden Houseで食べたフムスの真似をするのだ。



いいレストランだったな。



この野菜を盛りつけた皿について来たのがフムス。


フムスは中近東や地中海域に広く普及しているらしい。

ユダヤ教徒も、イスラム教徒も、キリスト教徒も食べるってさ。

ということでハヴァ・ナギラ♪


ハリー・べラフォンテの歌声だ。

ハリー・べラフォンテが好きだった父がこのレコードを持っていたため、なぜか私もガキの頃からこの曲を知っていた。

その後オトナになった私が、アメリカ人(ユダヤ教徒)にこの歌のサワリを歌って聞かせたら、その人は私に「日本人でこの曲を知っている人に初めて会った」と言われた。

なぁ~んて、いくつかの思い出があるこの曲。日本でもたまに耳にすることがある曲だと思うよ。

こちらがGarden Houseで食べたフムス。スタイルはいろいろあるみたいだけどね。


何かにつけても美味しいし、それ自体も楽しい。


ドガティ君も食べたそうだった。


しかし結局食べられなかった。

残念だね((´∀`))ケラケラ

こちらは先代犬の茶々之介氏。晩年の画像だ。


若い時暴れん坊だった茶々之介氏も晩年はすっかり好々爺になった。

完全に乾燥してカリカリなチクピー。


これを水に浸けて、一晩放置。



こちらがチクピー豆で、水に浸けて一晩かけて戻したもの。


新たな水を加えてさらに1時間ほど煮続ける。


一緒に食べるのは、ほたて。


あれこれあれこれ。

種類がたくさん。なんでも食べましょうね。


ジョンソンヴィルのソーセージにレモン。


よく寝るドガティ君。


まずは氷結を飲みましょう。


Pascoのマフィン(全粒粉入り)。


これが私は好きなんです。

おいしいと思うなあ。

こちらはスナック・パプリカ。甘いですよ。そのままかじれる。


ジャガイモを6~7mmの厚さにスライス。


ラップして電子レンジへ。

あとで、焼く。

「暖かいなぁ」と顏を暖気に押し当てるドガティ君。


そんなに危険なほど熱くはないけれど、よくそれで平気だねえ。

これでサラダづくりが完成。なんと簡単な。


ニンニクを擦る。


「おとーさん、それちょうだい」


ニンニクはそのままはかじれませんよ。

レモンを切る。


レモンの汁、オリーブオイル、白練りごま、塩。


茹で上がったチクピー。


タンパク質がいっぱいだ。大豆ほどではないけれどね。

湯を切る。


細かくつぶす。


先ほどのボウルに入れる。クミンを足す。


練る。

途中、水も足す。最後にオリーブオイルをかけ、パプリカのパウダーとイタリアン・パセリをかける。

完成だ。


ジョンソンヴィルのソーセージがやっと登場する。


レンチンしたジャガイモを焼いたあとで、同じフライパンで、ジョンソンヴィルとほたてを一緒に焼く。


全部盛り付け。


何にでもフムスをどうぞ。


大量にフムスはあるのだ。


サラダとでもいいし、ジャガイモとも合う。

マフィンに載せてもいいよ。


シャルドネも飲んだりして。


ジャガイモとフムス。


マフィンとフムス。


サラダとフムス。


残ったフムスはそれだけで食べましょう。

ソーセージとほたてはそのまま食べてもおいしい。


フムスと一緒でもいいよ。

なんでもお好きに。

そういえば、この曲が入ったアルバムを私は持っていたな。

これもハヴァ・ナギラだ。


パーシー・フェイス楽団の演奏である。

パーシー・フェイス晩年の意欲作。私は当時その楽団のファンクラブ会員で、このアルバムのことはよく記憶しているのでした。
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ダーレンベルグのオリーブ・グローブ・シャルドネとイカスミのパエリア@鎌倉七里ガ浜自宅厨房

2022-02-18 00:00:07 | 食べ物・飲み物
お楽しみくださいね。

YAH YAH YAH / CHAGE and ASKA 


たまにビレッジ・セラーズ(富山県のワイン販売業者さん)からセラー熟成福袋の案内が来る。

ものすごくお得だ。ただし自分でワインは選べない。

何が入っているかはわからないが、とにかくお得な買い物になるという福袋である。

ワインはビレッジ・セラーズの倉庫でばっちり管理されていて、熟成が進んだものだ。

かなり売れてしまって、でも倉庫に少数残っていて、数が揃わないものを時々こうやって放出する。


絶対お得なのだが、今回は見送りだ。

赤ワインはまだ飲んでないのが結構あって、一方この福袋は赤ワインが多い。

昔から飲んでいて、好きな白ワインを普通に購入した。

ダーレンベルグのオリーブ・グローブ・シャルドネだ。


オーストラリアに入植者が入り、オリーブの木がそこに持ち込まれたが、オリーブは現地の気候が気に入り、大量に繁殖した。

ぶどう畑にもそれは繁殖した。

このワインもそんな状況を反映し、オリーブ・グローブ・シャルドネと名付けられた。


そして適度な価格と質でベスト・セラーとなった。

暖房器具が大好きな犬。


全部、これ。


どうしておちゃさんって、全部同じものを注文するのか?

そう不思議に思う人も多いことでしょう。


全然かまいませんよ。

これが好きなんだから。


イカスミのペーストをAmazonで購入した。


パスタに使えば簡単にイカスミ・スパゲティが出来る。


しかし本日はパエリア。


スペイン産ニンニクが必要だ。


別にどこのニンニクでも出来るけどね。

スペイン産のは安くて使い勝手がよい。西友で売ってるよ。

あさり。イカ。スイートポイント。


ブイヨンもね。


タマネギも要る。レモンを買い忘れたので、ポッカレモンもね。


サラダづくり。


盛り付け中。


サラダはこれで完成なのである。

スイート・ポイント。これ生でもすごく甘いですよ。


タマネギとニンニク。


イカ。


イカもタコも高くなったね。

しかもイカが獲れないらしく、そのまま買うことが難しくなった。

スイートスポットを切る。


オリーブオイルとニンニク。


オリーブオイルが飛んだ!とうれしそうに走ってくるドガティ君。


タマネギも炒める。


イカを炒めて、あさりも炒める。


「おとーさん、いい匂いです」


さらにお米も炒めましょう。


そこにブイヨンのスープを入れる。


煮詰めて、イカスミのペーストを投入。


よく混ぜたら、スイート・スポットを置きましょう。


アルミホイルで蓋して、端っこに火を当てながら、回して行く。


焦げないようにね。

そろそろ飲み始める。


やはり、これ、おいしいよ。

飲み始めて四半世紀のワイン。


もっとおカネを払えばいろいろとあるんだろうが、これはね、いいと思う。

でも長い間に、味も香りも少し変わって来たかな。


ワインを飲みながら、パエリア鍋の端っこに火を当てて、それを廻す。


「おとーさん、ええ匂いやんか」


そやろ。ええやろ。

あきらめや。あんたのは、あらへんで。

パプリカのパウダー。これはサラダにかけるつもり。


ちょっと味見をしてみよう。


まだだめだ。米が固い。

味も足りない。

急遽、ブイヨンを熱湯で溶く。


それをちょっとだけ足して、また蓋して弱火で加熱。


ほぼいいみたいだ。


そこからは強火で加熱。


おこげづくりだよ。

でもって、蒸らす。


出来ました。


サラダも食べようね。


イカ(中央のやや白いの)にスイート・ポイント。


いろんな味が染み込んだ米を食べましょう。

ダーレンベルグのオリーブ・グローブ・シャルドネも合わせて楽しむ。


最後のおこげは妻が取る(T.T)


何ももらえないドガティ君は寝る。


楽しいランチが終了した。
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