「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

八ヶ岳西麓原村(6) 山荘に籠っていろいろ

2023-07-17 12:10:12 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
散歩に出たらちょっと雨に降られた。

大した雨じゃなかったけど。

濡れたドガティ君をタオルで拭いて、電気ストーブを使う。


朝から天気が悪い。

終日こんな様子らしいよ。


雨もそんなに嫌じゃない。

気温も低いから、蒸し蒸しするという感覚がないのだ。


雨の音だけが響いて、鳥や蝉の声が聞こえない。

それがまたいいんだよねー。

食卓の近くの窓を通して見えるこの風景が、私は好きなんだなぁ~。


四半世紀前から変わらない風景。厳密に言えば変わっているけどね。

ベトナム製(だったと思う)のお箸。とても重い素材で、黒檀かと思われる。

ポイントは貝が貼り付けてあるところだ。


この箸(の貝)を見るといつも思い出す、昔の小学生が作った短歌がある。

きらきらと
貝の輝く
若狭塗り
お箸を買って
父母の土産に

修学旅行で若狭地方(福井県)へ行った小学生が、貝を貼り付けた若狭塗りのお箸を両親へのお土産として購入した体験を詠んだ作品である。まず「きらきらと」という始まり方がいい。平易な言葉ではあるけれど、そこで最初に読み手をグッと引き込む力が感じられる。そしてそれを詠んで行くに従い「そうか、ご両親へのお土産にこの子はお箸を買ったのだな」と読み手は最後に理解し、心が温かくなり、安心する。落ち着くところに落ち着くのだ。

おそらくその小学生は、お土産を買った経験などそれまでなかったのではないだろうか。加えてわずかなお小遣いしかなかったに違いない。それでも懸命に金額の計算をして両親にお土産を買う時の、ちょっと大人になったような気分。自宅で自分の帰りを待っている両親への思い。子供のそうした優しさ、心遣いがこの歌からにじみ出ているではないか。

何度詠んでも、良く出来た作品である。

これは何を隠そう、いや、隠す必要もないが、半世紀以上前の私の作品なのであ~る(だから、どうした?)。失礼しました。


雨に濡れたドガティ君だが、タオルで濡れたからだを拭いてもらい、やがて完全に乾いたところで、お昼寝。


この子は抱っこが好きなワンコである。

抱っこに好き嫌いついては、ワンコの個体差が大きい。

人懐っこい子でも、抱っこが好きなこもいれば、そうでない子もいる。


ドガティ君は抱っこされたまま、時々周囲をチェックしている。


私はドガティ君を抱っこしたまま読書。

雨だからね。何もすることがないの。

以前ご紹介した本である。リンボウ先生が古今東西の歌の詞を独自の視点から分析するめちゃくちゃ楽しい本だ。


山荘に持ち込み、読み残している部分を読む。

遠くへ行きたい♪って歌をご存じでしょう?


知らない方はこちら(↓)をどうぞ。

遠くへ行きたい♪

あの永六輔の作詞だ。

リンボウ先生はあまり永六輔が作詞した作品を評価していないようだ。通俗だと感じるらしい。

しかしこの遠くへ行きたいという歌については、リンボウ先生自身の旅というものへの考え方と重なる部分が多く、高く評価しておられるらしい。


リンボウ先生は宿こそ予約するものの、それ以外はなんら決めずに、偶然性の旅とも言うべきものを愛する人のようだ。

そう言えばリンボウ先生には「どこへも行かない」旅なんて著書もある。私が好きな本だ。

因みに私は旅行には出かけない。ただ原村に行くのみ。出張では海外も含めいろんなところに行ったが、個人生活では山荘に行くのみだ。楽だからね。旅行はとても疲れると思う。

「旅行しないなんて、好奇心を捨てたも同然じゃないか?」とおっしゃる方も多くおられましょう。でも私はそうは思わないのだ。旅行しないと好奇心が満たせないなんてことはない。内外の遠い観光地を旅行して慌ただしくいろんなものを見ることと、隣近所でも23区内でも生まれ故郷でもいいがとにかく身近な場所で人々の暮らしや建物や風景を細かく観察することを比べれば、後者の方が私には好奇心を掻き立てられることなのである。


この本(↑)は面白いですよ。かなり変わった本だけど。

この本は、英国の過去のツーリズムに関して、多くのページを割いている。

その中には「あえて」歩いて旅する人々について書かれた部分がある。


18世紀くらいまでは、英国人の間でも欧州旅行なんて大金持ちのすることだった。鉄道は存在せず、途中はどこも田舎道であり盗賊もいるので、馬あるいは馬車に乗って延々と旅行するのが一般的で、そんなことは貧乏人では出来なかった。

しかしそれをあえて徒歩で行うことが始まった。途中に数多くの発見があるからだ。馬車で走っていては途中の面白いものをほぼ全部見逃してしまう。


例えて言えば・・・名古屋って恐ろしく面白い街であり、そこまで新幹線あるいはクルマで行って、名古屋を仔細に見るのは愉快だ。日本の真ん中に自分たちが位置していると名古屋市民は強く意識しているらしい。だから街の中が不思議な言葉に溢れている。中京なんて言葉が正にそうだ。中日新聞、中日ドラゴンズなんてのもあるね。「セントラル」という言葉が地下街やタクシー会社の名前にもなっている。名古屋駅前には英国みたいに、ミッドランドなんて名前のビルもある。セントレア空港なんてすごい名前まで付けちゃった。なんでも真ん中な名古屋だ、おめでとう!(笑)。

名古屋は食べ物もすごい。個々の食材や調味料は日本中でありふれたものであり珍しくもないものが多いのだが、よその地域では決して組み合わせないような大胆な食材の組合せを楽しむお土地柄だ。あんかけスパゲティとかみそカツとかホイップクリーム&餡とか・・・、とにかくすごい。それがまたおいしいのだ。「えりゃーことうみゃーていかんわ」と感心する。そして「どうしてこの組み合わせを名古屋人は思いついたのだろう?」と考えるのがまた面白い。



だがしかし・・・それはそれでめちゃくちゃ面白いのだけれど、鎌倉から小田原経由で途中を全部すっ飛ばして新幹線で名古屋までわざわざ行かなくても、例えば鎌倉からすぐの小田原あたりでも同じような経験はたくさん出来る。「へぇ~小田原ってこうなってるんだ」みたいなことがいっぱいある。

ただ街中を歩けばいいだけだ。極端なことを言えば、小田原さえ行く必要はない。鎌倉の隣の藤沢市だって、市内を歩き倒し細かく観察すれば、似たような経験はたくさん出来る。


街、田舎あるいは観光地をミクロに観察する楽しみって、それがどこの場所であっても同じようなものだ。そう考えると、別に交通費や宿泊費を払って遠くへ行かないといけないわけではなく、突き詰めれば、そして自分にやる気さえあれば、自宅の近所を歩くだけでも十分楽しいはずということになる。

それに同意できる人なら、別に旅行に出かける必要はないということにもなる。


自分が住む市町村の隣の市町村の道路のうち、99%をまだ自分の足で歩いたことがないという人が多いはずだ。その意味では、隣の市町村の道路も、ナイロビやシドニーやエジンバラの道路も似たようなものだ。先ほどの歌の出だしは「知らない街を歩いてみたい・・・」なのだが、あなたの自宅の近所にも、あなたの「知らない通り」は溢れている。そこを歩けばいい。

なんて憎まれ口をたたいていると叱られそうだ。しかしまあとにかく私は旅行は苦手なので、鎌倉と八ヶ岳の往復しかしていない。

ほら、このウリハダカエデの幹って見ただけで「瓜の肌」でしょう。こんなのを見ているだけで面白いのです。


相変わらず誰も来ない、我が山荘前の道路。


この道路は実は巨大な盛土の上にある。別荘地をじっと見ているうちに気づいた。さすが三井不動産で、しっかり工事してあるわー(工事は三井建設。現在の三井住友建設)。説明するとかなり面白いし今後別荘を買おうとする人の役に立つと思うのだが、それはまた今度ね。

話がかなり長くなるからね。


それではまた次回。

【つづく】
コメント (21)
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