ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私たちの富士登山(7)

2013-07-13 20:40:13 | 四方山話

お鉢巡りを終えて富士宮口頂上に帰ってきたところです。右手が浅間神社奥宮になります。左隅に登ってきたときに潜った鳥居が見えます。


今回は同じ道を下らずに、5分ほど引き返して御殿場道を下るコースをご紹介します。


下山口のすぐ傍銀明水がありますが、現在は涸れている様子です。1986年に登ったときには、浅間神社で小さい容器に入れて授けていました。お初穂料300円で義父が買ってくれました。


御殿場への下山道は富士宮道に比べて楽とはいえ、下り始めはやはり傾斜が強いです。ごつごつした岩の道が何度も屈折しながら、次第に高度を下げていきます。途中に目標となる山小屋や道標もないため、かなり長く感じます。一時間近く下って、ようやく勾配が緩まり、やや歩きやすくなります。(2011.09.13)


八合目の上に「長田尾根登山道建設記念碑」が立っています。元強力から気象庁職員になった長田輝雄さんが1959 年冬に御殿場道から登山中に突風に煽られて殉職。その死を惜しむ職員の基金で八合目から頂上に向かう尾根に長田さんの名を冠した登山道が開かれて、風雪から身を守る鉄柵を建設しました。冬季は積雪で数センチしか頭を出していないこの鉄柵は、山頂測候所の人達の大事な命綱だったのです。写真は2006年のものですが、2011年に通ったときには鉄柵は撤去されていました。2009年7月、悪天のなか下山中の男性二人(一人は米人)が、この辺りで遭難したのが撤去の原因の一つと言われていますが…。また富士山の歴史が失われていくようで淋しいです。



御殿場道はもともと登山者が少なく、ある統計では夏でも富士宮道の7分の一だそうです。八合目で初めて小屋に出会い、ついで七合九勺にも赤岩八合館があります。小屋の入口や窓は、番号を打った木材を積み重ねて締め切り、厳重に冬の備えをしています。この小屋には2008年8月、皇太子浩宮殿下が宿泊している。このとき皇太子一行は富士宮五合をスタート、宝永山荘の前を通って宝永山馬の背から御殿場道に出てこの山小屋で一泊。翌朝山頂でご来光を見て御殿場道を下りました。それ以後、今ご紹介しているこのルートは「プリンスロード」と呼ばれるようになりました。



ここからも合目を表す標識や道標は一切なく、小屋の看板も外してあるので、どの辺りを歩いているのか全く分かりませんが御殿場市のホームページなど見ると、赤岩八合館の後は気象庁避難小屋、砂走館(七合五勺)、わらじ館(七合四勺)と続いていいます。次の小屋の前で始めて「七合目」の文字を見つけました。建物は日ノ出館。午後になっていつものようにガスが出てきました。



御殿場道の下りでは2006年8月、霧に包まれて宝永山への道を失い、標高差を100mあまり登り返した苦い経験があります。その時はジグザグの道を六合目まで下って森林限界らしいところをトラバースしました。しかし2011年は日出館の少し下、ブル道と合流するところに小さい標識がありました。



この先が「大砂走り」と呼ばれるところです。標高差1,000m近く滑りながら下れるのですが、初めはかなりの急傾斜でしかも溶岩がゴロゴロしています。先行者や自分の足元から上がる砂埃を吸わないようにするのに懸命でそれほど爽快感はありません。それでも一歩踏み出すと2m近くは下ります。これは2006年の写真、こんな青空が一転して濃い霧(雲?)に覆われるのですから山の天気は油断できません。


2006年は後でGPSの軌跡を見ると、ここ「下り六合」を標高差で100mも下り過ぎて難儀しました。「プリンス…」のお蔭で今はこんな立派な道標ができて安心です。大砂走りの醍醐味はここから下だそうですが…


宝永山へトラバースする水平道に入ります。ここもずいぶん広く立派に整備されました。霧が晴れて青空が出てきて、ルンルン気分で行くと5分ほどで宝永山の馬ノ背の少し上に出ました。


宝永火口と山頂とのコル、馬ノ背から宝永山頂を目指します。

 

宝永山(2,693m) 宝永4年(1707)宝永大噴火で誕生した富士山の側火山。これ以降、富士山は活動を休止しています。上から第一、第二、第三の三つの火口があり、現在残されている噴出物の量からも大規模な爆発性の噴火であったことが分かります。
 写真は2000年の頂上の光景。風雪のためか柵や展望図台などの構造物が無残に壊れていました。この時は濃霧で無展望でしたが、晴れていると背後に富士の山頂部が名残を惜しむように仰がれます。


私の住む町の山の会で、三度目の富士登頂となった2006年の宝永山頂。柵はまだ(又?)倒れています。


一昨年(2011)には美しく整備されていました。


砂礫の急坂を下り、第一火口底を通過します。ここから少し登ると、ブロッケンを見た分岐にでます。
私達の富士登山のフィナーレを夕陽を浴びた宝永山が見送ってくれました。(終)