雄山頂上の授与所(社務所)で参拝料(500円)を収めると、3003m地点にある峰神社神殿に詣でることができます。
ここで神主からお祓いを受けお神酒を頂くのですが、今年は時間が遅かったので(14時半まで)参拝料は200円でお札だけ頂きました。赤いお札には鈴と紐が付いていて、ザックやストックに付けて下山する人が多いようです。
社務所は改築を繰り返してホテルと見紛うばかりの建物です。さまざまな記念品やお守りがありますが、このバンダナ(1,000円)を頂きました。一等三角点横の「風景指示板」の周囲に、雷鳥やオコジョなどのイラストを配した中村みつおさんのデザインです。
そう言えば、前にもここでの授かりものがあった筈と帰宅後探してみました。これは1991年8月17日に授かったもの。
この時は町内のメンバー10人で、雄山の他に浄土山、別山と立山三山縦走を果たしました。雄山からの展望は最高でしたが、バス・ケーブルの乗車待ちに時間がかかり、氷見阿見の浦温泉に着いたのは19時を過ぎていました。
この二つは立山・剣のお土産に駅などで買ったものです。
右の黒光りした木彫りの雷鳥は、1966年7月下旬の夏合宿のお土産。この年、始めて室堂までバスが入るようになりました。21日地獄谷を経て剣沢へ入り幕営。強風でテント一張りがダメになりました。22日はサブザックで剣往復。山日記に『いつもより雪が多い』と書いています。23日、剣沢~雄山~一ノ越~五色ヶ原。『立山で人の多いのに驚く。』24日、~越中沢岳~スゴ乗越~間山。
25日、~北薬師~薬師岳薬師峠『快晴。快調に飛ばし昼前に早くも薬師本峰に着く。ゆっくり遊んで薬師峠へ。』26日、~太郎平衛平『今年もニッコウキスゲが咲き乱れていた』~有峰へ下山。…と長い縦走でした。写真は変色していますが、薬師岳から剣・立山方面を見たところです。
左の雷鳥は地獄谷の項でも書きました♀ペンとの剣山行のときの土産。1998年9月の剣頂上では『槍・穂高は雲に隠れたが、白馬から唐松、五龍、鹿島鑓、針ノ木と後立山連峰がくっきり。立山三山から薬師に続く山並み。室堂平から地獄谷の眺め。奥大日から大日への稜線。早月尾根の稜線と毛勝三山』と360度の大展望が楽しめました。
浄土谷から雷鳥沢を登る途中には名前通りよくライチョウに出会います。これはそのとき、雷鳥沢を別山乗越近くまで登ったところにいた雷鳥です。ちなみにニホンライチョウは国の天然記念物で、富山、長野、岐阜の三県で「県の鳥」となっています。雷が鳴るような悪天の時によく姿を見せるのでこの名がついたとか、かっての「霊の鳥」が「ライの鳥」に転訛したとか、名前の由来には諸説あるようです。日本の高山で越冬する唯一の留鳥です。
それで天気悪い時のライチョウなんですね。
噛み砕くように言われて初めて気づく(汗)。
調べてみたら、私が立山に行ったのは33年も前1980年のことでした。古い写真を発見!
剣山はよく記憶に有るものの、立山は記憶のかなた、でも行ってました。立山・剣・欅平と縦走した今では夢のような山行。
先日の旅行では曇りで、立山連邦は山裾しか見れずでした。
今度は剣はともかく、立山だけでもいいので行ってみたいです。
写真のバンダナを目指して。
(2時間近く並んだ嫌な思い出があります)
室堂へ入ってしまえば立山へは案外簡単に登れますね。
次回は浄土~雄山~別山の三山巡りはいかがですか?
室堂に近づくにつれ剱岳の切り立った岩肌の勇壮な姿が現れ、素人目に見ても厳しい危険な山だと感じました。もちろん私は無理ですが、案の定百名山のなかでも難易度は槍、穂高、剣が最高ランクでした。今年の1月に4人のパーティが遭難しており、この21日には2800mの地点で山岳写真家が落石事故で亡くなっています。
隊長は私と同年代のころにも剱岳に登っていますが隊長の黒々とした髪の毛はとても私と同年代のころの写真とは思えません。(泣)
一の越からはるか遠くに見えた槍ヶ岳が印象的でした。山歩き初級編Cクラスにとって雄山は思い出に残るデビュー戦でした。折を見て槍の話も聞かせてください・・・。
もっとも岩場の好きなん彼女のことですから、カニの縦這い(登り)、横這い(下り)…一方通行です…も難なく通過しました。
岩に慣れていない人は、若い男性でも鎖場で難渋しているようでした。
槍にも色々な思い出がありますが、一般ルートなら問題はありません。
しかし次は高山植物の観察?を中心に、のんびり山を楽しみませんか?