ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私たちの富士登山(6)

2013-07-12 20:05:59 | 四方山話

剣ヶ峰からお鉢巡りを続けます。お鉢の周囲は約3km、1時間半ほどかかります。前に少し触れましたが火口の周りにある峰は「蓮華八葉」に例えられ「八つの峰」を巡拝するとされています。しかし富士宮市観光協会のパンフ(2012年発行)では「剣ヶ峰・白山岳・久須志岳・成就ヶ岳・伊豆岳、朝日岳・駒ケ岳・浅間岳、三島岳」と九峰の名が見えますし、名称も時代の宗教観とともに変わります。深田久弥さんは「お鉢廻り」という紀行文の中で、「一たい八つなどと決めたのからして一種のこじつけで、見様によっては六つ位にも見え、十あまりにも数えられる」と書かれています。


写真は5回目の登山となった2002年9月のものですが、『お鉢巡りは、ロープで規制されて稜線通しには歩けなくなり、決められたコースを歩くようになっている。』と山日記に記しました。それまでは剣ヶ峰を越えたところで、火口よりの内輪廻道と岩の稜線を行く外輪廻道に分かれていました。
 1986 年は『
稜線通しに忠実に辿つたので、ちょっとした岩登りまで義父にさせてしまった。殆どの人は内輪巡りのルートをとったようで、こちらのコースはがら空きだった。』


蟻の戸渡りという痩せた岩稜を行くと大沢崩れの断崖を見下ろします。最大幅500mで頂上から標高2,200m付近まで達する大崩壊地です。古くは「鳴沢」呼ばれたように、今も絶えず小さな落石が音を立てています。(写真は別の年のもの)


始めての富士登山では幸運にもここで影富士を見ることができたのです。裾野に浮かぶ黒い富士が朝陽が登るにつれて刻々と動いていく光景を、義父も私達夫婦も息をのんで見つめ「苦労して登ったからこそ見られた」と喜び合いました。その後も影富士は剣ヶ峰で見ましたが、この時の感激には比べようもありません。

剣ヶ峰の次のピークは白山岳<写真右>ですが、その前に顕著なピークを一つ越します。
ここを雷岩といいますが、雷岳とも呼ばれました。この辺りから雷が生まれると信じられたからの名前のようです。白山岳の左肩に四角い建物のような大岩が見えます。この石を「釈迦の割れ石」といいます。


白山岳(3,773m)は古くは釈迦ヶ岳と呼びました。割れ石に「釈迦」の字が付いているのはそのためです。白山岳はやや南北に長いお鉢の北西隅近くに当たり、これまで見えなかった北西側の麓の景色が見下ろせるようになります。山頂には鳥居が立ち、その右側に割石があります。30年近く前の記録媒体はフィルムで、現在のように気楽に撮れなくて記念写真が多くなります。ここでは外人ペアの男性にシャッターを押して貰いました。

富士山第二の高峰・白山岳から内陣の方に下ると阿弥陀ヶ窪で、内輪廻りの道に出会うところに金明水があります。写真は1988年のもので現在とはだいぶ様子が違っています。金明水は銀明水とともに「富士の霊泉」として知られ、昭和初期までは写真のお堂の中にある井戸から自由に汲むことができたそうです。写真の1988年には厳重に鍵がかかっていました。現在はお堂もなく金明水取水所として井戸が剥き出しになっています。「泉」の名は付いていますが、この高所から湧き出すわけはなく、コノシロ池と同じく融雪が地表に染みだしたものです。そのため久須志神社で授かる金明水(500円也)の箱には「古くは不老長寿の霊水として…近年は茶道・華道に用いるため拝受」されてきたが、「天然水のため飲用には煮沸してご使用くださるよう…」の注意書きがあります。

 

白山岳を越えて一休み。右手(北)には吉田大沢が拡がります。


三日月の形をした山中湖が眼下に…

 

久須志岳頂上には富士山を鳥瞰した立体像付きの展望盤があります。


久須志岳を下りたところで吉田口、河口湖口、須走口の各登山道が集まり、数軒の頂上小屋があります。ここから道は南へ向かい、大日岳へ緩やかに登ります。


伊豆岳、成就ヶ岳を過ぎると荒巻といって1950 年代まで地熱が感じられたという所があります。面白い形をした溶岩群の中を歩いて行くと、荒涼たる東安ノ河原に出ます。昔は賽ノ河原といって八体のお地蔵さんがあったが、廃仏毀釈で姿を消したと上述の深田さんの文章にあります。(前回・<富士登山日記(5)>の三島岳のお地蔵さんがひょっとするとこれでしょうか?)河原南端で虎岩が近くに見えるようになると…

 

間もなく御殿場口から登ってきた登山道に出会います。この先は右に浅間ヶ岳、左に駒ヶ岳の間を通る岩の道を5分ほど登ると浅間神社奥宮の前に出て、お鉢巡りを終えることになります。