7月17日。陽が登ると消えるかと思っていた霧は一向に晴れず、小屋主の「午後から雨になりそう」という話に下山することにしました。7時15分、スタート。手袋なしではストックを握る手が冷たく、体感温度は10℃をはるかに下回っています。(11時に美女平駅で見た Live view camera では、その時点で室堂で11.6℃でした。小屋のすぐ下の石畳の道は少し凍結して滑りやすくなっています。
昨日あれほどよく見えた稜線は雲に覆われ、「もう一度、自分の登った急斜面を確かめたかった」と丸さんは残念そうです。少し霧が流れて別山が顔を出しましたが、真砂岳から雄山に続く稜線は見えません。
30分ほど下ると少し青空が見えるようになりました。下りの急斜面で何度も雪面を渡りますが、次第に雪が緩んできたので、アイゼンは装着の手間を惜しんで使わずに慎重に下ります。
室堂の建物群が近づく頃、太陽が顔を出して雪面に影を落とすようになりました。(Photo by Marusan)
奥大日岳をバックに地獄谷から噴煙が一筋挙がっています。左端は中大日岳、奥大日から右にグンと落ち込んだところがカガミタン乗越、更に稜線は室堂乗越へ続きます。若い頃、ザックを担いで弥陀ヶ原から称名谷に下り、凍えそうな冷たい水を渡渉して大日岳に登り、あの稜線を歩いて別山乗越から剣沢の幕営地へ降りたことが夢のようです。何度か登ってくる人に道を譲ったり、譲られたりしながら…
ちょうど1時間で室堂第三十二番石塔の分岐に来ました。浄土山の方は晴れていましたが雄山はまだ雲の中です。剣や立山への登山の途次で室堂を通るのは10度目なのですが、実は私も♀ペンもこの辺りでゆっくりしたことがありません。しばらく周辺を散策することにしました。玉殿岩屋への道は雪で覆われているので、室堂山荘の前からミドリガ池の方へ進みます。
ミドリガ池 室堂周辺の火口湖群の中ではミクリガ池に比べて面積が小さく、水深も浅いのですが透明度がとても高い池です。周囲にはアオノツガザクラやコバイケイソウを始め、いろいろな高山植物が咲いていました。のちほどまとめてご紹介します。
ミクリガ池 室堂周辺で最大(面積約30,000平方メートル)、最深(15m)の火口湖です。立山地獄の中の「八寒地獄」であるとされて、昔、山の先輩から「今でも亡者が水を飲みに来る」怪談を聞かされたものです。しかし、「ミクリ」は「御厨」と書き、立山権現の「神の厨房」という意味でした。まず修験道で「神の水」と崇められ、浄土信仰の発展で地獄と見做されるようになったようです。
ミクリガ池の北西隅にあたるところに「みくりが池温泉」があります。写真はここから地獄谷を見下ろしたところです。地獄谷は立山の爆裂火口で周囲約1.5kmの平坦な窪地で、無数の噴出孔が点在しています。立山信仰では八大地獄に小地獄を加えて百三十六の地獄があるとされ、生前の罪に応じて死後どこかに送られると言われました。今昔物語で修行僧が女に会い家族に供養するよう頼まれる話、謡曲「善知鳥(うとう)」で生前、善知鳥を殺した猟師がやはり修行僧に供養を頼む話などの舞台になっています。
変愚院の立山・剣デビューは1961年、その頃は源泉地域の中に温泉宿(房冶の湯)があり、宿泊もできました。写真はその折、雷鳥沢幕営地に向かう途中で。左上隅に房冶荘が写っています。
1998年の9月、♀ペンと剣岳に登った帰りにも地獄谷を周回しました。黄色い噴泉塔が突っ立ち、噴煙がたなびく地獄谷を移した写真です。この日は剣沢から剣岳を往復したあと、別山乗越へ登り、雷鳥沢を下ってここへきたので、♀ペンはミクリガ池への登りが辛かったようです。それでも室堂で空室を確かめて、天狗平の立山高原ホテルまで下りました。朝5時半から16時半まで11時間行動、無茶をしたものです。
そんな思い出のある地獄谷は現在、通行禁止になっています。英語、韓国語、中国語の表記もあるのが時代の流れを語るようです。
遊歩道からミクリガ池を見下ろします。立山の稜線はまた雲に覆われてきました。
(Photo by Marusan)
室堂ターミナルの建物のすぐ横に人だかりができています。大きなカメラを据えた人も何人か。昨日、出発時に見た雷鳥の親子が今日も草叢から出たり入ったり。よちよち歩きの数羽の雛をお母さん鳥が心配そうに見守っています。微笑ましい風景に暖かい気持ちで駅に行くと、出発寸前の11時のバスに間に合いました。短い滞在でしたが、懐かしい山々を眺めながら残雪の上を歩き、可愛い雷鳥や美しい花々にも会えて充実した山行でした。
*今回も丸さんの写真を何枚も使わせて頂きました。長時間の運転と合わせてここにお礼申し上げます*