ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

拉薩紀行 (5月20日- 続)

2006-05-25 15:52:20 | 旅日記
車は荒涼とした景色の中を走ります。
路傍に咲く紫色の美しい高山植物は「ショウ」と呼ぶそうです。



ヤルンツァンポ河の支流・キチュ川の川風に、五色のチョルテンが
翻ります。川沿いに点在する村をいくつか通り抜け…



ネタンに来ました。岩壁にカラフルな大仏が描かれています。
白いゴミのように見えるのは、大仏に捧げられたカタです。

「どうしてあんな高いところまで付いているのか」と不思議に
思った♀ペンがヤンさんに訊ねると、「石をくるんだカタに粘土
をつけて投げ上げる」のだそうです。

もの凄い投擲力…これでコントロールがよければ、タイガースの
ピッチャーとして欲しいところです。




市街地が近づくにつれて車が増えてきました。想像したよりも
遙かに大都会です。自転車やリキシャも走っていますが、最新
の欧米車、日本車が幅を利かせています。

それにしても、乱暴な運転が多いのに何度ヒヤリとしたことで
しょう。右側通行ですが、左折してきた白い車が急に正面に現れ
ました。私たちの車のドライバーさんは、こんな状況を苦もなく
スイスイかわして行きます。



ラサ滞在中の宿「ラサ・ホテル」は市内一の高級ホテルです。
ホテル内にプールまであったのには驚きました。



ホテルの周囲には露天のお土産屋さんが、ずらりと並んでいます。
ライさんとヤンさんから、今日は「高度順化」のため、どこへも
出歩かないようにと忠告され、おとなしく部屋に籠もることにしました。




拉薩紀行 (5月20日-ラサ到着)拉拉

2006-05-25 10:56:02 | 旅日記
念願のラサへ行ってきました。
僅か6日間の短い旅でしたが、充実した楽しい日々でした。

現在、中国へはノービザですが、チベット自治区へ入るには
ビザの他に、このような「入域許可書」が必要です。



関空を出るときは三人だったのですが、思いがけず北京空港
で岐阜の好青年・西尾君と合流して、4人で行動することに
なりました。

成都で一泊した翌20日朝、新しくなった成都空港からラサへ
向かいます。左から西尾さん、♀ペン、さっちゃん、スルーガイド
の雷鳴さん。ライ・メイは本名で「覚えやすい名前でしょうと」
笑いながら自己紹介してくれました。



午前11時30分、ラサ到着。荒々しい山々に囲まれた標高3600m
の空港のタラップを降りると、乾燥した冷たい空気が肌を刺し、
空気が薄いのでやや息苦しさを覚えます。



出迎えの現地ガイド、楊(ヤン)さん<右端>から歓迎のカタを
首に掛けて貰いました。



空港から市内へは60㎞、立派な道路を約1時間で走り抜けます。
大きなマイクロバスにドライバーさんを入れても7人で、ゆったり
しています。
車中で楊さんからチベットやラサについての予備知識を聞きました。
ラサ市は総面積3万平方キロ、うち市街地区の面積は約550平方キロ、
人口は約38万人のチベットの中心都市です。ラサは「神の土地」の
意味だそうです。

また、できるだけ水分をたくさん摂ること、急いで動かないこと、
お酒は控えることなど、高地での行動についての注意がありました。



伊豆の役行者

2006-05-18 13:43:52 | 旅日記
16~17日、地域の旅行で伊豆・石廊崎に行ってきました。

石廊崎の遊覧船乗り場で、図らずも行者様にお目にかかりました。
伊豆に流されておられたのですから当然のことなのですが、大和国
から遠く離れたこの地に来て、お会いできて懐かしかったです。

傍らの説明版の「1.生い立ち」の中に、伊豆に流されたのは文武
天皇三年(699年)とありました。「2.伊豆に残した足跡」が
面白いので引用しておきます。

一、石室権現を祀り、航海の安全、学問、商売繁盛の守護神とした。
石室神社は所謂延喜式の神名帳に登録されている式内社である。
二、アシタバを発見して世に広め、アロエの薬効を研究して住民を
疫病から救った。三、大瀬海岸に聳える「?」(読めない。「巌」か?)
に飛行の蓑を掛けたという伝説から蓑掛岩と呼ばれている。
四、その他、変幻出没南伊豆一帯を一本足駄で闊歩した。

後年第一一九代光格天皇は寛政一一年に「神変大菩薩」の称号を
贈り、その業績を賞賛した。



遊覧船に乗って大根島の横を通りますと…



岩だらけの無人島に住むお猿さんが出迎えてくれました。



その後、久しぶりに浄蓮ノ滝を見て帰りました。富士は二日間、
まったく姿を見せてくれませんでした。



小峠山 (5月14日)

2006-05-15 11:30:34 | 山日記
JAC例会で大峰山系の小峠山に登りました。
一般参加も含めて25人の大パーティで、八木から貸切バスで
169号線を南下、池原ダム湖に臨む水尻集落から登り始めます。
最初から樹林帯の急登です。



尾根にでて小さいコブをいくつか越すと、眼下に幾重にも重なる
山々に抱かれるようなダム湖が美しく望めます。



尾根道のあちこちにシャクナゲが美しく咲いていました。他にも
新緑の中にミツバツツジやアケボノツツジなどが美しいアクセント
となっていました。



1099.7mの小峠山山頂です。



中央が釈迦ヶ岳、その左の尖鋒は大日岳です。



数分先のコブまで辿る道は、シャクナゲの花の道でした。
ここは中峰といわれる最高点…といっても僅か1mほど
先程の山頂より高いだけですが…展望はますます拡がり、
孔雀岳、釈迦ヶ岳、大日岳から続く大峰奥駈道が涅槃岳
、行仙岳(頂上のアンテナもくっきり)、笠捨山…しして
ずっと左向こうに玉置山まで連なりを見せています。

去年、歩いた山々を懐かしく振り返りながら、同じ道を
下山しました。





神戸市立博物館へ(5月9日)

2006-05-10 09:26:59 | 旅日記


「江戸の誘惑」展を鑑賞に行きました。
明治時代に来日したウィリアム・ビゲローという医師が、多数の
浮世絵を買い集め、ボストン美術館に寄贈したもので、これまで
非公開のものが多いそうです。
師宣や歌麿、広重、北斎を始めとするたくさんの浮世絵が江戸人
の暮らしを描いた「江戸の四季」、吉原などの遊里の文化「浮世
の華」、歌舞伎役者の姿絵や、芝居小屋の絵看板「歌舞礼讃」、
そしてパロディ風の見立て絵「古典への憧れ」の4部構成で展示
されていて、見応えがありました。
最後には私の大好きな石燕の「百鬼夜行図」まであり、じっくり
楽しめました。



博物館のある地域は、かっての外国人居留地でこんな門柱も見かけ
ました。



博物館の隣には「旧神戸居留地十五番館」があります。明治十三年
に建築された神戸市内で最も古い洋館です。外観は石造のようです
が実は木骨煉瓦造りの二階建。
阪神淡路大震災で全壊したのを3年がかりで復旧したものです。



ぶらぶらと歩いて三宮へ帰る道で、琴の音が聞こえてきました。
道脇にさりげなく、こんなモニュメントが置いてあります。

神戸の町は、どこかノスタルジアを誘う香りがします。二人とも
若い頃から大好きな町なんですが…
夕食は、やっぱり通い慣れた食い倒れの街・大阪でしました。



大麻山で見た花

2006-05-07 11:55:04 | 花日記
昨日UPした「我が家の花」のジュウニヒトエは園芸種の
西洋ジュウニヒトエで、別名をアジュガというそうですが、
これは野生のジュウニヒトエ(白花)です。



同じく薄紫色のジュウニヒトエ



この花はとても小さいけれど美しい紫色の花です。



近くで見た同じ花です。名前をご存じの方、教えて下さい。



矢田寺遍路道 (5月6日)

2006-05-06 18:17:11 | 矢田だより
久しぶりに矢田寺遍路道を歩いてきました。
入口付近は竹藪が多いので、石段の割れ目を押しのけて
タケノコが顔を出しています。



道の左右にニョキニョキと頭をもたげるタケノコ。
あちこちの観音様にお供えしてありました。



そろそろモチツツジの見頃です。建物は先月「遍路道保存会」
と「地蔵講」の皆さんの力で新築された「じゅっぷく小屋」。



この少し上が萬米上人像のある最高地点で、そこから遍路道は
下りになります。頂池との分岐にチゴユリが咲いていました。



ナルコユリは、まだこれからです。