ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

続・バスツァーで信州へ(2012.08.25)

2012-08-27 08:55:23 | 旅日記

白馬八方の朝は快晴で明けました。5時30分、部屋から見る五竜岳がモルゲンロートに輝き始めました。遠見尾根の上に鹿島槍も顔を見せています。

5時50分、K社の大きなロゴ入りのバルーンが上がり始めました。二機(?)が上下していますが、係留されたままなので高度はそれほど上がりません。見ている間でも少なくても10度は登り降りしていました。

7時の朝食を済ませてホテルの前てバスを待ちます。唐松岳に雲がかかり始めました。
五竜岳、唐松岳…どちらも二人にとって想い出の多い、特に変愚院にとっては二度も生死の分かれ目になった山で感慨無量です。

8時過ぎ出発。途中、安曇野アートヒルズ(ガラス工芸品ギャラリー、ショップ)でトイレ休憩、島々を通り沢渡でシャトルバスに乗り換えます。

上高地へのマイカー乗り入れは自然保護のため全面禁止されていますが、この時期は日によって観光バスなども規制されています。
数年前きたときに比べると、ずいぶん乗り場が拡張されて綺麗になっています。木の香りがまだ漂っているのも道理で、今年7月に新装されたばかりだそうです。先にわれわれのような観光バスの客を乗せてから、昔の待合所に回って一般客を乗せます。そのため殆どの個人客は気の毒にも補助席になります。

幾つものトンネル、最後は釜トンネルを抜けて、11時、上高地の玄関口・大正池に着きました。

3時10分にバスターミナルに集合するまでフリータイムです。最初はターミナルから明神池まで往復するつもりでしたが、途中の見どころの多い、ここで下車しました。どちらも何度も歩いた道ですが、山へ行くときはここで下りることがあまりないからです。

焼岳の影を落とす湖面にカモが泳ぎ(このカモたちは人馴れしていて岸に上ると足元まで寄ってきます)、ボートが何艘も浮かんでいます。

しかし大正4年の焼岳大噴火で梓川が堰き止められて誕生したこの池も、上流から運ばれる土砂の累積で年々その面積を狭めています。水中から突き出して独特の景観を見せていた立ち枯れの木も、来る度に数を減らしているようです。

西穂高から焼岳に登ったのは1999年の夏でした。その時は雨の中を、頂上右に見えるコル・中尾峠から飛騨側(向こう側)へ下っています。足元は濁流となり、山肌を流れる落ちる谷水が滝のようになっていたことを思い出します。

今日は雲はあるものの雨の心配はまずなさそうです。しかし標高1500m近くといっても日向は暑く、少し早足になると汗が噴き出してきます。

田代湿原。小さく点々と見えるのは残ったサギスゲの綿毛状の果穂です。次第に雲が上がり穂高の稜線が見え始めました。

六百山から霞沢岳への稜線。二人でこの山に登ったのは2001年10月。徳本峠で一泊して翌日、ピストンして上高地へ下りました。あの時は岩場のアップダウンの連続で、特にK1への最後の登りは字通り胸をつくような、シャクナゲやハイマツの根を掴んでの喘ぎながらの登りでした。さらにK2を捲いて霞沢岳本峰に立った時の感激…今、見上げると鮮やかに蘇ってきます。それにしても頂上から見下ろす上高地のなんと遠かったこと…。

自然研究路が二つに分かれるところに、こんな看板がありました。

クマは前に白山で遭遇したので、もう懲りごり。梓川コースを行くことにしました。

二つのコースが合流したすぐ先が田代橋。ここでバスターミナルの方から来た添乗員さんに出会い、写真を撮ってもらいました。

 梓川に架かるもう一つの橋(この辺り中州で川が分岐している)・穂高橋を渡るとホテルが二軒並んでいます。清水屋で買ったお弁当とビール・ロング缶をぶら下げて、これもお馴染みの「ウェストン碑」へ。

ご存じのように、ウォルター・ウェストン師はイギリスの宣教師で日本各地の山を世界に紹介した登山家です。毎年、6月最初の日曜日にこの碑近くの広場で、彼を偲んで日本山岳会主催のウェストン祭が開かれます。かって変愚院も新入会員として、この実質的に山開きになる祭に参加しました。

その広場の木陰で山を眺めながら飲むビール。山で死なずに今まで生きていて良かったと思う、まさに至福のひと時です。
廻りには美しい草花が咲き、たくさんのトンボやチョウが飛び交っています。

真っ赤なトンボがズボンにとまりました。(後で土野さん、崎山さんからミヤマアカネと教えて頂きました。ありがとうございました)

清水屋で求めたお弁当「河童のひるめし」です。実はバスの中でオプションの弁当購入案内があり、殆どの人は買われたようですが 私たちは初めからどこかの店で食べるつもりでした。これが大正解でとても美味しい弁当でした。

のんびり時間を過ごして12時50分出発。急げば集合時間までに明神池を往復できますが、あくせくする旅でもなし、河童橋周辺で遊んで帰ることにしました。

山ガールが闊歩する河童橋近くで、こんなオールドファッション?めいた登山者を見かけました。小型のキスリングの上に寝袋を乗せているのが中途半端ですが、いまどき珍しいニッカーズボンに背中にはピッケル。のっしのっしという感じで歩いていきました。

河童橋は相変わらず人で埋まっていて、乳母車に乗って「ママ、ママ」と泣き叫んでいる幼児までいました。片足は靴が脱げているので履かせて、しばらくあやしていましたが母親は現れません。後から来る人から変な顔で見られるので、きっとママは近くにいるだろうとその場を離れました。

右岸を少し先まで歩くと人影もまばらになり、穂高のスカイラインがくっきりと現れました。

西穂から天狗岩、天狗のコル、ジャンダルム、奥穂…そして前穂への釣尾根。お馴染みの山々を見上げていると様々な思い出が浮かんできます。変愚院が始めて奥穂に立ったのが半世紀以上前、二人でジャンダルムに登ってからでももう10年以上経ちます。加齢とともに月日の経過が次第に早く感じるとは聞いていましたが、まさにその通りです。

懐かしさに惹かれて、少し先のサンケン(日本山岳会山岳研究所、霞沢の帰りに泊った)まで行って見ました。外に管理人さんらしい人が立っていましたが、もちろん見知らぬ人に代わっていました。引き返して五千尺ホテルの売店でお土産を買い、バスターミナルへの途中、「アルペンホテル」のロビーでコーヒーを飲んでで集合時間までを過ごしました。

上高地バスターミナル。帰りは15時20分発の平湯行シャトルバスに乗ります。大正池を過ぎるとき、思わず「焼岳さらば、また来る日まで…」と「穂高よさらば」の一節が浮かびました。来年は二人でもう一度あの穂高の稜線へ…せめて西穂高へ登ろうと夢を掻き立てました。

21時30分、予定通り西大寺帰着。お天気に恵まれたお蔭で懐かしい北アルプスの峰々に再会できて、本当に価値のある「いっ得!上高地二日間」でした。