ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

ペルーの旅(11)

2012-03-21 07:00:05 | 旅日記
MACHU PICCHU(3)
マチュピチュの石像建築物は約200、居住者は500~1,000人ほどと推定されています。クスコを守るインカ最後の砦、アクリャ(太陽の処女)と呼ばれる美しい巫女の暮らす特別な宗教施設など、いろいな説がありますが、現在最も有力なのは第9代インカ王・パチャクティの私有地で、おそらく避寒のための別荘地だったという考え方です。



ここには美しい石造の宗教施設が多く見られます。まず、市街地入口から階段を下り、作業小屋の立ち並ぶ区域を見ながら行くと「太陽の神殿」を下に見ます。



ここは帰りにまた訪れますが、マチュピチュの建物の中で唯一、美しい曲線を描く姿が印象的です。窓から太陽の光が真っ直ぐに差し込む冬至の日には、種蒔きの儀式が行われました。ここでは冬至の頃が一年で一番昼の長い…つまり日本では夏至にあたる種まきの時期なのです。



狭い通路を過ぎて少し登ると展望の良い…



大きい石がゴロゴロしている開けた場所にでました。石切り場の一角です。マチュピチュの殆どの建造物には、ここから切り出された石が使われています。

すぐ下に見える広場は「聖なる広場」。その正面の三方を石壁で囲まれたところが「主神殿」です。



この岩の割れ目にはいくつかの穴が開けられています。この穴に木の棒を差し込み水を注いで膨張させて、その力で石を割って加工していました。



石切り場にあった加工中の岩



「聖なる広場」
中央の平らな石台には「太陽の神」への生贄の動物が置かれ、神聖な儀式が行われていました。



聖なる広場の正面にある「主神殿」
天地創造の神「ヴィラコチャ」を祀ったところと考えられています。三方の壁の17の窪みには、何が飾られていたのでしょう?



主神殿近くの「方位を示す石」
二等辺三角形の尖っている方角(写真右下角)が南。夜になるとこの方角に南十字星が見えるというカワムラさんの話に、太陽の神殿同様、「ここは日本の裏側・南半球だった」ことを気付かされました。



主神殿の上にある「エコーの部屋」
入口にある「ぴったり組み合わさった」岩は、いくつの辺があるのでしょうか。これは外側から見たところ



こちらは内側から見たところです。左手奥の壁の窪みに向けてカワムラさんが「ウォー」と声を出すと、共鳴してこだまが返ってきます。これが「エコーの部屋」と名付けられた所以です。



ここから再び急な石段登りになります。疲れた人はショートカットして先ほどの合流点へ先行しました。



石切り場や「聖なる広場」が下になりました。こちらから見ると主神殿は広場の手前側になります。
正面の広場と大きな二つの石壁で区切られている三方が壁の空間は「神官の館」です。儀式の時の神官たちの控えの間だったと考えられています。その左には「三つの窓の神殿」が見えます。



登り切ったところがマチュピチュの最高地点。「インティワタナ」と呼ばれる大きな岩があります。



上に立つ四角錐の石の角が東西南北を指しているので日時計の役割をしているともいわれます。インティワタナとは「太陽をつなぎとめる石」の意味です。ただ、色んな説があり日時計か否かは確定していません。遺跡の他の場所についても用途などについての定説はないということです。インカ文化は文字を持たなかっことも、いろんな解釈ができる一因になっているのでしょうか?



インティワタナを下る頃から雲行きが怪しくなってきました。早足で残りのコースを歩きます。