小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

孝明天皇 その死の謎  1

2007-06-09 22:46:22 | 小説
 イエローカードという言葉から、サッカーの試合における審判の警告ではなく、予防接種証明書のことを連想する世代に、私は属している。海外渡航のさいには、天然痘の予防注射をして、黄色い厚紙の証明書をパスポートとともに携えたものだった。
 ホテルのシャワーを浴びているときに、注射あとの黒いかさぶたをうっかりはがして、ひりひりと痛い感触を味わったが、最初の海外出張のひとり旅の緊張感とともに、いまでも鮮明におぼえている。WHOが天然痘の世界根絶を宣言したのは1980年5月であった。それ以降、海外旅行に出かける人は、あの予防注射をすることもなく、イエローカードの携帯も不必要になった。
 では、天然痘の恐怖はすっかりなくなってしまったのかというと、実は生物テロに使われる危惧は依然としてあるらしい。
 本題に移ろう。幕末の天皇であった孝明天皇の死因は、天然痘であったとされている。天然痘でお亡くなりになったと、素直に記述できないところが悩ましい。暗殺説があるのだ。それも毒殺、刺殺説こもごもある。
 暗殺説を否定する論者は、あくまでも天然痘による病死、つまり自然死を主張し、病死説と暗殺説が対立しているのだが、その図式で、はたしてことは足りるのだろうか。そもそも天皇はなぜ天然痘つまり疱瘡に感染したのか。そこに不自然さはないのか。そのことも考えておく必要がありそうに思われる。
 慶応2年12月25日の深夜、天皇は36才の若さで崩御された。
 当時、日本に駐在していたイギリスの外交官アーネスト・サトウは消息に通じたある日本人から、天皇は殺されたと聞かされたと日記に書いている。怪死の噂は、当時からささやかれていたのである。

昔も今も

2007-06-05 10:19:31 | 小説
 近頃は物価の値上がりが激しくてどうしようもなく、貧富の格差は拡大するばかりだ、どうやら政治が正しく行われていない。
 さて、これは140年前に書かれた、ある文書の一節である。むろん意訳的に現代語に訳してある。原文を掲げると以下のようになる。

 近年、物価格別騰貴、如何トモスベカラザル勢、富者ハ益々富ヲ累ネ、貧者ハ益々窘急ニ到リ候趣、畢竟政令不正ヨリ致ス所、民ハ王者ノ大宝、百事御一新ノ折柄、旁々宸衷ヲ悩マサレ候、智謀遠識、救弊ノ策コレ有リ候ハバ、誰彼ト無ク申出ヅベク候事。

 慶応3年12月9日、いわゆる王政復古の大号令の勅諭の一項目にある文章なのである。
 140年前と現在と、状況はどこか似ているらしい。あるいは貧富の格差なんてものは、いつの時代でも問題となるものらしい。そのほか、さまざまな感想が湧きおこってくる。
 思えば、慶応4年に官軍先鋒隊が「年貢半減令」を布告して進軍したとき、困窮にあえいでいた農民たちは多大の期待を抱いていたに違いない。ところが、その先鋒隊を「偽官軍」として弾圧したのは「年貢半減」のできなくなった為政者側だった。おいしいことを言っておいて、実現不可能となると、誰かを犠牲者にするのも、昔も今も変わりはない。