ザガインヒルの仏塔とエーヤワディー川
7時30分起床。
昨日と同じトースト、オムレツ、コーヒー、オレンジジュース、バナナ&パパイヤの朝食を取った。
8時30分ごろフロントに行き、もう1泊すると伝え、宿泊費US$25を払った。
そして、バガンへエクスプレス・ボートで行きたいと話すと、カレンダーを見せられ、明日はスローボートしかないと言われた。
毎日ある事になっているエクスプレスが3日に1度になっていた。
英語会話が聞き取れず聞き返すと、紙に英語で書いてくれた。
それは、航空券、ボートチケット、観光ツアー、車の手配等ホテルで手配できるという内容であった。
バガン行きスローボートのチケットを依頼した。US$12との事で払った、チケットは後ほど渡すとの事であった。
今日は、マンダレー郊外のインワ、ザガイン、アマラプラに行く予定でホテルを出た。
先ずは、イワンに行く為、ザガイン行きトラック改造バス乗場に行った。
車掌にザガインと言うと探してくれたが今は停まっていない様だった。
待っているとザガイン行きトラック改造バスの車掌が迎えに来てくれた。
乗り込んだが中々出発しない、やっとバスが出たと思っても100mほど走ると停まって車掌が客を探すに行く。
停車しては走るを何回も繰る返して郊外に向かった。
10時ごろ、バスを降ろされた。運賃500K。
エーヤワディー川を渡ればザガインであるが、橋の手前にインワへの分岐がある。
サイカーに乗って船着場への真直ぐな道を行った。サイカー代1,000K。
インワへの分岐点(正面の小道) 船着場への真直ぐな道

川に突き当たり、サイカーを降りた。
蓮根状の穴をあけた円筒形の練炭を並べて乾燥させていた。
練炭とは懐かしい、子供の頃、七輪で練炭を使い煮炊きするのをよく見掛けた。
渡し舟の船着場に下りると大勢の女の子がいた、カメラを向けるとポーズをとったので写した。
彼女達は物売りだった。麦わら製の折畳み式チューリップハットを持っていたので買った。ハット2,000K。
渡し舟でインワに渡ると馬車が並んで待っていた。渡し舟は往復1,000K。
馬車 料金5,000K、乗車可能数2人という看板が掛かっていた。
馬車

歩いて回りたかったが広過ぎて難しいので馬車に乗ることにした。
回るコースは決まっている様でお任せだ。
城壁沿いに城域外を馬車は進む。
城門

城域外風景

馬車に揺られながら写真を撮りたい時は停まってもらい、また、運ちゃんがここで写真を撮れという感じで馬車を停めた。
名も知れない古い仏塔を2ヶ所行った後、バガヤー僧院に着いた。
建物が総チーク製で、周辺のひょろ長いヤシの林が印象的であった。
バガヤー僧院

次に、城門を通り抜け城壁内に入り、監視塔に行った。
監視塔を欧米人からは「インワの斜塔」と言われているそうです。そんないい物ではない!
遮る物がないので見晴らしが利く、ザガインヒルも良く見えた。
監視塔 ザガインヒル

次にマハーアウンミェ僧院に行った。
マハーアウンミェ僧院

マハーアウンミェ僧院の見学が終わって出てくると、昨日ミングォンで一緒だった若い夫婦に出会った。バイクタクシー2台で来ていた。私は、手を振った、相手も手を振っていた。
ここから船着場まで1kmほどなので歩きたいと言って馬車を帰した。
写真を撮りながら歩いた。
監視塔 マハーアウンミェ僧院

渡し舟で対岸の船着場に戻ると、ここでも昨日一緒であった夫婦に出会った。インワに渡るところであった。ハワユー!と声を掛けるとハーィ!と手を振ってくれた。
来た時チューリップハットを買った女の子が迎えてくれてサイカーに案内してくれた。
ザガインへの分岐点に戻った。
もうホテルに帰ろうかと思ったが、ザガイン行きトラック改造バスが止まりそうなところで待っているとおばちゃん2人が来た。
トラック改造バスがやって来た、おばちゃんにザガイン?と言うと、このバスがそうであった。
インワ鉄橋を渡り少し行くと、おばちゃんが「どこへ行くの?」と言っている様なのでザガインヒルと答えた、すると次に停まったところで降りろと言われた。
降りるとバイクタクシーの運ちゃんが近付いて来て、「どこへ行く年ねん?」「ザガインヒル! 何ぼやねん?」「1,000K」「OK」で決まり、ヘルメットをかぶりバイクに乗った。
運転しながら運ちゃんは自分が中国人だと言っていた。だから言葉が分からないと言いたいらしい。
外国人に向って中国人だからというのは理由にならない! 私をビルマ人だと思っているのか???
ザガインヒルとしか言っていなかったが病院前で降ろされた、なぜ病院??
私は、丘の頂上を指差した。運ちゃんは、ザガインヒルのどこに行きたいのかと聞きたかったのだろう。
運ちゃんは、2,000Kと運賃を上げた。1,000Kは安過ぎると思っていたのでOKした。
古いオンボロバイクで2人を丘の上に上げるのにエンジンが壊れそうだった。
中国人がこんな所でバイクタクシーの運ちゃんをしているのか!!!
マンダレーに来た初日に中国系ホテルに泊まった影響か、3日目になるがマンダレーに中国の影を強く感じる。
それでWebで調べると、「ミャンマー政府が経済を少しずつ自由化したところ、中国から大勢の人々がビジネスをやりにミャンマーに移住し、中国に近い北部の大都市マンダレーなどで、もともと地元のミャンマー人が展開していた商売を横取りするかたちで事業拡大したり、地価のつり上げを狙って不動産を買い占めたりした。中国人の流入は圧倒的で、マンダレーでは、1994年の時点で、人口約100万人の市民のうち4分の1程度が、中国から移住してきて市民権を裏口申請した人々だった。」と言うのを見付けた。
ザガインヒルの頂上に着いた。
そこにはサンウーポンニャーシン・パヤーがあった。ここも残念ながら改修中で覆いが被っていた。
尾根に多くの仏塔があり、尾根には屋根付き参道が麓まで続いていた。

参道を麓まで下った。
サンウーポンニャーシン・パヤー

参道が終わり、道路を15分ほど歩くとバイクタクシーが屯していた。
運ちゃんにアマラプラへ行きたいと伝えると遠過ぎると言われた。
バスで行くのでバス停まで行ってくれと頼んだ。バイタク代500K。
バイクタクシーを降りると丁度トラック改造バスが来たので乗った。
車掌にアマラプラと言って料金を聞かずに300Kを渡した。聞くと多めに取られる事がある。
市場前で降ろされた、一緒に降りたおばちゃんに市場の奥に行く様に言われた。
市場は、鉄道の線路で終わっていた。線路を渡る道はない、枕木を踏んで越えた。
市場

線路を渡り、ひたすら真直ぐに進む、民家が並び、織機の音が聞こえた、手織機ではない、自動機の音だ。
市場から徒歩25分ほどでウー・ベイン橋に着いた。
湖に掛かる橋を歩いたが、1日の疲れが出て途中引き返した。
橋のたもとにあるレストランに入った。
15時を過ぎている、遅い昼食になった。
瓶ビールとスープヌードルを頼んだ。ヌードルはインスタントラーメンで具がまったく無かった!!!
横のテーブルに成金家族が陣取っていた。
男は派手なハンチング帽をかぶり、派手な服装をしている。女はタナカをしていない。
中国系成金丸出しだ。
ウー・ベイン橋

ウー・ベイン橋から市場に帰る道で、昨日ミングォンで一緒だった若者に出会ったが相手は気付かなかった。
ウー・ベイン橋に向う欧米人を多く見掛けた。徒歩であったり、バイクタクシーに乗っていたりである。
今16時30分だ、1時間も経つと夕日が見えるからだろう。
市場前に停まっていた軽トラック改造バスに乗り25分ほどでマーケットに着いた。
ゼェジョーマーケット&マーン・ミャンマー・プラザ前通りがナイトマーケットになっていた。
ナイトマーケットと言っているが暗くなると閉店だ。
服屋、靴屋、本屋、食べ物屋が道路の両脇やセンターライン沿いに出ていた。
ホルモンを串に刺し、中央の鍋で各自で揚げて食べる串揚げ屋台もあった。
串揚げ屋台

ホテルに帰った。
フロントで明日のバガン行きスローボートのチケットを受取った。
船着場への行き方を尋ねると、タクシーとの事。
ホテル前に停まっているタクシーを呼んでくれた。
タクシー代を交渉したが4,000Kより下がらなかった。
時間は、4時45分に決まった。女将がボートは5時30分発だが、乗船時間の5時に着く様にしろとの事で決定した。
ウエークアップコールを4時で頼んだ。
暗くなってミンミン・レストランに行った。
3夜連続である、私を担当するウエイターが決まっていた。
焼き飯とスープ、ペットボトル水を頼んだ。
明日、バガンに行くと話し、わずかのチップを渡して店を出た。
20時、就寝。
マンダレー郊外で出会った人々

7時30分起床。
昨日と同じトースト、オムレツ、コーヒー、オレンジジュース、バナナ&パパイヤの朝食を取った。
8時30分ごろフロントに行き、もう1泊すると伝え、宿泊費US$25を払った。
そして、バガンへエクスプレス・ボートで行きたいと話すと、カレンダーを見せられ、明日はスローボートしかないと言われた。
毎日ある事になっているエクスプレスが3日に1度になっていた。
英語会話が聞き取れず聞き返すと、紙に英語で書いてくれた。
それは、航空券、ボートチケット、観光ツアー、車の手配等ホテルで手配できるという内容であった。
バガン行きスローボートのチケットを依頼した。US$12との事で払った、チケットは後ほど渡すとの事であった。
今日は、マンダレー郊外のインワ、ザガイン、アマラプラに行く予定でホテルを出た。
先ずは、イワンに行く為、ザガイン行きトラック改造バス乗場に行った。
車掌にザガインと言うと探してくれたが今は停まっていない様だった。
待っているとザガイン行きトラック改造バスの車掌が迎えに来てくれた。
乗り込んだが中々出発しない、やっとバスが出たと思っても100mほど走ると停まって車掌が客を探すに行く。
停車しては走るを何回も繰る返して郊外に向かった。
10時ごろ、バスを降ろされた。運賃500K。
エーヤワディー川を渡ればザガインであるが、橋の手前にインワへの分岐がある。
サイカーに乗って船着場への真直ぐな道を行った。サイカー代1,000K。
インワへの分岐点(正面の小道) 船着場への真直ぐな道


川に突き当たり、サイカーを降りた。
蓮根状の穴をあけた円筒形の練炭を並べて乾燥させていた。
練炭とは懐かしい、子供の頃、七輪で練炭を使い煮炊きするのをよく見掛けた。
渡し舟の船着場に下りると大勢の女の子がいた、カメラを向けるとポーズをとったので写した。
彼女達は物売りだった。麦わら製の折畳み式チューリップハットを持っていたので買った。ハット2,000K。
渡し舟でインワに渡ると馬車が並んで待っていた。渡し舟は往復1,000K。
馬車 料金5,000K、乗車可能数2人という看板が掛かっていた。
馬車

歩いて回りたかったが広過ぎて難しいので馬車に乗ることにした。
回るコースは決まっている様でお任せだ。
城壁沿いに城域外を馬車は進む。
城門

城域外風景


馬車に揺られながら写真を撮りたい時は停まってもらい、また、運ちゃんがここで写真を撮れという感じで馬車を停めた。
名も知れない古い仏塔を2ヶ所行った後、バガヤー僧院に着いた。
建物が総チーク製で、周辺のひょろ長いヤシの林が印象的であった。
バガヤー僧院


次に、城門を通り抜け城壁内に入り、監視塔に行った。
監視塔を欧米人からは「インワの斜塔」と言われているそうです。そんないい物ではない!
遮る物がないので見晴らしが利く、ザガインヒルも良く見えた。
監視塔 ザガインヒル


次にマハーアウンミェ僧院に行った。
マハーアウンミェ僧院

マハーアウンミェ僧院の見学が終わって出てくると、昨日ミングォンで一緒だった若い夫婦に出会った。バイクタクシー2台で来ていた。私は、手を振った、相手も手を振っていた。
ここから船着場まで1kmほどなので歩きたいと言って馬車を帰した。
写真を撮りながら歩いた。
監視塔 マハーアウンミェ僧院


渡し舟で対岸の船着場に戻ると、ここでも昨日一緒であった夫婦に出会った。インワに渡るところであった。ハワユー!と声を掛けるとハーィ!と手を振ってくれた。
来た時チューリップハットを買った女の子が迎えてくれてサイカーに案内してくれた。
ザガインへの分岐点に戻った。
もうホテルに帰ろうかと思ったが、ザガイン行きトラック改造バスが止まりそうなところで待っているとおばちゃん2人が来た。
トラック改造バスがやって来た、おばちゃんにザガイン?と言うと、このバスがそうであった。
インワ鉄橋を渡り少し行くと、おばちゃんが「どこへ行くの?」と言っている様なのでザガインヒルと答えた、すると次に停まったところで降りろと言われた。
降りるとバイクタクシーの運ちゃんが近付いて来て、「どこへ行く年ねん?」「ザガインヒル! 何ぼやねん?」「1,000K」「OK」で決まり、ヘルメットをかぶりバイクに乗った。
運転しながら運ちゃんは自分が中国人だと言っていた。だから言葉が分からないと言いたいらしい。
外国人に向って中国人だからというのは理由にならない! 私をビルマ人だと思っているのか???
ザガインヒルとしか言っていなかったが病院前で降ろされた、なぜ病院??
私は、丘の頂上を指差した。運ちゃんは、ザガインヒルのどこに行きたいのかと聞きたかったのだろう。
運ちゃんは、2,000Kと運賃を上げた。1,000Kは安過ぎると思っていたのでOKした。
古いオンボロバイクで2人を丘の上に上げるのにエンジンが壊れそうだった。
中国人がこんな所でバイクタクシーの運ちゃんをしているのか!!!
マンダレーに来た初日に中国系ホテルに泊まった影響か、3日目になるがマンダレーに中国の影を強く感じる。
それでWebで調べると、「ミャンマー政府が経済を少しずつ自由化したところ、中国から大勢の人々がビジネスをやりにミャンマーに移住し、中国に近い北部の大都市マンダレーなどで、もともと地元のミャンマー人が展開していた商売を横取りするかたちで事業拡大したり、地価のつり上げを狙って不動産を買い占めたりした。中国人の流入は圧倒的で、マンダレーでは、1994年の時点で、人口約100万人の市民のうち4分の1程度が、中国から移住してきて市民権を裏口申請した人々だった。」と言うのを見付けた。
ザガインヒルの頂上に着いた。
そこにはサンウーポンニャーシン・パヤーがあった。ここも残念ながら改修中で覆いが被っていた。
尾根に多くの仏塔があり、尾根には屋根付き参道が麓まで続いていた。

参道を麓まで下った。
サンウーポンニャーシン・パヤー

参道が終わり、道路を15分ほど歩くとバイクタクシーが屯していた。
運ちゃんにアマラプラへ行きたいと伝えると遠過ぎると言われた。
バスで行くのでバス停まで行ってくれと頼んだ。バイタク代500K。
バイクタクシーを降りると丁度トラック改造バスが来たので乗った。
車掌にアマラプラと言って料金を聞かずに300Kを渡した。聞くと多めに取られる事がある。
市場前で降ろされた、一緒に降りたおばちゃんに市場の奥に行く様に言われた。
市場は、鉄道の線路で終わっていた。線路を渡る道はない、枕木を踏んで越えた。
市場

線路を渡り、ひたすら真直ぐに進む、民家が並び、織機の音が聞こえた、手織機ではない、自動機の音だ。
市場から徒歩25分ほどでウー・ベイン橋に着いた。
湖に掛かる橋を歩いたが、1日の疲れが出て途中引き返した。
橋のたもとにあるレストランに入った。
15時を過ぎている、遅い昼食になった。
瓶ビールとスープヌードルを頼んだ。ヌードルはインスタントラーメンで具がまったく無かった!!!
横のテーブルに成金家族が陣取っていた。
男は派手なハンチング帽をかぶり、派手な服装をしている。女はタナカをしていない。
中国系成金丸出しだ。
ウー・ベイン橋


ウー・ベイン橋から市場に帰る道で、昨日ミングォンで一緒だった若者に出会ったが相手は気付かなかった。
ウー・ベイン橋に向う欧米人を多く見掛けた。徒歩であったり、バイクタクシーに乗っていたりである。
今16時30分だ、1時間も経つと夕日が見えるからだろう。
市場前に停まっていた軽トラック改造バスに乗り25分ほどでマーケットに着いた。
ゼェジョーマーケット&マーン・ミャンマー・プラザ前通りがナイトマーケットになっていた。
ナイトマーケットと言っているが暗くなると閉店だ。
服屋、靴屋、本屋、食べ物屋が道路の両脇やセンターライン沿いに出ていた。
ホルモンを串に刺し、中央の鍋で各自で揚げて食べる串揚げ屋台もあった。
串揚げ屋台

ホテルに帰った。
フロントで明日のバガン行きスローボートのチケットを受取った。
船着場への行き方を尋ねると、タクシーとの事。
ホテル前に停まっているタクシーを呼んでくれた。
タクシー代を交渉したが4,000Kより下がらなかった。
時間は、4時45分に決まった。女将がボートは5時30分発だが、乗船時間の5時に着く様にしろとの事で決定した。
ウエークアップコールを4時で頼んだ。
暗くなってミンミン・レストランに行った。
3夜連続である、私を担当するウエイターが決まっていた。
焼き飯とスープ、ペットボトル水を頼んだ。
明日、バガンに行くと話し、わずかのチップを渡して店を出た。
20時、就寝。
マンダレー郊外で出会った人々


