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いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

3月30日 アラン・ヤ・プラテートへ

2007年05月05日 | カンボジア&ベトナム
今日は、カンボジアとの国境の町 アラン・ヤ・プラテートに向かった。
BTSで終点のモーチットで降り、タクシーでバスターミナル モーチットⅡに行った。3年連続でモーチットⅡが旅のスタート地点になった。
9時30分発 アラン・ヤ・プラテート行き B207(725円)に乗り込んだ。
5年前、バンコク→アラン・ヤ・プラテート→アンコール・ワットと今回と同じルートを行った。
流れの無い川沿いの道が続き、牛が放された田植え前の水田が続く、踏み切りを越えたり列車のレールが見え出すとアラン・ヤ・プラテートが近い。
14:00ごろアラン・ヤ・プラテートに着いた。

売店で缶ビールを買い、取り合えずビールを飲んで考えた。トゥクトゥクで行こうか歩くか、市街中心地まで1kmほどで、歩く事にした。
500mほどの短いメインストリートに出た、ここまで来ると前回を思い出す。前回宿泊したホテルに行った。ファン、水シャワー、タイ式トイレで、B150(530円)、5年前と同じである。
食堂が見当たらないので市場まで行った。朝は賑わっているが昼間は、閑散としていた。市場入り口にある焼き鳥屋にはバイクの客が多かった。その焼き鳥屋で焼き鳥2本と缶ビールを飲んだ。
メインストリートには新しく銀行が出来ていたが、セブンイレブンはモバイル店に変わっていた。セブンイレブンの帯状の3色ラインが残っていたので間違ってライターを買いに入ったが携帯電話が並んでいた。
暗くなって食事に出た。前回の時にはメインストリートの道路に、はみ出してオープンしていた食堂や屋台が見当たらない。メインストリートを通り抜け、国境へ向かう道路まで歩いてしまった。そこにはレストランが並んでいた。
この5年間でアラン・ヤ・プラテート市街は旅行者が減り、国境への通過客が増えた様に感じた。元々、バンコクのカオサンからアンコール・ワットへのツアー客が通過するだけの町であったが、益々通過客が増えた様である。

3月29日 バンコク滞在

2007年05月04日 | カンボジア&ベトナム
8時に起き、サイアムスクアを散歩した。お粥が食べたくて去年行ったお粥屋に行ったが店が無くなっていた。そうと成れば余計にお粥が食べたくなりお粥屋を探したが無い、ファーストフード店が並ぶラマ1世通りの中華店でやっと見付けた。
今日は、アユタヤに日帰りで行く予定であったが、気乗りがせず変更した。
乗合ボートでセーン・セーブ運河、バンランプー運河を通り、チャオプラヤ川に出て、チャオプラヤー・エクスプレスボートでタークシン橋に行く、そこからスカイトレインBTSで国立競技場周辺に戻る事にした。
セーン・セーブ運河の乗合ボート乗場は、ソイ・カセムソン1通りから近いはずである。歩いてみると数百mのところの橋下に乗場があった。

乗合ボートの両サイドには青いシートが有り、乗降りする時は下げ、走り出すとシートを上げて水しぶきが掛かるのを防ぐ。臭いどぶ川の水には掛かりたくない。
セーン・セーブ運河航路終点で降り、ワット・サケットに行った。ここは運河沿いの丘にあり大きな仏塔(プーカオトーン黄金の丘)がある。また、360度眺望が利き、遠くにワット・プラケオや大ブランコが見える。

バンランプー運河の乗場を探してバンランプー運河を橋から覗き込むと運河上に多数の竹が突き刺さり工事中の様である。これではボートは運航出来ない。
昼前でも今の時期(3月下旬)は、それほど暑くないのでチャオプラヤ川まで歩こうと思った。しかし、バスが走っていたので行き先が分からないが適当にバスに乗り込んだ。若い女性車掌が来たので「パレス(王宮)」と言って切符を買おうとしたが、「パレス」が通じない、他の乗客がワット・プラケオと助け舟を出してくれた。若い女性車掌は、英語でパレスには行かない、元の位置まで戻れと言って降ろされた。何と彼女は英語が話せた‼ 路線バス遊びをしてしまった。
それでも2バス停ほどチャオプラヤ川に近付いた。
確か、この通り横にカオサン通りがある事を思い出し、屋台のおばちゃんに尋ねると目の前の交差点を指差された。そこを入って行くとカオサン通りに出た。7年ほど前に来た事はあるが何故か泊まった事はない。以前に比べると観光地化している様だ。
オープンレストランに入り、メニューを見ていると「イタリア ソースヤキソバ」とローマ字で書いてあるのを発見した。早速、これとビールを頼んだ。「イタリア ソースヤキソバ」は、大阪のソース焼きそば(ウスターソース)のそばがスパゲティーに換わっていて、口の中でスパゲティーが舌に当たるが、味は焼きそばの味である。意外に美味しい。
カオサン通りを北に行くとワット・チャナソンクラムに突き当たる。そのまま直進して路地を行くとこのお寺を通り抜けられ、通りに出る。この通りの向こう側にチャオプラヤ川が流れている。この通りで注意深く見ていると船マークの道標を見付けた。そこを入って行くとチャオプラヤ川に出て船着場を見付ける事が出来た。

チャオプラヤー川をチャオプラヤー・エクスプレスボートでタークシン橋に向かった。何度このコースをボートで下っても飽きる事がない。
スカイトレンBTSで国立競技場周辺のGHに戻った。
明日、バンコクをバスで発ち、アンコール・ワットを目指す。
一ヶ月間のバス旅行の始まりである。

3月28日 バンコク滞在

2007年05月03日 | カンボジア&ベトナム
昨夜遅かったので、遅くまで寝た。
12時にチェックアウトし、安宿を探しにスカイトレインBTSで国立競技場周辺に向かった。
ソイ・カセムソン1通りのA-One Innに行ったが満室でだめ、50mほど戻って、White Lodgeに行った、エアコン(A/C)&ホットシャワー、TV無しでB400(1400円)、部屋を見てA/Cの音をチェックして、この部屋に決めた。バンコクでB400で泊まれるゲストハウスGHが有るとはラッキーである。
マーブンクロンセンターMBKの8番ラーメンに行った。若い人に人気があり、いつも混んでいる。冷麺&ビールを食べた。
次に草履を探して3&4階を歩いた。去年と同じ店で同じ草履を買いそうになった。私はいったい何をしているのだろうか! 前回の草履は滑り易いかったのを思い出し別の草履を購入した。
セブンイレブンで、歯磨きセット、蚊取り線香とビールを買ってゲストハウスGHに帰った。歯磨きセットは、関空での液体&ゲルの持ち込み規制で残量少ない歯磨きを容器が100g以上あるとの理由で、また100円ライターも捨てさせられた為である。
ビールを飲みながら小説を読み、いつの間にか寝てしまった。
外が暗くなってから目覚め、夕食に出た。インターネットカフェに寄った後、GHに戻って、また、寝てしまった。

3月27日 出発

2007年05月02日 | カンボジア&ベトナム
関空の出発ロビーは、混雑していた。システムダウンでチェックインがストップしていた為である。JRも事故で遅れていたし前途多難を思わせた。
中国国際航空 CA152 13:20発は、遅れて大連に向かった。
今回は、中国国際航空の北京経由バンコク行きチケットを買った。2ヶ月 FIX-OPEN 45,000円の安さと北京ストップオーバー可能にひかれて購入した。
しかし、燃油サーチャージ+保険が大阪-北京&北京-バンコクで20,360円と直行便の2倍取られ、北京出入国税も取られ結局は普通の価格であった。それでも万里の長城に行けると思い購入したのである。
エアチャイナ CA152は大連経由で、機内清掃の為荷物を持って降ろされ、なんとそのまま中国に入国した。機内で配布された健康カードと入国カードを慌てて記入し、通路上にある入国審査で入国手続きは終わった。
大連で殆どの乗客は降り、残った日本人十数人が入国した。その十数人が入国審査を通過すると担当者は居なくなった。
CA152は、大連から国内線になった様である。大連から北京まで1時間ほどで着いた。
タラップを下りた、少し肌寒い、地上員は厚手のロングコートを着ている。真上の空は晴天であるが、地平線方向を見ると黄砂の影響か、霞んでいる。
バスで荷物受取所に案内された。そこを通り抜け税関申告書を提出して到着ロビーに出た。出入国せずに、乗り継ぎカウンターでバンコク行き搭乗券を受取り搭乗口に行けるものと思っていたが、そうではなかった。
2階の出発フロアーに上がった、チェックインカウンターが見当らないので、案内所で聞いが、英語が聞き取れない、insideだけ聞き取れた。出国システムが他国と違う様だ。
しばらく、様子を見た。職員が立っている入り口があり、この中にチェックインカウンターがある様だ。人が何かに記入しているカウンターがあるので行って見た、それは税関申請書であった。
税関申告書に記入後、入り口の職員にパスポート&チケットを見せてinsideに入った。まず、税関がありその奥にチェックインカウンターが拡がっていた。
18:30頃で、がら空きであった。チェックインし搭乗券を受取った後、出国審査を受けた。審査員が私のパスポートを見て「チェッ!」と言う感じであった。パスポートを私に返すのではなく、職員を呼んで私のパスポートを渡している。
私は審査を通り抜けた、立ち話でその職員は、日本語で「なぜ、日本から直行でバンコクに行かないのか?」と質問して来た。一瞬、質問の意図がつかめず、「ほっとけや!」と言いそうになった。エアー・チャイナがチケットを売り出し、北京国際空港での出入国税を2500円ほど払っている。「何が文句あるねん?」と言いたいが、帰り、万里の長城&故宮に行くと答えた。それでも納得せず、次に「東京からここ?」と質問して来たので、関空-北京の搭乗券を見せた。なぜか、パスポートを返却してくれた。
どうも、北京を素通りして他国に行くのが、気に食わない様である。
次に手荷物検査でバックパックのX線検査を受けた時、単3電池の8ヶ入りパックを2パック持っていて、それが問題になった。
画面に写り出された電池パックを見て、「これは何か、どこにある?」と言っている。お前らプロやろ! 私には見方がわからない。職員は、バックパックから中身を出し電池パックを見付けた。電池パック以外をもう一度X線検査に掛け、OKが出た。電池パックを弾装と間違えた様だ。お前らプロやろ! 電池パックの見分けも判らないのか!
お粗末な出国審査員&X線検査員、北京オリンピックまで後1年ですよ!
中国国際航空 CA979 21:00発は、定刻にバンコクに向かった。
CA979(ボーイング737)が、海上に出ると気流の乱れが激しくガタガタと激しく揺れた。経験した事の無い激しいガタガタ音に空中分解するのではないかと恐怖を感じた。5分間ほどが恐怖で非常に長く感じた。
エアチャイナCA979は、30分ほど遅れで日付が変わった1時頃にバンコク新空港スワンナブーム国際空港に到着した。
まずは、1万円を両替した。1万円=2894バーツ。昨年3246バーツで大変なバーツ高である。差額で地方であれば一泊できる。
税関を背にして左側最奥部にホテル案内所があった。今晩のホテルを予約した。
案内所でスクンビット通りまでのタクシー料金を聞いたところ約B300(300バーツ)との事。
リムジンタクシーに声を掛けられたので料金を聞くとB900との事。当然、断る。
1階のタクシー乗場の受付でAll included(B50+高速代含む)=B400、係員が運ちゃんに説明している。運ちゃんが、満足そうな顔をしていたので私は安心した。夜中の2時で運ちゃんが強盗に早代わりしかねないので安心だ。
2時30分ごろホテルにチェックインし、レストランでビール&トムヤムクンを食べてベットに入ったが中々寝付けなかった。

カンボジア&ベトナム旅行 計画

2007年03月26日 | カンボジア&ベトナム
明日からカンボジア&ベトナムに1ヶ月間の旅行に出る。
当初は、ミャンマーを計画していたが、4/13~4/17まで水掛け祭り&正月の為、ミャンマー国内の移動が難しいので計画を変更した。
水掛け祭りは、タイ、ミャンマー、ラオス&カンボジアで同時期にある。その時期にはカンボジアからベトナムに移動している様に計画した。
ルートは、タイ王国のアラン・ヤ・プラテートから陸路カンボジアに入国し、アンコール遺跡群を見学後、プノンペンを経由し、メコン川を下りベトナムのメコンデルタに出る。その後、ベトナムを海岸沿いに北上しホーチミン→フエまで行く。その後、陸路ラオスを横断してタイに戻る。
旅程は、関空→(北京乗継)→バンコク→アラン・ヤ・プラテート→シェムリアップ(アンコールワット)→プノンペン→チャウドック→カントー→ミトー→ホーチミン→ニャチャン→ホイアン→フエ→サバンナケート→ムクダーハン→バンコク→北京(万里の長城)→関空と盛り沢山過ぎるか? 予定を消化するだけの旅にならない様気を付けよう。