goo blog サービス終了のお知らせ 

卍の城物語

弘前・津軽地方の美味しいお店と素晴らしい温泉を紹介するブログです

千畳敷~「津軽」の旅(4)

2008-02-17 02:30:34 | 観光地
津軽の旅は、海の旅である。

津軽は半島であるから、海に囲まれている。とはいえ、海に遊びに行くとなると、弘前人たちは鯵ヶ沢や深浦に行くであろう。
海水浴には西海岸が適している。それは観光として、海水浴場などの整備がきちんと行われているのもあるだろうが、特に深浦は、砂場と岩場のバランスがほどよいと思う。
深浦の驫木という地方周辺に、私自身が愛する海岸がある。そこは結構な穴場で、砂場まで車で行けるし、岩場もあって、素潜りや密漁にも適している。
私はそこを「俺の海」と称しているが、真夏でも平日はほぼ人がいないことから、広い海岸を独占出来て気持ちいいったらありゃしない。あまり人にも教えたくないのでここらへんで。

深浦といえば、そんな思い出しかない。最近は年をとって、別に海に遊びに行っても楽しめないので、あまり行ってないが、海辺をドライブするだけでも楽しい。晴れた日の日没は美しい。

本編では、太宰は木造を後にし、深浦では、円覚寺に行き、宿屋で酒を飲み、料亭で酒を飲み、そして鯵ヶ沢へ行く。
太宰は深浦や鯵ヶ沢を津軽らしくないように感じている。文化的で開けているような印象を受けていたが、今の時代だと逆に感じられるのであろうか。

私は深浦といえば、千畳敷だなと思って向かう。冬の日本海はおぞましい事この上ない。
松本清張の小説には「冬の日本海は地獄」たる文章が書かれてあるが、まさにその通りである。
入水自殺を図ろうとしても、溺死する前に凍死しそうな冷たい海である。

そして千畳敷に到着。偶然にも、太宰治の津軽の文章が記されている石碑があった。それに、隆起200年記念の石碑もあった。
この千畳敷の歴史はたった200年なのかと少し間が抜けた。どうやら1792年の大地震でこの様な形状に隆起したようである。岩場が畳みを敷いたように広々としていることから千畳敷と名付けられたが、千畳敷と名付けられた海岸は全国各地にあり、実は大して珍しくもないらしい。

ここらへんは夏場は海水浴のメッカである。家族連れもカップルもチャライ馬鹿たちもたくさん集まる。
この付近ではウニやアワビが密漁出来るらしいが、監視も厳しくなっているようであり、何より猟師たちの生活のために控えるべきである。
私は俺の海があるので、ここらへんではあまり遊びに来た記憶も無いし、思い出もないので、深浦を後にして鯵ヶ沢へ向かった。

最後に、深浦の料亭での太宰の悲しき旅愁の思い出より。

しかるに、その座敷に、ぶっとり太った若い女があらわれて、妙にきざな洒落など飛ばし、私は、いやで仕様が無かったので、男子すべからく率直たるべしと思い、
「君、お願いだから下へ行ってくれないか」と言った。私は読者に忠告する。男子は料理屋へ行って率直な言い方をしてはいけない。私は、ひどいめに逢った。その若い女中が、ふくれて立ち上がると、おばさんも一緒に立ち上り、二人ともいなくなってしまった。ひとりが部屋から追い出されたのに、もうひとりが黙って座っているなどは、朋輩の仁義から行っても義理が悪くて出来ないものらしい。私はその広い部屋でひとりでお酒を飲み、深浦港の燈台の灯を眺め、さらに大いに旅愁を深めたばかりで宿へ帰った。

続く。