温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

台鉄・旧山線の遺構を巡る その2 勝興駅跡

2016年07月25日 | 台湾
今回も温泉とは無関係です。次回記事で温泉ネタに戻ります。
前回記事の続編です。

 
前回記事で取り上げた「龍騰断橋」から線路に沿って北上すると、旧山線屈指の観光名所である勝興駅跡にたどり着きました。ここは1998年に廃止された旧山線の駅のひとつであり、台鉄で最も標高が高い駅だったそうですが、現在では山間に取り残された古い木造駅舎と秘境のような雰囲気が人気を呼び、定期列車が走らなくなった今でも、週末になれば多くの観光客で賑わう苗栗県屈指の観光地として名を馳せています。



 
人気観光地とはいえ駅前の通りは1.5車線、狭いところでは車1台しか通れないほど狭く、にもかかわらず公共交通機関のアクセスが不便であるため、週末には山奥とは思えないほどマイカーの大渋滞が発生するんだとか。細い通りなのに沿道にはお土産店や飲食店が櫛比しており、訪問客や店舗の数に対して駐車場が圧倒的に足らず、他に逃げる道も無いため、これらの要因が渋滞に拍車をかけているようです。幸か不幸か、私が訪れた日は南国台湾にしては珍しく10℃近くまで冷え込んだ雨の日だったため、人気観光地なのにひと気が少なく、渋滞にはまることもなくスムーズに行動でき、駅から近い場所で駐車することもできたのですが、そんな悪天候にもかかわらず駐車場の切符捥ぎのおじさんは、我慢強く雨合羽を着て外で立っており、たまにしか来ない客から律儀に集金していました。



後述する駅舎の向かいに古い木造建築を発見。どうやら駅長宿舎だった建物のようです。


 
駅舎の右隣には観光案内所が設けられ・・・


 
硬券を模した記念グッズが販売されていました。往時の券を再現したものではなく、縁起が良い語句や駅名を並べて切符のようにしたものばかり。
鉄道の切符を集めるのも私の趣味のひとつですが、本物しか興味がないので、こうした観光客向けのイミテーションは購入しませんでした。


 
現役時代の面影を残す駅舎内部に入ってみましょう。1912年(明治45年)に建造された木造駅舎は苗栗県の史跡に指定されています。窓口の上には時刻表が掲示されていました。


 
駅舎を抜けて線路やホームが残る構内跡へ。繰り返しますが旧山線は既に廃止されており、もう列車は運転されていないため、構内へ自由に立ち入ることができます。この区間は廃止されるまで電化されていたため、架線こそ撤去されていますが、架線柱などはそのまま残されており、線路の真ん中に立つと、いまにも電車が走ってきそうな雰囲気です。駅舎前には「台湾鉄路最高点 海抜402.326m」の記念碑が建てられており、傘をさしながら記念写真を撮る人の姿も見られました。



ここは元々「十六份信號場」という信号所として開設され、その後に駅として昇格したのですが、当時は十六份信號場、もしくは十六份駅と呼ばれており、
現在の勝興という名前に改称されたのは1958年なんだとか。線路の脇には旧称が大きく表示されていました。


 
勝興駅を含む旧山線は単線区間だったので、線路は駅から離れるとすぐに1本へ収斂します。
台中側はすぐトンネルになっており、このトンネルをくぐった向こう側に「龍騰断橋」が続いているのですが、ここでトンネルのポータル上部に注目。



トンネルのポータルに彫られた「開天」の文字は、このトンネルが開鑿された1904年(明治37年)に台湾総督府の総務長官だった後藤新平が揮毫したものです。よく見ると「開天」の文字の右側に「明治三十七年九月」、左側に「後藤新平書」と彫られていますね。後藤新平は台湾統治や関東大震災後の東京復興で辣腕をふるった英傑ですが、その一方で金権政治の典型例としても知られており、毀誉褒貶が非常に激しい人物でもあります。後藤新平が進めた事業は結果的に後世で大いに役立っているわけですが、氏の業績はトドのつまり、政治や行政は綺麗ごとじゃ進まないってことを示しているのかもしれませんね。


 
2面3線のホームには現役時代の駅名標も残されており、架線柱にはステンシルの駅名標も括り付けられていました。あくまで個人的な見解ですが、台湾は世界で最もステンシルを多用する地域ではないかと思います。


 
駅構内に隣接して水辺の公園も整備されており、駅をちょっと離れた場所から眺めることもできます。晴れていれば長閑な風景を楽しめたのでしょうけど、天気ばかりは致し方ありません。


 
北へ伸びる線路は下り勾配で次の駅である三義、そして新竹・台北方向へと続いています。この旧山線は1998年に廃止されたものの、観光資源としての価値が見直されて2010年に観光鉄道として復活を遂げ、期間限定ですが、蒸気機関車牽引の客車列車が三義〜勝興〜龍騰〜泰安を走行したんだそうです。廃線跡とはいえ、妙に線路がしっかりとしていたのですが、それもそのはず、つい数年前まで人間を乗せた列車が走っていたのですから当然ですね。この観光列車は翌年の2011年にも運転されたそうですが、その後の運転状況については情報が得られず、どうやら最近は運転されていない模様です。でも、苗栗県では再度の運転復活を検討しており、2018年を目処に、2010年の復活期間である三義〜泰安間に加えて泰安〜后里間を延長させたいんだとか。この延長が実現すれば起点と終点が現行の山線に接続されますので、観光鉄道の利用客にとっては(特に台中方面からの)利便性が格段に向上します。延長を伴う復活の可能性はどの程度なのかわかりませんが、是非復活運転を実現させていただきたいものです。
(出典:フォーカス台湾 2015年8月7日 「日本時代開通の台湾鉄道・旧山線、観光列車の運行区間拡大へ」


 

さて、駅をひと通り見学し終えた私は、レンタカーに戻って三義の街へ向かい、市街地からちょっと離れた幹線道路沿いに位置する小洒落た客家料理屋さんへ立ち寄って、ランチセットをいただきました。塩気が強めで味も濃い客家料理は、日本人、特に関東以北の人間にとっては食べやすい味付けであり、私が好きな料理のひとつです。この界隈は客家の方々が多く住んでいる地域であるため、あちこちにこうした客家料理店があり、私が訪れた店のみならず、勝興駅前にも観光客向けの客家料理店が並んでいました。

余談ですが、この客家料理屋から西へ入った山中では、1981年に遠東航空103便の飛行機が墜落し、乗員乗客110名全員が死亡する大惨事が発生しました。私の尊崇する作家向田邦子もその犠牲者の一人。当時は道が整備されていなかったため、山から集められた遺体は一旦勝興駅まで運び、そこから列車で搬送したんだそうです。勝興駅は単に長い歴史を歩んできたのみならず、台湾史に残る惨劇にも関係していたのでした。


苗栗県三義郷勝興村勝興89号


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台鉄・旧山線の遺構を巡る その1 龍騰断橋

2016年07月24日 | 台湾
※今回の記事にも温泉は登場しません。あしからず。次々回で国内の温泉ネタに戻る予定です。

前回記事までは、台湾を南北に貫く鉄道の西部幹線でも、竹南から彰化の間を台湾海峡に沿って走る海線を取り上げましたが、今回記事からは同区間を山間部に入って走る山線、しかも既に廃止されて列車が走ることのない旧山線を取り上げます。既にネットはもちろん観光ガイドの書籍などでも紹介されているのですが、旧山線はレトロな景色を楽しめる観光地として注目されており、週末になれば多くの観光客で賑わうんだとか。そのわりには公共交通機関でのアクセスがあまり良くないので、私はレンタカーで現地へ向かうことにしました。
まずは歴史ある煉瓦積みアーチ橋の跡が芸術的な美観を生み出している「龍騰断橋」から。



いつも起承転結の順で画像や文章を組み立てている拙ブログにしては珍しく、今回はいきなり結論から紹介しましょう。 
これが龍騰断橋の全容です。龍騰だなんて、とても縁起の良さそうな地名ですが、元々は魚藤坪断橋という田舎っぽい名称で呼ばれていたんだとか。ご覧のように煉瓦を積んで造られた連続アーチ橋ですが、いまは橋脚部分が残っているばかりで、橋としては全く機能していません。断橋という名の通り、崩れ落ちて寸断されてしまった橋なのですが、なぜ崩れ落ちたのかといえば、大きな地震に遭ったからです。

この橋は台湾総督府の手によって1905年(明治38年)に着工され、翌1906年に竣工しました。全長200mで、川から50mの高さがあり、橋の両端は煉瓦積みのアーチ橋ですが、谷を跨ぐ中央部はデッキトラス鉄橋が架けられていたんだそうです。建設された時期は、日本史的にはちょうど日露戦争の時期に当たりますが、本国では戦費調達に窮して巨額の国債を発行し、戦争に勝っても賠償を受け取れなかったというお寒い台所事情だったにもかかわらず、たった1年という短期間でこの煉瓦橋を竣工させたのですから、当時の台湾にとってこの架橋は非常に重要な事業だったことが窺えます。竣工の2年後にあたる1908年にこの橋梁区間を含めた三義〜豊原間の鉄道が開通し、これによって台湾を南北に縦貫する鉄道が完成したわけですが、1935年(昭和10年)に発生した新竹台中地震により、この橋は無残にも崩壊しちゃいます。当時の台湾物流の大動脈ですから早急な復旧が求められたのですが、被害が甚大であるため同じ橋での復旧は難しいと判断され、この橋は崩れ落ちたまま放置され、西側60mに新たな鉄橋が架けられました。
険しい地形を走るこの区間は開通から長年にわたって単線でしたが、それで輸送量が全然足らないために、まず1922年に竹南〜彰化間を海岸に沿ってバイパスする海線が開通します。そして1998年にはこの区間をトンネルでクリアする新しい山線が建設され、これによって縦貫線が完全複線化されて、用済みになった旧山線は廃止されることになりました。



 
断橋をいろんな角度から見上げてみました。傍に立っている案内板によればこの橋は「荷蘭式」つまりオランダ式という工法が採用されたんだとか。雨に濡れて黒ずんだ煉瓦は、橋が経てきた100年以上の歴史を物語っているようです。地面から拳を突き上げているような姿は、台湾北海岸の野柳(女王頭)を連想させます。橋がまだ崩れる前は、さぞ美しいアーチを描いていたのでしょうね。



煉瓦積みの鉄道用連続アーチ橋といえば、日本の群馬県にある旧信越本線の碓氷第三橋梁(↑画像)を思い浮かべる方も多いでしょうけど、たしかにこの龍騰断橋と碓氷第三橋梁はなんとなく似ているような気がします。



台北側の橋詰に登ることができます。実際に断橋の端に立って、かつて架橋されていた谷(台中方向)を展望した景色が上の画像です。
この日はあいにくの天気でしたが、左右の煉瓦塀を辿って谷の上空に線を描けば、かつての線路が景色の中で浮かび上がってくるようでした。


 
橋詰の展望台から視線を右(西)の方へ移すと、谷の上に一本の鉄橋が架かっていますが、これは1998年に廃止された単線時代の山線の線路です。
鉄橋の下には駐車場が用意されており、一帯は公園として整備されています。台湾としてはこの龍騰断橋を世界遺産に登録しようと目指しているんだそうですが、皆様ご存知のように台湾はユネスコに加盟できていませんから、その目標達成にはまだ相当の年月を要しそうです。でもユネスコなんかに認められなくても、橋の美しさは台湾中の人を惹きつけ、週末などには屋台のような店舗も出るほど賑わうようです。尤も、冷たい雨が降っていた平日のこの日は、どの店も完全閉店状態で、観光客の姿も見当たりませんでした。
そういえば旧信越本線の「碓氷第三橋梁」も世界遺産登録を目指しているんでしたっけ。それならば姉妹提携でもしたら良いのになぁ。


 
川を渡って反対側にも行ってみることにしました。1998年まで列車が走っていたガーダー橋が頭上高く谷を跨いでいます。橋脚のスタイルといい、ガーダーの形状といい、日本の国鉄路線そっくりですね。


 
対岸にも煉瓦積みの橋脚跡が残っているのですが、美しい姿を保っている台北側と違ってこちら側は山の緑に覆われつつあり、まるでタイのアユタヤ遺跡群にある木に呑み込まれた仏像のような状態になっていました。この橋跡の上にも登ってみたのですが、南方(台中側)の線路敷はなんとなく築堤だとわかるものの、かつてここに列車が走っていたとは思えないほど深い藪と化していました。


 
今度は1998年に廃止された鉄橋の上へ登ってみます。さすがに鉄橋の真上は立入禁止ですが、その手前までなら入ることができます。ゲートの近くには「魚藤坪」と書かれた小さなプレートが建植されていました。



ゲートの隙間にカメラを突っ込んで、鉄橋上の線路を撮ってみました。とても廃線とは思えないほど線路が立派なまま保たれており、いまにも列車が走ってきそうです。実際に廃止された後の2010年には観光鉄道として一時的に復活しており、この線路をSL牽引の客車列車が走行したんだそうです。上述した「魚藤坪」には、観光鉄道として復活したときに仮設の駅(ホーム)が設けられたんだそうです。


 
鉄橋から映画「スタンド・バイ・ミー」の少年になった気分で、北のほうへ向かって線路を歩きました。途中で左から行き止まりの側線が合流してくるのですが、ここは「167キロ信号所」(167公里號誌站)。この信号所から数百メートルだけ複線になっており、南北へ進む列車がここで行き違っていました。


 
ポイントマシーンは日本の京三製作所製。


 
周囲は山間部に水田が広がる田園地帯。晴れていれば散歩したくなるような長閑な景色です。
廃止された線路の脇には飲食店が営業していました。旧山線は既に役目を終えた交通インフラですが、観光地として立派に第二の道を歩んでいます。

次回記事では同じ旧山線の廃止区間でも本格的な観光地として変貌を遂げた勝興駅を取り上げます。

苗栗県三義郷龍騰村



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台鉄・海線に残る日本統治時代の駅舎を訪問 その2・日南駅と追分駅

2016年07月23日 | 台湾
※今回記事も温泉には触れません。
前回記事の続編です。

●日南駅
前回記事の新埔駅から区間車(日本の普通列車に相当)に乗って次に訪れたのは、新埔から3つ目の日南駅です。日南といっても宮崎県ではなく、駅前から鵜戸神宮行のバスが出ているわけでもありません。台湾の台中市大甲区にある日南駅です。板橋・松山・岡山など、台湾には日本の鉄道と同名の駅がたくさんありますが、日南駅もそのひとつです。


 
区間車が日南駅に到着しました。前回記事の新埔駅は跨線橋で駅舎へと渡りましたが、この駅ではアンダーパスで駅舎へ向かいます。以前は構内踏切で線路を渡っていたのかもしれませんが、山線より本数が少ないものの、自強号(特急)や莒光号(急行)が高速で通過しますので、安全のために構内踏切は廃止されたのでしょう。



アンダーパスで線路を潜った先には、日本統治時代からの駅舎が構えており、その軒先で駅員さんが集札のために降車客を待っていました。絵になる長閑な風景です。


 
ゲートの脇には小さなお盆が括り付けられているのですが、これは駅員さんが不在の時に使用済みの切符を入れるためのものでしょう。


 
日南駅舎の外観は新埔駅と似ており、木造平屋建ての切妻屋根に、サンバイザーみたいな小さな庇がオデコを囲っていますが、その庇のため入母屋造のようにも見えます。各駅で同じような造りの駅舎が建てられたということは、当時の標準的なモデルだったのでしょう。この駅舎は1922年(大正11年)に竣工して以来、今日に至るまで長年にわたって海線を行き来する列車や乗客を見守り続けており、その歴史的価値が認められて、現在では台中市の史跡に指定されているんだそうです。


 
駅舎内の白壁は漆喰かな。待合室に入って天井を見上げると、真ん丸い牛目窓から室内に光が降り注いでいました。


 
2015年における1日あたりの平均乗車客数は295人。駅には有人窓口があり、駅員さんが端末で切符を発売しています。なお窓口の左には立派なモニターが設置されているのですが、これは列車の案内するものではなく、駅付近のバス停から発着する路線バスの時刻案内です。
この日南駅は、駅舎が歴史的であるばかりではありません。現在の台鉄では珍しくなった昔ながらの硬券を発券している駅として、台湾の鉄ちゃんには有名なんだそうです。窓口の内側には硬券に日付を入れるダッチングマシーンが置かれており、この存在こそ硬券を現役で取り扱っている証です。ただし硬券は新たに印刷しておらず、在庫がある券だけの販売となっています。窓口内のデスクには硬券の在庫表があり、その中から任意のものを購入することができるので、私も在庫の中から4種類(各1枚ずつ)購入しました。購入の際には駅員さんが券に日付を入れてくれるのですが、その前に硬紙で試し打ちをしており、日本の駅と全く同じ光景が見られたことにちょっと感激しちゃいました。


 
まずは片道切符2種類。日本の鉄道で言うところのA型硬券と同じサイズです。左は普通・快車用で田中駅まで。右は復興号もしくは電車(区間車)用で中壢駅まで。それぞれ表と裏をスキャンしました。裏面の画像で1250番は田中まで、0373番は中壢までの切符です。「乗車秩序 先下後上」というマナー標語がいい味出していますね。


 
つづいて往復切符2種類。画面編集の都合上、片道券の画像より小さく写っていますが、日本でいうD型硬券と同じサイズであり、片道券よりも大きなものです。左は復興号用の員林駅まで往復(裏面の番号は0195)。右は普通・快車用の彰化駅まで往復(裏面の番号は7529)。こちらもそれぞれ表と裏をスキャンしました。往路用には「去」、復路用には「回」と券面に赤く印字されており、往路使用後に切り離せるよう、上下のちょうど真ん中にミシン線が入っています。
今回購入した4枚はどれも端っこが変色しており、結構古い在庫であることが窺えます。特に復興号に関しては、現在この駅に停車していないどころか、縦貫線(西部幹線)からも廃止されてしまいましたから、私のような蒐集目的の人間が購入しなければ、世に出ることはないでしょうね。



硬券はあくまで購入を希望するマニアックな人向けに売っているものであり、通常の発券では端末を使っています。しかも自動券売機がないので、たとえ隣の駅までの少額な切符でも窓口で買い求めます。私が次の目的地である追分駅までの券を窓口で買い求めたところ、前回記事の新埔駅と同じく、駅員のおじさんは老眼の目を細めてモニターを見つめ、マウスの音をやけに大きく響かせながら端末を操作していました。でも乗客の多くはICカードを持っており、この駅のゲートにも簡易型の読取機が設置されていますから、切符を買って利用する乗客はそれほど多くないようです。かく言う私もICカードは持っているのですが、どうしても駅員さんが発券する姿を見たかったため、ここでは敢えて現金できっぷを購入しました。


 
駅からちょっと離れてみましょう。駅前広場には「米倉駅站」という文字が埋め込まれていたのですが、この広場はかつて米穀の積み込み場や倉庫があったということなのかな。
また広場にはご当地オリジナルの体操を図で解説したものが掲示されており、歴史ある日南駅にちなんで「火車快飛」なる体操が紹介されていました。イラストから想像するに、SLの動輪の動き、そして煙突からシュポーと上がる煙をイメージしているのかと思われます。


 
上述の「米倉駅站」に関連しているのか、駅前広場には荷物を運ぶトロッコのレプリカが置かれていたのですが、残念ながら線路にガッチリと固定されており、微動だにしませんでした。ちょっとでも動かせたら面白いのになぁ…。


 
駅前広場から数十メートル進んだ先で南北に延びている幹線道路は「台1線」。沿道はちょこっとした商店街を形成していました。典型的な台湾の田舎町です。商店街の中にあるセブンイレブンでおやつとドリンク類を買い込んでから、駅に戻って再び区間車に乗り込みます。


●追分駅
 
つづいて訪れたのは追分駅です。日本にも秋田県と北海道など数ヶ所に同名の駅があり、秋田県では奥羽本線と男鹿線を、北海道では室蘭本線と石勝線をそれぞれ追い分けていますが、やはり台湾の追分駅も本線格の海線と支線格の成追線という二つの路線を追い分けている分岐点です。日本統治時代に開業した駅なのでこのような駅名となったわけですが、現地にゆかりのある固有名詞ならともかく、追分という抽象的で動詞的な日本語がそのまま台湾の駅名としていまだに残っているのですから、ちょっと不思議です。
さて、この駅を通過する多くは本線格である海線の列車であり、竹南方面(北の方)から南下してきた列車は、追分を通過した後に彰化へと向かいます。そして彰化で山線と合流して以降は西部幹線として高雄方面へと向かい、台中には行きません。でも私が日南駅から乗り込んだ区間車は台中行です。どういうことかと言えば・・・


 

上述したように追分駅では2つ路線が分岐しており、1本は彰化方面の海線ですが、もう1本の路線である成追線はショートカットして台中方面へと線路を連絡させています。
ホームの先(南側)で右側へ分岐するのは彰化・高雄方面の海線、そして直進しているのは成追線です。成追線は次の成功駅で山線と合流しており、そのまま山線を進めば大都市台中へと行くことができます。1日に9本ほど分岐を直進して成追線へ入る列車があり、私が乗った列車はその中の1本だったんですね。海線の列車でこの追分から台中に向かおうとすると、一旦彰化まで南下してから、北行の山線に乗り換える必要がありますが、成追線経由の列車はショートカットして台中へ直通してくれるので、その手間が省けます。つまりここでは、追分・成功・彰化(※)の3駅を三角形の頂点とするデルタ配線ができあがっているわけですね。
(※)厳密に言えば彰化の北側にある大肚渓南信号場が、海線と山線の合流地点です。


 
屁理屈をひと通り述べたところで、ホームから駅舎へと向かいましょう。この駅は構内踏切で線路を横断します。新埔駅や日南駅では、立体的に線路を渡っていましたが、2路線が分岐・合流するこの駅を通過する列車はことごとく低速運転になりますから、構内踏切のままでも問題ないと判断されたのでしょうか。
線路側の駅舎側面には大きく駅名が表示されており、その2文字の間に牛目窓が覗いていました。この駅舎も日本統治時代の1922年に建てられた木造駅舎であり、歴史的建造物として台中市の古跡に指定されています。
きちんと刈り込まれた駅舎周りの植木を見ていると、駅員さん達の優しさが伝わってきました。


 
駅舎の構造は日南駅と似通っているのですが、こちらの方が若干大きく、特に待合室は広く確保されていました。この駅には自動券売機のほか有人窓口もあり、端末で発券する各種きっぷを購入することができるのですが・・・


 
追分駅といえば、追分駅から成功駅までの硬券が、鉄道ファンのみならず一般の台湾人にも有名です。
追分、つまり人生の分岐点から成功へと向かう切符が縁起物として珍重されているわけですね。
上画像はその追分→成功の片道きっぷです。表裏両面をスキャンしました。なお裏面のスタンプは私が捺したものです。


 
こちらは追分〜成功の往復きっぷです。こちらも表裏をスキャンしております。せっかく分岐点(追分)から成功へとたどり着けたのに、成功から振り出しの分岐点へと戻って来ちゃうのですから、験を担ぐことにはならないのかもしれませんが、台湾の方はどのように捉えているのでしょうか。



待合室には記念スタンプがたくさん用意されており、その多くが縁起の良い文言なのですが、多くの観光客によって数え切れないほど捺され続けてきたのか、どのスタンプも擦り減っていて、丁寧に捺してもボンヤリとした印影になってしまいました。これらのスタンプは、私が幸薄いことを暗示しているのでしょうか。


  
戦前からの古い木造駅舎、そして縁起物の切符という取り合わせによって、いまやちょっとした観光スポットになっている追分駅。出入口付近には記念撮影用のパネルが用意されていました。でも2015年の1日平均乗車客数は673人であり、本来の姿である旅客駅としても立派に機能しています。待合室内に飾られた風景画は、電車を降りたお客さんがホームを歩いて駅舎へと向かう様子を描いたものですが、お客さんの足音が聞こえてきそうなこの風景画は、追分駅の本業が観光スポットではなく鉄道駅なんだと主張しているようでした。


 
駅舎の正面側。中華民国旗を除けば、日本の田舎によくある駅舎そのものですが、出入口の枠など随所に中華的な飾り付けがなされており、細かいところで台湾風にローカライズされていました。


 
この後、私は台中市街へ行きたかったのですが、台中方面へショートカットする成追線の列車は1日9本しかなく、またこの時は彰化経由でも乗り継ぎが良くなかったため、列車での移動は諦め、駅前通りから路線バスに乗って台中市街へと向かったのでした。台鉄も運行本数を増やしたりダイヤを改善したりと頑張っているのですが、正直申しますと、市内移動でしたら、本数が多くて路線網も細かい路線バスの方が便利だったりします。

前回および今回で海線の歴史ある駅舎を巡ってまいりましたが、次回からは廃止された旧山線に残されている台湾の鉄道史跡を訪ねます。

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台鉄・海線に残る日本統治時代の駅舎を訪問 その1・新埔駅と謎の私設公園「秋茂園」

2016年07月22日 | 台湾
※今回の記事にも温泉は登場しません。あしからず。

前回に引き続き台湾で鉄道旅をしたときの記録を綴らせていただきます。
台湾の西部を南北に貫く西部幹線(縦貫線)は、(北から南下すると)途中の竹南で海線と山線に分岐し、彰化駅で両線が合流して高雄方面へと伸びています。大都市である台中を通過する山線は旅客数も運行本数も多いのですが、海線の沿線は人口が少ないために実質的にローカル線と化しており、これといった大きな駅が無ければ運行本数もさほど多くありません。しかしながら、その需要の少なさが幸いして昔ながらのストラクチャが随所に残されており、駅舎に関しては、日本統治時代に建設された木造駅舎が、談文・大山・新埔・日南・追分の5駅で現役です。2016年3月に台湾を旅した際、その中から新埔・日南・追分の各駅を訪ねてみることにしました。



●新埔駅
 
1時間に1本程度のペースで運転される区間車(日本の普通列車に相当)に乗って新埔駅へ。


 
2面3線のホームから跨線橋を渡って駅舎へ向かいます。上の画像では曇った空と同化してわかりにくいのですが、跨線橋の上から西の方を眺めると、駅舎の100メートルほど先に台湾海峡が広がっていました。西部幹線で最も海に近い駅なんだそうです。


 
いかにも古そうな駅舎の屋根を見下ろしながら、跨線橋のステップを下ってゆきます。屋根瓦はコンクリ製ですが、元々はちゃんとした焼き物を使っていたのでしょうか。屋根下の丸い牛目窓は、大正から昭和初期に建てられた日本的な洋館によく見られる特徴のひとつですね。


 
ゲートを通過して駅舎内へ。戦前からある古い駅舎ですが、ちゃんとICカード乗車券に対応しており、出入口にはICカードの読取機が設置されていました。


 
1919年(大正8年)に竣工して以来使われ続けているこの小さな平屋の駅舎を眺めていると、日本各地のローカル線などに現存する戦前の駅舎とほとんど同じ佇まいであり、明らかに台湾風(あるいは中華風)ではありません。後背に立つ跨線橋を取っ払えば、昭和の日本をモデルにした映画やドラマの撮影ができそうな気がします。台湾旅行の醍醐味の一つが、海外でありながら昔日の日本の光景や文化を体感できること。昔の面影を残す新埔駅と対峙していると、大正時代にタイムスリップしたかのようであり、瞬間的に台湾にいることを忘れそうになります。綺麗に刈り込まれている駅舎前の植え込みを見ますと、この駅舎がいかに地元や関係者の方から愛されているかがよく伝わって、日本人の一人として嬉しく思いました。


 
2015年における新埔駅の1日平均乗車客数は69人なんだとか。日本でその程度の駅でしたら確実に無人化されちゃいますが、国営の鉄道だからか、この駅には有人窓口があり、ちゃんと切符を販売しています。実際にこの窓口で次の目的地である日南駅までの切符を求めますと、駅員のおじさんは老眼の目をショボショボさせながら端末の画面を確認し、ややぎこちない動きでマウスをポチポチと押して発券してくれました。なお昔ながらの硬券は用意されていないようです。


 
せっかくですので駅周辺を散策してみましょう。駅前には「海辺」と記された看板が立っていますので、それに従って歩いて行くと、数十メートルで路傍に駅員おじさんの人形が立っています。この人形の傍に立つ標識は、民家脇の路地を指し示しており、たしかにそのへ進めばすぐに海岸へと出られそうなのですが、一見すると廃屋に見えるその民家から生活の匂いが漂っており、本当にこの路地を歩いてよいものかという不安が、私の足を早歩きにさせます。何かあっては面倒なので、ささっとその民家脇を通って進むと・・・


 
すぐに海岸へと出られました。コンクリで頑丈に護岸された海岸は遊歩道になっていて、一定間隔おきに東屋も建てられており、散歩している人の姿もみられます。堤防の海側は石敷きになっており、波打ち際にはテトラポットが設置されていました。できれば海縁まで下りたかったのですが、テトラポットの下までしっかり波が届いていたので、残念ですが堤防の上で台湾海峡を眺めることに。


 
堤防に腰掛けて海を眺めながら、持参したコンビニ弁当を開けてお昼ご飯です。なお駅の周りには商店などありませんので、私は区間車に乗る前に、コンビニであらかじめお弁当を買っておきました。男一人で岸壁に座りお弁当を頬張るだなんて、哀愁に満ちた侘しい行動のように思えますけど、海を眺めながら食事をすると、たかがコンビニ弁当でも結構おいしくいただけますから、虚しさを感じることなんて微塵もありません。


●秋茂園
この新埔駅から徒歩5分ほどのところに、何やら訳のわからない摩訶不思議な私設公園があるようなので、お弁当を食べ終わったところで立ち寄ってみることにしました。その公園の名前は「秋茂園」。


 
道路に面したゲート門柱には、キューピーの紛い物や天女と思しき像が立っていて、入場前から早くも摩訶不思議な独特の世界観を放っており、真面目な神経をお持ちの方でしたら、これを目にして腰が引けちゃうかもしれません。場外の駐車場前にもインチキなキューピーや桃太郎・金太郎などが飾られており、道を往来する通行に不敵な笑みを浮かべていました。この私設公園は一事が万事、全てこんな感じで訳のわかんないコンクリの像が林立しているのです。さて勇気を振り絞って、入園してみることに。


 
開園時間は8:00〜17:00で入場料は無料。この私設公園は在日台湾人だった黄秋茂氏が私財を擲って開いたらしく、ご自身の理想・哲学・世界観などを立体的なコンクリや樹脂の像にして園内に配置しています。黄先生は日本にいらっしゃったので、園内には中国語のほか日本語や日本にまつわる事柄も多くみられます。黄秋茂先生の発想力は、良く言えば迸るように豊かで博愛的なのですが、見方を変えれば雑多でまとまりがなく突拍子がない。しかも像のつくりが奇怪で、可愛いんだか不気味なんだかわからなく、日中なら普通に観察できますが、日没後には怖くてまともに直視できないかもしれません。
ゲートを入ると新宿2丁目のような不思議なメイクのキューピッドが出迎えてくれました。その近くには西遊記の孫悟空や三蔵法師、そして道教の八仙など、中華的な世界観があると思えば、その奥では大陸の配置がメチャクチャな地球儀の上に母を背負う男性の像が立っており、地球儀の脇で直立している儀仗兵の台座には「最高栄誉的義務」「誇り高き義務」という言葉が2ヶ国語で記されていました。そして、親孝行や兵役の重要さを訴えるそんな像の前で、酒呑童子のような子供2人が戯れており、前のガキがお尻を出してキン○マをぶら下げている姿を、後ろのガキが凝視していました。なぜケツの穴やキン⚪︎マを覗かなきゃいけないのか。これを通じて黄先生は何を訴えたいのか、早くも私の頭は混乱してきました。子供の頃のノスタルジーを3D化しているのかもしれませんが、もう訳わかんない。幼い子供達がバカな戯れに興じていられるのも平和のお陰、そして母の慈愛のおかげという意味なのでしょうか。



黄先生の発想は中華圏や日本だけでなく世界中を駆け巡ります。ウェスタンスタイルのカウボーイがいると思えば、そのそばでキリンやラクダがキスをしていました。キン⚪︎マといいキスといい、像の不気味さもさることながら、ところどころでジトっと湿った下ネタが盛り込まれている点も、この公園のB級色をより濃くしています。



犬に囲まれながら立ちションをしている角川春樹似のトッチャン坊や(容貌が妙に老けている)の台座には、男たるものの生き様が2ヶ国語で箇条書きされていました。先生曰く「男なら嬉しい時は腹をはって笑おう、男なら悲しい時は思い切り涙を流そうよ(中略)男なら寂しい時は星空を仰ごう」とのこと。永六輔の作詞で似たような歌があったような気がしますが、それはさておき、この言葉を見る限り、黄先生はセンチメンタルなお方のようです。
一方、後ろにまわると今度は女バージョンが旧仮名遣いで記されており、曰く「女なら嬉しい時は明るくほほえみませう、女なら悲しい時は涙でほほを濡らしませう(中略)女なら寂しい時は花に語りかけませう」と、男に比べれば静的な感情表現に抑えられていました。先生は淑やかでおとなしい母性豊かな女性が理想なのでしょうね。



園内の道には日本的な石灯籠が建てられているのですが、その台座は中華的な鮮やかな色合いのペンキで塗られていました。日本でこんな塗装は見られませんよね。台湾と日本が折衷していることがわかります。
上述の「男なら 女なら」の近くには「私の心」と題する碑文も建てられており、これによれば黄先生は、恩に着せず信義を重んじ、代償を期待せず、ひたすら仁愛を施し、人類社会に互恵精神を広めて、この楽園で心を安らぎ、健康長寿を祈る、神様のお恵みに感謝を捧げます、とのこと。このスピリッツこそ「秋茂園」の根底に流れるメンタリティなのであります。



公園の南端には大きな東屋があるのですが、その柱にも黄先生のメッセージが記されていました。たとえば「貴様と俺こそ我が友よ」という軍歌「同期の桜」の冒頭を思わせる台詞があるかと思えば、「ムチつよくとも打つ心」と昔ながらの教育論もあり、まるで戦前にタイムスリップしたかのようなこれらの文言を見ていたら、戦後生まれの軟弱な私は、この屋根の下でゆっくり休める気がしなくなっちゃいました。台湾の田舎を旅していると、日本の保守論壇も真っ青の、強烈な保守的発想をお持ちでいらっしゃる、戦前教育を受けた日本語世代のお年寄りにお会いすることがありますが、黄先生もそのようなお爺様だったのでしょうか。


 
海岸に沿って南北に長い園内の海側には、孫文、観音様、聖母マリア、そしてキリストといったように、様々な神様や偉人を祀ったお堂が並んでいます。そして北端の奥には大きな観音塚も設けられていました。洋の東西や宗教の如何を問わず、神仏や神格化されている人物なら何でも崇め奉っちゃう黄先生の発想は博愛そのもの。宗教対立やナショナリズムの台頭など、世界各地で内向きで不寛容な社会観が広がりつつある今日、秋茂園の哲学は見直されて然るべきなのかもしれません。

園内には多くの像があり、とてもこのブログでは全てを紹介しきれないので、その中から一部をピックアップさせていただきました。いや、現地でも数点見るだけで十分お腹がいっぱい。胃がもたれてしまいそうです。博愛を学びつつも、夢に現れそうな奇怪な像と微妙な下ネタに頭が混乱した私は、園内を一週したところで退園して冷静さを取り戻し、駅に戻って再び区間車に乗って、次なる目的地である日南駅へと向かったのでした。


次回記事に続く
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台湾旧型客車の旅、再び。南廻線3671次普快車・台東行 後編

2016年07月21日 | 台湾
前回記事の続編です。


 
全長8070mの中央トンネルで台湾の脊梁をくぐり抜け、太平洋側の古荘駅に停車です。
かつての日本でもSLが現役だった頃は、トンネルへ入る前にみんな一斉に窓を閉めて、煙が車内に入り込むのを防いだものですが、この列車の牽引はSLではなくDL(ディーゼル機関車)であるとはいえ、排気ガスがトンネル内にこもって後方の客車側へ流れてくることに変わりありません。しかもトンネル内はものすごい轟音ですので、窓を開けっ放しにしていると、排ガスと騒音のダブルパンチに見舞われます。このため、山越えの長いトンネルが続くこのあたりでは、みなさん窓を閉めて大人しくやりすごしていました。



古荘を出発してトンネルをくぐると、今度は太平洋の大海原が車窓に広がります。
車両こそ40~50年選手のベテランですが、地形が険しく過疎地でもある地域を貫くこの南廻線は、建設開始が1980年、全線開通が1992年と新しい路線であるため、連続する山や谷、川などをトンネルや高架で次々にクリアし、険しい地形にもかかわらず急な勾配やカーブがありません。このため、車両こそノスタルジーたっぷりですが、列車の走り方や線路設備にローカル線風情は感じられず、高雄と台東を結ぶ路線にふさわしい高規格な線路を、各列車が快走してゆきます。


 
南シナ海側を走っていたときには、空はまだ明るさを保っていたのですが、山を越えて太平洋側に来ると、海原の上には重たそうな雲が垂れ込め、窓から吹き込む風もいまにも雨が降ってきそうな湿り気を帯びていました。 



「台湾旧型客車の旅 南廻線 普快車3671次・台東行 最後尾の景色 」(7分55秒)
大武を出発してから次の瀧渓まで、開けっ放しの最後尾に立って、動画を撮り続けてみました。
大武を出た列車はいきなりトンネルに入りますが、暗闇から抜けると進行方向右手(動画では左手)に太平洋の大海原が広がります。この海岸線に沿って走る風光明媚な車窓は、南廻線の大きな魅力のひとつであり、ほとんどの車両がハメ殺しの窓になった現在の台鉄で、窓を開けて潮風を感じながら乗車できる列車は、この旧型客車を使っている普快車一往復だけです。



「台湾旧型客車の旅 南廻線 普快車3671次・台東行 海側座席の車窓」(6分02秒)
つづいての動画は、瀧渓から次の金崙まで、シートに座って車窓を撮影したものです。途中(3分50秒)で真っ赤な柵を通過しますが、これは昨年拙ブログで紹介した台湾で最も美しい駅「多納駅」跡です。


 
金崙渓の橋梁を渡ると、まもなく温泉地である金崙駅です。
線路の海側では新しい道路の工事中。反対の山側には、以前このブログでも取り上げた金崙温泉の宿が川に沿って点在しています。



12:35に金崙駅到着。時刻表によればこの駅で10分弱停車するらしく、おそらくその間に対向列車の行き違いた優等列車の通過待ちなどを行うのでしょうけど、ダイヤに若干の乱れがあったらしく、この駅ではすぐに発車しました。さすが台湾南部を東西に結ぶ大動脈だけあって、多くの駅で交換待ちなどが行われるのですが、長距離列車が走る路線でもあるため遅れの影響を受けやすく、通常ダイヤとは異なる交換待ちや通過待ちがしきりに行われていたようでした。JR以降の日本の在来線では、コスト削減のため駅設備を必要最小限にする傾向がありますが、国鉄である台鉄の路線は余裕のある設備を有しており、それゆえフレキシブルな対応が可能なのでしょう。



列車はさらに北上を続けます。線路の脇で穂を揺らすススキを眺め・・・


 
車窓にちょっとした市街地がひろがりはじめたら、まもなく太麻里。


 
数年前に電化されたばかりの知本で10分停車。団体客はここで下車していったので、この後はおそらく温泉へと向かったのでしょう。
電化によって知本以北(台東・花蓮方面)は電車が韋駄天走りするようになりましたが、この列車が走ってきた知本以南も電化が予定されており、電化工事が完成すれば台湾を一周する鉄道から非電化区間が消えることになりますから、その頃にはこの古い車両の普快車はもちろんのこと、高雄~台東間を行き来しているディーゼルカーの特急(自強号)も姿を消すことになるのでしょうね。
台湾の鉄道に日本の昭和の面影を追い求める旅行者も多いわけですが、そんな旅の楽しみ方も、徐々に難しくなるのかもしれません。


 
ダイヤとは違うイレギュラーな行き違いなどがあったにもかかわらず、ダイヤと1分も違うことなく、定刻の13:27に台東駅へ到着しました。
向こうのホームには白いボディに赤いラインが鮮やかな台鉄の新顔「普悠瑪(プユマ)列車」がとまっており、私は次にこの列車へ乗り換えるのですが、お手洗いやお弁当の購入などがあるので、一旦改札の外へ出ました。台東駅前は相変わらずガランとしていました。


 
さて、弁当の購入など用件をひと通り済ませたところで、14:00発自強425次「普悠瑪列車」樹林行に乗車です。


 
綺麗で空調の効いた車内は、さきほどまで乗っていた旧型客車とは雲泥の差。白い車内に配置された赤とグレーのシートが目に鮮やかです。


 
「普悠瑪列車」にあてがわれるTEMU2000形電車は、台鉄の最新鋭かつ花形列車。日本の愛知県にある日本車輌で製造されました。
そういえば台東まで乗ってきた普快車の3両の旧型客車も全て日本製でしたね。台鉄の最古参と最新鋭を乗り継ぐ旅は、くしくも日本で製造した車両に乗り継ぐ旅でもあったのでした。車端部には荷物置き場があるので、大きなバッグを抱えた旅行客でも便利です。


 
シートの座り心地はちょっと硬めかな。枕の位置は上下に調整することが可能。背面の物入れ、ドリンクホルダー、フットレストなどは台鉄標準の装備ですが、意外にも日本の鉄道で当たり前の背面テーブルは、この「普悠瑪列車」が台鉄初登場かもしれません。



ちなみにこれがチケットです。「普悠瑪列車」は週末を中心に満席が続出するらしいので、念の為にインターネット予約で購入しておいたのですが、私が乗ったのは平日でしたから、実際には予約を要するほど混雑していませんでした。とはいえ、途中の花蓮から多くの客が乗り込んで席が埋まっていきましたので、区間によっては予約しておいた方が良いのかもしれませんね。
台東駅を出発して間もなく、駅構内で買った駅弁を頬張って空腹を満たしたのですが、体内の血液が消化器系に集まった上、乗り心地の良さも相まって、いつの間にやら睡魔に襲われてしまい、宜蘭までほとんどの区間で爆睡してしまい、情けない哉、車内で過ごした記憶がほとんどありません。


 
雨粒が窓をバチバチと打ちつける音で目を覚ますと、まもなく宜蘭駅に到着しました。時刻は定刻の16:58。高雄を9:35に出たわけですから、7時間半も列車に乗りっぱなし。乗り継ぎ方を選べばもっと早く到達できたはずですが、今回は旅情を最優先したため、このような到着時間となりました。旅行ではお金を惜しまない贅沢も良いのですが、時間を浪費するのも立派な贅沢。今回は時間の贅沢を堪能させてもらいました。



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