卍の城物語

弘前・津軽地方の美味しいお店と素晴らしい温泉を紹介するブログです

鶴ヶ城

2012-03-20 00:37:02 | 観光地
東日本大震災一周年復興祈願企画「福島の旅」に行ってきました。


地震・津波・原発のトリプルパンチで大打撃を被った福島県をなんとか少しでも支援したいとの思いで、福島に小旅行に行く事にした。

高速道路無料も今月いっぱいだし、やっと雪も溶けて春らしくなって遠出出来るようになったし、連休も取れたのもあります。


土曜の朝に弘前出発。

休日の無料高速なので途中渋滞にあって多少時間がロスしたのもあり、最初の目的地である会津若松に到着したのは5時間後でした。

到着してすぐ会津名物のソースかつ丼を食べたかったが、時間が無かったので昼飯は抜いて急いで観光します。


そんなわけでまずこちらの「鶴ヶ城」に行きました。


駐車場は鶴ヶ城内の公園の中にあります。
1時間200円、2時間で300円です。


鶴ヶ城敷地内は本丸の天守閣、茶室麟閣、稲荷神社などがある。


天守閣入場券は400円。
茶室麟閣入場券は200円。
両方の共通入場券だと500円。


さっそく天守閣へ入城!


五層からなる天守閣は寛永16年に現在の形になった。

明治7年に廃城になった後、昭和40年に再建・復元されたものが現在の鶴ヶ城である。


一層から四層までは会津藩と鶴ヶ城の歴史がわかる展示コーナーになっている。

一層の走長屋は売店もあり、お土産買うならここです。

この歴史展示はよく出来ており、会津の歴史が一通りでわかるようになっている。


会津は戦国時代に多くの大名が入れ替わっている。
芦名、伊達、蒲生、上杉、安科、松平と変遷している。


会津藩といえば京都守護職に命じられ、鳥羽伏見の戦い、そして戊辰戦争と、幕府軍として最後まで抵抗した歴史を持つ事で知られている。

戊辰戦争の時は新政府軍が鶴ヶ城に侵攻するも、松平容保は一ヶ月もの篭城に耐えています。

その他有名な白虎隊の歴史も展示されています。

最上の五層は展望台になっています。
四方を眺望出来、会津磐梯山や、白虎隊が自刃した飯森山、中心街まで見渡せます。


天守閣から出て、少し離れたところに茶室「麟閣」があります。

 

ここは千利休の息子・少庵が建てたと言われる茶室。

もともと場内にあったが、戊辰戦争の折に城下へ移築。
現在はもとの場内に移築され直されました。

千利休が豊臣秀吉に自害を命じられ、千家が追放された折、息子の少庵は会津に匿われる。
その時作ったのがこの茶室です。

よく見る質素で小さな茶室です。

受け付け裏では抹茶を500円で頂けます。


あいにくの雨でしたが、天守閣内にいたのでさほど気にならず、楽しく歴史を学べました。

復元とはいえ、とても立派な城で見応え充分です。


春は園内の桜も立派に咲き誇るみたいなので、桜の時期の訪れもいいですね。

 
 (売店の近くには他県の中学校からのメッセージが掲げられています)

乳穂ヶ滝

2012-02-23 00:00:05 | 観光地
西目屋村の「乳穂ヶ滝(におがたき)」が4年振りに完全結柱しましたよ!!って事で行ってきました。


場所は、県道28号線沿い、白神館や西目屋役場から白神山地・暗門の滝方面へ600mほど道なりに進むと左手にあります。


樹齢300年を超える杉の大木に囲まれた境内の中に、落差33mの滝がチョロチョロと、まるで乳穂の如く流れ出ているのが乳穂ヶ滝です。

滝の中腹辺りには不動明王が祀られているが、建立時期は不明との事だ。


この滝は水流が極端に少ないので、厳冬期につらら状になり、そしてそのつららは遂に滝壷まで下り、氷の柱となって氷結する。


この滝の氷結は毎年必ずできるわけではないので、結柱となれば話題になって観光客も訪れる。


毎年2月の第3日曜日に「乳穂ヶ滝氷祭」が行われ、今年も2月19日に無事行われた。

結柱しなくても毎年行われるが、結柱するとなると祭りの見応えはまるで違うものになる。

氷祭は古くからの豊凶を占う神事であり、修験者たちがたいまつを使い、近くの雪の上に立てた3カ所のわらの束に火を移して豊凶を占うと、「今年は稲作、リンゴともに豊作は間違いないが、大きな期待はできないので、よく気を付けて農作業してほしい。突風にも注意を」とのご託宣が出た。


無事に氷祭が行われた3日後にやっと訪れる事が出来た。

4年前にも結柱したので、その時以来の訪れです。


夜の20時頃、先客はバカップルの2人のみだったのだが、ギャーギャー騒いでうっとうしかったが、しばらく後に消えてくれたのでゆったりと貸切状態で眺める事ができました。


夜はライトアップしていてものすごい神秘的で幻想的な空間に包まれます。

今年は見事に巨大な柱になりましたね。直系3mくらいかな?

中腹の不動尊の堂宇まで歩いて登れるので、氷柱の裏側も見ることが出きるし、直に触る事もできます。


 (ハイ、ドー-ン!!氷柱の裏側と不動尊の堂)


境内はものすごい滑りやすいので気をつけてくれたし。


もともと田舎だし、杉林の中なので、静寂が時を止めて、とても穏やかな気持ちになれます。
自然の偉大さを感じる瞬間でもありました。


乳穂ヶ滝の結柱は毎年見れるわけではないし、天気のいい日が続くとたちまち氷柱は崩れてしまうので、今のうちに行ってみるのをおすすめします。


昼間に訪れるのもいいし、夜間はライトアップで更に美しさを増します。
夜間ライトアップは氷柱が崩れるまで行うとのことです。


今年は大雪に苦労しましたが、厳冬のおかげでちょっとした自然の神秘を感じられるこの瞬間を見逃さないように。
 

小川原湖

2011-09-28 00:47:56 | 観光地
だいぶ前だけど「小川原湖」に行ってきました。
遠巻きには眺めた事はあるが、初めて昼間にちゃんと見てみました。


青森県の上北地方にまたがる日本で11番目の面積規模を示す汽水湖である小川原湖。

小川原湖周辺には尾駮沼、鷹架沼、市柳沼、田面木沼、内沼、姉沼などの湖沼群が分布している。

主な水産資源は、ワカサギ、シラウオ、ハゼ、シジミ、ウナギなど。
さらにマリモも生育しているそうだ。

ワカサギの漁獲量は日本一らしい。

シジミに至っては長いシーズンで潮干狩りできる。
決められたエリアで漁獲方法を守れば無料でシジミ取りが出来る。
この日もシジミを取っている家族連れが多かった。
ついでに湖水浴もしているような様子であった。


小川原湖にはとある伝説がある。

飛鳥時代、公家の橘中納言道忠公東国行脚の旅に出た。
道忠公の娘・姉の玉代姫と妹の勝世姫は父の身を案じ、父の後を追って諸国を巡る。
やがて二人は北の果てで、探し求めた父が既に亡くなっていることを知る。
姉妹は嘆き悲しみ、玉代姫は沼に入水した。後を追うように勝世姫も別の沼に入水した。
玉代姫の沈んだ沼を姉沼、勝世姫の沈んだ沼を妹沼(小川原湖)と呼ぶようになった・・・。

湖の一角には供養の為か、姉妹像が建てられている。


それにしても大きな湖である。
海のような潮の満ち引きが錯覚を覚える。

のほほんと湖を眺め、物思いに深けながら長い間佇んで気が落ち着いたところで帰りました。

 

十二湖~青池

2011-08-26 00:58:19 | 観光地
やっとデジタルレコーダー購入した。
ま、ブルーレイではないけれどね。ま、どうでもいい話。


先日「津軽半島西海岸弾丸ツアー」を敢行した。
津軽半島の北端から南端まで行くという、その日の気分で決めた無謀なドライブである。

その最終目的地が「十二湖」である。

数年前に何となく十二湖に来たが、青池まで歩くのが面倒かなんかでそのまま帰ったという、情けない過去があるので、今回はちゃんと行きました。


十二湖は白神山地の北西部、青森と秋田の県境あたりに位置し、33の湖沼から形成される。
300年前の能代地震によって、現在の「崩山(くずれやま)」の土砂が崩落。
崩落によって堰き止められた川が大小の湖沼になったという説が有力である。
崩山の大崩(おおくずれ)から見ると湖沼数が12に見えることから十二湖になったと言われている。
偶然にも面積が10,000平方メートルを超える湖沼数は12となっている。
十二湖の中でも「青池」は有名である。


国道101号線から十二湖方面への道路を1kmほど進むと「アオーネ白神」(旧「サンタランド白神)という拠点施設」がある。
宿泊・観光・レストラン・温泉施設などがあるので、十二湖の行き帰りに立寄るのがいいだろう。

ちなみに「アオーネの湯」に行ったら日帰りは17時迄で入れず・・・。
というか日帰り入浴はずっと休業していて、夏休み期間だけ特別に営業していたが、それでも入れなかった・・・。
ま、ここの温泉は「ウェスパ椿山温泉」の運び湯だからいいけどさ・・・。


アオーネ白神から3kmほど峠道を登ると十二湖群に辿り着く。
「青池」の歩道入り口(「森の物産館キョロロ」)まで車で行けるが、ここは有料駐車場なので、700m手前の無料駐車場に停めるのがいいと思う。
ブナ林散策も出来るし、途中に茶屋もあるし。
遊歩道から青池までは10分と掛からずに着く。


「青池」は面積約975㎡、最大深度約9mとかなり小規模な池です。そのため池の底がちゃんと見えます。
コバルトブルーのインクを流し込んだような鮮やかな青の輝きを放つ理由は科学的にも証明さていないようです。
この小さな池に何故か淡水魚が泳いでいます。
そして厳冬期ですら青池は凍結しないそうです!

なんとも美しく神秘的であります。
太陽の輝きによってその色合いを変えるそうで、その日は快晴だったので、綺麗なコバルトブールーでした。
ここだけ異空間のような感覚を覚え、時間もゆったりと流れている気がします。


とりあえず青池が最終目的地だったのでそのまま帰りました。
夏場はアブがすごいので、対策に気をつけたほうがいいでしょう。

青池の他にも湖沼はたくさんあるし、近辺のブナ林のトレッキング、崩山の登山、日本キャニオンと他にも見どころがあります。

暑さも収まってきた時期に気持ちのいい散策が出来てよかったです。


「津軽半島西海岸弾丸ツアー」は無事終了。
西海岸を眺めながら弘前の帰路につきました・・・。

恐山

2011-08-12 13:30:06 | 観光地
先日「恐山」に行って参りました。


「高野山」「比叡山」と並ぶ日本三大霊場の一つで、下北半島の中央部に位置する。

 
貞観4年(862年)、慈覚大師円仁によって開山された。

寺名を「恐山菩提寺」とし、本尊は延命地蔵菩薩とした。


カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心に、釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰が廻り、蓮華の如くに例えられる。

恐山は火山であり、一帯は火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、カルデラ湖の宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。


地元の人々は「人は死ねばお山に行く」と言われ、死者の魂は恐山に行くと言い伝えられている。

「イタコの口寄せ」は有名で、「イタコ」と呼ばれる盲目の女性の霊媒師が、夏と秋の恐山大祭では「口寄せ」という儀式が行われる。


境内には温泉が湧いており、4ヵ所の湯小屋が入山料を払えば誰でも利用出来る(温泉記事は後述します)。

以上が恐山の大体の概要です。


さて、恐山一帯を散策してみようと思います。

この日は気温30度ほどの真夏日だったので、どんよりとしたイメージの恐山とは懸け離れた晴れ間で、観光客も多かったので、心霊的な恐怖は全く感じられませんでした。

入山料500円を払って境内に入ります。

本堂でお参りしてから、立派な山門を潜り、地蔵殿でお参りします。

山手の奥の院には「不動明王」が安置されています。
ここからの景色はなかなかの絶景です。

そしてここから「地獄」と呼ばれる一帯を散策します。

火山岩の白い岩肌はまさに地獄!
火山ガスや温泉の湯気でモウモウと煙を上げる様子はこの世のものとは思えません。

参拝者は小石を積んで供養するのが定例なのか、小石の山、さらに風車があちらこちらにあって、幽玄な光景が迎えます。


そして「宇曽利湖」に辿り着きます。

恐山一帯は昔「ウショロ(アイヌ語で「入り江や湾」といった意味)」と呼ばれており、その後「オソレ」に変化して「恐」の当て字になったと推測されます。
宇曽利湖の「ウソリ」も「ウショロ」から変化して当て字がはまれたと思われます。

この湖がまたとても美しく、まさに極楽といったイメージがぴったりです。

強い酸性のカルデラ湖の宇曽利湖は、一部エメラルドグリーンに輝いてます。
植物は育たず、ウグイなどの一部の魚しか生息しない、ここも現世と懸け離れた印象を受けます。

ここから宇曽利湖は三途の川として北東の正津川となり津軽海峡に注ぎます。


一帯を散策し、温泉に入り、お守りを買ってから後にしました。

お盆も近かったので、ご先祖様の供養、そして大震災の犠牲者の供養、さらに大切な人の病気が治る様に祈りを捧げました。


それにしても意外と観光地化しており、気軽に楽しめたように思います。
勝手に想像していたおどろおどろしいイメージはないし、何より暑くて暑くて・・・。

しかし想像を遥かに越えた幻想的で神秘的な光景には圧倒されて感動すら憶えました。


津軽からはかなり遠い地ではあるが、またこの地にお参りしにきたいです。

 

白神山地~暗門の滝

2011-07-07 00:08:54 | 観光地
祝!「平泉」と「小笠原諸島」の世界遺産登録を記念して、世界遺産繋がりの「白神山地」へ行ってきました。


白神山地は青森県南西部から秋田県北西部にまたがる13万haに及ぶ広大な山地帯の総称です。
東アジアでも最大級といわれる原始性の高いブナの天然林や約5百種の植物相が良好な状態で残されています。
また、ニホンカモシカやニホンザルなどの日本固有の哺乳類をはじめ、イヌワシ、クマゲラやクマタカなど絶滅が危惧されている鳥類やその他の脊椎動物2千種以上の昆虫等の無脊椎動物など豊かな生態系が現存しており、その普遍的価値が認められました。


そんな白神山地は弘前から極めて近所である。
我が家からは40分程度で行ける。

県道28号線をひたすら進めばいいのでアクセスも容易である。
28号線のバイパス工事も着々と進んでいるので、これまた道路状況も良くなってきた。

県道とはいえかなり狭いので、大型バスが通るとすれ違い出来なくなる箇所も多いので、ゆっくり進みましょう。


道中「津軽ダム」の工事が延々と左手に見渡す事になるが、どう考えても自然を破壊しているようにしか見えないのが、世界遺産の入り口の光景としては矛盾を感じてしまうのだが・・・。


そんなわけであっという間に散策コース拠点「アクアグリーンビレッジANMON」に到着する。

「アクアグリーンビレッジANMON」はインフォメーションからレストラン、売店、人口温泉、遊具施設、コテージ、キャンプ場などがあり、まずここに駐車してここから散策するのが基本である。


白神山地を堪能するコースとしては、林道の白神ラインを車で進んで津軽峠を目指すコースや、高倉森の歩道を散策するコースがあるが、暗門の滝をゴールとして往復するコースが一般的であろう。


アクアグリーンビレッジANMONから暗門の滝コースの入り口まで歩いて初めてわかったが、何と、渓流沿いの「暗門の滝歩道」が落石の為に通行止めになっているのだ!!
かといって暗門の滝まで行けないわけではなく、ブナ林の林道を通る「ブナ林散策道」は通れるので、そちらを利用して進む事にした。

がっ!!このコース、意外とキツイ!!
何せ遊歩道の簡単なコースを行くつもりだったので軽装なのだが、スニーカーじゃ大変である。
林道の起伏も緩いとはいえ、普段運動しない自分にはなかなか堪える・・・。
前日の雨で、足場も結構悪いので、トレッキングシューズとかじゃないと大変である。

ブナ林の中を直接歩くので、ブナ林を堪能するならこのコースの方がいいのだが、時間的にもこちらの方が要する。
遊歩道よりは40分以上はかかるだろう。
体力的には時間以上に消費するのでお忘れなく。

十分にブナ林を散策できたところで、やっとこさ渓流沿いに辿り着く。
ここからは歩道が整備されているし、滝までは起伏がないので楽である。

この渓流もまた見事なもので、ブナは関係なく美しい景色が広がる。

数十分歩いたところで最初の滝「第三の滝」が待ち受ける。
高低差26mの滝だけど、ダイナミックである。
暫しの休憩をとる。

ここから更に2つの滝があるが、足腰の悪い人はここで引き返してもいいだろう。
ここからは起伏も激しいし、足場も決して良くない。

滝の上流を目指すように登るので、体力は使う。

そうして10分ほど進むと「第二の滝」に辿り着く。
ここは高低差37mだが、迫力がすごいし、休憩場がほぼないので、滝のしぶきを思いっきり浴びてビショビショになるのも気持ちいいもんだ。

ここから更に10分ほど掛けてまた登らなくてはならない。
でもちゃんと整備されているので危険というわけではない。

そうしてようやく最終目的地である「第一の滝」が迎えてくれる。
ここより先は歩道はないので、ここがゴール地点である(引き返す事にはなるが)。
ここの滝は高低差42mと、一番大きな滝である。
マイナスイオンを充分に浴びて、充実感を味わう。

このコースは徐々に滝が多くなっていくってのもあり、しかも滝が3つもあるし、ブナ林も堪能出来るから、とてもよく出来たコースになっている。

とはいえ、また元来た道を戻らきゃならないのが億劫だった・・・。
ブナ林は綺麗だが、足場の悪い林道の上り下りは大変である。

なんだかんだで帰ってきたが、往復は3時間ほど要した。
遊歩道コースだったら往復2時間弱なので全く疲れないが、ブナ林散策コースは1時間以上はかかるので、時間と体力に自信のある人はそちらを勧めたい。
というよりは、今は遊歩道コースが通行止めになっているので暗門の滝をみたいならそこしか行けないわけだが。

そもそも遊歩道コースが通行止めになっているとはホームページにも現地のインフォメーションにも表記されていないのがどうなのかと思う。
コースの入り口に書かれているだけなので、入り口にて知らされる事になる。

遊歩道コースは気軽に散策出来るが、ブナ林散策コースは気合を入れて準備万端でないとなかなか来れない。
ここらへんの情報はちゃんとしてもらいたいもんだ。


残念だったのは、自分の名前を彫ってるブナの木が数本目に付いた事だ。
世界遺産だってのに、自然を破壊しにきているゲスがいるのは悲しいことだが、みなさんで監視していきましょう。


7月初旬の土曜日だったが、さほど観光客も多くはなかった。
とはいえ、駐車場には県外ナンバーの方が多かったし、散策コースではたくさんの人と擦れ違って挨拶しました。


久し振りに歩いた~!ってな感想だが、汗かきまくりだったけどとても気持ちよく散策できました。

青森の誇る世界遺産を大事に守っていきたいものです。

仏ヶ浦

2011-02-26 00:04:10 | 観光地
「仏ヶ浦」に初めて行ってきました。


下北半島の西部、左井村の海岸沿いにある仏ヶ浦。
下北国定公園の中に位置し、天然記念物に指定されている。


県道46号線から県道253号線を通り、また国道338号線に乗り換えるのだが、峠道が多くて結構疲れる。
国道338号線を脇野沢を通った方が近いかもしれないが、こちらの道は冬季閉鎖しているので使えない。

勝手な推測で、仏ヶ浦の海岸沿いまで車で行けるものだと思ってたが大間違いで、駐車場から15分ほど歩かなければならない。
しかも国道から駐車場までの距離は雪が積ってて行けないので路駐することに・・・。

駐車場地点は全くの山中である。
ここから海岸まで、といっても断崖絶壁を下るわけである。
歩道はちゃんと整備されているので問題ないが(まだ積雪あるけど)、なんと高低差100m近くあるという・・・。
行きは下りなので楽だが、帰りの登りは覚悟しておかなければならない。


歩道を下り、海岸に着くと、巨岩や奇岩に待ち受ける。
ここは地獄か、極楽か・・・。とにかくこの世の光景とは思えない。
三途の川の様にも思えなくはない(当然見たことないけど)、畏怖を憶える自然の芸術である。


「神のわざ 鬼の手つくり仏宇陀(ほとけうだ) 人の世ならぬ処なりけり」
と、かの詩人・大町桂月がこの地を訪れた時に読んだ歌碑もある。

「仏宇陀(ほとけうだ)」はアイヌ語で「仏のいる浜」という意味で、古くからここは「ほとけうだ」と呼ばれていたが、その後「ほとけがうら」に変化したようだ。


海岸沿いには地蔵堂があり、地蔵が祀られている。
むつ湾で水死、または自殺で亡くなった遺体がこの地まで運ばれてくるようだ。
なので地蔵が供養の為に祀られているとの事。

ちなみにここは心霊スポットとして有名だとか。


仏ヶ浦の奇岩は約2kmに及ぶので、海岸沿いからはあまり全貌を臨むことは出来ない。
なので海上遊覧船から見るのもまたいいものらしい。

遊覧船は4月下旬から10月下旬まで、左井村港から出発し、仏ヶ浦を遊覧したあとに海岸散策して戻るコースが1時間半ほどで、1人2300円で乗れます。


しかしながら、海岸散策だけでも十分に堪能できます。
この低性能の写メだと映り悪くて良さが全く伝わらないけど、予想以上に素晴らしくて感動してしまいました。

すぐ帰る予定だったけど、結構な時間散策しました。

それにしてもむつ湾ってこんなに荒れるのか!?とびっくりしました。
いつも穏やかーな浪打なのに、冬だからなのか、荒れ狂ってました。
そりゃこんな奇岩も出来るわけです。

夏場はあたりが緑が生い茂って、むつ湾も穏やかだろうとは思うので、その時は極楽浄土みたいに感じられるのかと推測されます。

しかし、今日のような冬の訪れは地獄かと感じました。
あたりは葉を落とした細い木々ばかりで寂しいもので、海は荒れ狂ってるから、ここは誰も寄せつけぬ存在感があります。まるで冥土のようです。

しかも実はこの海岸沿いに誰もいませんでした!!仏ヶ浦貸切状態です!!
貴重な体験です。ま、冬に来る奴はまずいないでしょうが。

十分に堪能したところで帰ることにしたが、登り道は地獄・・・。
さすがに途中の休憩場で一息つかないと倒れるところでした。


帰り道にカップルと擦れ違ったのですが、よく見ると外人サンでした。
誰も来ないかと思ってたら、この時期に外国人観光客とは!
仏ヶ浦をみてどう思ったのか聞いてみたかったですね。英語できないけど・・・。

      

「津軽」の旅(6)~「津軽」の像記念館

2009-12-08 23:05:51 | 観光地
太宰治生誕百周年記念企画「津軽」の旅・完全版。
最終回は小泊の「津軽」の像記念館です。

竜飛を後にし、国道339号線へ。そして、竜泊ラインで小泊へ・・・。
それが理想のコースなのだが、竜泊ラインは11月17日をもって冬季閉鎖!!
だもんで、また来た道を後戻り、ぐるりと北津軽を一周。

思いっきり遠回りしてようやく小泊へ。
この日の日本海は静かでした。真冬に訪れたらそりゃもう地獄の様な荒海なのだが、穏やかなもんでした。

途中、何の種類の樹木か知らんが、枯葉が落ちないで枝にしがみついた木が密集しており、それが小泊の禿山に覆っていたのは見事だった。決して美しいとはいえないが、風情があった。あれは何の木だろうか?

国道339号線を小泊の中心街へ。
これといって観光地もない小さい村であるが、「津軽」の像記念館への案内板が至る所にあり、迷う事も無く到着できた。ま、来るの三回目だし。

「再会公園」と名付けられている丘の上に再会の像がある。

「津軽」本編で、太宰は遂にたけと感動の再会を果たす。
風土記なのに、この劇的なクライマックスが待ち受けているのは作者の運命なのだろうし、それを作品にするのが作家の運命だったのであろうか。

太宰治が、たけに会いに小泊を訪れ、催し中の運動会を2人で黙って眺める様子が像になっている。

その像が建立されたのは平成元年で、周りは公園として整備されたが、観光客が多く訪れれる為、その後記念館が建設された。

記念館の外には幼少の頃と青年の頃の太宰治のバストアップの銅像と若き日のたけの銅像がある。
そして初めて中へ入る。
ま、入館者は他に誰もおりませんが。

まず、太宰について記した色紙や絵画など。
そして太宰が「津軽」で辿った足跡を知るコーナー。
その他、太宰とたけの年譜や写真などあり。

一番奥にはビデオ試写室。15分程度のたけの映像が流れるらしい。
実は閉館時間ギリギリに入ったので、15分も見たら閉館時間過ぎて迷惑かけそうだったから観なかった。

さらに太宰治の声をコンピューターで再現出来るみたいなコーナーもある。
なんか気持ち悪い声で、友人はガッカリどころか、耳塞いでしまった(子どもかっ!)

全体的に資料はかなり少ないですが、太宰を愛して「津軽」を愛してここまで辿り着いた人たちは熱狂的な太宰ファンだろうから、入っておいて損はないでしょう。

銅像の2人の視線の先は、運動会が行われた校庭を見ている。今もそこは小学校の校庭である。
その後ろ側には日本海が見える。

そんなわけで今回の「津軽」の旅は完結。
前回巡れなかった施設に訪れて大満足でした。
しかも天候がなんとか持ってくれて、斜陽館からずっと雨は降らず、「津軽」の像記念館を後にしたら大雨が降ってきたという、日頃の行いの良さが天候を変えてしまいましたとさ。

ちなみに、太宰は小泊にて本書をエンディングの地にしているが、その後弘前にも立ち寄っている筈である。
弘前での出来事が何も書かれないのは地元民としては寂しいが、あの感動の再会を締め括りとしているのは最もな事であるので、それは仕方ない事だと納得している。

私は太宰治の愛読者とは程遠い存在であるが、「津軽」の熱狂的愛読者と自負している。
「津軽」は何回読んだことか。

年を重ねるに連れ、改めて故郷の有り難さを深く重んじ、そして誇りに思うようになった。
それは色んな要因があるが、何より大きいのは太宰治が「津軽」に生まれ、「津軽」を愛し、「津軽」を書いたからである。
この半島には多くの歴史があって、そしてこれからも続いていく。
この大いなる田舎をこれからも愛して生き続けていくことであろう。

最後の最後に「津軽」より、たけと感動の再会を果たした後のクライマックスの文章を載せて終わりとします。

~私はたけの、そのように強くて不遠慮な愛情のあらわし方に接して、ああ、私は、たけに似ているのだと思った。きょうだい中で、私ひとり、粗野で、がらっぱちのところがあるのは、この悲しい育ての親の影響だったという事に気附いた。私は、この時はじめて、私の育ちの本質をはっきり知らされた。私は断じて、上品な育ちの男ではない。どうりで、金持ちの子供らしくないところがあった。見よ、私の忘れ得ぬ人は、青森に於けるT君であり、五所川原に於ける中畑さんであり、金木に於けるアヤであり、そうして小泊に於けるたけである。アヤは現在も私の家に仕へているが、他の人たちも、そのむかし一度は、私の家にいた事がある人だ。私は、これらの人と友である。
 さて、古聖人の獲麟を気取るわけでもないけれど、聖戦下の新津軽風土記も、作者のこの獲友の告白を以て、ひとまずペンをとどめて大過ないかと思われる。まだまだ書きたい事が、あれこれとあったのだが、津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽したようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。

終わり。

入館料・200円
開館時間・9:00~4:00(4月~10月は9:00~4:30)
休館日・毎週月・火曜日(10月~3月)、12月28日~1月4日
住所・中泊町大字小泊字砂山1080-1
電話・0173-64-3588

「津軽」の旅(5)~竜飛館

2009-12-05 01:38:10 | 観光地
太宰治生誕百周年記念企画「津軽」の旅・完全版。
第五回は三厩の竜飛にある「竜飛館」です。

「本覚寺」を後にし「義経寺」にも寄った。
「義経寺」は今年の2月に訪れてるので、詳しくは省略します(当ブログ参照)

義経寺を後にし、竜飛へ向かう。
国道339号線を西へ。国道なのに道路は狭くなるばかり。
そうして竜飛岬へ辿り着く。

余談だが、昼食をどこにしようか迷って迷っていつのまにか竜飛まで食わずにいた。
道の駅ならマシな食事にありつけるだろうと思ったが、道の駅三厩は冬季でもう営業しておらず・・・。
竜飛ホテルにでも行こうかと思ったが、岬の上にお土産屋が一軒だけ営業しており、そこでイカ焼と味噌しょうがおでんを買って岬の吉田松蔭など多数の石碑や砲台跡のある屋根付き休憩場で軽いお食事。美味かった。

この日の竜飛は静かであった。「そよ風」が吹いていた。こんな天気に義経は海を渡ったのかね。

そこから階段国道へ。
以前は積雪があったので通れなかったが、今回は無事通れた(下りは楽だが、上りはかなりキツイ!!もう二度とこの国道は歩きたくない)

その高台から見る集落の風景、まさに「鶏小屋」であった。
「小さい家々が、ひしとひとかたまりになって互いに庇護し合って立っているのである。」と太宰は書いているが、全くその通りである。

家々の隙間はほぼ無く、建て替えする時どうするのだろう?と余計な心配をしてしまうほどである。
このどこかの家族が「大改造!!劇的ビフォーアフター」でリフォームを頼んだら、タイトルはこうなるだろう。「極寒!鶏小屋のような家」。

その前に心配するのは火事である。一軒が火事を起したら、風の強い日だったら集落ごと全焼してしまいそうだ。

そんな無駄な杞憂を考えながら階段国道を下りると、その集落の中へ迷い込む。人の家の真ん前に国道が走っている。
誰が造ったのか知らんけど、ここらの住民にはいい迷惑だろう。

そして普通の国道へ抜ける。
そこから目指すは太宰治の文学碑。海沿いにあるのは知っていたので徒歩で向かった。

おや、右手に「津軽」の竜飛での一文が書いている塀があった。
その塀の奥には「奥谷旅館」と書いてある。
こりゃ調査不足だった。ここは太宰が竜飛に訪れた時に泊まった旅館で、今は「竜飛館」として無料開放している。

文学碑を拝んでからここへ。
入るまで未だに旅館を経営していると勘違いしてしまい、入るのをためらったが、無料だったので入館。

まず大きな画が出迎えてくれる。
高野元孝の描いた「北の浜」という油絵である。
こりゃ、見事である。冬の竜飛の厳酷さ、惨忍さを豪快に描ききっている。名画である。

そこから昔の竜飛の写真など。向かいにはテレビや映画で竜飛ロケをした際の演者のサイン色紙など。
隣には棟方志功も泊まった部屋(?)もあり。

そして奥には太宰とN君が泊まった宴席の様子を再現している。
ここでの様子が本文に楽しげに描かれているので、その一文をどうぞ。

~「歌を一つやらかそうか。僕の歌は、君、聞いた事が無いだろう。めったにやらないんだ。でも、今夜は一つ歌いたい。ね、君、歌ってもいいたろう。」
「仕方がない。拝聴しよう。」私は覚悟をきめた。
 いくう、山河あ、と、れいの牧水の旅の歌を、N君は眼をつぶって低く吟じはじめた。想像していたほどは、ひどくない。黙って聞いていると、身にしみるものがあった。
「どう? へんかね。」
「いや、ちょっと、ほろりとした。」
「それじゃ、もう一つ。」
 こんどは、ひどかった。彼も本州の北端の宿へ来て、気宇が広大になったのか、仰天するほどのおそろしい蛮声を張り上げた。
 とうかいのう、小島のう、磯のう、と、啄木の歌をはじめたのだが、その声の荒々しく大きい事、外の風の音も、彼の声のために打消されてしまったほどであった。
「ひどいなあ。」と言ったら、
「ひどいか。それじゃ、やり直し。」大きく深呼吸を一つして、さらに蛮声を張り上げるのである。東海の磯の小島、と間違って歌ったり、また、どういうわけか突如として、今もまた昔を書けば増鏡、なんて増鏡の歌が出たり、呻くが如く、喚くが如く、おらぶが如く、実にまずい事になってしまった。私は、奥のお婆さんに聞えなければいいが、とはらはらしていたのだが、果せる哉、襖がすっとあいて、お婆さんが出て来て、
「さ、歌コも出たようだし、そろそろ、お休みになりせえ。」と言って、お膳をさげ、さっさと蒲団をひいてしまった。さすがに、N君の気宇広大の蛮声には、度胆を抜かれたものらしい。私はまだまだ、これから、大いに飲まうと思っていたのに、実に、馬鹿らしい事になってしまった。
「まずかった。歌は、まずかった。一つか二つでよせばよかったのだ。あれじゃあ、誰だっておどろくよ。」と私は、ぶつぶつ不平を言いながら、泣寝入りの形であった。

続く。

入館料・無料
開館時間・9:00~16:30
住所・外ヶ浜町三厩龍浜59-12
電話・0174-31-8025

「津軽」の旅(3)~観瀾山

2009-11-30 15:03:09 | 観光地
太宰治生誕百周年記念企画「津軽」の旅・完全版。
第三回は蟹田の「観瀾山」です。

「芦野公園」を後にし、北上。
国道339号線から県道12号線へ。ここからひたすら東へ進むと陸奥湾へ辿り着く。
国道280号線に入ってすぐ左手に「観瀾山」が見えてくる。

「観瀾山」は標高40mほどの小高い丘で、頂上部は公園として整備されている。
蟹田町の集落や陸奥湾を一望出来、天気のいい日は夏泊半島や下北半島、そして北海道まで望める。
目の前は海水浴場で、「トップマスト」という観光案内所もある。

前回の「津軽」の旅では積雪の為に観瀾山に登るのを控えてしまったのが悔やまれてならなかった。
今の時期は積雪の心配などないので、車で頂上まで上った。
もちろん歩いてでも登れます。

山頂部からの景色はそれは素晴らしいものだが、天候は曇っていたので、好天ならさらに楽しめたであろう。雨降るよりはましであるが(この日の天気予報は雨だったので)。

太宰は「津軽」文中で、「蟹田ってのは風の町だね」とつぶやいているが、この日はおそろしく無風であった。そして曇天も相まって、蟹田の町は静かで寂しいように見受けられた。

中腹部には神社があり、山頂部には三十三観音石像もあった(だが観音堂はなかった)。

山頂には様々な人物の石碑があり、そして目当ての太宰治の石碑は一番見晴らしのいい場所にあった。
石碑には太宰の作品「正義と微笑」より、「かれは、人を喜ばせるのが 何よりも好きであった」の一文を、佐藤春夫が題字をとっている。
太宰治の作家人生そのものを表わした言葉である。

太宰はこの「津軽」でまず蟹田を訪れている。中学時代の唯一の友人と称してるN君に会う為にである。
N君の家で酒を酌み交わした次の日に、この観瀾山に花見に訪れている。
N君、T君、Sさん、Mさんと一緒に花見をしながら大いに語り合い、酔った太宰は暴言を放っている。
太宰についてそんなに詳しいわけでもないので理由は知らなんだが、太宰は志賀直哉を目の敵にしていて、志賀直哉が東京どころか、この蟹田の青年たちにまで評価されていたのが腹立たしかったらしい。
最後にそのユーモラスな事件の一文を紹介しておく。

~「僕の作品なんかは、滅茶苦茶だけれど、しかし僕は、大望を抱いているんだ。その大望が重すぎて、よろめいているのが僕の現在のこの姿だ。君たちには、だらしのない無智な薄汚い姿に見えるだらうが、しかし僕は本当の気品というものを知っている。松葉の形の干菓子を出したり、青磁の壼に水仙を投げ入れて見せたって、僕はちっともそれを上品だとは思わない。成金趣味だよ、失敬だよ。本当の気品というものは、真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ。土台に、むさい大きい岩が無くちゃ駄目なもんだ。それが本当の上品というものだ。君たちなんか、まだ若いから、針金で支えられたカーネーションをコップに投げいれたみたいな女学生くさいリリシズムを、芸術の気品だなんて思っていやがる。」
 暴言であった。「他の短を挙げて、己が長を顕すことなかれ。人を譏りておのれに誇るは甚だいやし。」この翁の行脚の掟は、厳粛の真理に似ている。じっさい、甚だいやしいものだ。私にはこのいやしい悪癖があるので、東京の文壇に於いても、皆に不愉快の感を与え、薄汚い馬鹿者として遠ざけられているのである。「まあ、仕様が無いや。」と私は、うしろに両手をついて仰向き、「僕の作品なんか、まったく、ひどいんだからな。何を言ったって、はじまらん。でも、君たちの好きなその作家の十分の一くらいは、僕の仕事をみとめてくれてもいいじゃないか。君たちは、僕の仕事をさっぱりみとめてくれないから、僕だって、あらぬ事を口走りたくなって来るんだ。みとめてくれよ。二十分の一でもいいんだ。みとめろよ。」
 みんな、ひどく笑った。笑われて、私も、気持がたすかった。~

続く。

「津軽」の旅(2)~芦野公園

2009-11-29 17:57:06 | 観光地
太宰治生誕百周年記念企画「津軽」の旅・完全版。
第二回は金木の「芦野公園」です。

「斜陽館」を後にし、それから近くの「雲祥寺」にも訪れ(ここでの詳細は後述します)、それから「芦野公園」を訪れた。

斜陽館からは車で5分足らずであろうか。
場所は国道339号線沿いにあるので迷う事はない。

芦野公園は県立の公園で、100haの広大な面積を誇り、桜の名所100選にも認定されており、人工湖の「芦野湖」も見渡せ、キャンプ場や小さい動物園もある観光名所である。

太宰は幼少期の頃によくここで遊んでいたと書いているが、とはいえ、「津軽」本編では「芦野公園」には訪れていない。
しかし、五所川原に立ち寄った後に小泊へ向かう途中、電車が芦野公園駅に停車しており、そこでのエピソードが少しばかり記述されている。

今年の生誕百周年を記念して、新たに太宰治の銅像が園内に構えたとの事で、それも観たいと思ったので、「津軽」本編では全く重要でないけれども訪れるにした。

駐車場の前には食事所が3軒ほど連なっており、今年は繁盛しただろうと予想される。

無人の駅舎の隣には「駅舎」という名前の喫茶店もある。
ここも今年は繁盛・・・。ま、あとは言うまい。
だが、本当はゆっくりとカフェラテでも飲みたかったところだが、先を急いでいたもので、今回はパスした。

芦野公園は桜の木が2200本もあり、本数では弘前公園に並ぶ勢いであるが、素人ながらソメイヨシノらしき木を観察したが、剪定が下手だなぁと感じた。バッサリ切り過ぎだ。

花見といえば弘前公園以外に考えられないのが地元民としては当然であり、ソメイヨシノが満開の時にわざわざ弘前以外に花見に行く事は一生涯あり得ない事だろうかと断言出来るので、桜の良し悪しが弘前公園と比べた事がないので、他の桜の名所の事を観もしないで文句を言うのもいささか抵抗があるが、世間一般的に弘前公園が日本一の桜の名所とされているので、その桜を生まれてから毎年観続けてきた自分のこの観察眼もあながち節穴でないように思われる。
弘前公園の桜の剪定技術を学びに日本全国から桜の管理者が訪れるほどであるが、弘前から程遠くないこの地に弘前の剪定技術が伝わってない筈もなかろうが、それでもこの公園内の桜は枝があまりに少ないと感じた。ま、あくまで素人意見である。
フォローするわけではないが、松の並木は良かった。

動物園というにはあまりに小さ過ぎる、動物がいる檻の固まりである。
鹿やヒグマなど数えるほど。冬はどうするんだろうか。豪雪地域とまではいえないが、ここらあたりでも随分降雪はある。
覗いたらヒグマ2頭はこちらをぼんやりと眺めていた。ところで動物園でもヒグマは冬眠するのかしら?

そんな動物達に別れを告げ、銅像がある方へ。
一度訪れた時は真冬だったので、雪藪を漕いで歩いたっけ。

芦野湖に架かる橋がある手前に太宰治の文学碑があり、ヴェルレーヌの詩「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」の一文が彫られている。

その隣には新設の太宰治の銅像が建てられていた。
この銅像を作るに当たってのドキュメント番組を見たが、詳しく憶えていない・・・。

二重マントに下駄の、斜に顔を向ける物憂げなお馴染みの太宰治像である。
辛酸なめ子もうっとりのスラリとしたいい男である。

この銅像を後にし、次なる目的地へ向かう事にした。

最後に本編においての芦野公園駅についての出来事を書いた一文を。

~金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言われ憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言い、駅員に三十分も調べさせ、とうとう芦野公園の切符をせしめたという昔の逸事を思い出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥えたまま改札口に走って来て、眼を軽くつぶって改札の美少年の駅員に顔をそっと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くような手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちっとも笑わぬ。当り前の事のように平然としている。少女が汽車に乗ったとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待つていたように思われた。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違いない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もっと大声で、芦野公園と叫んでもいいと思った。~

続く。

「津軽」の旅(1)~斜陽館

2009-11-28 14:29:55 | 観光地
太宰治生誕百周年記念企画「津軽」の旅・完全版。
第一回は太宰治記念館「斜陽館」です。

今年は太宰治生誕百周年として、各種メディアで様々な特集が組まれていました。
今更太宰治について語るのもナンセンスでしょうし、そもそもそんなに読書を好むほうではない自分にとって、太宰治も代表作を数作しか読んでないので語るほどの知識もないわけですが。

それでもとりわけ太宰作品で一番好んでいるのは「津軽」です。
「津軽」は基本的に風土記ですが、小説、歴史書、日記、エッセイなど色んな側面を見せており、太宰治の郷土愛や生い立ちを知ることも出来る異彩を放った作品となっております。

舞台はもちろん津軽地方であり、生家のある金木を始め、蟹田、今別、三厩、木造、鯵ヶ沢、深浦、五所川原、小泊と、津軽半島一周を旅し、思慮深くドラマチックでユーモラスに描かれています。

去年の冬に数日掛けて「津軽」の旅を敢行した事があり(当ブログ参照)、津軽の新しい魅力を垣間見る事が出来ましたが、しかしながら旅するに当たり、「津軽」を読み返す事もなく、旅先の目的地について何ら調べることなく場当たり的に見切り発車で出発したもんだから、「津軽」で紹介されていた重要な寺院などに訪れるのを忘れていたので、今回太宰治生誕百周年も手伝い、リベンジを兼ねて改めて「津軽」に登場する観光地巡りをしたいと思います。それも1日で!!

朝7:00起床し、8:00に友人を迎えに行き、金木に向けて出発。
今回は前回と違い、友人と一緒に観光します。
この友人は太宰治の熱烈な愛読家であり、ほぼマニアの域にまで達しており、太宰治検定で99点を採ったほどの太宰についての豊富な知識を持ち合わせているので、一緒に巡ったら数倍楽しいだろうとの事で誘いました。

天気はあいにくの小雨でしたが、これ以上悪天にならぬことを祈りつつ、なんだかんだで金木の斜陽館へ到着。

斜陽館は太宰治の生家であり、その後旅館に変わりましたが、現在、太宰治の記念館として金木の一大観光地になっております。
「斜陽館」という名はもちろん太宰の代表作「斜陽」から採られています。
2004年に国指定重要文化財に指定されました。

過去2回ほど入った事がありますが、外観からして豪華絢爛。金木町に全く似合わない、この建物だけ町から浮いている感覚すら覚えるほどの大豪邸です。

開館時間すぐに入館したので他の観光客は誰もおりませぬ。
厳冬期以外のシーズンであったら観光客が溢れるこの斜陽館は、太宰治生誕百周年もあって、特にねぶたシーズンは行列が出来るほどに賑わってたみたいだが、さすがにこの時期の開館時間すぐだったから貸切状態でした。

まず長い土間を歩き、座敷に上がってから、蔵の展示室へ。蔵の2階にも展示室あり。
展示室には着物、書簡、太宰の小説本が多く展示しております。
和室を通り、2階へ。2階もだだっ広く、部屋数多し。
中には洋室もあり、格式の高さを窺えます。
一階へ下り、仏間、茶の間を通り、また土間へ。
期間限定で、離れた蔵でも様々な太宰関連の展示をしてました。
休憩室では太宰についてのビデオが流れてます。

建築物自体が豪華で格式がありますが、個人的には装飾の壷や、書画が気になりました。
中島誠之助や安河内眞美に一軒まるごと鑑定して欲しかったもんです。

こんな大豪邸で太宰治は幼少期に過ごし、如何に人格形成が偏屈になってしまったかを推測出来るかと思います。

太宰は蟹田、今別、三厩を旅した後でこの生家に帰ってきます。
心中騒動や薬物中毒で、太宰は家族に迷惑千万をかけているので、兄弟、特に長兄との関係は良かったはずもありません。
それでも兄2人と、姪っ子のお婿さんと酒を交わすシーンがあり、ここがまた笑えますので、最後にその中でもこの生家について語った一文を紹介してこの記事を締めたいと思います。

~金木の生家では、気疲れがする。また、私は後で、こうして書くからいけないのだ。肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生きて行けないという悪い宿業を背負っている男は、神様から、そのふるさとを取りあげられる。所詮、私は、東京のあばらやで仮寝して、生家のなつかしい夢を見て慕い、あちこちうろつき、そうして死ぬのかも知れない。~

続く。

入館料・500円
住所・五所川原市金木町朝日山412-1
電話・0172-53-2020
開館時間・9:00~17:00(5月~10月は8:30~18:00)
休館日・12月28日

津軽富士見湖~鶴の舞橋

2008-05-10 12:59:05 | 観光地
鶴田町にある「津軽富士見湖」に行く。

「津軽富士見湖」は人工湖の廻堰大溜池である。
自然の貯水池だったこの場所を、津軽四代目藩主信政の任命によって堤防を築いた用水地となった。
その後は堤防決壊などにより、県営、国営事業に切りかわり、現在の堤防を築いた。
今も津軽の田畑の補給用水の重要な役割を担っている。
ちなみに、堤防の長さとしては日本一だとか。

この津軽富士見湖に掛かる木造の橋が「鶴の舞橋」である。
全長300mの太鼓橋。全ての木材は青森県産ヒバを使用。平成6年完成の新しい橋です。
途中休憩場もあり、この池にある伝説が書かれている看板がある。

清水城城主と恋仲にあった白神姫が恋に破れ、この池に投身して命を絶ち、その後竜神となったという悲恋話。

この橋の位置から丁度岩木山が拝めますが、何せ鶴田から見た岩木山は弘前から見るのと大違い。でもいい山なので、天気が良かったらとてもいい見晴らしであります。
橋を渡るとピクニック広場やアスレチックなどがあり、家族連れの遊び場として楽しめそうです。

橋を往復して戻ると、近くに丹頂鶴自然公園があります。こちらは大きなゲージに仕切りが何個かあり、二羽ずつ分けて飼育されてます。つがい同士や、子ども別に分かれていると思います。
鶴はイメージそのままの美しい肢体を持っています。泣き声はとても大きくて荘厳な感じです。子どもと親が柵で別々に飼われているのですが、えさの魚を柵を越えて子どもに渡していたのを見たのはちょっと感動した。
今の時期からか、オスらしき鶴はかなり気が立っていて、常に人間を警戒していました。
昔はここまで鶴が越冬のために渡ってきたというのが何だか不思議に思います。

宿泊や日帰りのみの温泉を堪能出来るつがる富士見荘もあって便利です。近くには八重桜らしき桜が満開でとても綺麗でした。

住所・鶴田町廻堰字大沢71-1

弘前カトリック教会

2008-05-07 20:41:31 | 観光地
弘前の教会巡りの最後を締めくくるのは「弘前カトリック教会」です。

かなり前に行って、記事書くの忘れまして、建物も忘れてしまったので再訪しました。
場所は百石町にありますが、かなり狭い小路にあり、こんなところに教会があったとは全然知らなかった。
「弘前教会」から結構近くにあります。隣が付属の幼稚園になっていて、向いにも修道院があります。

1910年にオージェ神父が設計、堀江佐吉の弟の横山常吉が施工。
木造モルタルのロマネスク様式を取りいれている。

はっきり言って、外観はそんなに美しくはありません。洋館だなと思うくらい。十字架があるので教会だとわかる程度です。建物が小規模なのもあるからでしょう。
しかし、内観は驚きです。扉を開けるとまず玄関があり、更に扉を開けると聖堂があります。

入るとまずは、上部横のステンドグラスに目がいきます。こちらは1984年にに左側、1993年に右側のステンドグラスが作られました。
比較的最近取り付けたものですが、昼間に訪れると、太陽光を存分に浴びたステンドグラスがカラフルに存在を示しています。24枚ほどあり、18の場面ごとにストーリーがあります。旧約聖書から、キリストの誕生・処刑・復活まで、そして岩木山とともに弘前を描いたものもあります。

内装は白の壁と茶色のイスやアーチ形の柱のツートーンにカラフルなステンドグラスが映えます。右手にもキリストの生涯を表した小さな絵画が10数枚あります。

そして祭壇です。これがまた見事なものです。
オランダのアムステルダムの聖トマス教会にあったものを譲り受け、更に建築家イ・ア・オールの手によって1866年に完成。当時の展覧会で最優秀賞を受けた貴重なものです。
高さは8mほどあり、天井ギリギリまで聳え立つゴシック様式です。これはかなり美しさです。
天使や弟子たちの像も見事な彫刻で、祭壇も像も全て楢の木で作られています。祭壇から外れた両側には聖母像とヨゼフ像が構えております。祭壇だけ見ていくだけでも価値があります。

更に内部の後方には、日本画の聖母マリアの絵画があります。これは珍しいのではないでしょうか。
作者などの詳細は不明ですが、なかなかいい絵です。日本的な服装のマリアが見ものです。

そんなわけで弘前教会巡りも大満足でした。こちらのカトリック教会は内部だと弘前一美しいです。
外観は昇天教会が一番でしょう。弘前教会はプロテスタントらしくあっさりしている。カトリック教会はまず見た目の美しさから興味を持ってもらうというカトリックらしさから布教にも大いに役立ったことでしょう。

キリスト教徒でなくても、美しい建築や美術を見て感動する心は万国共通です。こちらの教会も日中なら無料見学でき、写真撮影もOKなので、気軽に立ち寄ってみるのがいいでしょう。

最後に。キリスト教は傍から見ると最高の芸術文化である。

住所・弘前市百石町小路20
電話・0172-33-0175
見学時間・6:00~18:00
休館日・日曜・祝日

弘前昇天教会

2008-04-04 01:38:28 | 観光地
弘前教会巡り第二回目。
「弘前昇天教会」という素敵な名前の教会。弘南鉄道中央弘前駅のすぐそばにある。

外観は赤茶色のレンガ造りの美しいもの。誰が見ても歴史と神秘さを感じられであろう。

最上部には、聖鐘があり、毎朝夕に鐘の音が響くというが、聴いた事無いわ。
建物内部に鐘を鳴らす綱がありますが勝手に鳴らしちゃいけません。

こちらの教会は、1921年に、アメリカの宣教師シャーリ・H・ニコル司祭の指導のもとに建築された。設計者はジェームズ・ガーディナー。建造は大工の林緑。

昇天教会は聖公会に属している。よくはわからないが、ローマカトリックの分派でありながら、プロテスタント寄りの姿勢も見せており、実際、カトリックとプロテスタントの架け橋的、中道主義の教会だと言う事です。
「昇天教会」が中道の聖公会で、「弘前教会」がプロテスタント、そして「カトリック教会」もあるので、弘前は各分派の教会があることになり、しかもそれぞれが歴史的価値のある建造物なのが素晴らしいですね。

いつもそうだけど、キリスト教徒でもない自分が、建築としての興味だけで中へお邪魔するのは畏れ多くて躊躇してしまうのだが、割り切って中へ。
まずドアを開けて玄関。更にドアを開けると、休憩室のような様な場所がある。教会の歴史やら、写真やら、教会内外の活動などが詳しくわかるような本やチラシなどがたくさんある。ここで仲良くお話とか出来そうな部屋である。こちらの部屋の襖を開けると、聖堂内部へ。

聖堂は神々しい雰囲気がすぐ様分かるほどの美しさ。青森産のヒバを使用した柱や梁、イスの茶色、そして壁のレンガの茶色と、壁や天井の白のツートンカラー。吊るし電球もキラキラでキレイ。
祭壇は神が降臨しそうな円筒状になっており、聖母子像の絵画も飾られていて、畏怖感をおぼえた。

この聖母子像のほかにも、たくさんの絵画がある。ウィリアム・ホーマン・ハント作の「世の光」なる聖画。
ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の「最期の審判」部分の絵画。
誰だかの多分「最期の晩餐」と思われる絵画。全部コピーだろうけど、いい絵なのでそれはそれで良い。

リードオルガンは120年前のもので、同一機種は日本にないという価値の高いもの。今直現役中です。

何に使われるのかは不明だけど、一畳の畳を四分の一ぐらいに切り取ったミニサイズの畳がたくさんあった。襖の使用もそうで、こちらも他の教会と同じで、和洋折衷が素敵。

昇天教会は外観、内観ともにかなりの様式美を誇っていて、惚れ惚れしてしまいます。こちらの教会もフラッと入れるので、異教徒でも気軽に寄ってもいいでしょう。

最後に。キリスト教は傍から見ると最高の芸術文化である。

住所・弘前市山道町7
電話・0172-34-6247
見学時間・9:00~16:00
休館日・日曜日、司祭不在時