卍の城物語

弘前・津軽地方の美味しいお店と素晴らしい温泉を紹介するブログです

曹洞宗 中野山 大正寺 中野不動尊

2013-09-01 00:38:52 | 神社・仏閣
歯痛い。多分虫歯だな。
治療する暇ないので冬まで我慢する。
更に差し歯も取れ掛けてるし…。冬まで持てばいいですけど。ま、どうでもいい話。





だいぶ前の福島観光の時にこちらの「中野不動尊」に立寄りました。




もともと行く予定は無かったのですが、信号待ちしてたら案内看板が見えて、信号待ちしながら暫し考え、予定したより時間にも余裕があったので急遽ハンドルを切って導かれるように向かいました。




開山820年の中野山にある不動尊で、日本三大不動尊の一つです。


境内には厄除け・眼守・三ヶ月の三不動が祀られており、厄除けや病気平癒の霊験あらたかで、六三除けという秘法はここで生まれたと云われています。


順路に沿って進むとまず祈祷殿があります。

ここには眼守不動明王が祀られています。


続いて大日堂があります。

本尊の大日如来が祀られていますが、開帳は20年ごとだそうです。


大日堂の階下に奥の院があり、不滅の聖火が燃え続けています。

ここには三ヶ月不動明王が祀られています。


不動の滝もあります。

滝修行の場所でもあるそうです。


大日堂と不動の滝の真下には洞窟があります。

洞窟には三十六童子が祀られています。

洞窟めぐりはとても楽しいです!
迷路みたいになってて、出入り口が何ヶ所もあってダンジョンみたいで不謹慎にも楽しめます。


続いて「あんど釜」という巨大な釜があります。

弘安時代、疫病が蔓延した際に、山主が不動明王のお示しにより薬草を釜で煎じて病人に飲ませたところ忽ち治って安堵した、というところが語源の釜です。


最後に本堂に着きます。

本尊の厄除不動明王が祀られています。
本尊開帳は毎年二月から三月の間で、歳祭りとして盛大に賑わうとの事。



ふらりと立寄った不動尊でしたが、見どころは多かったです。


もちろん全てのお不動様には福島の復興を願いました。


道中に運動公園を通りかかったのだが、放射能の除染中で使用不可能となっていました。


全く先の見えない現状ではありますが、それでも1日も早い復興を神頼みします。



住所・福島県福島市飯坂町中野堰坂28
電話・024-542-2100
拝観時間・8:30~17:30(冬季は~16:00)
定休日・無休
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金塔山 恵隆寺 立木観音

2012-03-21 00:04:07 | 神社・仏閣
東北大震災一周年復興祈願企画「福島の旅」で次に訪れたのがこちらの「恵隆寺(えりゅうじ)」の「立木(たちき)観音」です。


拝観時間が16時までなので急いで行きました。
なんとか10分前に到着!


境内に入って真っ直ぐ進むと正面に観音堂があります。


観音堂は施錠されており、拝観の人はインターホンを鳴らすようにとの事で、しばらくすると若い住職らしき人が出てきました。

拝観料300円を支払って堂内へ。

堂内を見渡しても観音様の姿は見当たりません。
住職は一礼してから幕を引き上げます。
するとどうでしょう!高さ8.5mの超巨大観音様が現れました!!
しかも左右には脇侍の二十八部衆と風神雷神像も!!これは圧巻です!!



大同3年(808年)、弘法大師が桂の大木より一木彫りで作られたとの事です。

十一面千手観世音菩薩像はあまりに巨大。国内最大ともいわれています。
根の付いた状態で彫られたので立木観音と呼ばれたようです。

歴史が深いのにこの状態のよさは素晴らしいです。
手前の幕が湿気と直射日光から守られて保存状態が言いのだそうです。


脇侍の二十八部衆は千手観音像を掘った一木の枝から作られたようです。
こちらも歴史が感じられる立派なもので、極彩色のカラーリングの発色も未だ鮮やか。
自然の草木から抽出された色なので、一体に5年かけて色付けされたようです。
二十八部衆を安置しているのは「三十三間堂」と「清水寺」とここだけとのことだ。

 
 (二十八部衆の一部)

左右高部に風神像と雷神像も見下ろしている。
どちらも2m近い高さがある。


堂内に入ると住職のアナウンスが入ったテープが流される。

ちなみに堂内は撮影禁止です。


天気も悪かったし、拝観時間ギリギリだったので誰も居らず、貸切状態で拝まさせて頂いた。

大震災や原発問題というこういった最悪の状況に陥った時の為にこそ、観音信仰が昔からあるのである。
自分も心から復興と死者の魂が浮かばれる様に願った。


ちなみに堂内に「抱きつき柱」という抱きつけば願いが叶うという柱があるが、住職の前では恥ずかしくて抱きつけなかったという・・・。


時間も過ぎてたのに拝観させていただいた住職に感謝です。


ちなみに、境内には本堂の大日如来像、三仏堂の阿弥陀如来と薬師如来、三重塔、旧五十嵐家住宅など他にもみどころたくさんあります。


会津の名仏ここにあり!!わざわざ遠出してここまで来た甲斐が充分にありました。

 
 (撮影禁止の為画像はHPより)


住所・福島県河沼郡会津坂下町大字塔寺字松原2944
電話・0242-83-3171
拝観時間・9:00~16:00
拝観料・300円
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蕪島神社

2012-02-03 00:28:42 | 神社・仏閣
八戸に遊びに行った際に訪れたのが「蕪島」です。


ウミネコの繁殖地として有名な蕪島は天然記念物に指定されている。


陸続きで、階段を登ると頂上に神社がある。

弁財天を祭っており、弁才天は漁業の神でもあって、ウミネコは神の使いとして大事にされているのである。


とはいえ、訪れた時にはウミネコは1羽もいなかった・・・。

そもそもウミネコは渡り鳥だと初めて知った・・・。

毎年2月下旬から4月中旬にかけて飛来し、5月ごろ営巣・抱卵、6月に孵化したヒナが7月には巣立ち、8月には島を離れていくそうである。

なのでウミネコを見るには春から夏にかけてしか無理なようです。


八戸は去年の震災で大きな被害を受けた。

海岸沿いは蕪島周辺しか見てないが、大震災から1年、その爪あとはあまり感じられなかった。

駐車場のアスファルトはベコベコになっていたので、地震の影響かと思われるが、眼前の海沿いでは船の往来がせわしなく見受けられる。


神社ではしっかりとお祈りして帰りました。


 
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小栗山神社

2012-01-02 13:22:35 | 神社・仏閣
先日「小栗山神社」に初詣にいってきました。

弘前市小栗山(こぐりやま)にあるそのまま小栗山神社。

アップルロード沿いに一の鳥居があり、そこから参道が続く。
車で中腹まで行けるが、歩いて杉林の参道を抜ける。


中腹には神社の由緒が書かれている。

明治までは十二所権現宮だったようで、熊野三山の御祭神である十二所権現を祀っていたようである。


津軽地方の伝説によると、ある三姉妹の神々たちは岩木山の神になりたがっていたが、競争の末に三女が岩木山の神となったため、長女が岩木山の見えない小栗山の神となり、次女が大坊の神となった。

その為、小栗山の氏子は岩木山参詣をしないそうである(大坊の人たちも岩木山参詣しないといわれているが、これはまた別の伝説による)。


階段を登りきると拝殿が迎える。
奥には小さな本殿がある。

左手には稲荷宮と山の大神の小さな堂があり、右手には八幡宮と神楽殿があります。

中腹には池と堂がある。

それに、台風19号で被災したのを記した記念碑もあった。

離れたところに戦死者を祀ったであろう鎮魂碑もある。


拝殿近くにはしめ飾りやおみくじなど置いてある売り場もあった。
おそらく正月だけ開いてそうだが。


一度は訪れてみたかったので、初詣も兼ねての参拝できて良かったです。

 
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高山稲荷神社

2011-07-03 01:11:18 | 神社・仏閣
謎多き神社「高山稲荷神社」に行ってきました。

つがる市の旧車力村の海岸近く、十三湖の南方に位置する奥津軽の神社です。

創建は江戸時代らしいが、詳しい歴史はよくわかっていないそうな・・・。


五穀豊穣、海上安全、商売繁盛のご利益があるとされ、御祭神はご本殿に祭られる全国稲荷神社の総本山・伏見稲荷神社と同じ稲荷大神です。


まず大鳥居を潜って広い境内に辿り着くと、巨大な社殿(?)が待ち構えます。

ここから参道を通り、急勾配の階段を登ります。
高台に着くと拝殿があり、周りにも小さな社殿がいくつかあります。
高台からは日本海が望めます。

そこから階段を下っていくと綺麗に整備された庭園があり、龍神宮があります。
ウミガメの剥製やら、浦島太郎みたいな像もあり、なんとも奇怪。

ここから先に進むと有名な千本鳥居が待ち受けます。
朱色に映える鳥居が千本、というのは過言で、二百本前後の鳥居がトンネル上のアーチになっていてとても美しいです。
鳥居は175cmくらいしかないので、長身の人は屈まないと潜れないという何とも日本人サイズになってる。
それにしても鳥居に蜘蛛の巣が多すぎる・・・。

千本鳥居を潜ると社殿があって、その先はまさに奇奇怪怪。
稲荷像と祠がずら~り並んでいる。
稲荷石像は状態の良いものから、破損したもの、そして首が取れたもの・・・、さすがに恐い・・・。

手前には小さな陶器の稲荷像が数百飾られてある建物があるが、これがまた物置みたいに雑然となっており、せっかくの大多数の稲荷像が可哀相な状態に・・・。
ミステリアスといわれればそれまでだが。

自分は訪れていないけど、更に奥に進むと祠や像の墓場みたいになってるらしく、これまた恐怖を呷るので近づかない方がいいかも・・・。


境内散策を終え、もう一つのみどころに向かう。
駐車場からすぐ近くの山側に登ると「チェスボロー号記念碑」がある高台に辿り着く。

明治22年10月、来航中のイギリス船「チェスボロー号」が遭難し浅瀬に座礁し大破する。
乗員23名中19名が波に呑まれるも、地元の漁師たちが救助の甲斐もあって4名が助かった。
しかしながら海に消えた19名の霊を慰めるための碑がある。


ついでであるが、その近くに展望台があるので登る。
まさに日本海に沈む日没を拝める絶好のスポットである。
ちょうど日没時だったのもあり、梅雨時期なのにこの日は晴れ間だったので、綺麗な日没を見れました。


土曜日に訪れたが、誰にもすれ違わなかったのもまた恐い・・・。
なんだかトワイライトゾーンな神社です。

でも千本鳥居を見るだけでも価値があるので、近くを通りかかった際は立寄ってみてはいかがかしら。

 
 (展望台から見える日没は絶景です)
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津軽一代様巡り(8)~弘前八幡宮

2011-01-18 01:04:29 | 神社・仏閣
シリーズ「津軽一代様」巡り。
最終回の「戌・亥」の一代様は「弘前八幡宮」です。


弘前市の田町方面から訪れると、八幡町の突き当たりに八幡宮はあるのだが、境内より300m以上手前に一の鳥居がある。

ここは交通量も多い道路だが、以前は参道だったらしく、ここら一帯が境内だったのだなと推測される。


二の鳥居を潜り、境内に入る。

右手が社務所になっており、左手が田代大神、高山開運稲荷神社、神楽殿や末社が幾つかある。

正面には拝殿があり、奥に唐門と本殿があります。


まずは弘前八幡宮の歴史から。

平安初期、坂上田村麻呂が蝦夷征伐で苦戦を続けた時、八幡村(現在の旧岩木町八幡)に小祠を建て、宇佐八幡宮を遥拝し武運を祈願したことに始まる。

慶長十七年(1612年)、津軽二代藩主信牧が弘前城を築くに際し、城の鬼門(東北方)を守護するため、それまで百年余大浦城の守護神として崇敬されてきた八幡宮の御神体を八幡村から弘前のこの地に奉遷した。

明治の神仏分離令により、境内参道の別当寺院は移転する。


雪が積っててちゃんと見れなかったが、本殿、唐門は桃山時代の様式で代表的な神社建築として、現在は重要文化財建造物に指定されている。


戌・亥の一代様であるが、これといって戌と亥の石像などシンボル的なものはない。
ま、強引に言えば、狛犬がありますが・・・。

とはいえ、ここの唐門前に座る狛犬は珍しいものであるようだ。

ここ弘前八幡宮、すぐ近くの「熊野奥照神社」、そして子の一代様「多賀神社」には市指定有形文化財の石造狛犬が各一対ずつある。
これら三体は石質、大きさ、形状共に酷似し、「寛文四年」作とある。
六基の狛犬の原材料の石材は津軽地方では取れない。
越前・越後方面より完成品として北前船によって海上輸送されて来たものであろうとの推測が強い。


戌・亥の守り本尊は「八幡大菩薩」である。

神道の八幡神と仏教の菩薩は完全に神仏混合と神である。

ここで少し「八幡大菩薩」の歴史を。

天応元年(781年)、朝廷は宇佐八幡(現在の大分県の八幡宮の総本宮)に鎮護国家・仏教守護の神として八幡大菩薩の神号を贈る。
これにより全国の寺の鎮守神として八幡神が勧請されるようになり、八幡神が全国に広まることとなった。
後に阿弥陀如来が八幡神の本地仏とされた。
平安時代以降、武士の尊崇をあつめて全国に八幡神社が勧請される。
明治元年(1868年)、神仏分離令によって、全国の八幡宮は神社へと改組されたのに伴って、神宮寺は廃され、本地仏や僧形八幡神の像は撤去された。
また仏教的神号の八幡大菩薩は明治政府によって禁止された。


八幡宮は全国の神社で一番多い。

鶴岡八幡宮が源氏の守護神とされているように、八幡神は武運の神として崇められて、全国に分祀されていったのである。


正月にここの前を通ったが、境内から溢れるほどの参拝客の行列が出来ていた。
ここら一帯はすぐ近くの「熊野奥照神社」以外は目立った神社や寺院がないのもあるし、古くからの八幡信仰も強いのか、多くの初詣客や参拝客が訪れる。

ここに訪れた時も少ない数ではあったが参拝客がいて、お守りを購入する人が多いのには驚いた。

古くから地元の神として愛されているのだろうと感じた。


というわけで、シリーズでお送りしてきた「津軽一代様巡り」は無事終了~!

それにしても誰が一代様の神社や寺院を制定したのかは謎であった・・・。

ま、自分としては津軽の歴史を含め、神道と仏教を勉強出来て何よりであった。


最後に一つ、これを言っちゃ元も子もない気がするが、決してこの決められた8ヶ所(最勝院を含め9ヶ所)にお参りする必要はないと思う。
それぞれの守り本尊が祀ってある神社や寺院が近くにあれば、そこに行けばいいのである。

一番大事なのは、参拝する心構えや信仰心であるから。

      

住所・弘前市八幡町1-1-1
電話・0172-32-8719
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津軽一代様巡り(7)~国上寺

2011-01-15 00:01:45 | 神社・仏閣
シリーズ「津軽一代様」巡り。
第七回の「酉」の一代様は、碇ヶ関古懸(こがけ)の「国上寺」こと「古懸不動尊」です。


場所は、国道7号線を大鰐方面から「道の駅いかりがせき」方面へ。
サークルKがある200mほど手前の左手に「古懸入口」と標識があるので左折して橋を渡る。
ここから道なり(カーブが多いがあくまで道なり)に500mほど進むとあります。


境内は、旧本堂、護摩堂、新本堂、薬師堂、山神堂、八幡宮社殿がある。

旧本堂は現在修復中であった。


まずは国上寺の歴史から。

610年、国家北門鎮護のため、聖徳太子の命を受け泰川勝公が開基。

建長六年(1254年)、北条時頼が本尊を現在地に奉移し、三森山不動院古懸寺とし、鎌倉将軍数代の祈願所とした。

天正十六年(1588年)、津軽為信が国上山不動院古懸寺と改め、津軽家領域安泰のため、更に仏殿、山門、護摩堂、大師堂などを造営し、津軽家歴代の祈願所とした。

明治二十六年(1893年)、火災のため本堂並びに仏堂を焼失。
消失をまぬがれた護摩堂を本堂として、昭和五十四年現本堂建立まで寺務を執行した。


護摩堂には不動明王像が鎮座されている。
これは不動明王立像と見受けられたので、本尊ではないだろう。

本尊は本堂にあるだろう。
本尊開帳は、正月と4年に一度の例大祭しか開帳されないとのことである。

本尊の不動明王坐像は、不動明王としては珍しく坐像である。なので「ねまり不動」と呼ばれている。

さらにこの不動明王坐像は「汗かき不動」とも呼ばれていた。

津軽家一代の祈願所だった国上寺の不動明王坐像は、突如として汗をかくことがあり、その時は津軽の地に異変が起こると信じられてきた。

実際は外気温によっての結露が原因であるが、昔の人々はそれを天変地異のお告げであると信じた。

寛永四年九月十日、津軽二代藩主信枚が不動尊参詣の為、ここにて祈願したが、不動明王は見事に汗をかき、そしてその時、弘前城の天守閣は落雷によって火災・爆発したのであった・・・。


酉の守り本尊・不動明王は大日如来の化身とされ、煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。


ここ国上寺の不動尊は「津軽三不動尊」の一つであり、他は黒石の長谷沢神社と中野神社である。
一木より三体の不動尊を造り、それぞれ三ヶ所に安置された。

酉年生まれのの一代様は国上寺だが、本来は守り本尊の不動尊が祀られている神社・寺院ならどこでもいいので、津軽三不動の他の二ヶ所にお参りするのもいいだろう。


ここは津軽には縁の深いお不動様である。

歴史的にも興味深いお寺なので、有り難くお参りされたし。

      

住所・平川市碇ヶ関古懸門前1-1
電話・0172-45-2446
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津軽一代様巡り(6)~大円寺

2011-01-12 01:39:16 | 神社・仏閣
シリーズ「津軽一代様」巡り。
第六回の「未申」の一代様は大鰐町の「大円寺」です。


ちなみに自分は申年生まれなのでここ大円寺が一代様です。
でも連れてこられた記憶がありませんが・・・。ま、どうでもいい話。


一大温泉街としての大鰐町も今ではあまり活気がないように見受けられる。
それでも自分は温泉好きとしては近場なので結構通っている。

そんな大鰐温泉街の中心地に「大円寺」はある。


まず大円寺の歴史から。

奈良時代、聖武天皇の国分寺建立に際し、本尊大日如来を阿闍羅山の大安国寺に安置したことに始まる。

後に大安国寺は荒廃し、鎌倉時代建久2年(1191年)、阿闍羅山千坊と称された「高伯寺」に移奉される。

慶安3年(1650年)に津軽三代藩主・信義が鷹の病気平癒を祈願したところ病は治り、これを喜んだ信義は、本尊を京都で補修させ、同年に御堂を現在の場所に建立し、高伯寺と本尊を移安。

明治4年(1871年)、神仏分離の際、弘前市から大円寺が移り、高伯寺の名は姿を消すことになる。


二体の仁王像が待ち構える朱色の大きな門を潜ると境内です。

境内には本堂、観音堂、金毘羅大権現、地蔵堂、社務所があります。


本堂には国指定重要文化財の津軽一の古仏「阿弥陀如来坐像」が本尊として祀られています。
金色に輝く大きな坐像は、どうみても阿弥陀如来像です。

でも未・申の守り本尊は「大日如来」ですよ。はて?

この大いなる謎なのだが、諸説あり、胎内仏として阿弥陀如来の胎内に大日如来が納められていたという説が有力だった。
だが近年の調査によって仏像内には何もなかったというのが証明されている。

また、これが現在最も有力であろう説ですが、真言宗では阿弥陀如来を大日如来に見立て、信仰してきたという歴史があると文献に載っていたようです。

大日如来は阿弥陀如来や不動明王に姿を変えるとされていると大円寺の住職も言うように、密教ならではの独自の解釈が形を変えて伝えられているようでした。


境内の観音堂の前には牛の石像があり、門にも牛頭が形取られています。

ここは未・申の一代様なのになぜ牛?はて?

その理由は、京都での修復を終えた阿弥陀如来像を牛が運んだきたので、それを労っての事だそうです。

ちなみに未・申に関するものはほぼ見受けられませんでした。
多分細部まで見渡せばあるかと思いますが、お守りくらいのものしかないのではなかろうか。


さて、本堂での参拝中、とある家族が仏前に座ってました。
そして住職が来られてその後、経を読まれました。
「家内安全~ナンチャラ~」と読んでいたので、家内安全諸々の祈願なのでしょう。

住職が経を読まれている中、そのお婆さんが手を叩いて拝まれていました!!
それも何度も!それはまさに神社参拝の如くです。

お婆さんが礼儀作法を知らなかったのか?
いや、そんな事はなく、実はここ大円寺では手を叩いての参拝が昔から行われているのです。

これは北東北の真言宗の一部の寺院で見られる独特の慣習です。

この参拝慣習は以前から知ってたが、初めて観たので本当に行われているのだと驚きと嬉しさがありました。


以上、大円寺は多くの謎を秘めた寺です。
仏教にちょっとした興味がある自分としては、はっきりいってとても面白い!

阿弥陀如来坐像は名仏であるから、大日如来に見立てて拝みに来るの面白いのではないでしょうか。

      

住所・大鰐町蔵館字村岡12
電話・0172-48-2111
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津軽一代様巡り(5)~白山姫神社

2011-01-10 01:05:54 | 神社・仏閣
シリーズ「津軽一代様巡り」の第五回は黒石の「白山姫神社」、通称「袋観音堂」です。

ここは午の一代様(守り本尊は勢至菩薩)です。


場所は、国道102号線から「落合・板留温泉郷」方面へ下りる。
落合温泉方面へ進むと「津軽伝統工芸館」が右手にあるので、その交差点を右折する。
400mほど直進すると左手に参道入り口があります。

「温湯温泉郷」の温泉街を通って行くことも出来るが、道は狭いしわかりにくいので、落合温泉方面の方がわかりやすいだろう。


参道入り口の一の鳥居の麓にある民家の雪かきしているオバサンに参拝する為に駐車していいか尋ねた。
「この大雪の中登るの!?」と驚きと呆れられたようであった。

それもそのはず、ここ数日の大雪で、参道は雪藪になっている。
しかもここは参道が急勾配の難所であり、冬はほぼ参拝客はいない。

オバちゃんには自分がよほど信仰心が強い人間に思えたか、もしくはただのキチガイにでも思えたか。


一の鳥居を潜るとすぐに大イチョウが左にあらわれる。
見事な大イチョウである。

もともとはこの大イチョウの近くに観音堂があった。
今は現在地にあるのでここには何もない。

ここから100mほど田んぼの中を歩く。
田んぼといっても今はただの雪藪である。

ここは「津軽三十三観音霊場」の二十七番札所なので、以前訪れた事がある。
その時も真冬だったので、軽装の自分は雪中行軍よろしく、ひどい目にあった。

なので今回一応長靴を持参したが、長靴では歯が立たなかった・・・。
何せ膝まで積雪があったくらいだ(これからもっと雪は積るだろうからまだマシだったが)。

田んぼを抜けるとここから林の中の登り道になる。
ここもまた急勾配であり、林に囲まれているので積雪こそ少ないが、非常に大変な参道である。

山の中腹にある神社(観音堂)まで300mの登り道は危険である。
夏場でもこの参道は急勾配できついだろうが、冬道だと尚更である。

参道には雪に埋れた三十三観音石像があり、なんとか後押ししてもらう。


そんな中なんとか辿り着いた。

社殿兼観音堂と奥に本殿、左手に神楽殿がある。

狛犬と馬の石像が二対ずつあるが、馬の石像には帽子(キャップ)が被せられている。
積雪から守るために「笠地蔵」よろしく、午年の一代様らしく、大事に扱われている。


さて、白山姫神社(袋観音堂)の歴史を。

大同年間(806~810年)、坂上田村麻呂がこの地に陣を張った際、袋に入れた勢至観音像を大木にかけて祈願し、創建した。

文明年間(1469~1487年)に南部光政が袋観音大菩薩の御堂を再建。

正徳元年(1644)には、津軽三代藩主信義が津軽三十三観音札掛所に指定される。

天明八年(1788年)、もともとイチョウの木があった所から現在の場所に移建される。

明治初期、袋観音堂は白山姫神社に改称する。


袋観音堂の本尊は「馬頭観世音菩薩像」である。馬の一代様だけに?

でも午の守り本尊は「勢至菩薩」である。

もともとあった本尊は弘法大師作といわれる「勢至菩薩像」、そして「千手観世音菩薩像」であったが、二つとも失われたといわれる。
その後今の馬頭観世音菩薩像が本尊になったとの事。


この急勾配の雪藪の参道を登ってきただけあり、感慨もひとしおだが、急いでいたのですぐ帰路につく・・・。


誰も真似しないとは思うが、真冬にここに訪れるのは危険なのでやめましょう。
それでも来たい人は登山覚悟の防寒対策万全に期す事を注意しておきます。

      

住所・住所・黒石市袋字富岡185
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津軽一代様巡り(4)~橋雲寺

2011-01-09 00:48:33 | 神社・仏閣
シリーズ「津軽一代様巡り」の第4回は、旧岩木町の「愛宕山橋雲寺」です。
辰巳の一代様です。

場所は、県道3号線を岩木山方面へ走らせ、旧岩木町の賀田地区に入ると右手にローソンとみちのく銀行があるので、その交差点を右折する。
二つ目の信号があるT字路を左折し、ここから道なりに山手に進む。
途中で植田地区の多目的集会所があるので、そこから少し進んだところに石標があるので、山手を200mほど登ると橋雲寺の石段があります。
そこのつきあたりを左手に100mほど登ると、左手に護摩堂と愛宕神社があります(温泉好きな人はわかるでしょうが「あたご温泉」の途中にあります)


自分はよくわからなかったので、石段麓に駐車してから石段を登ったが、これがまた大変に長い急な石段であります。
しかも雪道で危険だし、積雪で折れた林の枝がそこかしこに落ちてます。

なので、自信がない人は護摩堂と神社がある境内まで車で行く事をお薦めします。
護摩堂と奥院の二ヶ所ともに本尊の勝軍菩薩が祀られているので、護摩堂だけ参拝しても大丈夫です。


頑張って頂上まで登ると、景色もそこそこいいです。
「津軽十景之一」といわれるだけあります。ま、昔の話ですが。

頂上には奥院があり、ここには本尊の「勝軍地蔵」が祀られている。見れませんが。

奥院は数度の修復があるものの、建立当時の桃山時代の形式がみられる。


頂上から下り、参道中腹あたりで右手に下りると橋雲寺護摩堂と愛宕神社社殿がある。

右手が橋雲寺護摩堂で、ここにも奥院とは別の、本尊・勝軍地蔵が祀られている。

左手が愛宕神社の社殿です。


橋雲時の歴史を。

津軽統一過程に於いて、津軽為信は浅瀬石城攻めの際に勝軍地蔵を手に入れ、黒石の浅瀬石に地蔵堂を建立する。
慶長14年(1609年)に二代目信枚によって現在地に遷座。
明治初期に、境内入り口にあった大泉坊など六坊が廃仏棄釈によって廃寺。
明治19年に弘前市の豪商・金木屋によって護摩堂が寄進される。


本題であるが、辰巳の守り本尊は普賢菩薩です。
本尊は勝軍地蔵だが、勝軍地蔵は普賢菩薩の生まれ変わりとされているようです。
普賢菩薩が護摩堂に祀られているかは不明(おそらくない)だが、勝軍地蔵が普賢菩薩の代わりとして守り本尊になっているようです。


愛宕五坊の一つ「愛宕山白雲寺」は勝軍地蔵を本尊としたため、戦国時代にかけて愛宕権現は勝軍地蔵が垂迹(仮の姿)した軍神として武士から信仰を集めた。
なので津軽為信の勝軍地蔵信仰はそこから来ているようです。


愛宕権現は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、地蔵菩薩を本地仏(本来の姿)とする。

愛宕山橋雲寺は神仏習合なのだが、明治の神仏分離令によって橋雲寺と愛宕神社は分かれた。


勝軍地蔵は戦勝祈願のほか、火難除けとしても崇められているので、辰巳の一代様と関係ない人も、関連のお守りなどを授かるのもいいのではなかろうか。

      
      (こちらが山頂の奥院です)


住所・岩木町植田山下63
電話・0172-82-3429
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津軽一代様巡り(3)~天満宮

2011-01-07 00:47:54 | 神社・仏閣
シリーズ「津軽一代様巡り」の第3回目は弘前の「天満宮」です。

場所は、弘前市の禅林街の入り口からすぐの十字路を右折し、200m直進するとあります。

ここは一方通行なのだが、車で行くには思い切って逆走しましょう!
天満宮に行く方は逆走しても大丈夫らしいです。
(自分はわざわざ城西大橋を降りて橋の下の登り道を通りましたが)


今年の干支「卯」の守り本尊は文珠菩薩で、一代様は「最勝院」と「天満宮」の二ヶ所が設定されています。

どちらか好きな方に行けばいいのですが、最勝院は初詣にいったばかりだし、天満宮はこんな機会じゃないと訪れる事もないのでこちらへ。


まず天満宮の歴史を。

慶長3年(1598)に弘前藩主津軽為信が大行院栄尊を招き、大根子村に祈願所(大行院)を設ける。
慶長4年(1599)に八幡村に移る。
寛永2年(1625)に新寺町に移る。
宝暦4年(1755)に現在地に移る。
明治4年に修験廃止令が出され、廃寺に追い込められ急遽津軽家に縁がある天神様を勧請して天満宮と社号を改称する。

明治期の神仏分離の折、ここら一帯の寺院大国は守られたが、大行院は廃寺にさせられたので、ほぼ無理矢理に天満宮になったのが正直なところか。
天満宮は禅林街の多くの寺院を神仏分離から見逃してもらう為に建てられたとみるのもまた面白い。


天満宮の境内はそこそこ広く、拝殿、本殿、稲荷神社がある。
他に社務所や県指定天然記念物のシダレサクラがあり、それを祀る小堂、そして何故か老人福祉施設やアパートが建っているのが不思議。

狛犬もあるが、それと兎の石像もあります。

それにしても石碑が山ほど建立されています。


天満宮なので、御祭神はもちろん菅原道真です。
菅原天神はもともと岩木町の橋雲寺(辰巳の一代様)から移されたものです。

なのでここは合格祈願の神社として知られています。
受験祈願の絵馬が多く目に付きます。
女子高生らしき子達もお参りに来ていました。


天神様は置いといて、本殿には文殊菩薩が祀られているのだと思います。


稲荷大明神は西目屋村砂子瀬にあったもので、ダムで水没する為にこちらに移されてたものです。


卯年生まれの多くは最勝院にお参りしてるのが容易に推測されます。
こちらの天満宮はひっそりとしていて参拝客も少なさそうなので、落ち着いて参拝したい人は天満宮に行くのであろうか。


歴史的には浅い神社だし、境内もみどころは少ないが、卯年生まれの人や、受験祈願の人たちには愛されている天満宮でした。

      

住所・弘前市西茂森1-1-34
電話・0172-32-5796
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津軽一代様巡り(2)~求聞寺

2011-01-05 23:00:49 | 神社・仏閣
シリーズ「津軽一代様」巡り。
第二回は弘前市百沢の「求聞寺(ぐもんじ)」です。


場所は、岩木山神社の隣のガソリンスタンドから山手に小道があるので曲がる。
つきあたりを右折し、道伝いに進むと石段があるのでそこから登るとあります。

駐車場は石段手前の民家(多分住職の家)に停められます。

因みに、石段を歩くのが辛い人は、そのまま車で境内まで行ける筈です。


求聞寺は「津軽観音霊場」の三番札所なので訪れた事があります。


求聞寺の創建は寛永2年(1265年)だとされる。

津軽二代藩主信牧は、家内安泰、家臣・領民の人心統一を祈って、百沢寺(現在の岩木山神社)近くの森の中に穴を掘り「求聞持法(ぐもんじほう)」という荒行を行った。
求聞持法は真言宗の修行でも最も厳しい荒行であり、自分の命が10年縮んでもよいと覚悟し10本の指に傷をつけ血をささげ、それを入れた壷を津軽の平和を祈りながら埋めた。
その場所に「求聞持堂」を建立して女人禁制の霊地にしたのが始り。

明治9年に火災によって本尊も焼失。
明治26年に再建し、その時に寺格を得て、現在に至る。


「求聞寺」という名も「求聞持法」からきている。

「求聞持法」は真言宗の荒行の一つで、虚空蔵菩薩のもとに、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。

なので本尊はもちろん虚空蔵菩薩像である。

丑寅の守り本尊は虚空蔵菩薩なので、ここ求聞寺が一代様になっている。


石段を100mほど進むと、境内が現れる。
石段の途中には三十三観音石像があり、巨木の杉が待ち構える。


境内は本堂、観音堂、小堂があります。

他には、県内一大きい釣鐘と、謎の地蔵像、狛犬の位置にあたるところに牛と寅の石像があります。


本堂には虚空蔵菩薩像が祀ってあるのかと思いますが、秘仏なのか見れません。


観音堂には三体の観音菩薩立像が祀ってあります。

もうひとつの堂宇には何故か馬の石像があり、豪華に着飾られて祀られている。何故に馬?


正月ということもあり、参拝客もチラホラ見受けられました。

近くの岩木山神社はいつでも賑々しく、特に正月だと大変な人ゴミになるが、こちらは静かなもので落ち着いて参拝出来る。

歴史的にも面白い背景があるので、冬以外の時に訪れてみてはいかがでしょうか。

      

住所・弘前市百沢字寺沢29
電話・0172-83-2279
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津軽一代様巡り(1)~多賀神社

2011-01-03 23:36:08 | 神社・仏閣
新企画!シリーズ「津軽一代様巡り」を敢行!

「津軽一代様」とは藩政時代から続く津軽地方独特の習慣で、自分の生れた年の干支を守り神とした信仰のことである。
現在も子供が生まれた時の初宮参りや、受験や就職等の人生の節目においては、必ず自分の一代様にお参りする習慣が続いているとの事。
大東亜戦争の時も津軽の人達は、これらの御守りを身に付けて出征して行ったと言われる。

津軽地方の人たちにとっては馴染み深い習慣であるが、津軽以外の県内外、中でも青森市にすらこの習慣はないという。

「守り本尊」信仰は全国に知られており、個人レベルで自分の守り本尊のある寺院にお参りするのはあるが、地域全体で文化や習慣としての守り本尊が決定づけられている例はないらしい。


そもそも「守り本尊」とは何か?
人にはそれぞれ一生一代の守り本尊があるといわれており、それぞれの干支に基づきご本尊が配され、それを信仰の対象としている。
各人の生まれ年の干支によって守護してくれる仏さまが定まっているという信仰が「 守り本尊」である。

子=千手観音菩薩、丑寅=虚空蔵菩薩、卯=文珠菩薩、辰巳=普賢菩薩、午=勢至菩薩、未申 =大日如来、酉=不動明王、戌亥=八幡大菩薩となっている。


津軽一代様は、守り本尊によって神社仏閣が決定付けられている。
なので今回、津軽一代様を干支順に廻ってみようと思う。


まず「子」である。
子の守り本尊は千手観音菩薩で、一代様は弘前市東目屋地区にある「多賀神社」、通称「清水観音」である。


場所は、弘前方面から岩木川沿いの県道28号線を西目屋方面へ走らせる。
桜庭地区に入ると右手にサークルKがあるので、そこから500mほど進むと看板があるので右折し、50mほど小道を進むと左手にあります。


ここは「津軽観音巡礼」の二番札所なので訪れた事があります。


「清水観音」の名は、旧観音堂が京都の「清水寺」を模して造られたという事もあり、そして旧観音堂の傍から湧き水が流れているので、清水観音と呼ばれている。


その湧き水の引き水が、まず鳥居を潜ると左に設置されており、お清めの水場としてもそうだが、飲み水として汲みに来る人が多い。


その近くには地蔵堂がある。

少し進むと「遥拝殿」があり、ここは本殿まで登れない人の為に設置されているようだ。


ここから石段を登りますが、本殿まではかなりの急勾配もあり、簡単には辿り着けません。
特に雪道は危険極まりないです。


入り口から3分ほどかけて登ると本殿がやっと見えてきます。
別名「岩屋観音」と称されるだけあり、岩窟に添った形で本殿があります。


ここには千手観音菩薩像が祀られていたのだが、明治の神仏分離令により、弘前市茂森の陽光院に本尊を匿った。
なのでここには千手観音菩薩像はない。

津軽観音霊場に於いても、ここには本尊がないにも拘らず、歴史的・建造物的にもここは神聖な場所であるので、今尚地元に愛されている。


      
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最勝院

2011-01-02 23:52:33 | 神社・仏閣
今年の初詣は弘前の「最勝院」です。


東北一の美塔「五重塔」を擁する最勝院は、本堂、護摩堂、如意輪観音堂、五智如来堂、護摩堂、聖徳太子堂、薬師堂、庚申堂から成る。
隣には八坂神社もある。


正月二日目なので、客はそこそこ賑わってました。


金剛山光明寺最勝院と号すこの寺院の宗派は真言宗智山派の密教である。

本尊は大日如来で、秘仏として五智如来、猫突不動明王、文殊菩薩、聖徳太子、牛頭天王、歓喜天、青面金剛、如意輪観世音菩薩等を祀る。


最勝院の歴史はこちら。
天文元年(1532)に高僧弘信上人が、堀越城外萩野の地に三宇の伽藍を造営し開基。
慶長十四年(1609)二代津軽藩主信枚が弘前城を築いた折、鬼門に当たる田町へ移
転し弘前八幡宮別当となり、そこに十二ヶ寺の塔頭寺院を擁していた。
明治三年(1870)神仏分離令により支配下の多くの寺院を合併して田町より当地へ移転した。その頃まで当地には、大圓寺という真言宗の寺院があったが、その大圓寺は大鰐町蔵館の高伯寺と合併しそこへ寺格を移転した。
当院は五重塔や本堂、諸堂、境内地など旧大圓寺の総てを受け継ぎ、現在に至っている。


まずは本堂にてお参り。
本堂の奥には大日如来坐像が見えるが、あまりに遠い為にちゃんと確認出来ない。
かなり大きなサイズだが、仏像としては明らかに新しいもので、あまり興味がそそられはしなかったが。
明らかに他の参拝客の邪魔になっている挙動不審な仏像マニアでした。


隣の護摩堂は、以前の大円寺の本堂であったが、現在は牛頭天王が祀られていた。
この牛頭天王像は仏像としてはなかなか見応えがある。
青に塗られた体躯が美しく、ポーズもカッコいい。
牛頭天王像自体珍しいので、とても貴重な仏像を拝めた。
とても見応えがあるが、他の参拝客は誰一人ここには来ない。
所詮、物欲深き暇人しか来てないようである。


他にも小堂が数ヶ所あるが、暗くてよくわからんかった。


そして五重塔へ。
ま、近くで見るとあまり見応えはないが、これは遠くからみてなんぼの塔である。


八坂神社もまあ見事に人がいない。
須佐之男尊が祀られているが、須佐之男尊は水の神であり、近くの南溜池(現在の野球場)を守っていたとの事だ。
もともと牛頭天王もここに祀られていて、神仏分離令によって分かれた。


そういえば今年は「卯年」であるが、最勝院は卯年の「津軽一代様」である。

卯年の守り本尊は文殊菩薩であるが、ここの本尊は大日如来である。

大日如来は未申の守り本尊であるが、未申の一代様は大鰐の「大円寺」が受け継いだので、文殊菩薩も祀ってある最勝院が卯年の一代様になったのは歴史的価値もあるだろうが、ちょっと強引ではある。


そんなわけで、次回から「津軽一代様」巡りを行うが、ここ最勝院は前哨的に訪れたという事にしておく。
卯年の一代様は最勝院と、茂森の「天満宮」の2ヶ所あるので、どちらか好きな方を選べるが、ほとんどの人はこちらの最勝院に訪れると勝手に予測する。


それはさておき、最勝院は弘前に於いては一番見どころがある寺院だとは思うのだが、久し振りに訪れるとまた新しい見方で楽しむ事が出来ました。

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中尊寺

2010-05-25 00:41:56 | 神社・仏閣
チャットモンチーのライヴの為に仙台まで行く事になったが、せっかくなので、ライヴの前にどこかに観光に行こうということになり、アクセスの便利な「中尊寺」に立ち寄る事にした。

弘前から高速道路使ってざっと2時間ほどで到着。
IC降りてから5分程で着くから便利である。

国道4号線を挟んで、中尊寺に近い駐車場は有料で、ほんの少し離れただけの奥の駐車場は無料なので、もちろん無料駐車場へ。
友人が知ってたからよかったものの、普通は看板通りに有料駐車場へ入ってしまうところである。

地下道を通って表参道の月見坂を登る。
この月見坂がまた気持ちよく、道沿いには樹齢数百年の巨木が聳える。

参道の月見坂の両脇には、15ほどの堂が建っており、途中本堂が右手に、そして最終的に金色堂がゴールのようなコースになっている。

中尊寺の歴史であるが、嘉祥3年(850年)に慈覚大師が開創したのがはじまりとされるが、実質的には12世紀初頭、藤原清衡が中尊寺の創建したとされている。

奥州藤原氏4代に渡り栄華を誇った黄金文化は、源頼朝の侵攻によって藤原氏とともに滅亡したが、金色堂などの美しき仏教文化に感銘を受けた頼朝は、中尊寺を庇護する。

戦国時代に荒廃した中尊寺は、その後伊達藩の下で再興され、現在の多くの堂を建築、さらに参道の植林なども行い、現在の形になる。

月見坂を歩いてまずみどころなのが「弁慶堂」である。
源義経と従者の弁慶は、頼朝の威を恐れた藤原泰衡に奇襲され、この平泉にて生涯を終える。
歌舞伎の「勧進帳」でもお馴染みの義経と弁慶は悲劇のヒーローとして多くの人たちから愛された。
義経と弁慶の像、そして弁慶が彫った木像が安置されている。

続いてすぐ左手に「薬師堂」がある。
もちろん本尊は薬師如来像で、日光菩薩と月光菩薩像が脇仏として安置されている。
しかしこれとは別に十二神将の像があり、そちらの方が目を奪われた。

その向かいに中尊寺の「本堂」がある。
現在の本堂は明治42年に再建されたもので、その他の堂に比べるとみどころはかなり薄い。

そこからすぐ右手に「峯薬師堂」がある。
またもや薬師如来三尊像がある。
薬師様なのであらゆる病気を治して下さるだろうが、中でもここでは眼病に効くらしく、網膜剥離になった友人がお守り買っていた。

その向かいには「不動堂」がある。
不動明王像は曲線が美しいあまり見た事のないデザインが斬新だったが、なんせ広い堂内には入れないので、離れている安置されてる場所を遠目で観る事しか出来ず。
もう少し手前に安置して欲しいものである。

そこから右手に「大日堂」「阿弥陀堂」「弁財天堂」と続けて拝観。
あまりに多くて記憶が曖昧なので割愛する。

金色堂の前を右に折れると奥の方が「白山神社」になっている。
拝殿の隣には「能楽殿」がある。
これがまた趣のある建物で、ここが能の舞台として実際に使われていたので、ここで観覧してみたいと思った。

そして道を引き返してメインの「金色堂」へ。
隣の「讃衡蔵」の二箇所が800円で入れる。
金色堂は堂そのものが金箔で覆われた、贅の限りを尽くした建築物であり、もちろん安置されている仏像も金で輝いている。
阿弥陀如来の右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右奥に地蔵菩薩が6体、一番手前右手に持国天、左に増長天という構図のセットが更に、左右ともに同じ構図のになっている。
なので全部で33体の像が飾られている。
問答無用の美しさであり、素晴らしいの一言に尽きる。

金色堂を出て「旧覆堂」へ。
もともと金色堂があった場所であり、見所はほぼない。

「釈迦堂」があったであろう場所は工事中で、あきらかに建物が取り壊されていた・・・。なぜ!?

そこからぐるりと廻り、最後は「讃衡蔵」へ。
「讃衡蔵」には3千点以上の国宝・重要文化財が収蔵されている宝物館であり、仏像・経典などの文化財が拝観出来る。
まずは大仏3体がお出迎え。真ん中が阿弥陀如来、両隣が薬師如来座像がド-ンと座られている。

そして千手観音像があり、これがまたカッコいいのである。
32臂には各種様々な道具を手に持っており、そこには強さと慈しみが感じられる。
左右対称の見事なバランスの高度なデザインにうっとりだ。
平安後期作とは思えぬ保存状態で、ガラスケースにすら入ってない。

更に、大日如来像と文殊菩薩像があるが、特に獅子に乗る文殊菩薩像は圧倒的な迫力で、美のセンスが光っていた。

他にも国宝が山ほどあるのだけれど、机だの装飾品だので、歴史的価値はあるだろうが、芸術的なものではないので、チラ見して通り過ぎる。
仏像があまりに素晴らしかったので讃衡蔵は二周しちゃった。

そんなわけで、大満足の中尊寺巡りでした。
最近、仏像に興味を持ち始めたので、仏像好きにはたまらない観光になりました。

そんなに遠い距離ではないので、また機会があったら訪れてみたい。
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