安倍政権の発足以来、マスコミは手のひらを返したように内閣を攻撃している。今も柳沢厚労相の発言を巡って駆け引きが続いている。
失言・失態として取り沙汰されている閣僚や議員について、即座に辞任すべきとの意見が世間やマスコミでは大勢を占めているように感じる。しかし私としては、少なくとも本間元税調会長と柳沢厚労相については、批判には当たらないのではないかと考えている。そこで今回、反発覚悟で両氏を擁護しようと思う。
まずは柳沢氏の「女性は産む機械」発言について。今までこの「機械」という言葉ばかりがクローズアップされてきて、どのような文脈でなされた発言なのかさっぱり分からなかったのだが、今日の読売新聞にちょうど問題の講演内容が掲載されていた。これを見ると、どうやら柳沢氏の語彙上の物忘れに過ぎないように思われる。というのも、柳沢氏の発言の意味合いとしては、女性を機械と言うより「装置」にたとえていると思われるし、本人も一度「装置」という言葉を使っている。
政治学や社会学において特定の個人や人間集団を社会における装置と捉えることは珍しくない。講演の内容も、社会において出産という形で人口を殖やす装置は(適齢の)女性しかありえない訳で、その装置の規模(女性の数)はほぼ決まっているので効率を上げる(産みやすい環境をつくる)ように社会的に取り組まなければならない、というような周知のことしか言っていないのである。
つまり、なぜか頭の中で出てこなくなった装置という単語を「機械」で代用してしまったことが現在まで無益に引っ張られているのである。もちろん珍しくはないといっても、のべつ幕なしに使っていい言葉ではないのも事実で、TPOに問題があったという点での無用心は責められるかもしれない。しかし、代用した単語が適切でないことはその場で認め、断りを入れている。それでもなお辞任に値するほどの問題であるとは私には思えないのである。
次に、本間氏の「愛人と官舎」の問題である。これも当初は「愛人」という言葉から、いい歳した大学教員が何やってるんだ、と素直に思っていた。しかし、大分経ってから「愛人」というのは実は内縁の妻で、自宅の妻とは離婚調停中であることを知った。離婚調停が既に始まっていて、その後再婚する確約のある人と一緒に官舎に住むことの何が問題なのか、これまた私には皆目分からない。べらぼうに安い公務員官舎に対する反発感は確かにあるだろうが、この問題とは無関係だろう。
結局双方とも、言葉尻の端々ばかりつまみ上げるばかりの野党の攻撃にマスコミが面白おかしく乗っかってきただけの図式にしか見えず、政策で戦えない野党の脆弱さが改めて浮き彫りになっただけともいえよう。
私としては、こんな非力な野党よりも安倍首相らの対応の拙劣さのほうがよほど気になっているのだが、これについては次回に譲ろうと思う。