塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

将棋ソフト不正使用騒動雑感

2017年02月05日 | 社会考
  
昨年の竜王戦に端を発した、プロ棋士によるスマホ将棋ソフト不正使用疑惑は、ついに谷川浩司会長の辞任という事態に発展した。第三者調査委員会による審査の結果、被疑者である三浦弘行九段は、ソフトを使用したと裏付ける証拠がないとして「無罪」となった。

こうして疑惑を免れた三浦九段については、裁定以降「可哀そうだ」とする擁護のまなざしが世間から向けられている。他方で、疑義を呈した渡辺明竜王には、非難が集中しているようだ。しかし、私はこの一辺倒な世論の流れについてはひとつ異議を申したいと考えている。

第三者委員会の発表にしたがえば、三浦九段は「使用したとは認められない」とはなったものの、「使用しなかったものと認められる」となったわけではない。この点については、おそらく委員会も意識して発表したものと推測される。つまり、シロとまでは言い切れないが、クロとするに足る証拠がないと断じたに過ぎないのだ。最も穿った言い方をすれば、もしかしたら使ったのかもしれないが、それを証明できるものがないというスタンスだ。

ここで、たとえは悪いが、時を同じくして話題となったASKA氏の薬物使用問題を思い出してもらいたい。警視庁捜査員は、ASKA氏の採尿に際してトイレまでは付き添ったものの、手元までは把握していなかった。そのため、逮捕後に「あれは用意していたお茶を入れたもの」と主張されると、本人の尿であると確定できなかったために、「有罪とはいえない」という意味での不起訴となった。

今回の将棋の件についても、問題の根はほとんど同じであると私は考えている。実際に三浦九段がソフトを使用したのかどうかは、使ったという証拠が得られない限り「どちらともいえない」のだ。事実としてあるのは、プロから見て不正をしているかもしれないと疑われるような行動があったということだけなのである。現時点では、白か黒かをこれ以上議論することに、たいして意味はない。

今のところの論調では、疑った渡辺明竜王の方が非難される方向に落ち着いているようだ。だが、タイトルを賭けた真剣勝負なのだから、お互い相手の一挙手一投足が気になるのは当然のはずだ。そのようななかで、疑うに足るような理由があり、疑われるに足るような挙動があったのだろう。

むしろ、今回の件で重要なことは、スマホソフトという新しい不正の可能性がにわかに浮上したことだ。その使用を許さないのはもちろんのこと、使用したのかもしれないという疑いを生じさせない仕組みづくりが、新たに必要となった。それが確立されていなかった以上、今回のような問題は、遅かれ早かれ起こるべくして起こったといえる。どちらがどの程度悪いと自動車事故のように非難合戦をするよりも、疑いの余地のない体制づくりを急ぐのが先決なのではないだろうか。

具体的には、離席時にはスタッフがぴったり同行する、あるいはどうしても独りになりたいときにはボディチェックを入念に行い、疑いを生じるような機器についてはすべて預けるといった措置が考えられるだろう。さらには、対戦時の服は本部が用意するというのも1つの手かもしれない。

いずれは起きたであろう問題の被疑者となった三浦九段には、まったくもって不運な災難となった。「証拠なし」と裁定が下った以上、三浦九段の名誉は速やかに回復される必要がある。だからといって、返す刀で疑った渡辺竜王を責めるのも、正しい反応とはいえないと思っている。

ちなみに、私は将棋についてはど素人だが、近年囲碁に傾倒し始めている。勉強のためにコンピュータと対戦することもしばしばだが、たいていソフトにやり込められてしまっている。ついこの間までは、コンピュータソフトが囲碁でプロ棋士に勝つのはまだ数年先などと言われていたが、アルファ碁の登場によりあっさりと覆された。将棋の次は囲碁、明日は我が身というわけで、囲碁サイドの方でも、対岸の火事というわけにはいかないだろう。