塵埃日記

つれづれなるままに、日々のよしなしごとなど。

日進市花火大会での福島産花火の使用中止に寄せて

2011年09月20日 | 東日本大震災
  
 先日の台風12号に続き、強い台風15号が日本列島を直撃することになるようですね。すでに西日本ではかなりの雨量が降っているということで、12号で甚大な被害を受けた紀伊半島を中心に、被害の拡大が懸念されます。思えば、東日本大震災で東国は津波の被害に遭い、西国は台風や集中豪雨の被害に遭い、今年は日本全体が未曾有の水害に見舞われています。「国乱るるとき、天地乱る」などともいいますが、ここまで集中すると何か関連があるように思われてなりません。

 さて、そのようななか、台風15号による被害が心配される愛知県は日進市で震災関連の悲しいニュースがまたありました。市の花火大会で福島県産の花火を使用する予定であったが、市民からの苦情で中止となったというものです。まったく同様の話が先月の京都の五山送り火であったばかりで、悲しい限りです。この事件そのものについては、先月に五山送り火での問題に対する記事を書きましたので、改めて述べる必要はないかと思います。

 ただ、今回問題なのは、五山送り火という前例がすでにあったのですから、こうした事態が起きることを予測してなかったとか、準備が足りなかったなどという言い訳は許されないという点です。被災地支援とはいえ、放射能という未知の脅威が絡んでいる以上、市民から苦情や不安の声が大なり小なり寄せられるであろうことは当然の予測の範疇です。被災地から遠く離れた場所では、そのような不安により駆られやすいことも理解できます(風評被害の最たる、根拠のない不安ではありますが)。日進市の萩野幸三市長は、「市民の不安にも応える必要があった」と答えているということですが、1件か20件か2000件かはともかく、不安や苦情が出ることは明らかなのですから、「市民の不安に応える」のであれば、最初から福島産の花火の使用などと軽々しく口に出すべきではなかったと思います。

 結局のところ、使用するのならいかなる苦情が来ようとも、説明に説明を重ねてやり通す。苦情が来てすぐにぐらつく程度の意志であれば、最初から使用するなどとは言わない。やるなら何があってもやり通す。その覚悟がなければ初めからやらない。最初のうちにどちらのスタンスをとるのか決断しておかなければならなかったのだと思います。被災地としては、無理してまで使っていただくことはないわけで、最初から使わないと決定してもらえば(「使いません」とわざわざ表明するということではなく、さらっといつも通りにやっていただくということ)、誰も傷つくことはありません。わざわざ「福島産を使用します」といって、後になって「やはり使いません」とすぐに揺らいでしまうから問題になるのです。

 つまりは、市町村レベルでの被災地支援は、街頭募金で10円玉を入れるのとは重みが違うということなのでしょう。街頭募金と同程度の生半可な気持ちで取り組んでしまったことが、今回や先月の京都のような悲劇を生んでいるのだと思います。「きれいなトイレじゃないと用が足せない」などとのたまうボランティアと同じです。

 このように、先月の京都五山送り火事件でも、今回の花火大会の問題でも、私の非難の矛先は苦情を寄せた市民ではなく(これはもう、どうしようもありません)、常に主催者に向いています。この先も、多くの被災地支援イベントが各地で開かれるのでしょうが、くれぐれも主催者サイドは「苦情が来たらどうするのか」という点だけは予め十分に協議しておいていただきたいと思います。