Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

今日は清川村の柚子ワイン

2015年10月31日 | 毎日の話
夕飯は、柚子ワインで、いっぱいです。スパークリングワインです。柚子の香りがほんのりします。


その前に道志村での昼食です。キマグレ定食とメニューに書かれていました。美味しかった。


このワインは清川村の役場の前のお店で買えます。


食事中、二人は爆睡しています。




紅葉も綺麗でしたよ。

「白」はすごい漢字

2015年10月30日 | 毎日の話

「白」という漢字を使用した言葉は、数かぎりない。色合いを示す「白」、純粋さを表す「白」、美しさを表す「白」というふうに言葉がどんどん出てくる。例のごとく、この「白」という言葉は、各国でどのように使われているか、調べてみることにした。

まずはイタリアからいきましょう。白は「bianco」ですね。大好きな白ワインは「vino bianco」でいいわけです。「白熱」という言葉は「accalorare una discussione」と記載されている。だから、白という言葉はなくて単に「活発な議論」と訳せる。「白昼」も違う。「白状、白地図、白黴」なんてものにも一切白は出てこない。どうもイタリアでは「bianco」は色の白にしか用いていない。

じゃ、フランスではどうだろうか。白は「blanc」である。白ワインは「vin blanc」でいい。フランスも全て、色の表現にしか用いていない。スペイン語なら「blanco」、「白ける、白み始める」なんて用いられ方はない。これも色だけの表現だ。

 

英語は、期待しないが「white」だ。ただ、欧州で「白紙」は色的表現で記載されているが、英語だと、「clean sheet of paper」なんてもっとレベルが下がる。それより、なんでwから始まる単語になるんだ。

 

ラテン語で白は「alb」という。聞いたことがあるぞ。源太郎はゴルフをしないが、アホウドリの「albtross」は白だ。アルビノも白、卵白もalbumenだから白。やっぱり色を表しているのか。じゃアルバムはと疑問が湧いてきた。

 

辞書を引くと「アルバム、曲集、写真を整理するもの」なんて記載が続く。やったぞ、色ではない表現だ。これは大発見。ところが、ラテン語も期待を裏切らなかった。意味は「白い板」だというのだ。

 

我々が使用する写真を整理するアルバムは、白い板ではない、意味が違う。語源は「白い板」とかいてある辞書も見つけたので間違いない。どうしてこうなったのか。

 

行き着いた結論は、白をいろいろ多用しているのは、日本語だけのようだ。

色を表すこと、事実無根、純潔、反対に染まる、明るいという濃淡、経験不足、未開、無知といった要素を表現出来る。もっとかっこよく言えば「色表現の他に、何も加えていない無添加度、濃淡による透明度、楽しさから悲しさという感性の深さ」ということ。 1文字で表現できる独特の感性が備わった言語が日本語だと言えるようだ。どうだ、日本語はすごい。


volcano か vulcano ?

2015年10月30日 | 毎日の話
昨日は色々な方とお会いできました。TVで良く見かける先生や、気象庁の方など。もちろん、生くまモンが一番驚きました。

年寄りが集まると、血圧の薬の話や塩分、足腰が痛いなど話題に乏しい。ただ、共通の話題だし、仕事とは違い、先に病気になった人が、上司になるから痛快だ。

その話の前に、阿蘇からの電車はゆっくり。市内まで随分時間がかかった。その道中に、シンポジウムの看板のvolcanoという文字に引っかかった。volcano英語表記の火山の意味。間違いないが、何故歴史の短い英語表記にするのかと思う。

もともと、火山はイタリア語が起源だ。歴史が古く、火山があるといえば、イタリアだ。イタリア語ではvulcanoと書く。これは、ローマ時代の火の神のVolcanusから派生したもののはず。火が噴く山に火の神が住んでいると考えるなんて、英語圏の人たちには想像さえ及ばないだろう。

イタリアの南部のリパリ諸島には、Vulcano島がある。まさしく火山島だ。余談だが、化学に加硫するという言葉がある。これはvulcanizeと書くが、見て想像できるだろう。火山から産出される硫黄をゴムに加えること。だからvulcaが先頭にある。
英語圏の方々は神も恐れない。だから神のoをそのままにして、単語としている。かなり難くせだった。ちなみにフランス語はvolcan、ドイツ語はVulcanoだ。敗戦国はu、戦勝国はoなのかもしれない。

話を戻し、減塩の話になった。源太郎は気にしない。減塩なんてケチなこだわっていたら、美味いものも不味くなる。近頃、カロリーオフとか糖質ゼロなんてものばかりだ。あれは、英語圏の連中の言葉。中年以降の元お嬢様たちを比べてみなさい。よっぽど、日本の元お嬢様たちの方が美しい。だから、カロリーいっぱい、糖質いっぱいでいいんだ。

塩は英語でsalt、ドイツ語ならあのザルツブルグのSalz、イタリア語はsale、ラテン語ならsal、青森弁なら、し。これはうそ。
そして、給与はサラリーと言うよね。これもsalaがつく。だから減塩は減給と同一。
減塩なんてものは、馬鹿げているという訳です。

源太郎は、塩でなく、sarahが好き。lとrを間違えてはいけない。もちろんMihoが一番好きだが。汗

熊本は雨が降って来た。アーケードでは、朝市かな。カフェではゆっくりしている人たちがいる。のんびりした熊本も今日でお別れです。




今日はこれから阿蘇に向かう

2015年10月29日 | 毎日の話
 
八幡平に向かう
これから新幹線を乗り継いて久しぶりに盛岡へ。そこから、車での移動になります。せめて綺麗な紅葉を期待して。今日という日は、過去に色々あった珍しい日です。1979この日に御嶽山が有...
 

朝早くに、Jerryに起こされ、寝たような、寝ないような状態。今日は火山シンポジウムがあって、阿蘇に向かう予定だ。昨年は東北の葛根田に行ってたのか。今年は南だ。


黒猫の話から、あなたはイタリア系なの?

2015年10月28日 | 毎日の話
源太郎が好きなブログに登場する黒猫さん。艶のある猫さんで美人だ。源太郎は黒猫は愛らしいといつも思う。我が家のLauraは真っ白の猫だが、それはそれで愛らしい。そう言わないと、爪を立てられる。

大好きなイタリアでは、残念だが「恋人たちの前を黒猫が横切ると別れが訪れる」なんて迷信がある。そしてエドガー・アラン・ポーが異常心理を表現した「黒猫」なんて恐怖短編を書くから、欧米では黒猫の評価は低いくなっている。でも、日本はまったく逆で、黒猫は福猫だし、夏目漱石の「吾輩は猫である」の猫は黒猫なのである。

源太郎は、イタリアの黒猫嫌いは、「浮気心があるイタリアの男たちのとってつけた言い訳」じゃないかと思っている。女性全てが自分のものだと思っているイタリアオヤジたち(源太郎も例外なくその範疇だが)が新しい彼女との出会いを求めるのに、黒猫を理由にしたのだ。と思う。

魔女にも必ず黒猫が登場する。魔女は大抵美人だから問題が大きい。そこなんだ。正しくそこが一番の理由。

今の彼女(男からみると新しい彼女が天使で今の彼女は魔女にしたい)と別れたい。しかし彼女には瑕疵はない。でも男たちには正当な理由がない。だから魔女に黒猫をあてがい、その眼光の鋭さの黒猫の目を借りて怖さを演出する。そして浮気を帳消しにする。これは男たちの屁理屈に違いない。源太郎はちがう?(否定をあえて強調しすぎは命取り)

しかし待てよ。「猫なで声」と言う言葉がある。イタリア語でなんと表しているかというと。
「con voce carezzevole」と猫は登場しない。じゃ、「猫かぶり」はどうかというと、「gattamorta」だ。猫が登場する。待てよ、末尾が「a」だ。女性形じゃないか。やっぱり、女性もイタリアでは何か隠している。イタリア語がそうだということは、ラテン語の範疇はみなそうなのか?

手持ちの辞書のスペイン語、フランス語にはこの言葉はない。

ということは、イタリアの男たちは、新しい女性を求めるために猫を利用し、イタリアの女性たちは猫かぶりして、何かを隠している。結局、両方とも悪いじゃないの。

てな、ことを考えていると、余計にイタリアが好きになる。お後がよろしいようで。

さすがにAnastaciaの声は元気を与えてくれる

2015年10月27日 | 毎日の話

唯一、米国の歌手のAnastaciaは源太郎は好きだ。乳がんを克服し、パンチのある声を聞かせてくれる。彼女の歌は、元気を与えてくれる。今日は満月のようだ。

残念。オータムジャンボは残念ハズレてしまった。また、夢が残ったので、次を期待したい。(ずっと当たりを確認しなかった。もしかすると、と思ったがダメだった)

Anastacia - Take This Chance (Official Video)


炬燵を考えてみる。またバカなことと思われるだろう。

2015年10月27日 | 毎日の話
寒くなると「炬燵」が恋しくなる。我が家は「炬燵」は腰が痛くなるので使わない。もし炬燵があったなら、あの娘二人が潜ったまま出てこないだろう。ところで、調べ好きな源太郎は辞書で炬燵を調べてみることにした。

日本語の辞書では何て書いているのか「熱源を櫓で覆い、布団をかけて暖をとるもの」と書いているだけだ。味気ない。

話好きなイタリアの事きっと長々解説すると予想したが、間違いなく長い。「日本の伝統的な低い勉強机に、、、」との書き出しで表現している。でも大衆的であるとか、充分わかる。

「Tradizionale impianto di riscaldamento giapponese composto da un tavolino basso quadrato nella cui parte sottostante viene applicato un fornellino elettrico e ricoperto con una trapunta.
Ci si siede con la parte inferiore del corpo sotto la trapunta in modo che stia al caldo mentre la parte superiore resta fuori. Esiste anche una variante che prevede una buca sotto il tavolo in modo da poter comodamente allungare le gambe. Nonostante l’occidentalizzazione delle case giapponesi, il kotatsu conserva tuttora la sua popolarità.」

フランス語では、「chaufferette japonaise: table basse recouverte d’une couverture et chauffée par-dessous」日本の足温器、毛布で覆われたと、表現している。やっぱり、それなりの言葉で、表現しているから、さすがフランス。

ところが、スペイン語の辞書にはその言葉さえ存在しない。なぜだろう。ある仮説が脳裏を横切った。「考えてみると、この言葉を使ったスペインは暖かい。だから必要ない。」でも、アルゼンチンは冬がある結局仮説は成り立たない。

じゃ、表現力に乏しい英語では何て書いているのだろう。「In Japan in winter, people use a heater called kotatsu, which is attached to a square wooden frame and is covered with a thick quilt, and under this they enjoy conversation, warming their hands and feet.」
日本は冬になると四角い櫓に布団をかけた炬燵と呼ばれる暖房器を使い、手や足を暖めながら団欒を楽しむ、何て説明しているが間違っている。手を暖めるのは火鉢だ。

ではまともなブリタニカ百科事典ではどのように書いているだろうか。
「熱源の上部を櫓で覆い、その上に布団を掛けて、足および下半身を暖める暖房用具。掘り炬燵と置き炬燵があり、第2次世界大戦後は腰掛式掘り炬燵が広く普及した。掘り炬燵は畳の一部を 45cm角程度切って炉を設け、その上に櫓を置いたもの。置き炬燵は土製の小型火壺の上に櫓を置いたもので、あんかと呼ばれることもある。また,腰掛式掘り炬燵は 90cm角程度の部分を 40cm程度床より低くし、中央に炉を切り、上部に櫓を置いたもので,炬燵の中に足をおろして使用する。炬燵の熱源には、古くから木炭が用いられたが、一酸化炭素中毒のおそれがあるので、最近ではほとんど電気に代った。普通は櫓の裏側に 300W程度の幅射型熱源を設け、炬燵内部が暖まるようになっている」
完璧では無いが、正確だ。

源太郎が、一番嫌いなウキペディアでは、何て書いているのだろう。
「燵(火燵、こたつ)は床や畳床等に置いた枠組み(炬燵櫓、炬燵机)の中に熱源を入れ外側を布団等で覆って局所的空間を暖かくする形式の暖房器具。熱源は枠組みと一体になっているものとそうでないものがあり、古くは木炭、豆炭、練炭を容器に入れて用いていたが、現在その多くは電気装置である。脚を曲げて腰を掛けることができるよう床を切り下げている掘り炬燵(切り炬燵ともいう)と、床が周囲と同じ高さの平面の置き炬燵とに分けられる(ただし、台を設ける床置きの掘り炬燵もある。布団を広げた炬燵櫓の上にはこたつ板を敷くことが多い」と形の説明で本質ではない。と思う。

そこで、源太郎が説明を書いてみることにした。
「炬燵は、日本伝統の暖房器具として使われてきた。日本の木造家屋は、断熱に乏しく、部屋全体を暖めるには多くのエネルギーを必要となるため、必然的にこのような暖房器具が普及した。日本には古来から、頭寒足熱という考え方があり、それにも合致していた。本来の形は掘り炬燵であり、囲炉裏の熾を持ちていた。一部の地方では熾を火壺に入れて掘りの代わりにしたので、あんかと呼ばれることがある。掘りの大きさは一尺五寸角と小さなものだったが、その後は三尺角と半畳に合わせ、夏は畳で覆い生活した、、、、、」何て表現して説明することが適当と思った次第。