Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

メタボはECOに貢献しているのだ!!

2017年01月31日 | 毎日の話

ビジネスホテルのバスルームのこのシール。いつも何も考えず見ていた。

でも、「あっ」と思った。

体重80kgの人と、体重50kgの人の湯量の水深が約10cm違う。適切に湯量をコントロールすることがECOだと説明しているのだ。「だけど、待てよ」これは明らかに何かがおかしい。

 

メタボ検診だと言って、「少し太り気味だから痩せなさい」と言われたビジネスマン方も多いだろう。ところが、この指標はメタボの方の方がECOなのである。ならば、医者は「痩せた方がいいのですが、ECO的には太った方がいいですね」というべきだろう。

 

ある統計では、全国の客室50部屋以上のビジネスホテルの全室数は約90万室あるそうだ。日本なら、バスタブはほとんどあるだろうし、ビジネスマンは大抵シングル利用なので、計算を簡便にするため、標準的なバスを長さ1.0m、幅を60cmとしてみよう。すると、もし全員の平均体重が50kgと80kgを比較すると、毎日どのくらいの湯量の差が出るだろう。

 

900,000室に水深差の湯量(0.06立方メートル)を乗じればいい。すると毎日54,000立方メートルの湯量の差が出る。これだけのお湯をメタボ診断で指摘されない方々は浪費していることになる。これだけの水とお湯にするためのエネルギーは、1リットルの水を30度温めるには、0.035kwhぐらいかかるから、全国で200万kwhくらいの電力が毎日消費されている。(電気代で4千万円だよ)

 

だから、メタボの人なら4千万円を90万室で割ると45円くらい割引だ。どうだメタボも価値がある。



源太郎、、、古い資料に価値はないのか

2017年01月30日 | 毎日の話

早朝の新幹線で、文献を読んである課題を抽出していたところ、あっという間に東京駅に着いた。亡き先輩たちから譲り受けた文献を読み始めると没頭して、下手な小説を読むより面白い。文献と言っても、先輩たちは大正生まれだから昭和30年以前の文献(手書きであったり、和文タイプ)だ。源太郎はそれ以降の文献について、引用が多く独創性は期待薄いので興味はない。なかんづく、昭和15年から終戦までの5年間の文献は限界状態での苦労が垣間見え実に本質に迫っているので実に面白い。

ちょっと長くなるが「安全率」という言葉について考えて見たい。「安全性」や「安全率」は経済発展によって変化していることが一般的だが、本来合理的考えに立つべきで、終戦してしばらくはまだしも、近年はそれを議論しない輩の声が強く、限界状態での議論しない傾向があるように思う。

ある分野の安全率はかつて10もあった。その後著名な外国の技術者の論文が発表されると、世界的に安全率が格段に下がった。すると、まだ外国に頼っていた経済的に厳しい復興途中の日本はそれに追随した。しかし、経済的に裕福になった近年の日本では、海外でさらに安全率は下がってもそれを改定しようとは思っていない。要は「品質が確保されてきたし、場の条件も整理できたから、現象毎安全率を変化させるのだ」という外国の合理的な考えに、保守的な技術集団化した日本の技術者(全ての分野ではないが)は追随していない。それは、一種の責任回避がその前提にあると源太郎は思う。

私なりに理由を考えて見ると、「非難された時に答えることが嫌だから決まっていることは変えない」という戦後教育の姿が後ろ盾となっていると感じるのだ。ある学会は議論を嫌うが、それは、かつて諸先輩が苦労して記述した論文など古くて意味はなく、再び同じテーマをまた繰り返しやっているのに、それが研究だと思っているのだ。だから独創性なんて期待すること自体無理というもの。

なんのための専門家なのか。ある分野で、近年、最適なある配合の最適値を求めるために実験した報告がなされた。しかし、諸先輩たちは、すでにその検証を70年前に大規模な実験して結果を得ていた。近年実験した答えは同じだった。それを聴講した諸氏は拍手でこれを迎えたのだ。先端技術(過去ではそれすら検証できない困難な課題)ならまだしも、そうではない分野でこのようなことを繰り返すことは無駄なことだと思う。だから、源太郎の世代はもう少し古い文献をちゃんと整理しないとまずいと思うのだ。

ある著名な外国の学者がこのようなことを公に述べた。「コンピューターが著しく発展した。それは高度な計算をたちどころにやってくれる。しかし、そのことによって非常に良い成果が生まれているのだろうか。逆に考える時間を我々技術者は捨ててしまったのかもしれない」と。源太郎のように手回しの計算機や対数表を使っていた時代の人間からすると、コンピューターを操ることが最新の技術であって、技術者の知見や経験はその下に埋もれてしまったと感じる。

インターネットで検索することもいいのだが、「活字」を今一度見直そう。


Jerry & Laura、、、今日はのんびりした一日

2017年01月29日 | 毎日の話

Jerryは昨夜、あんまり食欲もなく(高齢食はいや)、今日は一日源太郎の傍にいてのんびり。夕飯は成犬用だったので散歩から帰ってきてペロリ。散歩中にLauraは特別食をもらって「ガツガツ」食べていたらしいが源太郎の顔を見て「ちょうだい」と周りをちょろちょろ。

ラウラ「おかぁしゃんには内緒でちょうだいよ。今見ていないから」

おかぁしゃん「だめ、だめ。いっぱい食べたんだから」

ラウラ「うるせいなぁ」

お父さん「だめだよ。ガマン」

ラウラ「チェ、悪い子になってやる」


富士山、、、すっきりとした青空ではない

2017年01月29日 | 毎日の話

東の空に雲があるため、朝日が遮られ富士山頂付近の雪の明るさがまだらになっている。

それでも冬の富士山は毎日のように顔を出してくれている。

記念スタンプというものはほとんど押すことはないが、無料入場券をお見せするのにコピーされても困るので押した。

売店で購入したリーフレットサイズの「悲しみの聖母」をスキャンして見たが、額があるとないとは雰囲気は違うが「青」の美しさは変わらない。でも実物が一番いい。

美術品を見ている時、Patricia Kaasの最新盤CDを聞いていた。輸入盤の二枚組だが2枚目はボーナス曲。アコースティックの曲がとてもいい。

今日は日曜日、ゆっくりしましょう。

 


悲しみの聖母

2017年01月28日 | 毎日の話

国立西洋美術館で絶対に見たい常設展示の絵画がある。そしてラッキーなことに今日は無料で再び会うことができた。

その絵画の題名は「悲しみの聖母、Mater Dolorosa」だ。あくまで源太郎の個人的見解だが、フェルメールより和らい光で、透き通る美しさがある絵だと思う。

 

この作品が描かれたのは1655年(あてにならないウキペディアでは1650年と書いてあるが、国立西洋博物館では1655年頃と記載されているからそっちを信じる)いうから、日本では徳川四代将軍の時代だ。が、当時これだけの色彩を表現できた画家は本当に天才と言えるのだろう。ちなみに、もう一つ見たい絵は「マグダラのマリア」だが、売店にはこの絵の絵葉書は販売されていなかった(残念)。でも美しい絵であることには間違いない。

 

本題に戻そう。この時代の青色の顔料は「ラピスラズリ」だと思うが、現代のように人工的に作ることが可能になった顔料「ウルトラマリンブルー」とは違い、高価なラピスラズリを粉砕して手間暇かけた顔料を惜しみなくマント色に使い、今でもその青色が本当に美しく発色し、聖母の透き通る肌の色もぐっとくる。

 

暗い背景に淡い光に包まれて、青のマントを身にまとった聖母は源太郎の心を鷲掴みする。作者のカルロ・ドルチは子供の頃から敬虔な信仰の持ち主で、聖ベネディクトゥス信者会に属していたらしいが、何れにしても神がかり的な傑作の絵画だろう。平日通常料金を払い入館したら写真を撮ることは可能だが、そんじょそこらの腕では絵葉書のような写真を撮ることなど不可能。だから源太郎は絵葉書と大きめな写真を購入した。

 

しかし、美術館を見ると、短時間だがとても疲れる。きっと画家の素養のない源太郎だからかもしれないが、圧倒的なパワーに責められ、日頃使わない脳細胞が必死に理解しようと努力するからなのだろう。昔、Mihoちゃんと岡山や倉敷で美術館巡りをして、本当に疲れたことを思い出す。でも「気持ちのいい疲れ」に違いない。病気もよくなったような気がする。

 

そうそう、Google Arts & Culture(源太郎は今このサイトがお気に入り)でもこの「悲しみの聖母」を見ることができる。本当にすごい時代になったものだ。

 

Google Arts & Cultureより引用

This elegant work was created around 1655 when Carlo Dolci was 39 years old. The dark background yields to a faint light surrounding a beautifully sad image of the Madonna, wrapped in a blue robe created in deep lapis lazuli pigment. These factors all conspire to deeply appeal to the viewer. According to F. Bardinucci, the first to write a detailed biography of Dolci, from an early age Dolci was deeply faithful and was a lifelong member of the Order of St. Benedict. In addition to his large-scale religious works, around 1650 he began to paint relatively small-scale works depicting various half-length portraits of saints. This work is an extremely fine example of this type. The model for this image of the Madonna with folded hands can be found in the Madonna images of Titian, and the source for Titian's images may be found in the images of the Madonna that were extremely popular in Spain during the 16th-17th centuries. Dolci's paintings of the Madonna in this style became quite popular; there is one known extant copy of this work and other images of the Madonna with slightly different compositions are known. For many years the model for this painting was thought to be the painter's wife Teresa Bucherelli, whom he married in 1654, but comparisons with known portrait drawings of his wife reveal some questions about this attribution of the sitter. (Source: Masterpieces of the National Museum of Western Art, Tokyo, 2009, cat. no. 22)



富士山、、、昨日と変化なし

2017年01月25日 | 毎日の話

今日も寒い朝。日本海側の雪は午後には静まるようなニュースに期待して、もうこれ以上は降らないでほしい。

38豪雪、56豪雪と豪雪が繰り返し日本にやってくる。温暖化という学者さんの言葉は理解できないが、なん億年も続く地球の環境、100年そこそこの観測でわかるはずはない。「寒いことは寒い。地球温暖化なんて嘘ばっかしだ」なんて言ってみても仕方ないか。


画家エドゥアール・マネが生まれた日

2017年01月23日 | 毎日の話

毎日一文の日記帳に「Les premieres places ne se donnent pas, elles se prennent」というマネの捨て台詞が載っている。

エドァアール・マネというと「笛を吹く少年」の絵が教科書に載っていて誰もが知っているが、オルセー美術館にある劇場の名前と同じ「オランピア」という絵を見た時を思い出す。

ところで、さっきの一文はというと、1867年のパリ万博に出品しようとしたマネが、サロン展で受賞した者のみ参加資格があるという閉鎖的な組織に、「一等賞は与えられる者ではなく、作られるものだ」といって自らパビリオンを建設して展示したというエピソードがある言葉。

今日は1日温度が上がらない。日本海側では豪雪となっていて、九州の出水でも雪が積もったというニュースも流れている。日がらジェリーはラウラに暖かいストーブの前を占拠され、おとしゃんに泣きついて和室に逃げ込み、ストーブをつけさせてまったりしている。

面白くないラウラは、つまらないらしく和室の椅子の上でジェリーを監視し、おかぁしゃんが帰ってくるまで、そこでうとうとしていた。

ところが、おかぁしゃんが帰ってくると、ラウラはさもいい子で留守番していたように、冷蔵庫の前に座って「おやつ」を要求している。

「おやつを与えられるものは、本当に良い子だけだ」とジェリーは訴えているが、女同士の交渉ごとには口を出せない。

「おとしゃん。今日の晩飯はまた老人食かい」

「ああ、にいちゃんが間違えて(あっているんだが)、13歳以上のペティグリー缶を買ってきたからな」

「俺は老人食は嫌いだ!!」

「わかるよその気持ち。たまには美味しい牛肉を食べたいなぁ」

「そうだよなぁ」


Laura、、、今日はいい夫婦の日じゃないよ

2017年01月22日 | 毎日の話

ラウラ「おとしゃん、今日はいい夫婦の日じゃないの」

お父さん「いい夫婦の日は11/22だよ」

ラウラ「そっか、じゃ"ちょっといい夫婦の日"ということだよね」

お父さん「まぁ、そういえばそんなものかな」

ラウラ「おめでたいんだから、おやつを頂戴よ」

お父さん「お前には関係ないだろ」

ラウラ「家族は仲良く、いつもニコニコ、おやつを頂戴」

お父さん「わかったけど、おとしゃんは1000円の万年筆で我慢しているんだよ」

ラウラ「壊れた万年筆、おかあしゃんに買ってもらえないの」

お父さん「いいんだよ。1000円の万年筆KAKUNOは結構使いやすいんだ」

ラウラ「そっか」

大事な万年筆はとうとうキャップがバカになり、やむなく使用停止。その代わりパイロットの「カクノ」という安い万年筆を使い始めた。これが結構描きやすいんだ(やせ我慢)


みんな年代物、、、だましだまし使うしかない

2017年01月21日 | 毎日の話

Mireille Mathieuの「Nos Souvenirs」が流れている。そう、この曲は「memory」のフランス語バージョン。可変抵抗器を直した4チャンネルオープンデッキはいい音を聞かせてくれているが、時々回転ムラが気になるが、元々の録音の結果なのか、この機械のくたびれ度合いなのかわからない。ので、ヒートランを行えばそれもわかる。何せ40年ほど前の機械。全てがいたわりの気持ちで接しないと、言うことを聞いてはくれない。最終的にはボディーを「バシッ」と叩くと直ることがある。

 

風が強く、朝方ベールに包まれていた富士山はやっと全体を見せてくれた。中途半端な雪が降ったのだろう。雪化粧はまだらで春先に近いような姿だ。

 

 

さて、今日は朝からのんびりとカメラをいじっている。電池を買ってきて、シャッターを切ってみたり、測光をしてみたり、レンズを交換してのぞいてみたり。

 

久しぶりに、マミヤのフィルムカートリッジを見ると、装填したばかりのVelviaのフイルムに気がついた。いつ装填したのか、少なからず3年は経っている。フイルムはもう腐っているかもしれないが、早速「バシ・ギューン」と15枚撮影した。興味のないMihoちゃんはカートリッジからフィルムを出すのを見て、「何、フィルムなの? それもそんなに大きなフィルムなの」と能天気。「似たような、中判用のデジタルカートリッジなら百万もするんだぞ」と思っても、口に出してはいけない。それにしても1992年製のこのカメラ。四半世紀頑張っている。


富士山、、、不思議な夜明け

2017年01月21日 | 毎日の話

米国では新しい大統領が就任した。そんな朝、富士山は薄いベールに包まれ、そのまま朝焼けを迎えた。

このような雲はとても珍しい。そして北風が強く、とても寒いが、蜜柑色に輝く富士山がとても綺麗だった。

 

 

「みなさん。おはようございます。良い週末を」」

 


可変抵抗器とポール・ボキューズ、そして田吾作さんの名曲

2017年01月20日 | 毎日の話

なんてことはない。仕事帰りに忘れずに買い物をしてきた。

「可変抵抗器の買い物」

源太郎「すいません。これと同じ可変抵抗器を探しているんです。A特性の50kオームですが・・・」

店 主(昔ながらの部品専門店)「見せてみな」

源太郎「これです」

店 主「あっ。これは基板用だなぁ。それとノブの長さが長いなぁ」

源太郎「もう、ないですかねぇ」

店 主「ちょっと待てよ。まずこの部品がA特性の50kオームの部品。で、これだと基盤に合わないから、ここをニッパーで切って繋ぐ方法かなぁ」

源太郎「ノブはなんとか加工します」

店 主「でさ、このアタッチメントがあるのよ。こいつのビスが邪魔なら切ってはめ込むといまくいくかなぁ」

源太郎「やってみます。スペースがありますのでジャンバー線でつなげるし、40年前の機械なので生き返るだけでいいんですよ」

店 主「うまく治るといいね」

源太郎「ありがとうございます。これを売っていただけますか」

店 主「あいよ。350円だよ」

源太郎「ありがとうございました」

と、昔ながらの秋葉原の店主。部品一個だって、アドバイスも的確。そして取り替えた可変抵抗器は見事に修理完了とあいなった。

続いて「パンの買い物」

帰りは東京駅から新幹線。だから大丸の食品館が便利なのだ。大丸の食品館の有名店は結構人が並ぶが、運よくまぁまぁ楽に買い物ができた。しかし、積極的にパンを食べない源太郎。Mihoちゃんから頼まれたパンはその種類名。これじゃ何を買ったらいいかわからない。そこで値段をみて「これ」と決めて購入。帰宅後、切った小さなパンにバターを塗って試食。「おいしいね」とMihoちゃん。よかったよかった。

ちょっと都庁に立ち寄る。ついでにグッズ店によってオリンピック関連商品をみる。

もちろん、あの「風呂敷スカーフ」は売り切れ、入荷未定となっている。で、オリンピックの記念バッチを購入。

源太郎「オリンピックとパラリンピックの並列バッチはないんですか」

店 員「それは非売品なんですよ。一般にはそれぞれのピンバッチなんです」

源太郎「そうなんですか」

はたと考える。

「なんで並列のバッチは非売品なのか。テレビでよくみるバッチはみんな並列なのに。わかったぞ」

多くを言うな、「源太郎は悟った」・・・そう言うことなのだ!!

でも、インスブルックの冬季オリンピックのバッチと比べて見劣りはしないが、なぜ縦長なのだろう。

 

そうそう、大分の石川青果の宇宙人エーコ様のブログ(九州産野菜・果物 大分の石川青果のエーコです!!)に「ご主人の田吾作どん作詞作曲の名曲がアップされていた」、なかなかいい曲ですよ。

ので、YouTubeのリンクを貼らせていただいた。YouTubeの視聴回数アップをよろしく(目指せ100万回)

calore