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Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

続続々源太郎(11)

2015年10月22日 | 腰折れ文
今朝は、ミレイマチューを聞きながら出勤ですね。浮気者と言われそうですが、彼女の巻き舌もいいものですよ。

十一 再びVienna

智子は美味しいラインワインを飲みながら楽しめるViennaの郊外にあるグリンチングという愉快な居酒屋街に行こうと言い出した。少し彼女は疲れているようだったので、今日は近場でと言ったが、行きたいというので、それに従った。今思えば、どうしても源太郎にその場所を教えておきたかったのだろうと思う。母親との思い出を味わいたかったのだろうとも思った。

オーストリアの酔っ払いをブアンバイザーと言ったと思うと智子は道すがら源太郎に話した。「どう言う意味だい」「ワインを歯で噛む。って意味なの。それ以上わからない。お蕎麦や餅は飲むというわよね、ワインを噛むってどんな意味なのかしら」

智子はドライバーにその意味を尋ねた。「お客様、簡単なことですよ。随分昔の事になりますが、葡萄の害虫にフィロキセラっていう虫が大発生してこの周辺の葡萄が全滅したんです。虫に食い荒らされたんですね。だから、飲兵衛が集まるとワインがなくなる。害虫みたいに噛んで飲んでしまうということなんです」「ありがとう。そう意味だったの」智子は長年の疑問が晴れて納得している。

居酒屋街は新鮮だった。庭木に灯りを灯し、日本で言えば赤提灯だ。そして店の中には陽気な飲兵衛が集まり民族楽器で歌ったり踊っている。テーブルにはワインは勿論のこと、ウインナ・シュニッツエルというカツレツにレモンをかけてみな手を伸ばしている。お客をかき分け席を確保すると、智子の隣の親父が、サッとグラスとはこばせ、まずい酒だが美人がいれば美酒だと言って数人が乾杯の仕草をすると、「姫君に」と言って彼らは盛り上がった。見ると智子は完全に彼らの姫君になっている。英語もドイツ語もまともに話せない源太郎は人間観察に徹した。それにしても、あの楽しそうな智子の笑顔は今でも忘れない。

飲兵衛達は、決まった順などなく、得意な歌を歌い始める。店の楽団はすぐに傍に来て伴奏する。ワンフレーズが終わる頃、大合唱になるから不思議だ。そして初老の親父が「姫君が歌うぞ」と言った瞬間、店中が静まり帰った。智子は恥じらいもなく立ち上がり、バンドに曲名を伝え歌い始めた。彼女の歌を聴くのは久しぶりだ。「E penso a te」国境を背にしたイタリアの名曲だ。何時でも君を思う、何処にいても、何をしていても君を思う、と歌い始めると彼らはグラスを少し掲げ、聴き入っている。透き通った智子の声は、店中を満たし、彼らを満たした。大合唱など始まらない。リサイタルのようだ。

源太郎はフイルムの残りを確認して、何枚かパンフォーカスで撮影した。広角のビヨゴンのレンズはしっかりと店内の雰囲気とスター誕生の瞬間を切り取った。その写真は源太郎の執務室の机の左端の電話機の横で微笑んでいる。

絵理香は、この居酒屋街に来る事に難色を示していた。それは単におしゃれしてレストランに行きたかったと言っていたが、これ以上、源太郎の奥様との思い出に立ち入りたくない女心がそうしていた。源太郎は、そう言ってもあの雰囲気に今一度触れたかった。もう一度来れる保証などない。「明日は希望を叶えるから、今日は付き合ってくれないか」珍しく源太郎は絵理香にお願いした。しばらく考えていた絵理香は「わかったわ。明日は埋め合わせしてもらいますからね。覚悟しておいてね。ねえ、服装はどうすればいいの」「そうだな。ラフでいいけど、シックなスカートがいい」「ええ。ホテルのお店に気に入りそうなスカートがあったわ」「ちゃっかりしているな。いいよ、わかった」絵理香の悪戯顔が笑える。

居酒屋街は、時が経ったが変わらない。智子との店も何一つ変わっていない。オーナーは世代が変わったのか、息子が後を継いだということは後で知る。あの時と違って絵理香が店に入ると客をかき分けることもなくサッと席が空いた。絵理香は彼らは近寄りがたいのか、智子のようにいきなり仲間とはいかなかった。

店のオーナーは、絵理香に片言のフランス語で「Vous avez choisi? 」と聞いた。絵理香はすぐに、「Quelle est votre suggestion du jour? 」と切り返した。「ここは居酒屋だよ。今日のおすすめなんてないさ」キョトンととしているオーナーに、源太郎はカツレツとハウスワインを頼むと告げ、事なきを得た。隣のオヤジは絵理香に興味を示しているが、話しかけてはこない。

奥のテーブルの紳士が歌を歌い始めた。そして歌に包まれた。絵理香は少し酔い、隣のオヤジと話し始めた。彼はフランス語はわからない。仕方なく、英語で会話を始め、源太郎と智子の話しを告げた。すると、周りがざわめいた。奥の初老の英語が堪能なオヤジが、「伝説の姫様だよ」と言った。そして、「あなたは、娘か?、彼女は元気か」と矢継ぎ早に絵理香に問いかけてきた。
「あの歌声は、ここの店では伝説なのさ。俺ら酔っ払いがあの時だけは静かになった。そうか、亡くなったのか。残念だなぁ」とさいだいげの賛辞を送った。源太郎は頭を下げ、胸の財布から、あの時の写真を取り出した。オヤジは、絵理香の隣の男に席を替れと告げ、グラスを持って移動した。写真に見入り、オーナーを呼び、彼女に献杯するから、店中の皆にワインを注ぐように言った。オーナーは早口のドイツ語でその趣旨を客に伝え、一同は立ち上がり、智子が歌ったあのうを歌い始めた。源太郎は、耐えきれず涙を流した。絵理香は何が起こったのかわからなかった。
そして歌い終わると、皆が杯をあげ、十字を切る男もいた。源太郎は幾度も頭を下げた。その肩をオヤジは幾度もたたいている。

時間が過ぎた頃、突然、絵理香が私も歌うと言い出した。源太郎は、そんな絵理香を止めた。絵理香は私も学生時代に合唱団にいたと初めて源太郎に言った。それでも源太郎はやめるように諭した。その雰囲気を察したオヤジは、彼女が歌うと隣に告げると、すぐに店中にその話しが伝わった。源太郎は、心配したが、結果として心配は無用だった事が彼女が歌い始めてすぐにわかった。
彼女の選曲も智子と同じイタリアの名曲を選択した。源太郎が良く聞く、Donati Tiziana Toscaが歌っていた「Serenata De Paradiso」だった。彼女の声もこの酒場を満たした。誰もが聞き惚れている。そしてオヤジは「あなたは幸せものだ。そして姫様をまたここに連れてきた。二人もの姫様を持つとは、羨ましい」と言った。歌い終わると、店中は拍手で満たされた。智子が絵理香に乗り移ったと思えた瞬間だった。