Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

霧の二月最終日

2014年02月28日 | 毎日の話
二月も今日が最終日。朝は暖かく、霧が建物を包んでいた。ヘッドライトの光は筋状にハッキリ確認出来る。今日は大手町から千代田線で北千住へ、それから渡良瀬川へ向かう。Uは羽田から福岡に向かっている筈だ。Mihoちゃんは、バンドの練習らしい。


昨日、二十数年来の友人から今週は湯島の梅まつりと聞いた。もうそんな時期だなぁと改めて思った。彼は御神輿を担ぐ、そしてフルマラソンも何度か走っているし、書籍も沢山読んでいるので、会話していても実に楽しい。


千代田線は都心へ向かう電車と違って、ゆっくり座って、静かだ。皆、本その物や今時のiPadで読書をしている。携帯を見ている人はいない。実に大人の空間。


ところが、西日暮里を過ぎると、OLや学生達が乗り込み、一斉に携帯を見つめる姿が周囲全ての席で始まった。

他人事だから、どうでもいいが、人間観察は面白い。OLさんは必ずと言っていいほど、ハンドバッグに腕を通し、その先に携帯を握っている。女子高生は大きなバックからはみ出した荷物の上にスマホを構えて前髪の間から覗き込んでいる。そして皆、只管携帯を操作し、指を上下させて、時折、着信音やメールとかLINEの通知音が聞こえる。

そして、座れなかった高校生はバックを床に無造作に置いて、携帯を見せ合い笑っている。持ち上げたバックの裏は綺麗とは言えない。靴底のようになっているが、お構いなし。

北千住に着くと、色々な年齢層が右に左に歩く。夏服のような白いヒラヒラのスカートもいれば、防寒着の人もいる。ところがここでも携帯を見ながら歩くOLが目立ち、渋滞を引き起こしている。何をいったいやっているのだろうか。

若者が駅ホームのベンチに座って、最初にすることが携帯。目の前に老夫婦が立っているのに、気にかけない。自分の周囲に飛び交う電波を拾いまくる若者やOL、少しづつ、電磁波のように細胞を破壊していくのだろう。こう言っても、電磁波って何って言い返されるだろう。もっと本を読めよ。本屋に足を運んで欲しい。

本屋に行かないと、ネットでしか本が買えなくなる。綺麗なしおりも不要になる。手に持って本屋を楽しむのが古本屋だけになってしまう。

近頃、携帯がウザくなってしまった。そう言いながら、スマホとタブレットは必要だ。家族への連絡はLINEが確実で早い。辞書は重たい思いをしなくても、最大級の辞書を使っている。ここでも言われそうだ。そんな辞書アプリ買わなくたって、ネットで調べたらいいのにと。いい加減なネットの情報より、やっぱり辞書でしょと一人つぶやいて見ても過去の人。ただ、言えることは、そのうちにネットがないと行間を読むことが出来ない人ばかりになると思う。「行間には何も書いてないよ」という言葉が返ってきそうだ。


寒い信州も格別

2014年02月27日 | 毎日の話
久々に、南風の雨降り。世間ではPM2.5が騒がれていて、空気中のこいつは洗い落とされるはずだ。自宅周辺の雪はすっかり消えて、春が近づいているのが実感できる。それでも関東平野は、寒の戻りが必ずあって、なごり雪が降るのが常だ。油断はできない。

職場に派遣されてきた職員の一人が、木曽谷の小さな町の出身だとわかり、昔の話題で盛り上がった。小さな町だから、誰でもが知り合いで、ローカルのピンポイントの話題は実に懐かしかった。


第二話 赤岩と栃の実

秋になって源太郎は赤岩に呼ばれ、越百川の源流の取水口計画地点の調査に出かける準備を指示された。道案内人、荷揚人、伐採人、測量手元を手配して木曜日の朝、幌のジープに分乗して、相之沢の林道終点まで上がった。ここから機材を背負い渓流沿いに道なき道を登って行く。それぞれ背負いの荷物はいっぱいで、30kgは超えている。道案内人と伐採係は先頭を歩き、後ろが歩きやすいようにルートを開拓している。

源太郎は、ウィルドのT2という高精度のトランシットを砲弾型の格納容器に入れ、それを背をって登って行った。これは重い。赤岩は、まっすぐな枝で杖を作り、それだけで歩いている。源太郎は「技師になれば、手ぶらで歩けるんだ」と思って身軽な赤岩の後に遅れまいと懸命に歩いた。

下出の率いる二班は反対の山頂に向かっていた。秋になると山頂は紅葉が終わり、空気も澄み、木々の葉が落ちるので三角測量には持ってこいだった。お互いの班は明日の朝の測量のために目的地に向かったが、今のように通信手段は無かったから相手を信じて、登るしかなかった。

赤岩は一時間毎、休憩を指示して皆を休ませ、その時間、案内人と周囲の林に消えた。案内人のリュックは次第に膨らんで行った。日が落ちる前に目標地点に到達して、テントの設営に取り掛かった。赤岩は案内人と何やら話し、沢の平地ではなく少し高い位置テントを張らせた。

職人達は任された仕事を粛々とこなし、一時間もしないうちに火まで起こして設営は終わった。その頃、大ハンマーを片手に、熊笹に大きな岩魚を何匹か刺して案内人と戻ってきた。大ハンマーは沢の淵に点在する花崗岩の石を叩き、岩下に動きを止めてじっとしている岩魚を叩き起こして生け獲る漁の道具だった。そのためだけに大ハンマーを職人は背負いあげていたのだ。

湿っぽいと赤岩は早めの晩飯を指示し、岩魚や案内人のリュックから、栂タケや舞茸、山桃を取り出して料理当番に渡した。料理人は手早く調理して晩飯の準備が整った。赤岩は、アルマイトの容器からバーボンを注いで飲めと言った。

測量の話はまたの機会として、無事調査が終わると、下山した。赤岩が一時間で相之沢のに着く前に、これは美味いと言って、生の栃の実を源太郎に渡した。美味いと信じた源太郎は、その渋さに閉口した。アホか生で食べれる訳はないという赤岩の笑い声が今でも聞こえてくる。クソ。いつか仕返しと思う人は多かったが、もう亡くなってしまった。

iPadから送信


チョット文句

2014年02月25日 | 毎日の話
長崎から羽田迄の飛行機は、時間を守らない搭乗客のお陰で、遅れて離陸し、偏西風の助けを借りて飛行したが、羽田の混雑で遅延となった。諸悪の根源は、搭乗客の怠慢なのだが、CAが謝る放送が流れる。海外の空港では、名前を呼んで搭乗客を探す航空会社の地上職員などいない。日本的なおもてなしなんだろうが、時間通り搭乗したお客のことなど考えていない。新幹線でこれをやったら、めちゃくちゃになるだろう。 国際線ではあり得ない。ゲートナンバーさえコロコロ変わるフライト案内掲示板を注視しないと、乗り遅れ事になる。あくまで自己責任なのだ。日本人のおもてなしの根源は、相手に不快な思いをさせない事だ。

遅れてくる搭乗客のパターンを色々見ていると、ある共通点がある。それは俗におばさんは遅れないという事。

朝の便は旅慣れない若者と昨夜の作業で疲れ報告書を脇に抱え、ネクタイが緩んだ若いサラリーマンが多い。旅慣れない客は大抵若い女性の二人連れだ。必ずスマホを片手に持っている。そして座ると、鏡を見つめて化粧の崩れ具合を見ている。そんな搭乗客。

昼の便は、あまり問題が無い。この時間に動ける人は、時間に余裕がある人達で、ゆとりを持っているか、旅慣れているお客。誰も急いでいない。

問題は夕方の便である。近頃は前泊のある出張は少なくなった。大抵、目一杯遊んだ客か、一杯引っ掛けたサラリーマンが遅れて搭乗する。誰も悪びれない。最も癖の悪い搭乗客は、大きなネズミの某テーマパークの袋を持って、片手に携帯を持った若い女性だ。遅れてくるからその袋を収納する場所がない。そして後方の真ん中の席だ。そして携帯の電源を切っていない。

昨日のフライトの隣の女性客は、使用した膝掛けを軽くたたむ事もせず、クシャクシャに丸めて降りていった。隣でたたんでいる私と対照的だ。近頃のとは言わないが、後工程はお客様と教わらないのかな。少しムッとした。今日は天気もいい。気持ち良い一日でありたい、

iPadから送信


青春の一コマ

2014年02月24日 | 毎日の話
今から40年程前の話。青春の1ページの出来事を綴ってみた。ここで登場する先輩は既にこの世をおさらばして、向こうの世界で、またユニークな遊びを仕掛けているに違いない。 オイルショックの頃だから、色々な意味で思い出深い。今では到底考えられない先輩達であったが、私たち夫婦の結婚式には揃って来て下さった。夕べのホテルで、ふと皆さんの事が思い出された。忘れないうちに書きとめようと思った次第。 三人の先輩のうち、お一人は今の私の歳になる前に他界した。そして其れから数年で皆さん亡くなってしまった。 もう時効だろうし、死人に口無しをいい事に、そのイタズラの全容をバラしてしまおう。

第一話 ウーターパンの地団駄
雪解けが本格的になり、林道の雪崩の雪の塊はほとんど除雪した。雪崩と一緒に落ちてきた花崗岩の礫も顔を出し、大型のショベルで谷底に落とし終わった。落とされた石は樹々の中を数百mパチンコ玉のように落ちていった。今こんな事をしたら謝罪会見になるだろう。除雪作業で折れ曲がったガードレールは、今にも落ちそうな状態でかろうじて支柱に繋がっている。

里では若葉が芽吹き始めているのに、ここでは、若芽はまだ硬く、針葉樹以外の樹々は針金のような枝だけが狭い谷間の青空に影絵のように広がっている。

「今週末に下山するぞ」と工区長代理の赤岩が越冬した職員に告げた。真冬の間、この男たちは、トンネル工事に従事し現場を守ってきた。春は近いといっても源流、晴天の朝は放射冷却でマイナス10以下(真冬は20度を下回る)になることはざらにあった。そんな朝は決まって渓流から導水している飲料水の配管が凍った。源太郎は若手社員だったので、北側の日陰沢をアイゼンをつけて、細い巡視路を登り、粉のような雪が少し積もっている下の厚い青い氷を踏みしめ配管のジョイントを確認して登っていった。

大抵、配管やジョイントは氷に埋れているので、温度は思いのほか下がらない。しかも断熱材が二重に巻かれているから、水が常時流れていれば凍ることはまずない。決まって最上部の呑み口が凍っていた。結局、標高差200mの小さな滝壺まで歩くことになる。滝壺に着くと、枯れ枝や落ち葉が詰まり、周囲は凍っていた。過冷却の水は止まると即座に凍ってしまう。だから源太郎は凍っている落ち葉を素手で素早く持ち上げ、下流に投げ捨て、一気に配管に導水した。

水は管路に飲み込まれ、滝壺の水位が下がるとゲップのように、ゴボゴボと音を上げ、抵抗が上がって、流れにくくなると水位が上がる。そして、水圧が上がり、再び勢いよく流れ込み、またゲップを始める。そしてそれを何回か繰り返した。数回繰り返すと、配管の空気が抜けてエアサージングが治まり滝壺の水位は落ち着いた。それから源太郎は周囲の小枝をさらって帰路についた。手先は完全に麻痺している。レザーの防寒着のポケットに入れていた軍手をはめると、やっと暖かさが指先に戻ってきた。

下山しながら、配管のベンド部に取り付けているエアーバルブの動作を確認して、水が通る音を聞き下山を急いだ。しかし、下りは特にアイゼンが効きにくい。脚を滑らせると、100m近い谷底に落ちて、この世とはおさらばとなる。源太郎は登り以上に気を使った。源太郎が合宿の給水タンクの所に戻ると、昨年定年退職し特別職員として越冬していた下出が配管のドレンバルブを開いて、流れ込んで来た水が綺麗になることを確認していた。ドレンから吹き出した水はコンクリート擁壁の肩から落ちていったが、飛沫はすぐに凍りついて氷柱を作る。

「ご苦労。何時もの呑口か。源太郎」 「ええ。呑み口ですよ。あと何回やるんですかね」 「しゃあないね。それも仕事だ」と下出は笑って、浅黒い手を濡らしながら、押し出された落ち葉や砂を片づけている。 「源太郎、水質検査だ。後は頼む」と下出はドレンバルブを閉め、合宿に戻っていった。

給水タンクから導水された水は、直接合宿に配水されない。水は特殊な浄化タンクに入る。ここで、コロイドなどを除去して、PHを整え、殺菌する塩素系の薬剤が細いチューブから点滴のように注入される。この部屋は建物の地下にあって、人間が腹這いになって入らなければならなかった。源太郎は白熱灯を点灯させて、遊離石灰が垂れ下り鍾乳洞のような浄化タンク室に入り試薬の変化を見た。渓流の水は綺麗だから、適当にやっても、問題ないが、ちょっと殺菌の液が多いと臭いがきつくなるので、また調整のために作業しなければならなくなる。源太郎はもう何度もこの機械を扱っていたので、微妙な調整が得意だった。

この部屋は夏は涼しく、冬も凍てつくことはない。でもこの部屋は下出や赤岩が捕獲したウサギや狸の留置所と化すこともあって、その度、二人に不衛生と源太郎は文句を言った。初めて狸と目を合わせた時は流石にビビった。この話はまたの機会に話そう。

「下出さん。終わりましたよ」 「おお。寒かっただろう」と言ってストーブ脇に椅子を出してくれた。そして、内緒という顔をして、湯呑みに燗酒を入れて手渡した。下出の手にもお代わりの湯呑みが握られている。


「下出さん、ご苦労様でした。源太郎。ちゃんとやったか」と赤岩が現場を一巡して戻ってきて、玄関先でアイゼンを外しながら声をかけた。そして赤岩は二人の湯呑みを見ても何も言わなかった。今では非常識とされ許されることはまず無いだろう。しかし、赤岩は越冬の全ての責任をもっているから、彼の常識の範疇は全て許容した。

「源太郎。風呂は湧いているか」 「はい。予備タンクの水で、電気ヒーターを入れてありますから湧いています」 「下出さん。朝風呂入りますか」 「そうですね」と言って二人は脱衣所に消えた。暫くして源太郎はしまったと思った。それは脱衣所の電熱ヒターの電源を入れていなかったのを思い出したのだ。脱衣所は一旦ヒーターを切ると一気に氷点下まで下がる。湿気を外に出すためここの窓は一枚ガラスだった。ひどい時は、風呂から出てタオルを一振りすると凍ってしまうのだ。 慌て脱衣所横にある大きなナイフスイッチを入れた。スイッチの電極から青い光が放たれ。脱衣所のヒーターはブーンと振動して発熱し始めた。手製の場所打ちのコンクリートの上に溝を掘り、ニクロム線を置いただけのものだが、200Vの電源と蓄熱効果のあるコンクリートで凄い熱量を発する。これも今では違反だろう。

「源太郎。俺たち年寄りを凍死させるつもりだったろ」 「けっして、そんな事はありません」 「まあ、出てきたら少しはマシだったから、許すとするか」と赤岩と下出は笑っている。

昼飯前に、赤岩が突然下出に語りかけた。 「下出さん。初男を呼んでくれ」すると下出は手回しの電話機を三回廻し初男を呼び出した。手回しの電話は大きな積層電池が繋がっていて、廻した回数だけ呼び鈴がなる。そして通話ができた。初男を呼び出すのは三回の呼び鈴が合図だった。暫くして、現場道具の入る腰袋を揺らして、小走りで初男は事務所に戻ってきた。彼は根っからのトンネル屋でトンネル工事のボウースンだった。腰袋には、煙草、マッチ、クリノメーター、小さな計算尺、ハンドレベルと野帳などが入っていた。

「初っあん。今日やるかね。肉は十分あるし来週は下山するから。奴(東大出身の工区長)が上がって来る前に片づけるかね」 「じゃ。あっちも」 「連中は能天気だから、こっちの事は気づいていない。驚くぞ」赤岩は悪ガキの目をして、初男に全権を委ねた。

初男の号令で、源太郎、試験室の担当、組の事務頭、組の坑夫頭が呼ばれた。 「今夜、越冬終了祭をやる。試験室はコンクリート練り返し板を洗って段取り。坑夫達は全員夕方四時迄に試験室前に集合。事務方は酒の段取りと機電屋は照明とジェットヒーターを準備。源太郎は坑内に誰もいないことを確認に入り俺に報告せよ。四時キッカリにな」 源太郎は始めての越冬だったから、何をするかわからない。キョトンとしていると、赤岩に呼ばれて会議室に入った。遅れて、下出と初男が入った。 「いいか。今夜は監督のお前が仕切るんだ。坑夫全員に感謝して無事越冬を終えたことを伝え、皆をもてなすんだ。詳しい事は、下出さんと初男に聞け」と言って赤岩は会議室を出た。

「何するんですか」 「お前、初めてだよな。要するに、坑夫達に挨拶をして皆さんにゆっくり飲んでもらうということだ。それ自体は簡単ことだよ。ただもう一つ大事な祭事がある。これだけは真剣勝負。いいか。お前、工区界の仕切り堰で困っているよな」 「ええ。あいつのおかげで、何時も水替えが大変ですよ。突っ込み水路は、、」 突っ込みトンネルは湧水のあるトンネルではもっと嫌な事。道路トンネルとは違い水路トンネルは奥に行くに従って下り勾配なのだ。それに比べ二工区は登り勾配だから排水には苦労がない。しかし、お互いの縄張りで境に仕切り堰がある。二工区は貫通発破の権利も取れなかったのでいつも一工区を目の仇と思っているから、始末に負えない。貫通発破の権利の話はまたの機会に。

「そう。それを今夜、吹き飛ばす。二工区は水には無頓着だ。今夜あいつを吹き飛ばして、こっち側の水を全部流す。2000mほど流れ下って、坑口に出れば、今夜の寒さでスケートリンクが出来る。そうすれば、当分こちらはドライで仕事が出来る」 「で、どうするんですか」 「代理が、本部に越冬終了祭をすると連絡するよな。すると、それを聞きつけた二工区のウータパン(何時も麻雀でウータパン待ちするからついたセコイあだ名)は酒好きだから、二工区の坑夫達を呼んで酒宴を開くはずだ。で、こっち側は三時からやると言ってやるのさ。あいつ、こっち側に合わせるから、三時過ぎには坑夫達を引き上げる。そこで、こっち側はゆっくり移動して、お前が安全点検で入り、半ダイを仕掛けて爆発して、トンズラする。あいつらはこっち側の作業の音だろうと思い、飲んでいる。すると明日はツルッとなっている訳だ」 「なら、坑夫にやらせたら」 「馬鹿。そうしたら喧嘩だぞ。彼らのアリバイをちゃんと作るんだ。まさか社員のお前が爆発させるとは思わない。坑夫達は正直だから嘘はつけない。だから、お前がやるのさ」 「源太郎。火薬の免許あるよな。お前がやれば違反じゃない。ちょっと仕掛けてこい。いいな。電気雷管だと配線の証拠が残るから、導火線雷管でやれ。火をつけたら、バッテリーカーで一目散に戻ってこい」 「ええ」

酒宴が始まる前。焼肉会場に集まった坑夫達の耳に、トンネルからズドンと鈍い音が聞こえた。坑夫達は二工区の作業の音だと思い、気にも止めなかった。一工区の坑夫達も相手の作業と思い込んだ。

「皆さん、越冬お疲れ様でした。今日は工区事務所の酒蔵が空になっても構いません。乾杯」と源太郎が言うと、坑夫頭が「ありがとうございます。ご馳走になります」と言って飲み始めた。赤岩と下出は高笑いし、初男は坑夫達に酒を配っている。酒宴は寒さも忘れ夜中まで続いた。コンクリートの練り返し板にはバケツでマトンの肉が入れられ、すでに三杯目を平らげていた。

翌日、昼前に電話が鳴った。「代理はいるか」とウータパンがわめいているのが電話越しに聞こえる。二日酔いの赤岩は、受話器をとって白々しく言った。 「何かあったか」 「てめー、やりやがったな」面白くなってきた。 「だから、何が」 「昨日仕切りを壊したろ。俺のところは氷だらけだ」 「氷か。寒いからな。暑ければ凍らないよ」 「なにー。誰がやった。」 「知らんよ。俺のとこは昨日越冬終了祭だぞ」 「誰がやった。」先にこちらの坑夫頭に聞いたらしく、犯人の目星がつかず、埒が明かないので、同じ言葉を繰り返した。 「俺のとこ水浸し、、、、やりやがったな」ウーターパンは苛立った。 ここで赤岩はとどめの一言を放った。 「水力屋なら解るだろ。水は高いところから低いところに流れるんだよ」そう言って電話を切った。痛快な越冬終わりの宣言だった。





iPadから送信


雲仙普賢岳の模型

2014年02月24日 | 毎日の話
雲仙普賢岳の模型
今日は穏やかな天気です。少し早めに島原に到着して、何気なく立ち寄った場所に、立派な模型かありました。6000分の1だそうです。九州の山はみな低く、中央アルプスに比べると優しい山並みです。大災害が起きた場合に再び立ちました。


旅は電車にかぎる

2014年02月23日 | 毎日の話
さて、九州への電車の移動が始まった。電車は何時間乗っても苦にはならない。昔、上野駅から東北の浅虫温泉まで特急はつかりで9時間かかって旅したり、高山線で雪で大幅に遅れて12時間、車内で待たされスキーに行った事もあった。勿論、今はないブルートレインの寝台特急はそれ以上の時間がかかるが、これは起きていないのでカウントはしない。

それに比べ、飛行機の移動は味気なく、旅という感覚がない。単に移動だけだから、仕事や海外に行く以外、乗ろうとも思わないし、乗りたくもない。飛行機は、乗るために、早めに空港に付き(今は事前予約でスルーできるのでギリギリでも良くなった)、時間が早ければラウンジで時間を潰し、登場しても、乗り遅れそうな悪びれない乗客を待ち、滑走路の離陸の順番を待ち、そして覚悟を決めて離陸、途中揺れまくり、着陸してからも自由になるまで、時間がかかる。速いかもしれないが、まったく味気ない。だから、飛行機に嬉しそうに乗る乗客を見ると、何が楽しいのかと思ってしまう。何時も飛行機が湯鬱な私には到底あり得ない事だ。

しかし、その絶対優位の電車も段々世知辛くなっている。某東日本の鉄道会社は、喫煙者を冷遇する最も比人道的な電車である。喫煙者の納めた税金は鉄道会社の赤字補填に用いられていたはず、今は知らないが。その会社は喫煙所も狭く、車両にも喫煙ルームさえない。何が「おもてなし」なのか。その点、某東海や西日本、九州は、まだ「おもてなし」の心があると思う次第。

喫煙を排除するなら、禁酒席を設けてほしいと思う。サラリーマンや旅人の楽しみだろうが、新幹線の席を相向かいにして、酒盛りをする姿をみるにつけ、哀れに見える。近頃は、歳をお召した奥方達もこれをやっている。そして、対角線でたわいない会話を大声で繰り返している。その脇で一生懸命勉強している学生もいるのに、まあ、指先を忙しく動かしているゲーマーには関係ないが。

そのくらいの事を我慢すれば、電車の旅は何よりゆったり出来る最高の旅の道具だ。そんな電車の移動を楽しみながら、煙草を燻らし、この原稿を書いている。雑音を排除したヘッドホンから、アンドレアボッチェリの曲が流れる。

間も無く浜名湖が見えるはずだ。皆静かに寝ている人、旅の話をガイドブックを見ながら語り合う二人。移動販売の女性が通り、そのゆっくりさを気にしながら、彼女が気づいてくれるの待っている通行人。なんて日本的なのか。数十秒単位の正確さで、駅を通過している。車窓には青空の下の浜名湖が光っている。至福の時間が過ぎる。





iPadから送信


帰り道でCDを

2014年02月22日 | 毎日の話
帰り道でCDを
元来、この手のパッケージアルバムは買わないのだが、このアルバムはオリジナル音源を使っている。ということで、10分の1の単価で手に入れた。前のユーザーはほとんど聴いていないとおもわれるほ、CDに汚れは無かった。 プレスリー、ベラフォンテ、グレン、ジョニーマティス、、、往年の歌手が今を歌うのでなく、リリース当時の声を聞かせてくれる。

マットモンローのロシアより愛を込めてが終わると、ハスキーのジュリーロンドンが唄うCry Me A Riverが流れてきた。

それより、Gloria estefanのCDが手に入った。コレクションで欠落していた一枚だ。何と125円。ダウンロードより安い。彼女には申し訳ないが、コレクションが揃ったことで、許してもらおう。しかし、これではCD制作に力が入りませんね。


地形学の大先生の本が発刊された

2014年02月20日 | 毎日の話
友人から先生の本がついに発刊されたと聞いた。まだ手にしてはいないが、先生が何年も推敲されて書き上げられた。執筆中に何度もお話を伺い、現役をさられる時にインタビューした思い出がある。 今から20年ほど前に、欧州に飛ぶ飛行機の窓越しに地形の話をお聞きした。今思うとついこの前だったように思い出される。もう90歳に近い。素晴らしい根気と学問を極める姿は尊敬以上の感がある。 医者のように地形を見る、本当に先生と言える方だ。改めて発刊おめでとうございます。

iPadから送信


御礼

2014年02月19日 | 毎日の話
御礼
ブログを読んでくださる方から、坐骨神経痛のお見舞いコメントを頂き、ありがとうございました。 痛みはだいぶ収まり、何時ものように通勤しています。この時期は休めないですので、多少辛いですが頑張ります。

庭木の大きな椿の木が先日の雪で折れてしまいました。金柑は持ちこたえましたが、坐骨神経痛のため、まだ片付けしていません。


今日は戦いの日といっていいかも

2014年02月19日 | 毎日の話
関東地方の雪は、回避できそうだ。Twitterで修造さんの帰国の誤報で盛り上がっていた。彼の暑苦しさが気象と連動していると、事例を踏まえてツイートされているのが面白い。

今日という日は色々な事が起きている。不思議な日だ。 1185年に屋島の戦いが始まった。一ノ谷の戦いで敗れ,屋島に逃れた平氏を源義経が奇襲攻撃。この戦いで那須与一が扇の的を射落とした話が生まれた。 1704年に市川団十郎(1世)刺殺された。歌舞伎は興味がないので解らない。 1800年にはナポレオン1世が第1執政になった。今日から事実上フランスの独裁者となり,政治的軍事的改革を次々に実現していった。 1837年に大塩平八郎の乱が起きた。大塩平八郎が,門弟や近辺の農民らとともに決起して船場に近い豪商を襲撃した。この乱で大坂市内の家屋1万戸が焼失。

この辺からは僕たちも関係あるかも。

1906年の今日、ケロッグのコーンフレーク誕生したそだ。米ミシガン州のケロッグ兄弟が発明した。兄のジョン・ケロッグは療養所を経営する医師,弟のウィリアムはそこの経理担当者。消化のよいパンを考案中に偶然,発明した。 映画にもなった。1945年硫黄島の戦いが今日始まった。太平洋戦争末期,日本軍が守備する硫黄島にアメリカ海兵隊が上陸。両軍合わせて3万人近くが戦死した。1ヵ月以上にわたる激戦が始まった。 テレビ中継が延々と続いた、1972年浅間山荘事件が始まった。この日,連合赤軍に属する5人が軽井沢の山荘に管理人の妻を人質として籠城。機動隊の人質救出作戦を各テレビ局が実況生中継した。なんだったんだろうか、娯楽番組のように報告する事がここで始まった。まったくもって、コロセウムの戦いを観戦するように。

iPadから送信