Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

暑い。薄い雲がかかるが、暑い。

2015年05月31日 | 毎日の話

窓を開けると心地よい風が通る。表に出ると直射日光で暑い。Jerryは木陰で伸びきっている。Emmaちゃんは小食で少し食べてベットに入ったが、Lauraはひたすら食べ物を要求し、一人飛んで歩いている。

テレビが、レベルの低い野党の意見を討論と言って放映しているが、平和ボケした元「⭕️⭕️党」の面々にはヘキヘキする。チャンネルを変えても芸能人が憲法について議論しているので、しばらく我慢していたが、チャンネルをBSに切り替えた。

原子力発電の反対意見も、うわべだけで、一種の感情論が正論のように構成されている。もう少し物事を掘り下げたらいいのに、野党や出演者の不勉強さには呆れる。正直彼らには無理な話。

会社も同じで、与党や中枢には本質の情報が入るが、亜流や野党はその情報からは隔離されているから、無理なことは容易に想像できる。しかし、本当に小学生レベルの議論だ。上げ足ばかりとって、本質に入り込まない。だから、平行線の議論は見ないことにして、結局BS放送に切り替えて、正解。歴史物を見ている。

富士山は、薄いベールがかかり、もゃっとしている。今日は娘が帰ってくるとLINEがあった。


相次ぐ地震

2015年05月31日 | 毎日の話
昨夜は長周期の地震。箱根の火山性地震。そして先ほども小さな地震を感じた。朝からグングン気温が上昇し、暑くなって来た。

息子のUは、デートに出掛けた。朝見ると、彼が乗る車が汚れているので、洗車した。息子のデートのために、父親が洗車するとは情け無い。まぁ、よく聞く娘のお手製のお弁当を母親が作っていたエピソードと同類だから良しとしよう。

息子いわく、ここまだ汚れているよ。馬鹿野郎。と思いながら、気をつけて行ってこいよ。と送り出した。

栗の木の花が咲き始めた。今日は五月の最終日曜日。明日から心機一転の新年度に入る。

ステレオ読本を発見

2015年05月30日 | 毎日の話

本棚の片隅に、ボロボロではないが「ステレオ読本」という本があった。初版が昭和41年、昭和46年発行の本である。発行人はパイオニア株式会社営業部で¥480円のA5版。

この本の前文が実に興味深い。今では「ステレオ」という言葉は当然すぎてあまり聞くことはないが、当時、ステレオの普及に向けて一生懸命だったことがうかがえるし、こんな本を買って読んでいたことにも驚かされる。

前文は「趣味の世界で育ったステレオが、幼児の音感教育や学校教育の場で、なくてはならないものとなり、一部の人々の占有物ではなくなりました。どこの家庭、どこの学校、幼稚園にもステレオは必需品となったのです」から始まる。

第1章は、音について、ステレオとモノ、ステレオ装置、ステレオの聞き方が記載されていて、第2章になると、ステレオ装置、ステレオアンプ、スピーカー、テープレコーダー、第3章はカタログの見方、第4章は、今でいうQ&Aである。誰にでもわかるように、音を周波数から解説している。今ではHzで皆分かるが、c/sといった懐かしい単位表現も併用し、図表をふんだんに使っているから、今読んでも面白かった。

特に、第2章のステレオ装置の部分では、ステレオ・レコードを見事に説明している。大体のことはわかっていると思っていたが、改めて読んでみると、そうだったのかということが書かれていた。

高校生の頃に、自分の部屋にS-90/ISのセパレートスステレオを置いて、壁にはナタリードロンのポスターをパネルにして飾ってあった。部屋の1/4ほどがこのステレオで占有され、残りのスペースでよく遊びに来た仲間たちと音楽を楽しんだ。レコード盤を持ち寄り、ダビングしてコレクションを増やしていった。

Mihoちゃんが所属していたブラバンの録音もよく聞いたが、このテープは今でも残っている。一冊の本で色々思い出される。そういう意味でも、電子モノより書籍のほうが価値があるように思う。

 


昨晩は、出向職員の歓送迎会

2015年05月30日 | 毎日の話

昨日の夕方は雨が降り、とても蒸し暑かった。そんな日に各部署で出向社員の歓送迎会が開かれた。我々の研究部も例に漏れず、型どおりの歓送迎会を開催したが、羽目をはずす社員もいなく、静かといえば静かな歓送迎会だったように思う。

昔は、送別会というと、一週間前くらいから、頻繁にいろいろな箇所で、知人や関係会社、職場といったように数回開催され、連日のように飲み会が実施されていた。ところが、今では、執務机の整理もギリギリになっても終わらず、参加者も時間を守らないで参加する始末で、全くケジメなんてものはない。時代が変わったと言ってしまえば仕方ないが、⭕️人的な職場では、「五分前精神」なんて応用動作さえ受け入れられないのかもしれない。

職場での飲み会は疲れる。どうしても仕事の話しになってしまって、広くいろいろな話しをすることができない。だから、源太郎は他業種の方々と飲む。その機会のほうが同じお金を払っても楽しい。またそうしないと、新しい発想はうまれない。

ここ数日は、OB会だの、なんとかの研究報告会などなど、そっち方面のピラミット組織の方々の飲み会が開かれているが、源太郎は関係なく、当然参加する必要もない。よくもまぁ同じ系列の方々と飲んで楽しいのかと、冷ややかに思っている。

昔から、たまに訪れる小さな焼き鳥屋さんでは、源太郎と同じような感覚の人たちが、カウンターテーブルに並び、専門的なことを聞いたり、異文化の話しで盛り上がっている。分野は、工学、金融、出版、音楽家、俳優の卵、不動産、サーファー、ミュージシャン、看護師、薬剤師、学生、、一度話題が成立すると、どんどんいろんな人と出会える。焼き鳥数本とお酒で、ほとんどのジャンルの情報が入る。

空港近くでないのでパイロットやCAとは出会わないが、昔松山市内の居酒屋で、A⭕️Aのパイロットと一緒に飲んだことがあった(残念ながらCAはいなかった)。彼らは、飲む時間までしっかり管理して、翌日のフライトのために厳格に自己管理している。その時は、ジェットエンジンの高パイパス比の話しで盛り上がった。同じ職場での飲み会とはわけが違う。専門用語が飛び交うが、彼らは専門家。素人にわかるように説明する。それが実に気持ち良い。

また、あるところでは釣りの話しでもりあがったが、「何の魚を釣るの」と聞くと、リールの設計をやっている人だった。海水がリール軸に入らないようにするにはどうしたらいいと思う。なんて質問に、「船のスクリュー軸の防水や水力発電の水車の軸受けの機構では」とかみ合わない素人の提案に、苦笑いしながら、頷いてくれた。

専門職になればなるほど、視野が狭くなるのだと思われているが、プロフェッショナルほど、相当な知識とブレーンを持たなければすぐに限界が見えてくる。⭕️人なら、ルールを覚え、様式を覚え、慣例・前例さえ知っていればその地位を向上・維持できるが、我々凡人が生きていくには、プロフェッショナルの人脈を持たないと、乗り切れない。

一つの事例をあげると、スマホである。スマホは急激に普及し、源太郎も初期のスマホから愛用していて、ガラ携は逆に操作がわからない。職場もスマホが普及してきているが、昨日の火山爆発の情報を職場でいち早くキャッチしたのは、源太郎だった。それは、ある火山学者の紹介してくれたアプリのお陰だし、鮮明な映像はツイッターでいち早く入手できたお陰だ。この前紹介したチリの噴火にも活躍してくれた。LINEやTwitterは知っていても、駆使しないと本当の利用価値はない。お陰でこの年に似合わず、この利用度は若者より高い。

しかし、上には上の方がいて、その方はライフワークで世界中のある情報を整理して、毎日メールしてくれる。しかもリンク先がすべて貼ってある。「すごいですね」と聞くと「今や意地だけでやっている」と答えが返ってきた。ジョークだろうが、すごい人もいる。

富士山通信を発信して久しいが、世界中でほぼ毎日撮影の富士山の姿を喜んでくれたり、リツイートしてくれたり。これも「意地」なのかもしれない。昭和新山生成日記で知られる「ミマツダイアグラム」の定点観測とは雲泥の差はあるが、富士山通信も意地で続けると、噴火した後、元の綺麗な富士山の四季はこんな形だったと語り継がれるかもしれない。その記録が出版され、印税でMihoちゃんが楽することになるので、当面版権は譲らないようにしようと思う。


味噌は何?

2015年05月29日 | 毎日の話

今朝の新幹線は空いている。
今日は雨模様との天気予報だが、秋田は30度と季節外れの暑さが予報されていた。

ふと、味噌の事が頭をよぎる。こんな時は、伊英辞書が活躍する。

味噌は日本固有の食料品だと思っているが、食文化を自慢するイタリアではどんな解釈しているか調べてみた。こんな一節が記載されている。

Il miso è prodotto con fagioli di soia bolliti in acqua salata, pestati e fatti fermentare con uno speciale enzima (koji) per alcuni mesi.
Condimento ricco di proteine, viene usato per preparare molti piatti. Diluendolo in acqua se ne ricava un brodo sostanzioso (misoshiru), che non manca mai nel tipico pasto giapponese. Lo si usa anche come base per condire legumi, ortaggi e per preparare verdure in salamoia.

だいたいの意味はこんなところかなあ。

味噌は大豆、塩水でゆで粉砕し、数ヶ月特別な酵素(麹)で発酵させて作る。
タンパク質が豊富な調味料は、多くの料理を調製するために使用される。水(acqua、直訳すぎるが確かに水)で希釈した汁は、日本の伝統的な食事で、心のこもった味噌汁になる。また、豆類、野菜の調味料や漬物を製造するための床になる。

結構正しい紹介だと思う。今日は少し涼しい。

駅の広告がだいぶ変わって来た。もちろん夏バージョンになるが、航空会社のパネルが多い。カンタス、KLM(あれまだ存在していたのか?)などなど。旅行もいいですね。


無駄な努力と価値ある努力

2015年05月28日 | 毎日の話
朝から薄雲で富士山は見えない。夏のような暑さに驚かされるが、インドの熱波に比べれば我慢できる範疇。
我が家のラウラは、朝から小さな箱に入ろうとして努力はしてみたものの、無理。でも澄ました顔をしている。Mihoちゃんと朝から大笑い。

昨日、阿蘇災害の復興事業が全建賞を受賞したとの朗報。あの当時ご苦労された方々の努力が認められた事が嬉しい。こちらは価値ある努力。感謝。

音楽業界の奥の手

2015年05月26日 | 毎日の話
フランスの若手歌手のSarah Rianiがついにアルバムを発表した。ところが、このアルバムはiTunesで配信となった。ならば、好みの曲をチョイスしてダウンロードしようと考えたが、やられた。

シングル曲二曲だけが試聴できるだけで、その他は「アルバム購入のみ」となっている。奥の手を彼らも考えた。前から、電子ブックレットはアルバム購入のみで付いてきたが、これを曲まで広げた。

当たり前だと思う。好きな曲だけダウンロードされては、アルバムの制作費は捻出できない。大御所になれば、ステージのDVDを付加して発売してもいけるが、新人はたやすくそれは出来ない。だから、この奥の手をつかっていい。

それにしても、子供のお遊戯会のようなCDが、投票券付きで販売する某国のプロデューサーには飽き飽きするが、これでは、音楽の亡国になってしまう。残念きわまりない。



話しは変わって、1969年の今日。東名高速道路が全線開通した。もう50年近くなるのかと当時を思い出す。それより1983年の今日の悲劇は鮮明に覚えている。あの日、正午頃,秋田県沖を震源とするマグニチュード7.7の地震が発生した。男鹿半島に遠足中の児童13名をはじめ,能代半島で沿岸工事作業員が犠牲になったと記憶する。あの時、生の津波の映像を初めて見たように思う。日本海側の地震は新潟地震しか知らなかった。もう30年も経つのか。

地震には驚かされる

2015年05月26日 | 毎日の話
このブログを読んで頂いている皆さん、地震を感じた方々も多かったでしょう。被害はありませんでしたか。

地震や火山活動が活発化して心配ですが、もともと自然災害が繰り返された我が国ですから、なんとか乗り切れるでしょう。楽観主義と言われそうですが、悩んでも仕方ありません。台風や洪水は昔に比べて、格段に警戒出来るようになりました。水防法のように組織として命令が出来る法律が整備され本当に洪水による被害は少なくなりました。

こんな統計はした事はありませんが、人的被害を発生時間で割って時間単位のリスクを割り出すと、自然災害はかなり低いのではないかもしれません。火山が噴火する間隔を300年として、3000人の被害が出ると、年間のリスクは10人/年、地震が100年間隔に発生するとして、平均30000人の被害が出ると、300人/年。すると、戦争や内戦のリスクの方がはるかに高い事になる。

結構大騒ぎしている土砂災害も平均的に言えば、火山噴火と地震の間ぐらい。ところが、台風は毎年来襲して、昔なら数千人/年にも達した。だから、治水ダムを作り、富士山レーダーも作り、少しでもリスクを低減させた。今はその甲斐あって火山噴火並みにリスクは低下した。

そんなふうに考えると、仕事が無くなってしまうから、止めよう。今日も天気がいい。


昨夜は鯛飯に挑戦

2015年05月25日 | 毎日の話
お陰で、Mihoちゃんは骨が8割位くっつき、ギブスも無くなってリハビリ中です。重いものは持てないが、なんとか家事をこなしています。ご心配かけてすいません。
本人曰く、握力が下がったのと、くしゃみをすると、折れた位置に痛みが走るとの事で、まだ絶好調とはいえないようですが。

昨日、買い物に出かけ、美味しそうな鯛を見つけて、鯛飯に挑戦しようとMihoちゃんが言うので、夕飯は鯛飯となった。結構美味しく炊きあがり、夕飯が華やいだ。



今朝は、雲が去り風もなくて穏やかな朝を迎えた。富士山の高い空は青く、筋状に残る残雪の全貌を見せてくれた。今年の雪解けは本当に早い。

早朝の新幹線は、月曜日である事と、運動会の振り替え休日で小学生の子供たちが多い。皆、ねずみの遊園地を目指しているようだ。そんなに元気なら、振り替え休日はいらないと思うし、親たちは、逆に疲れてしまうだろうと思いきや、親たちが若い。当たり前だが、親たちも名目あって、休日を楽しめるので、子供たちの振り替え休日ではなく、親たちの休日なのだろう。


穏やかな1日でした

2015年05月24日 | 毎日の話

栗の木は、花の芽を伸ばし始めた。庭の柑橘類の新芽の伸びは1日数センチにも達して、伸び伸び葉を広げている。

余談だが、先ほどまで、西本智実さんのTV番組を見ていて、彼女の指揮は実にかっこいいと思った。

さて、今日は昼間、青空が広がり、高い雲で秋のような空だ。知人の子供さんの運動会があったそうだから、天気予報が外れてよかった。栗の葉と青空を楽しんでください。

ドクダミの花も咲き、紫陽花も花芽が出てきた。どこも全て新しい生命が生まれている。我が家のJerry,Emma,Lauraは、相も変わらず、寝ているか、食べているかのどちらかだ。EmmaとLauraは一歩も家を出ないので、仕方ないが、バスルームのガラス越しに外を眺めているのがLaura、ベットで丸くなっているのがEmma、そのうち喧嘩を始めるかもしれない。

夕日の富士山を撮影しょうと思ったが、雲がて出てきて残念だ。山頂が隠れるまでのほんの一瞬の写真を楽しんでいただければ。


ゆっくり音楽を聴く

2015年05月24日 | 毎日の話

火山の動きが活発というニュースを頻繁に聴く。勿論富士山も活動期の火山だから油断はできないが、阿蘇も霧島も桜島、口永良部島、箱根、御嶽、浅間山、白根山、蔵王、そして白山も。日本には110も活火山があるから、どこが噴火してもおかしくはないが、とみに動きが活発になっている。井口先生も2020年に桜島が大規模な噴火ということを指摘しているから、間違いないだろう。

昨日、雨模様になると予測したが、今朝早く、小雨が降っていたのでハズレはしなかったが、今は晴れているから、予報は外れたと言っていい。出かけるにはいい日だ。ただ、疲れてしまって家でゆったりしている。こういう日は音楽を聴くのが一番で、ブログをアップしながら、デジタル録音した音源からCD-RW_MUSICに編集している。CD-RWの音楽専用ディスクはなかなか売っていない。データ専用はいくらでもあるが、音楽専用でないと、我が家の古いCD録音専用機は認識しない。一枚の価格が、CD-Rの20枚パッケージより高いから、大事にマスターCDとして作り込み、そのディスクから車で使用するCDを作っている。個人で使用するのだから違法ではない。しかし、音の厚みなら38-2トラのオープンテープにはおよばないが、車で聴くのだから、大抵の音なら許される。

ここで、愛するオープンテープレコーダーの話。

1950年代に普及したテープレコーダーが我が家に来たのは、小学生の頃だった。新しいもの好きな親父が、小さなモノラルテープレコーダーを買ってきた。アンプとスピーカーを内蔵した装置だったので、記録した音は、そのまま再生して聞くことができたので、中学の演劇の練習に持参して録音した。その録音は今でもそのテープが残っていて聴くことができる。「ロミオとジュリエット」のプロローグ。「麗しのベローナ・・・」と先生の語りが始まる。

その頃、東京電気音響というTEACという会社が、憧れの3ヘッドのステレオデッキを発表した。それ以降から「テープ・デッキ」と呼ばれるようになったように記憶している。本当の意味はだいぶのちに知った。テープを駆動する「テープ・トランスポート・メカニズム」と録音・再生用プリアンプを残して、パワー・アンプとスピーカーを外した装置をテープ・デッキ(tape deck)と呼ぶようになったのである。こうなると、そこで、セパレートステレオが、我が家にやってきて、とうとうTEACのテープ・デッキも並ぶことになる。

録音・再生のヘッドは2ヘッドから3ヘッドへ、やがて4、そして6ヘッドのものまで登場し、トラックもモノラルからはじまり、8トラック・4チャンネルまで出現した。また、テープの速度は、19cm/sec、そしてその4倍の記録容量の9.5cm/secがつくられるが、一方では高質な音の再現を目的にいわばプロ用38cm/secが出現する。この機種が、今我が家で活躍するオープンテープである。

親父が最初に購入したオープンリールのテープレコーダーは、テープの位置は上面だった。それが、デッキになると、テープを前面の位置に置くようにレイアウトされるようになった。当時のFMファンという雑誌には、究極の音として、このテープが持てはやらされた。マニアは、2トラック・2チャンネルの38cmを好み、通称「ツートラサンパチ」と呼んだが、20~30キロもの重さのこの装置を抱えて運ぶカバーもあった。今でも、その搬送用のカバーはちゃんと使用している。(チリよけとして)

 

カバーをしたRT-1050。上に運搬用の取っ手があるが、25kgを超えるから、移動はあり得ない。

病院の待合室はにわか評論家の討議が続く

2015年05月23日 | 毎日の話
薬をもらいに病院に来たが、既に爺婆が大型のテレビの前に陣取り、耳も遠くなっているから、大きな声で、評論をしている。
すると、あるばあさんがやってくると、具合が悪かったのかと、しばらく来院しなかった事を聴く。何気なく聴くが、明らかにおかしい。ここは、病院なのに。

病院が、集会所に化していて、これでは身体がしんどい人を早く診察できないだろう。

火山の話しが放送されると、さっき話していた内容をおうむ返しでとなりのばあさんに説明して、評論家気取りで解説する。その間の放送内容はひとつ前の席の爺が聞いていて、又内容をばあさんに説明する。これを繰り返し。

人生の縮図なのだが、そこに座っている源太郎も違和感がない。


イタリア語にはジェスチャーが不可欠

2015年05月23日 | 毎日の話

今朝はとても穏やかな富士山を眺めることができた。九州は雨模様になるというから、きっと明日は雨かもしれない。朝起きるとEmmaがすり寄ってきてご飯を要求している。ちょっと食べて、お水を飲んだらまたベットに戻っていった。

暫くアップしていなかった、TwitterやInstagramそして富士山通信の発信と結構忙しく先ほど作業が終わった。この写真は、今朝の05:42撮影の富士山です。

ながら族で、World Newsを見ていると、フランスF2の番組で、イタリア人の会話についてフランス的に解説していた。「彼らの会話を理解するには、ジェスチャーを理解しなければならない。ジェスチャーは250種類あり、それは、侵略を繰り返され、侵略者に理解されないよう生まれた。そして、滑稽なのは携帯電話で話しながら、ジェスチャーしている姿を見るにつけ、彼らの会話の奥深さを感じる」というものだった。

うむ。確かにイタリア語の参考書にジェスチャーの解説があったことを思い出した。そうか、もっと会話にジェスチャーを入れないと、イタリア語をマスターすることはできなそうだ。よし、可愛い会話の相手を見つけることにまずは挑戦して、それから覚えることにしょう。「むり、むり」と横でEmmaが言っているようだ。

 


無事、宇都宮は終わった

2015年05月22日 | 毎日の話
普通に、時間を過ごせば二日、楽が出来たが、多くの人達とお逢いして結構疲れた。
セッションの会場は、幾つもの部屋があるが、空席の会場もあれば、立ち見で入りきれない部屋もある。その年の流行もあるので、解らなくもないが、極端だった。

発表に対して、質問が無いのは残念であるが、時間制約で議論が未消化となるのもいただけない。発表時間を過ぎても説明を続ける人もいて、いつもながらの学会だった。中でも、緊張して言葉が震え、頭が真っ白になってしまった人もいて、さぞ辛かっただろうと思う場面に遭遇して、聞くにたえなかった。

近頃は、机上の空論が目立つ。三次元解析、動的解析、、、そして「安全側」という言葉を乱発して、さもこの論文が正しいものというイメージを植え付けて発表するものが多い。動画を貼り付け、インパクトを与える論法が多い中で、不要な安全率を下げるなんて発表はほとんどない。

特に、有限要素法を乱用して、さも難しい問題を解いているがごとく発表する輩には腹が立ち、古くからこれを知っている者にとっては、首を横に振りたい気持ちに成る。前提条件を明示せず、実現象と異なる場面を、疑問も持たず発表する姿には、この先の研究に期待はなく、納税者の負担がますます増大する事を覚悟しないとならないと思った次第。

さらに、地震の影響もあるのか、「一体、均一」といった事が正解の如く発言する同年代の輩もいて、残念きわまりないない。そして、最も最悪の輩は、セッションが終わった後で、寄ってきて、意見を言う事。「質問すれば良かったのに」と切り返すと、大抵、「時間が無かったので」という。結局、情け無い輩と思われる事に気付いていない可哀想な人もいた。

てな訳で、今年のお祭りは終わった。

昨夜の豪雨は夕立ちのよう。今朝は晴れ渡る

2015年05月21日 | 毎日の話
昨日は年甲斐もなく、ある研究発表をやってしまった。当然、若手の研究表彰対象外ですと、事務局の説明。ある先生と顔を見合わせ苦笑いだった。

会場は満席で立ち見状態だった。まあ、源太郎の発表は、寄席の色物みたいなものだから、笑いが出て昼食後のセッションだが眠りにつく人はいなかった。

それだけでも、少しは学会のお役に立てたのかもしれない。会う人皆さんが、面白かったと評してくれたのは、ありがたいかどうかは微妙。

二年連続して発表させていただいたが、今回を最後にしたい。若手の研究発表は、皆さん緊張感があり、真面目だが、優等生だ。もっとジョークを飛ばし欲しいものだ。