雨降りが続いていたが週末は梅雨の中休み。
友人のご夫妻を誘って、50年ほど前に仕事で訪れたことのある永源寺方面にドライブ。
長距離用の車の点検をしっかりして、新しいREGNO GR-XⅡのタイヤに履き替え、夜明けと同時に出発。
二箇所ほど休憩をとって、道の駅「永源寺渓流の里」に到着。
小鮎の塩焼き(こんな小さな鮎食べちゃうのか)や刺身用の赤こんにゃくを調達してクーラーボックスへ。
仕事柄関係したサインを見て、峠を越えて「安土城天主信長の館」に向かう。
ところで、この道の駅は「政所」というお茶も有名な場所だが、なんで政所という地名なのだろうと道中盛り上がる。
帰ってきてその起源を調べてみた。ちょっと長くなるが備忘録として。
【政所茶】
歴史上、天下に名を轟かせた銘茶が存在した。それは、鈴鹿山脈の谷あいの集落、東近江市政所町で生産される、「政所茶」と呼ばれるお茶。いまでは“幻の銘茶”とまで言われる「政所茶」は、かつては「宇治は茶所、茶は政所、娘やるのは縁所‥‥宇治は茶所、茶は政所、味のよいのは九居瀬の茶」と茶摘み唄にも歌われ、幕府や朝廷にも献上されていたほどの銘茶。そもそも、日本で最初にお茶の木が育てられたのが、滋賀県だったとも伝えられており、滋賀県とお茶の関わりは深い。滋賀県の政所の地に、お茶が初めて伝えられたのは室町時代で、周辺の村々は、古くから木地師と呼ばれる木工職人たちの本拠地だったが、農作物としては霜や雪害がひどいため、粟や稷などの雑穀ぐらいしか生産できなかった。そこへ、紅葉の名所として知られる臨済宗の禅寺、永源寺の越渓秀格禅師が、政所周辺はお茶の栽培に適しているとして、お茶を伝えて栽培を奨励したのが始まりとのこと。応仁の乱のころ、永源寺の学僧たちが京の都に「政所茶」を伝えたところ、その味わいが評判となり、その名は各地へと広まった。戦国時代には、幼少の石田三成が秀吉に献じたとされる三杯の茶の逸話「三献茶」は、「政所茶」だったといい、風味に富んだ「政所茶」は、秀吉のお気に入りのお茶になったといわれている。政所茶の特徴は、丸みがあり肉厚なのが特徴で、茶樹は挿し木で増やしたものではなく、種から育てられた在来種だそうだ。
【政所という地名の由来】
結局のところわからない。本来「政所」の意味は、「皇族や貴族の領地である荘園の事務所」のことらしい。
さて、大型トラックが行き来する狭い峠道(昔よりはるかに広くなっていたが)を山を下り、淡海の琵琶湖に近づき、目的地の「文芸の里」に到着。
目指すは、スペイン・セビリア万博の日本館メイン展示物として復元された安土城天主を展示している信長の館。
「どうする家康」が現在人気なので、信長の館も結構人気があるのかと思いきや、閑散として、見学日和だった。
県立安土城考古博物館を見学して、いよいよ信長の館へ。
撮影はできるが、著作権の関係で内部の写真はネットに掲載できないので、金ぴかの天主の外観だけアップする。
八幡掘を見て、JAで買い物をして明るいうちに帰宅。もちろん、ご苦労さん会の酒宴。往復660kmのドライブでした。
おまけ、JAで買ってきたプラムは当然ジャムに加工。甘酸っぱくておいしいですよ。