甲府気象台が、初冠雪を宣言した。2015年の初冠雪は10月11日となった。今から50年前の東京オリンピック。開会式の10月10日は晴天だった。今でも覚えている。
1年前のブログが送られてきた。ところで、オリンピックのポスターはいつになったら決まるのか。お役所仕事は本当にのんびり。やる気がないのかとまで思う。暫定版として、このポスターの数字を2020にして、それで当面乗り切ればいい。これに版権を設定すればいい。躍動感あって、ケチなデザインよりいい。
、 なぁ、Lauraもそう思うだろ。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/85/31e32135f68024647400e392501af7e6.jpg)
甲府気象台が、初冠雪を宣言した。2015年の初冠雪は10月11日となった。今から50年前の東京オリンピック。開会式の10月10日は晴天だった。今でも覚えている。
1年前のブログが送られてきた。ところで、オリンピックのポスターはいつになったら決まるのか。お役所仕事は本当にのんびり。やる気がないのかとまで思う。暫定版として、このポスターの数字を2020にして、それで当面乗り切ればいい。これに版権を設定すればいい。躍動感あって、ケチなデザインよりいい。
、 なぁ、Lauraもそう思うだろ。この時間に、やっと雲が富士山頂から去った。でも気温は思ったより下がっていない。
明日の朝まで、溶けないで夜明けを迎えて欲しい。ちゃんと雪化粧の写真を撮ってあげるから、溶けないで。
雨が上がり、雲が流れていく。富士山が少し姿を見せた。
オォー。予想通り初冠雪だ。今年も気象庁発表より早い。
気象庁の職員が確認しないと、正式に初冠雪にはならないが、事実。富士山の初冠雪は今年10月11日。
Mihoちゃんが、ピアノの練習するというので、退避しようとした時。「FFのストープ掃除していてね」とちゃんと仕事の指示をして、練習に入った。渋々、いたずらLauraをゲージに入れ、Emmaだけを自由にして掃除に入ることにした。
フィルターを外し、外カバーを外し、ファンカバーを外すと、細かい埃がしこたま付いている。そういえば昨年は手抜きの掃除をしたのだろう(記憶にない)。電気回路を傷つけないように、部品を外して、ファンを綺麗にした。
部品を逆順に取り付け、よかった「ビスが一本余った」なんてことはなく、試運転。今年もお世話になりますね。このFFのストーブがないと凍えてしまう。
ところで、写真を整理していて、昭和50年代前半で、作業が停滞してしまった。出てくる出てくる。面白いものばかりだ。
当時まだ高価だったカラーフィルムの写真だ。この堰堤は今は湖の底に眠っている。控えが一尺5寸もある花崗岩の石張りの堰堤だ。真っ白な花崗岩は昭和初期に造られたものだが、一切壊れていない。一箇所補修した後があるが、補修したところだけ繰り返し傷んでいる。それ以外は微動だもしていない。
続いて出てきたのは、学生時代の友人のI君を案内して黒部ダムにいった時の写真だ。夏だったと思う。残雪も見える。25tの両端走行ケーブルクレーンも健在な時代だ。右手下には、まだ112才(一尺立法が1才)四台を配置したコンクリートバッチャープラントがあったはずだ。56才のバッチャはもう撤去されたように記憶している。今の観光客の方々は、9立法メートルのバケットしか見ることしか出来ないのは残念だと思う。焼付けた写真からスキャンしているのでイマイチかもしれないが、当時友人は感激していたのを覚えている。
そして、小さな箱には、信州のスキー場の使用済みリフト券がいっぱい出てきた。なんでとっておいたのかな。捨てられない症候群かもしれない。挟まっていた、Mihoちゃんからの手紙があったので、見せると、破ろうとしたので、「だめ」といって取り上げた。
リフト券に紛れて、八方尾根の民宿のおばさんと記念撮影した一枚の写真が出てきた。確か民宿糀屋さんだったと思う。お袋のようなおばさんで、こちとら常連のお客だったが、「源太郎。雪が積もっている。雪かき」とか「早くお客さんの料理を並べて」「食器を下げて」と顎で使われた。これで料金一緒。とほほ、であった。が、地元の優待券をいつも貸してくれて、ある時期からはリフト代金はいらなかった。
噴火災害のあった御嶽山のスキー場。昭和50年だから40年前のリフト券だ。
色々なリフト券が出てくる。北海道や山陰、岐阜、富山、海外といったリフト券が出てくる。残念ながら新潟のスキー場で源太郎は滑ったことがない。
今日の作業は終り。昼食は、手作りの牛丼「子供達とすき焼きしたの、残り物の牛肉。柔らかいでしょ」とMihoちゃん。残り物と言わなければ、幸せだったのに。缶蹴り。
アルゼンチンタンゴのマエストロたちが結集した、奇跡の音楽ドキュメンタリー(Cafe de los MAESTROS)のDVDを見ようと、久しぶりにリビングのレコーダーの電源を入れる。このレコーダーの上は暖かいので、Lauraの常設寝床となっていた。お布団もないから、なんでここで寝るのか不思議だが、お腹が暖かいのでどうもここを昼寝場所と決めていたようだ。証拠の写真は何枚もある。
源太郎は、少し怒って、Lauraが「真犯人」と特定して捜査を開始した。事情聴取すると「ぬれぎぬ」という顔をして「黙秘権」を行使し、暖かいカーペットに横たわり、「カツ丼」は出てこないのかと鼻で笑っている。こいつ、シラを切るのか。「お前には、悲しむ両親はいないのか。お袋さんが悲しんでいるぞ」といっても、ふて寝をし始めた。そういえば、ここ数日この上に乗ってはいなかった。微妙なおかしな振動か、電磁波を感じて故障を感じていたのかもしれない。だとすると、「Lauraは冤罪かも」。しかし、その現場にいたことは事実だから、筆頭容疑者に違いはない。そのうち腹が空けば「自白するだろう」
しかし、DATに続き、このレコーダーもお陀仏になった。ついていない。もしかすると近頃の機械は「自爆プログラム。そう都市伝説のソニータイマーが仕掛けられているのか」と疑ってしまう。
どこかの大手自動車メーカーでさえ、必要な時に、状況を判断して「いい子のモード」に切り替わるプログラムを作動させることができることをやっていた。したがって、真犯人はメーカーかもしれないが、それを証明することは困難だ。まったくデジタル機器は根性がない。昔のテレビなら、二・三発、張り倒せば、ビシッとなって元気になった。
ということで、緊急避難的にDVDの予備機(PALもみれる機器)をリビングのTVにつないで、見ることにして、レコーダーは廃材となった。
出てくる。出てくる。いろんな写真をよく撮ったものだ。父親から蛇腹の写真機を譲り受け、遠足や友達と何処かに出かけると写真を撮っていた。1970年の万国博覧会でも、昭和30年8月に天然記念物に指定された鎌倉の大銀杏(今は折れてしまって根元しかないが40数年前の貴重な写真だ)なんて写真が出てくる。まだまた小学校時代まで行き着かない。それにしても、大阪万博は人が多かったな。そしていまこんな未来都市には住んでいない。
古い写真を整理すると、時間が過ぎるのが早い。といっても昨夜はのんびりして、ちょっと飲んだので早々と寝てしまった。しかし、朝はいつもの時間に起きてしまい、JerryとEmma、Lauraにまとわりつかれ、仕方なく、ホットカーペットをつけてやると、静かになって先ほどから爆睡している。
知人は、朝霧JAMに昨日から出かけているが、今朝は雨で、相当寒いだろう。思ったほど冷たい雨ではないが、もしかすると富士山頂は雪かもしれない。
古い記念写真が出てきた。40年以上前のある記念写真である。一人一人の顔を思い出している。もう多くの方々が、あちらの世界に旅立っている。源太郎もそのうち新参者としていくことになるだろう。皆んな相当歳をとり、仙人や婆婆になっているだろう。