Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

木瓜の花、、、一輪咲きました

2017年03月29日 | 毎日の話

暖かくて気持ちがいい。裏庭の木瓜の花が一輪咲いた。

淡い色の花が好きだ。(先日、空の窓際写真家さんから、木瓜の花とご自身を撮して「木瓜と呆け、そしてピントもボケて揃い踏み」とメールがあったが、呆けはボケていることに気づかないからそれはないと思った次第)

そして、Emmaの老木しだれ桃の花はもう少し、週末には開花するだろう。さて、午後も頑張りますか。


Laura、、、今日は暖かくなったよ!!

2017年03月29日 | 毎日の話

昨日は「暖かくなる」との天気予報だったのに、雷は鳴るし、雨も降るし、「気象予報士」しっかりせんかい。天気予報は外れても罪にはならないから「いい職業」と思ってしまうが、故人の福井敏雄さん(関西ではおなじみでしたね)の予報笑い話を思い出してしまい、「当たらない」と思う方が普通なのかもしれない。福井さんが今ご健在なら「外れちゃいました」と丁寧にお話ししてくれただろうなぁ。

当たるといえは「グリーンジャンボ」、3000円当たって喜ぶ我が家です。そんな話を日向ぼっこしているラウラが感づいたようだ。「おやつもご飯も今のままです」からね。


冷たい雨が降り続いている

2017年03月26日 | 毎日の話

北風の冷たい雨で、富士山麓は完全に雪模様だと思う。三月も終わるのにこんなに寒いとは。

仕方なく、部屋の掃除をして、ゆっくり音楽を聴くことにした。掃除の最中は中島みゆきさんのLP「おかえりなさい」などをかけ、掃除後は、マッサージ機に身を委ねてMireille MathieuのLP「Sentimentalement Votre」を聴き、配線や機器の動作を確認していた。古い機械を並べていたが、使いやすい機器だけに整理した。と言っても「断捨離」ではない。ルートから外れた機器は丁寧にしまったので、必要な時にまた活躍してもらうし、同機種が故障の時、代替え機械として頑張ってもらうつもりだ。

このLPはダイジェスト盤なので、LPレコード紹介からは外しているのは次のような解説から、このLPがさほど貴重なLPではなく、切り売りの感があるためだ。(要は、ミレイル・マチューが作ったものではなく、単に来日記念として作成されたものだということ)

「ミレイユ・マチューは、フランス・シャンソン界でも数少ない国際的な人気歌手、大スターのひとりにランクされているが、日本には1971年、NHKテレビに出演するためだけの目的で来日して以来、1974年、1976年に続いてことし1978年5月には4度目の来日が実現しようとしている。彼女の日本における人気も、来日のたびを重ねるごとに高まっているが、日本で発売されている彼女のLPの枚数がすべてのシャンソン歌手、いやポピュラー・ヴォーカリストのそれにくらべて最も多いということからも伺い知ることができよう。また第2回の来日前に(ミレイユ・マチュー・ファン・クラブ)が発足したこともその人気の高さを証拠立てている。

 12年前アマチュア・コンテストに連続優勝した時、ミレイユ・マチューは小柄な少女とはおもえぬ力強い唱法、スタイルに対してエディト・ピアフの再来といわれ、その年の暮にはシャンソン歌手の殿堂となっている「オランピア」に前座として出演、翌66年には同劇場のメイン・スターとして出演したほどの躍進ぶりをみせたのだった。

 フランスの古い民謡「アビ二オンの橋」でその名を知られているアビニオンの貧しい石工の娘として生まれたミレイユは、小学校を出ると、女工として働かねばならなかったが、好きな歌でその才能を早くから認められ、15才の時地方ののど自慢コンクールで優勝、声楽を習っていた先生の薦めでパリに出たのだった。

 ミレイユを国際的なスターに育てたのは、敏腕なパースナル・マネジャ兼演出家のジョニ・スタークだとされているが、彼女が単なるシャンソン歌手にないエンタテイナーとしての素質を伸ばし、国際的な感覚を身につけたのはスタークの指導と助言があったからであろう。

 ミレイユのレパートリー、舞台衣裳、ショウとしての演出には、パリとかフランスとかいった色彩、ワクを超えたアイディアが生かされており、ポール・モーリアをはじめクリスチャン・ブリューンなどすぐれた作曲家に曲を依頼してきたばかりでなく、シャンソンのスタンダード、アメリカのヒット曲など多彩なレパートリーにも国際的な人気の秘密があるとみられている。日本人としても小柄な方といえるくらい小柄な彼女のすばらしい声量、ドラマティックな力強い歌唱力表現力、そしてダンスやコミカルな演技などステージ・エンタテイナーとしての力量をいかんなくみせる彼女のステージは、まさしくフランスのシャンソン界、芸能界の大スターの名にふさわしいものといえよう。このアルバムは、彼女の数多いヒット・アルバムのなかから代表的な名唱、シングル・ヒット、えり抜きの名唱16曲を特集したベスト集の決定盤であり、4度目の来日を記念してのスペシャル・アルバムである」

と書かれている。ただ、B面の一曲目は「Medley Ne me quitte pas , Les Parapluies de Cherbourg」というちょっと変わった一曲。この曲があるからこのレコードを大事にしているのだ。

掃除が終わると、ラウラが偵察に来て、おしっことウンチをして帰って行った。

 


日曜日の冷たい雨が降る朝、、、Amel Bentを聴きながら

2017年03月26日 | 毎日の話

昨日はあんなに暖かかったのに、今朝は冷たい雨が降っている。だから、ラウラは一番暖かい場所を確保し、ジェリー爺さんに場所を絶対に譲らない。

「アタシの場所だからね」とジェリーを睨みつけている。

源太郎は、美人歌手のAmel Bentを聴きながらブログをアップしている。

コンコースを歩いていてふと思った。

昨日は春休みを楽しんだ子供たちがいっぱいだった。でも今日はせっかくの春休みなのにこの冷たい雨は残念だろう。ネズミのテーマパークも寒いに違いない。

昨日はどこの大学かわからないが卒業式が多かったようだ。今日卒業式なら晴れ着がかわいそうだ。それにしても「袴姿」がなんでこんなに増えたのかなぁ。

就職活動をしている諸氏は「ハンコ」を押したようなスーツを着て、同じデザインのバックを下げ、日頃スニーカーだった靴が少しヒールのある同じ色の靴を履いている。髪の毛だって、黒色に染め直し、女性はそれを束ねている。そして片手には携帯電話を必ずもち歩いている姿がそこにある。

そして、昨年頑張って就職を決めた諸氏は、真新しいネクタイを締め、真っ白なワイシャツ、そしてスーツ。キャリーバッグを従えてコンコースを歩く。初々しいといえばそれまでだが、もっとなんで楽な格好ができないのだろうかと思ってしまう。さすがに、詰襟の学生服を着ている姿はない。昔の上野駅や東京駅、そして梅田駅とは様変わりした。

音楽の分野でも同じだ。何かがヒットするとそれに話題が集中し、それ以外の曲は影に隠れてしまう。Amel Bentさんの歌はとてもいいが、まず日本で話題にならない。

そして同世代のRenato Zeroさんなんてまず話題にならない。独特の雰囲気を持った、新宿二丁目あたりにいそうな彼だが、「Cercami」という曲は彼の代表作。直訳すると「私を探して」となるだろうが、多くの歌手がカバーしている。Fiorellaもカバーしているが、本家はやっぱりいい。

 

さぁ、三月最終の日曜日、のんびり過ごしますか。

 


IL VOLO 続きです。明日は晴れてくれ!!

2017年03月21日 | 毎日の話

関東は一日雨。桜は咲いたようだがこの雨では外出するのは嫌だ。二人も源太郎の仕事が終わるのを待っていたようで、リビングに行くと横にべったりとなる。Mihoちゃんはジャス仲間とセッションで出かけてしまったから、余計に寂しくて脇を二人で固めている。

しかし、源太郎もゆっくりしたいが、立ち上がるとついてくるし、あっちに行けばそっちに、こっちに来ればそっちにと、カルガモのように一列行進だ。

明日は晴れる予報だから自由行動といきましょうね。とお願いしても無理かも。

夕食も終わり、二人ともお腹一杯になったようで、睡眠に入ったが、きっと11時過ぎには遊べと言ってくるに違いない。鬼の居ぬ間と二人が眠ったので再度IL VOLOの音楽を聴いている。コンサートCDとは別にIL VOLOが歌う名曲「L'immensita」や「Caruso」もまたいい。

そうそう、ドミンゴがこんなメッセージを添えていた。

この素敵な夜、星空の下で彼らと共に過ごし

このようなフィレンツェのような美しい街で

指揮することができるのは幸せだ

多くの人々がクラシックを聴くようになったのは

ルチアーノ、ホセと歌った三大テノールコンサートであった

この青年達は私達の思いを継いでくれている

Placido Domimgo

 彼ら三大テノールの力量には遠く及ばないが、それでもドミンゴにこれだけ賞賛されれはいつかはこの若者も素晴らしいテノール歌手になるだろう。

友人から「いい男いないじゃん」とメールがあった。「まだまだ小僧の年齢の三人。これからいい男になっていく、あとで「いいね」と言っても後の祭りだよ」と興行師のように返信しておいた。どうも今の風潮は顔のようだ。宝塚のファンになるなら早めに目をつけないといけないというじゃないか。そういう意味で、完成形を好きになるのは誰でもできるが、未完成のものを見つけることが大事だ。


源太郎、、、IL VOLOのコンサートに感動

2017年03月20日 | 音楽の話

「LA TABERNERA DEL PUERTO NO PUEDE SER」を歌ったPiero Baroneの声、二万人を超える聴衆がみな立ち上がって拍手を送る。

コンサートは終焉に近づいている。

なんといっても「忘れな草」を歌うドミンゴの声のすばらしさに圧倒される。

歌い終わり、そして彼が、亡くなったパバロッティへの感謝の言葉をおくる。三大テノールのステージを彷彿とさせる。久しぶりに感動だ。音楽はやっぱりいい。

ピエロ・バローネはアルバムに次のメッセージを寄せている。

ある日ピアノの先生に「三大テノール」のコンサートのビデオをもらいました。

その時から、それらのアリアを歌わずにはいられなかった。

そしてピアノレッスンは、自分が感じたものを歌わなければという思いに拍車をかけた。

フィレンツェのステージで感じたことを問われれば、私はこう答える。

光を浴びる前にした深呼吸のことしか覚えていない。

Piero

このジャケットは、彼らが生まれたばかりの頃の三大テノールのコンサートLD(1994)だ。左上のない部分はJerryが小さい時にかみ切った跡だ。懐かしい。

 

 


IL VOLO with PLACIDO DOMINGO

2017年03月20日 | 音楽の話

今、久しぶりに男性歌手のCDとDVDに魅了されている源太郎です。

Mihoちゃんが大好きな三大テノールの一人「ブラシド・ドミンゴ」がなんと指揮棒を振っている。

そして、2015年のサンレモ音楽祭で優勝した「IL VOLO」の共演だ。IL DIVOではない。彼らは1993-1995年生まれの歌手だが、歌がうまい。このブログでも過去に紹介しているがこの企画は最高だといえるかもしれない。おすすめの音源だ。

ドミンゴも彼らを高く評価している。IL VOLOを直訳すれば「飛ぶ」ということになる。彼らはまさしく若きテノール歌手。

あの三大テノールを目指して今はUSAツアーの最中だが、この録音は2016年7月にイタリアのフィレンツェ、サンタ・クローチェ広場でのコンサートだ。

デビューした時はまだまだ小僧のような三人だったが、サンレモ優勝後は大人の雰囲気になった。

Gianlucaは一番年下で1995年生まれ。

Ignazioは、1994年生まれ。

そして、源太郎が一番うまいと思うのがPieroで、1993年生まれ。いずれも20代前半の若者だが、三大テノールの再来のように思える。

日本は、ポップス一点張りのような音楽業界。イタリヤの音源を入手するのはなかなか大変だ。それにしても、ドミンゴはかっこいい。Mihoちゃんが「好きだ」というのもうなづける。彼らもきっと「いい男、それもイタリア人らしい「渋い男」になるだろう。

顔の好き嫌いはあるだろうが、イニャツィオをみると「ドンキホーテ」を思い出してしまう。最高の休日最終日になりそうだ。