痩せて見えるかなLaura 2015年10月21日 | 毎日の話 帰ってきたら、デフのLauraは細長い箱に入っている。痩せて見えるかな。ムリ 私ゃ関係ない。Emma。 そして、二人は眠る。ワインのコルクで遊ぶなLaura。
やっぱり、ミルバは最高。 2015年10月21日 | 音楽の話 ミルバとピアソラの日本公演のプログラムには、ミルバのコメントが掲載されている。1939年生まれの彼女だから、48歳になる歳にこのジョイントコンサートが開かれた。 このショーは1984年の秋、パリのブッフ・デユ・ノール劇場で初めて作られ、それからヨーロッパ中で上演されたものです。それ以来数年間私たちはずっと上演し続けてきました。それにアストル・ピアソラと彼の素晴らしいクインテットと再びステージで共演することはたまらない誘惑です。皆様もそれに気づかれことでしょう。ピアソラのタンゴは彼の国のポピュラー音楽に根付いていますが、それはジャズや20世紀の教養豊かな音楽とも結ばれています。このように彼のタンゴはもうアルゼンチン・タンゴではなくアストル・ピアソラのタンゴなのです。 まさにアメリカ的でまた中央ヨーロッパ的なキャラクターゆえにアストルは自分の音楽に声を与えるため私を選び、私は自分の声に音楽を与えるため彼を選びました。そして、私たちは一緒にこの喜ばしい贈り物の相手として皆様を選びました。 こんなコメント。ミルバだから様になる。 このコンサートは中野サンプラザホールで公演された。ピアソラの録音は幻が多い、この録音もう例にもれず、そうらしいが、藤沢嵐子の録音もうそうだったことは前に紹介した。今では、ピアソラといえば誰もが知ってるタンゴの奏者だが、アルゼンチンではそれほど、というよりもラインから外れていた。ミルバや藤沢嵐子さんの力を借りて、やっと母国でも認知された。 今は、アメリカナイズされた音楽ばかりがもてはやされている。源太郎はあえて言いたい。音楽業界の方々はもう少し欧州も見て欲しい。大好きなLaura Pausiniを是非呼んで欲しい。 いや、呼ばない方がいいかもしれない。(矛盾)、どうせ、「にわかファン」に囲まれるだけだから、その方が彼女のためかもしれない。ラクビーしかり、すぐに燃え上がり、冷めやすい日本人には彼女のようなスターは紹介しないほうがいいかも。と思ったりする。
続続々源太郎(10) 2015年10月21日 | 腰折れ文 Mihoちゃんから、2000文字以内にしなさいと前から言われている。1時間で書ける量なので、それで纏める。これが結構辛い。今回は100文字ほどオーバーした。前振りが長すぎた。反省。 十 メコン川 源太郎は憧れのメコン川に思いを馳せ飛行機の席に座っている。まだ飛行機は数名の搭乗客を待っているので、電話をしている者もいるし、一生懸命メールを打っている者いる。絵理香は時計型の端末で、素早くメッセージを確認して運ばれてきたシャンパングラスを右手に持って、窓の外を眺めていた。 「ねえ。よく休みが取れたわね」話すことがないのか、源太郎に向かっていつものように嫌味を投げた。 「ああ、お前に合わせんだよ。帰ったら仕事は山積みだよ」 「あらそう。私と旅をしたかったて、素直に言えばいいのに」 「はいはい。旅の始まりから、その調子かよ」源太郎は、飲みきったグラスを肘掛のスペースに置いた。CAは、何気なく近寄り、おかわりはいかがと話しかけて来たが、源太郎は丁寧にいらないと答え、CAはグラスを下げ、ナプキンで肘掛を拭き戻って行った。 搭乗口のドアが施錠され、CA達は施錠の相互確認をしている。 巡航高度を一路タンソンニュット国際空港に進路をとり飛行している。絵理香は機内食にはあまり手を付けず、飲み物だけを飲んでいる。「少しは食べたら」と声を掛けたが、「ええ」と答えるだけで、雲海を眺めていた。源太郎は程なく食事を終え、テーブルを片付け、リクエストした映画を見始めた。暫くすると、隣で寝息を立てる絵理香に気づき、CAに彼女の食事をさげてもらい、右手のグラスは、肘掛に戻した。 「寝てしまったわ」 「ああ、間も無く着陸態勢にはいるよ」 「ごめなさい、化粧室に行ってくるわ」と絵理香は席を立ち前方の化粧室に行った。 源太郎は、初めて絵理香の寝顔を見たが、いつもの毒舌を放つ彼女とは別人で子供のような寝顔だったと思い出していた。化粧室から出ると、絵理香はCAと立ち話して席に戻った。すると、CAがシャンパングラスを持って、絵理香に渡した。 「まだ飲むのか」 「ええ、喉が渇いたの」 彼女は、ワインボトル一本飲んでいたと思うが、酔ってはいないので、ダメとも言わなかった。 空港に降り立ち、迎えの車に乗ると、市内の中心部にあるマジェスティックホテルに直行した。 このホテルは立派だが大きな車寄せはなく大きな通りに面していた。二人は、短い旅行のためコンパクトな荷物をそれぞれが持ちカウンターに向い、それぞれがチェックインした。 ボーイが二人に駆け寄り、案内するというが、源太郎はお断りしてエレベーターホールに向かった。絵理香は、慣れたもので、ボーイに荷物と鍵を渡し、後から同じエレベーターに乗った。 「ねえ。夕食には時間があるでしょ。お互いにゆっくりしましょうね」 「ああ、夕食は何処にする」 「今日はホテルのレストランにしましょう。いいでしょ」 「じゃ、八時に。予約は入れておくよ」 「お願い」 絵理香は3階で降りて、部屋に向かった。源太郎は4階で降りて、部屋に入ると窓の外の景色を眺め、東京のホテルと違わないと思った。それでも、部屋は広く、花が飾られ、落ち着いた雰囲気に満足した。 ホーチミンという名前に馴染みはない。この町はベトナム最大の都市で、1975年まではサイゴン Saigonと呼ばれていたはずだ。メコン川デルタの北東に続くドンナイ川デルタにある。18世紀後半からフランス勢力の拠点となり、19世紀後半~20世紀前半にはフランス領インドシナ中心地だった。源太郎が知っているベトナムは、ベトナム戦争と、メコン川、そしてアオザイぐらいだった。 明日からの散策は、メコン川のゆったりとした眺めと、アオザイをきた女性達を見る事くらいしか想像できなかった。 アオザイは、確か「Britannica Japan」と英語では表すはずだ。でも、このベトナム女性の伝統的民族服は中国の伝統服をベトナムの風土と民族性とに同化させてできたものだから、Japanという単語がなぜつくのか昔から不思議にだった。中国風の襟と前開きの丈長の上衣チョーサンと、ゆったりしたズボンのクーツーが基本だが、チョーサンは身体にぴったり合わせて仕立てられ、裾から腰にかけてスリットがある。クーツーは幅広にゆったりとして白無地のサテンが使われるが、今は少しカラフルになっていると、物の本で読んだことがある。最近は異なる場合も多くなった。この姿はまず欧米人にはにあわない。そんなことを想像しながら、使いにくい欧州的なバスルームで汗を流した。 メコン川は、東南アジア最長の川で、中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、そしてベトナムを流れる延長が4000kmを超える川で、流域面積は日本の面積の2倍もある。「メコン」はタイ語系の呼び名でカンボジアではトンレトム と呼ばれ、ベトナム人はクーロン川と呼ぶ事もある。クーロンは龍の意味があるから曲がりくねる川を龍に例えたのだろう。日本の信濃川でも呼び名がいくつもある。ましていくつもの国を流れる川だから、当たり前と言えば当たり前だ。 源太郎は、レストランの予約を入れ、絵理香にそれを伝えようと電話をしたが、電話に出ない。寝ているのだろうと想像して、源太郎も持ってきた本を読むことにした。 日も暮れて、街灯りがはっきりしてきた頃、突然電話が鳴った。 「私。予約できたの。連絡してよ」 「三時過ぎに連絡したが、寝てたんだろ」 「いいえ、ちょっと出かけてきたのよ。寝るわけないでしょ」 「そりゃそうだな。あんだけヨダレ垂らして、飛行機で寝ていたからな」 「失礼ね。わけないでしょ」と言っている絵理香の電話口の顔は想像できた。源太郎はレストランの名を告げ、まだ間があるので本を読み続けた。 レストランの前で待っていると、アオザイをきた女性が声を掛けてきた。振り返ると薄いブルーのアオザイを着た美人が立っている。それが絵理香だと気づくのに少し時間がかかった。ストレートな黒髪、そしてスレンダーな身体の線が美しい。 「いいでしょ。惚れ直した」と絵理香が茶化す。
今朝はMilvaの日本公演のCDを聞いて出勤 2015年10月21日 | 音楽の話 Milvaがピアソラと共演した東京公演のライブ録音。1988年だからまだ大阪にいた頃だ。ハリのある歌声は、バンドネオンと対等、それ以上の輝きがある。 ライブ盤は、PAが介在しているので、臨場感は伝わるが、本当の音ではない。だから、やっぱりお金を払って生の音を聴くことが如何に贅沢なことなのかわかる。 と言ってみても、よほど余裕がなければ、聴くことは出来ないので、仕方ない。それでも、聞かないより、聴くことが大事。彼女の歌声を聞きながら、何時もの席に座った。