尾崎白浜(釜石市)

釜石港方面

○釜石・・・
言わずと知れた鉄の街としての歴史が多く語られ、新日鉄の企業城下町として栄え、かつては盛岡市に次ぐ人口を有していた。(約9万人)
享保12年(1727)磁鉄鉱が発見され、大橋に高炉が盛岡藩士の大島高任によって建設され、幕末の安政4年(1857)、日本初となる洋式高炉から鉄が取り出され、正に鉄と共に歩んだ歴史でもある。
それと海の釜石、漁業も盛んである。
何故に釜石・・・先日、5年ぶりに海釣りをしましたが坊主同然の釣果、久しぶりに釣竿を振り、釣糸を垂らすことでそれなりにリフレッシュとなったものの、どうも気持ちが落ち着かない、同行した後輩達にはポイント指南やらかつての経験談やらを得意げになって話すも、結局不本意な結果・・・・釣ってみせてナンボ、アドバイス通りに釣らせて幾らみたいな思いでもあったのです・・・涙。
てなわけで本日は前回の仇討ちで釜石に再釣行したのですが、前夜に思い立って釣行の準備、早朝に大型のサバやソッコ(秋田ではアオ・・・イナダ(ブリの幼魚))も時折釣れるとか、しかもメタルジグ(ルアー)でも釣れるとの情報、さらに50センチ超の三陸の内湾では珍しいサワラも釣れたというサイトの情報もあって俄然盛り上がる。
大型サバ2尾にイナダ2尾も釣れれば御の字だな・・・なんて獲らぬ狸の皮算用・・・汗・・・早朝5時半から7時までの1時間半がゴールデンハーフ(タイム)とか?・・・4時に目覚ましを掛けて早々に床に就いた。
翌朝・・・
ガビ~ン・・・涙・・・目が覚めたら5時半、それでもウツラウツラとして、まだしっかり起きていない。
これではお祭りに間に合わない、間に合っても良い釣果は期待できないと二度寝・・・夢の中。
7時前に目が覚める。
ありゃ~・・・失敗したということで、午前8時に海タナゴ狙いに変更して自宅を出発・・・・。
今回は、以前良い釣果が多かった尾崎白浜へ・・・・。
風が少し強い、魚影が薄い、撒餌に小魚が寄り付かない・・・・穴ハゼといわれるカンツカみたいな魚ばっかり釣れる・・・涙
やっとの思いで・・・・・。

20センチ弱のタナゴ・・・・後にも先にもこれ1尾のみ・・・・。
座敷親父さんが言っていたとおりカメラ持参では釣れないんだっ・・と悔しい思いをなだめて公共ふ頭、そして前回と同じ新浜町へ・・・・。


現地の皆さんのサバ釣りを見学後、午後3時現地撤退・・・涙
公共ふ頭からみえる狐崎館跡のある山・・・・。
初冬の頃にでも釜石の館跡でも調査しようと心に深く決めて帰路につきました。
ちなみに狐崎館主は狐崎玄蕃といい、荒谷玄蕃ともいうとか・・・後に附馬牛に移ったとも伝えられるが、附馬牛の荒谷地区は彼縁の土地なのだろうか?・・・或いは後の時代、慶長6年館将であった荒谷肥後(肥前・平清水氏系)が伊達勢に攻められて将兵全てが討死、処刑されたといわれる荒谷氏との混同なのか?・・・・釣りのことは一時的に脳裏から離れるも・・・・・・



帰宅途中の車中、目に飛び込んできた黄昏・・・・一層くたびれた親父の顔に影をつくり、情けない顔となっていた・・・・涙
おまけ

釜石南高の入口付近のコンビニに居る猫達・・・全部で4匹居ましたが画像には3匹
いずれ、もう一度だけ寒くならないうちに釣りに挑戦予定です。
このままでは年を越せません・・・笑

釜石港方面

○釜石・・・
言わずと知れた鉄の街としての歴史が多く語られ、新日鉄の企業城下町として栄え、かつては盛岡市に次ぐ人口を有していた。(約9万人)
享保12年(1727)磁鉄鉱が発見され、大橋に高炉が盛岡藩士の大島高任によって建設され、幕末の安政4年(1857)、日本初となる洋式高炉から鉄が取り出され、正に鉄と共に歩んだ歴史でもある。
それと海の釜石、漁業も盛んである。
何故に釜石・・・先日、5年ぶりに海釣りをしましたが坊主同然の釣果、久しぶりに釣竿を振り、釣糸を垂らすことでそれなりにリフレッシュとなったものの、どうも気持ちが落ち着かない、同行した後輩達にはポイント指南やらかつての経験談やらを得意げになって話すも、結局不本意な結果・・・・釣ってみせてナンボ、アドバイス通りに釣らせて幾らみたいな思いでもあったのです・・・涙。
てなわけで本日は前回の仇討ちで釜石に再釣行したのですが、前夜に思い立って釣行の準備、早朝に大型のサバやソッコ(秋田ではアオ・・・イナダ(ブリの幼魚))も時折釣れるとか、しかもメタルジグ(ルアー)でも釣れるとの情報、さらに50センチ超の三陸の内湾では珍しいサワラも釣れたというサイトの情報もあって俄然盛り上がる。
大型サバ2尾にイナダ2尾も釣れれば御の字だな・・・なんて獲らぬ狸の皮算用・・・汗・・・早朝5時半から7時までの1時間半がゴールデンハーフ(タイム)とか?・・・4時に目覚ましを掛けて早々に床に就いた。
翌朝・・・
ガビ~ン・・・涙・・・目が覚めたら5時半、それでもウツラウツラとして、まだしっかり起きていない。
これではお祭りに間に合わない、間に合っても良い釣果は期待できないと二度寝・・・夢の中。
7時前に目が覚める。
ありゃ~・・・失敗したということで、午前8時に海タナゴ狙いに変更して自宅を出発・・・・。
今回は、以前良い釣果が多かった尾崎白浜へ・・・・。
風が少し強い、魚影が薄い、撒餌に小魚が寄り付かない・・・・穴ハゼといわれるカンツカみたいな魚ばっかり釣れる・・・涙
やっとの思いで・・・・・。

20センチ弱のタナゴ・・・・後にも先にもこれ1尾のみ・・・・。
座敷親父さんが言っていたとおりカメラ持参では釣れないんだっ・・と悔しい思いをなだめて公共ふ頭、そして前回と同じ新浜町へ・・・・。


現地の皆さんのサバ釣りを見学後、午後3時現地撤退・・・涙
公共ふ頭からみえる狐崎館跡のある山・・・・。
初冬の頃にでも釜石の館跡でも調査しようと心に深く決めて帰路につきました。

ちなみに狐崎館主は狐崎玄蕃といい、荒谷玄蕃ともいうとか・・・後に附馬牛に移ったとも伝えられるが、附馬牛の荒谷地区は彼縁の土地なのだろうか?・・・或いは後の時代、慶長6年館将であった荒谷肥後(肥前・平清水氏系)が伊達勢に攻められて将兵全てが討死、処刑されたといわれる荒谷氏との混同なのか?・・・・釣りのことは一時的に脳裏から離れるも・・・・・・



帰宅途中の車中、目に飛び込んできた黄昏・・・・一層くたびれた親父の顔に影をつくり、情けない顔となっていた・・・・涙
おまけ

釜石南高の入口付近のコンビニに居る猫達・・・全部で4匹居ましたが画像には3匹
いずれ、もう一度だけ寒くならないうちに釣りに挑戦予定です。
このままでは年を越せません・・・笑