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「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

すかいぶるー・・・いえいえピンク

2007-10-14 21:43:03 | その他
 13日、朝の八戸・・・。


 八戸市庁舎

 遠野通い人の方々なら、早朝から遠野の町に繰り出して画像取材、時折、山へも出かける徹底ぶり・・・・。
 八戸通い人だとは自身では考えたこともないが、たまには街並みなんかも撮ってみようかと思いつつ・・・・軽い二日酔いで朝早くとはいかなかった・・・汗。
 ホテルのチェックアウト後、午前8時半頃、藤九郎さんとの待ち合わせ場所、八戸市役所前ロータリーで数枚シャッターを切る・・・。

 

 こちらは遠野、松崎町駒木の青空・・・14日。






 
 別々のカメラ、時間帯の別ということで色合いが違います。





 里の紅葉はもう少し先といったところ・・・六角牛と小烏瀬川




 
 
 ピンクレディー




 「おにいちゃん、ピンクレディのような可愛くてスタイルの良い娘いるよ・・・」と聞こえてきそうな・・・・汗


 八戸の湊地区で飲会、今回で4度目か?、その頃から少し気になっていた看板、一度目はまだお店が現役かも、次回のぞいてみようかな?と実は考えていた・・・笑

 だいぶ前に閉店したらしいが、電気がつけばフラフラと入ってしまおうと思う親父達もいるのではないのか・・・・?・・・笑
 古き良き時代の賑やかな界隈の雰囲気が空想ながらも脳裏をよぎる・・・。



 ピンクレディーといえば、一世を風靡したスーパーアイドル、既に30年前後の年月が流れているが、当時のことを思えば、私も・・・今でいう萌え~~・・・となっていた・・・たぶんなっていたと思う・・・汗




 首都圏で社会人として生活していた従兄弟が偶然に寿司屋で、ピンクレディのお二人に遭遇したとか・・・その際に写真を撮らせていただいたとのこと。

 しかし、人気絶頂であったピンクレディーが簡単に写真を撮らせてくれるのだろうか?プライベートでも二人いつも一緒だったのだろうか?・・・これは撮影会みたいなものではなかったのか?・・・と勘繰っておりやした・・・・笑

 まっ、プライベートで写したと言っていた従兄弟を立てることにしよう・・・。
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2007八戸紀行

2007-10-13 20:09:29 | その他
 約1年ぶりの八戸・・・・、毎年2、3回は八戸を訪れておりますが、今年は今回が初、若干の歴史的な取材も兼ねてはおりますが、第1の目的は、八戸在のブロガー藤九郎さんとの懇親を深めること、このことに尽きる内容でもあります。

 新花巻から「やまびこ」で盛岡へ、そして「はやて」に乗り換え、盛岡での乗り継ぎに30分ほどありましたが、盛岡~八戸は30分、遠野から約2時間で八戸の地に立っているという近さ、4百年ほど前、根城の八戸氏(遠野南部氏)が3泊4日かけて歩いて遠野入りしたことを考えれば、現代社会の時間がいかに早く流れているか・・・・・感じずにはいられない。


 例によって缶酎ハイをプシュ・・として、30分の楽しみ、例のトランヴェールを読む・・・。




 ほろ酔いになる手前、あっという間に八戸到着。


 目の覚めるような爽やかな秋空の八戸・・・。


 藤九郎さんのお迎えをいただき、まずは櫛引八幡宮へ・・・。


 櫛引八幡では、新しく出来た宝物館を見学・・・。


 流鏑馬が開催される馬場・・・。
 遠野八幡宮での遠野南部流鏑馬の原点というべき場所、コースは暗く短いものの、どこか神聖な雰囲気が漂っている。



 本日宿泊の八戸市街地のホテル前まで藤九郎さんに送られ、一旦解散。

 チェックイン後、直ちにバスにて湊方面へひとり移動・・・。



 以前ご案内いただいた銭湯にてサッパリと汗を流して徒歩で移動・・・例の場所へ・・・。



 お食事のデパート「喜代志」・・・何時来ても、懐かしい雰囲気と共に賑やかでもある。




 例によって、名物鳥唐揚・・・・



 フライドチキンと言った方がよいと思いますが、この大きさで一人分4個が皿に乗せられてきます。


 生ビールで乾杯後は、すっきりした飲み味の玉露割をいただく。



 夕方5時半頃から飲み始め、午後9時少し前に街中へ移動・・・。


 口直しに街中の居酒屋で軽く飲んで・・・・屋台村「みろく横丁」へ・・・。



 元気な屋台村、金曜日ということもあって混雑しておりましたが、空きのある某店に滑り込んで、ここでも乾杯。


 炉辺風のお店が今宵最後のお店となり午後11時半過ぎに解散。




 ということで、夜の宴、さらに湯っこ、歴史等も無論堪能いたしました。
 徐々にテーマに沿ってご紹介したいと思ってます。





 おまけ・・・・・




 たぶんといいますか、少し予想はしておりましたが、お着物姿で現れると思ってましたが・・・・・笑・・・やはり・・・・笑・・・藤九郎さん


 以前から自分の着物を買うこと、着こなすことに憧れがあったそうで、八戸市内でのブロガー仲間で着物をこよなく愛する人達の集いのようなものがあって、その集まりといいますかオフ会にはじめて参加されたそうです。

 機会あったらどんどん着物を着るぞ・・・と言っておられました。

 確かにお似合いである・・・・。
 どこかうらやましいと思った・・・・笑・・・ホント。
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娯楽の殿堂

2007-10-11 20:17:01 | その他
 記憶の中では朝一番そして区切りの時間帯、テンポのよい軍艦マーチが流れる中、館内アナウンスがこだまする・・・。

 「出ます、出します、取らせます。」「ジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリ・・・」

 地元から起業した娯楽の殿堂がリニューアル、駐車場も久しぶりに満杯、果してお祭りに出かけた人達は大笑いとなったのか、既にこの世界から足を洗ったに等しい小生であるが、少しだけ気になったりして・・・・笑




 20数年前、本格的構えの娯楽の殿堂がオープン、興味本位に何度か休みに顔を出していたが、いつしか趣味のひとつとなってしまった・・・というか趣味ではなくギャンブルといった意味合いが強いものと年月を重ねると自身でもわかってはいた。

 しかし、はまってしまったのです・・・・汗



 最初に大ハマリした「エクシード」・・・液晶の数字がきれいで、フィーバー(大当)すると・・・ファンファーレが鳴る・・・。

 この機種で一気にギャンブラーの道へ・・・汗


 その後、色々と経験しましたが・・・。

 次に大ハマリしたのが・・・



 アレパチ「アレジン」・・・これは正に爆裂機、多くの泣き笑いを見聞きし、経験もした。
 771「ピー」・・「おぉぉ・・」密かな期待が・・・776「ピー~」・・「心臓バクバク」・・・隣でも「ピー」・・「何っ」・・・不安がよぎる・・・

 とにかく息が長かった人気機種であったが、この手の機種が消えると同時に私の殿堂への足は遠退いた。

 「出ません、出しません、取られます」が何時しか耳にこだました。

 市内で5店舗が展開中、まさしくこの業界では益々競争激化の様相ですが、遊ばれる皆さん、熱くならずに楽しまれてください。





 別話題・・・

 12日午後から1年ぶりに八戸へ行ってまいります。

 江戸時代初期に八戸の根城の八戸直義(遠野南部氏初代)が太守南部利直の命により遠野へ村替え、先祖累代の土地、八戸を後にして遠野へ向った足跡の一部を訪ねるといったことでの八戸入りでもあります。

 4年前、八戸を訪ねた際に、直義一行は領民達の見送りを受け、名残惜しんだ者達は三戸境まで附き従ったとも語られ、この人達との最後の別れとなった観音林を探せずにいた事、これが気にかかっていたことでもありました。

 てっきり三戸町内に観音林があるものと思っていたが、後で聞いた話によると軽米町とのこと。
 そして根城から観音林に至る街道も江戸期に八戸藩が参勤交代で利用した街道とも若干違うとのことでもあり、是非にその一部ではありますが訪ねてみたい、そんな思いでもあります。



 根城・・・八戸南部氏(遠野南部氏)の居城




 元遠野市長、故 菊池 正 氏の書

 根城八戸氏21代、遠野女殿様と名高い清心尼公を偲ぶ・・・。



 帰宅は13日(土)夕方となります。

 無論、温泉、グルメ等も楽しむ予定でして、ブログ画像展でご協力いただいた現地ブロガーさんとの交流もその目的のひとつでもあります。



 娯楽の殿堂も八戸も関係ないニャ~

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宝暦の大飢饉

2007-10-09 18:21:50 | 遠野
 江戸時代の宝暦4年(1754)の遠野は大洪水による凶作、また翌年の宝暦5年は冷害による凶作と2年続けての凶作となったと記録されている。

 宝暦年中(1751~1763)の遠野は、各方面ともに順調な発展を遂げ、人口も2万人弱、約19,400余人、家屋数約3,500軒との記録である。(紫波佐比内村含む)

 宝暦5年は遠野領空前絶後の大凶作といわれ、春の田植時期は寒く綿入れを着たまま、さらに近くに焚き火をして手を暖めながらの田植作業と伝えられる。

 初夏の頃は毎日のように霧雨が降り、太陽は隠れたままで、盛夏になりようやく暑い日もあったと伝えられますが、細いながらも幾らかの穂が出、初夏までの低温での遅れを完全挽回に至らずとも、このまま暑い日が続けば家族でなんとか食べていける程度の収穫は期待できると皆でホッとしかけた矢先、8月16、17日、二日続けて霜が降りたという・・・。

 米は全くという程採れず、稗、粟、豆といった雑穀類も同様、まさに大凶作となり、米、雑穀の類の価格が急騰、宝暦4年当時の人口約1万9千余人の内、救済を受けた者7千5百人余、餓死者は、3千人と記録されている。
 また領内から出奔した男女5百人弱、主を失った空家が目立ち、また疲弊していたところに労力が足りず、さらに宝暦6年も凶作、7年も凶作となり田畑は不毛の地と化したともある。


 さらに後年の天明、天保時代にも大凶作が発生、宝暦の大飢饉をも凌ぐ甚大な被害となった。




 松崎字洞の里・・・・現松崎町光興寺宮代
 飢饉無縁塔



 飢饉の碑ともいわれますが、別説として他領から流れついた人々がこの地で亡くなり、その無縁仏を鎮魂する碑ともいわれますが、遠野古事記には3千人前後の餓死者(遠野旧事記には40名弱、ここでは遠野古事記を採用)とあり、いかに大飢饉だったかを物語ものでもあり、無縁塔は遠野領内各地から食を求めた人々が彷徨い力尽きて亡くなった方々の霊全てを鎮魂するものであったと私は認識しております。

 私も含み現代人には、到底想像も出来ない凄惨な場面があったのだろう・・・。

 
 今年は台風直撃かと心配される災害も発生しましたが、なんとか大きな被害は免れ、米も平年作といわれております。
 しかし、米価は年々下落、しかも美味しく、かつ安全なお米でなければ競争には打ち勝てないという時代となり、小規模農家にとっては実入りの少ない分野となっております。

 
 




 松崎町松崎・・・遠野市内でも米処である松崎町


 余談となりますが、十数年前の平成の大凶作、私の母親なんかは、餓死だと騒ぎ、うどんや蕎麦を食べなければならない、配給される米では足りないと騒ぎたててましたが、今だから言いますが、我が家には古米、古々米はある程度備蓄されておりやんした・・・汗

 今考えれば凶作が数年も続けば、それこそ飽食の時代どころではなく、現代人はどうなるのだろう、私のように魚介類が苦手とか偏食人間が言うことではないが、母親のように強かに食に関しては考えなくてはと思いますし、基幹産業は農、これ人間の根底にあるもので最も大事なことではないでしょうか、つくづくこの歳になり考えるようになりました。




 松崎町駒木




 もうひとつ・・・

 10月17日(水)は福泉寺秋の大祭であります。
 このお祭りでの役割を決めるため、檀家筆頭家の面々が集まり取り決めました。

 今回は、檀家役員での事務局長的な方が先月亡くなられ、大きな穴が空いたようでもありましたが、我家の本家的な家のご当主様をお迎えして、なんとか滞りなく取り決めることができました。



 今回も最年少は親父年齢の私です・・・笑
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笑って(藁)許して・・・

2007-10-08 16:20:49 | 遠野
 朝から雨が降りだすも、本格的な雨には至らず、それでも鉛色の空が盆地を覆う一日、稲刈もピークを過ぎてはいるが、田園地帯を見渡せば、結構黄金色の田んぼも残されている。
 連休中に一気に稲刈りを決めてたいところだが、この天候じゃ無理と断念した農家も割とあったものと思われます。


 通い道近くの谷地地区・・・・

 谷地とは・・・湿地帯とか低湿地のことを指す言葉ですが、地名としての谷地は全国至る所にあるようでもあります。

 遠野市においては、土淵町の谷地と松崎町の谷地が地名としてございますが、隣接地域、五日市川を挟んで南側が土淵町の谷地、北側が松崎町の谷地となっております。

 東側部分ではどのような境となっているかは不明ですが、薬研淵~駒木の農免道路沿いは土淵町となっている。


 画像、川を挟んで右が土淵谷地、左が松崎谷地。



 土淵町



 松崎町


 どちらの谷地もほとんど水田地帯となっていて、遠野の米処といった雰囲気。

 未調査ながら、江戸初期の辺りは土淵の谷地は五日市村の一部であったのだろうか、それとも谷地といわれるように湿地が広がって地元でいう「やずた(谷地田)」・・・(ぬかるんだ水田)で米作りに適さない場所だったのだろうか?

 小烏瀬川は、その昔、一時期ではあるが谷地地区の北側を流れていた時代もあったとか・・・・。
 また松崎側は、谷地を含む猿ヶ石川右岸沿いはその住所表示が全て駒木となっており、駒木村の一部であったのだろうか?いずれにしてもこの界隈は江戸時代、大きな括りとしては松崎村か駒木村のどちらかであったのだろう・・・。

 ちなみに土淵側では谷地、大里の姓がみられますが、松崎側は村上姓が割りと多い集落でもあります。


 

 今年も早速お見え・・・笑




 下流に行きますと蓬田・・・

 こちらにも・・・笑



 おそらく藁は今後もう少し増えるものと思いますが、ガードレールに掛けられた稲藁・・・笑って許して・・・笑
 建物は旧松崎小学校の一部校舎





 おまけ・・・・

 24時間勤務が常の我職種、24時間勤務は通常の8時間勤務が3回分あるというニュアンスで一般でいう3日分仕事をしたことになりますが、夜間は睡眠時間があったり休憩時間があったりしますので簡略的に言えば実質2日分稼いだということになります。
 
 当直ということでもあるので夜勤でもあり、夕食は食べなくてはなりません。
 
 夕食も昼食と同じように弁当持参とか出前でもいいのですが、当直員は夕飯代を出し合って自炊しております。
 一食分、ひとり約300円以内に抑えて食事当番を割り振って作っております。

 昨夜は私の食事当番・・・・。

 
 緊急事態で食べ損なっても後で温めれば食べれるように、そんな感じのメニューが多く、カレーライスは定番、さらにこれからの季節はおでん等、煮込んだものが多くなります。

 
 今回は、秋の味覚、三陸の秋刀魚と芋の子汁




 魚がダメな私は最近食べれるようになった缶詰・・・サンマの蒲焼・・・汗


 
 気分は秋刀魚を食べているつもり・・・というかサンマですから・・・笑
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福泉寺私設画像展

2007-10-06 18:06:28 | 福泉寺・伝承等
 濃霧に覆われた遠野盆地、明番であったため勤務終了後に高清水やら耳切山へ向う気力なし・・・汗・・・家事用務で海岸方面へ向う道すがら、中沢のお堂周囲の稲はまだ刈り取りされておらず、まさに青空と黄金色のコンビであったがカメラを持っていなかった・・・大泣・・・


 用事を済ませて帰還すると直ぐにカメラ片手に菩提寺福泉寺へ・・・・・。

 なかなかの青空が広がっている、まだ紅葉には早いものの、思うがままにシャッターを切りました。




 一部色付いてはおりますが・・・・。











 新四国八十八箇所霊場

 福泉寺開祖佐々木宥尊師、第二世尻石宥然師の師弟が建設し、新西国三十三番霊場と合せて170体からなる石仏尊体を配置するが、師弟自ら石仏尊体を背負って山野に配置したといいます。








 10月17日は福泉寺秋の例大祭・・・・この頃、大観音堂や多宝塔のある山頂は紅葉の見頃を迎えるものと思います。




 これより大和の国・・・・五重塔が見えますが、新西国三十三番霊場は熊野山や空海縁の高野山がある紀伊の国からはじまる。
 河内の国、そして大和の国・・・・プチ西国三十三番霊場といったところですがひとつひとつの札所にての石仏尊体に手を合せること、俗世間から少し離れた場所に身を置いて、心静かに過すこと、これまた新鮮な気持ちとなるものと思います。
 是非に福泉寺にお越しの際は、これら霊場も訪ねることお勧めいたします。










 そして最後はマイ天ヶ森




 法門山福泉寺(真言宗豊山派・・・本山は奈良県の長谷寺)
  岩手県遠野市松崎町駒木(宮洞)
  遠野駅から早池峰バス約15分、福泉寺バス停下車

 四季折々の風光明媚な寺院、木彫観音像(福徳十一面大観音)高さ日本一(17メートル)・遠野唯一の五重塔他・・・。
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神無月

2007-10-04 20:06:45 | 遠野
 今や遠野定番の風景、青笹町中沢の荒神様(中村のお堂)、黄金色の田んぼ、そして青い空に映える萱葺屋根のお堂、まさに現風景の中の原風景でもあります。

 10月3日は、午前中から快晴、まさに稲刈前のラストチャンス、現に遠野在のブロガー数人も画像取材を行ったようでもありますが、甚だ残念で悔しいのですが、11時までに母親を盛岡の病院へ連れて行かなくてはならず、それも明番で帰宅して盛岡へ直ぐに向わなくてはならず、涙を呑んで今年の黄金色と青空の絵は諦めた次第です・・・・涙


 10月4日・・・少し青空も見え隠れしている、思い切って中沢へ行ってみた。 まだ稲刈りはされていない、一応カメラを構え何枚かシャッターを切る。






 やはり何処かもの足りないが、これはこれでまた違った味わいもあるというものです・・・悔


 ということで、今度は綾織へ・・・・
 築200年の最大級の南部曲屋と黄金色・・・ななんと田んぼがない・・・汗・・・ちょっと北寄りに水田があるも既に稲は刈り取られていた・・・涙




 神無月ということで神様は出雲の国へ、日頃の行いが悪いのはそのとおりながら、神の存在を感じられない雰囲気、まさに神無月であろう・・・・笑



 ということで・・・・
 4週間にわたって開催された「遠野ブログ画像展」の全ての展示日程が終了となりました。

 第1ステージということで9月8日~9月24日・・遠野ふるさと村
 第2ステージは9月25日~10月3日・・とぴあセントラルコート

 遠野ふるさと村では主に観光客の皆さん、とぴあでは遠野市民の皆さん、それぞれにご覧頂き、当初の目的は果たされたのではないのか、少なくても失敗という内容はないということ、このことだけは確信を持てる内容だったと思っております。





 

 関係された皆さん、そしてご覧いただきました皆さん、ありがとうございました。

 来年も開催予定でもありますので、その際はよろしくお願いします。


 
 おまけ・・・・

 画像展の撤去作業の後、ささやかながら打ち上げ会を行いました。
 4名のぶれんど、主要メンバーを大きく欠いての宴ではございましたが、「カタロウ是」との内容で、しみじみと楽しむことができました。
 
 いずれ遠野通い人のぶれんど仲間来遠の際にあらためて画像展終了のノモー是を開催しなければならないと思ってますが、ぶれんどの皆様もご賛同くださるものと思ってます・・・・笑

 まずは色々とご苦労さまでした。



 とあるディスカウント店で例の焼酎を発見・・・・笑・・・打ち上げでは魔界に誘われることなく帰還いたしました・・・笑


 そして芋焼酎ブームの火付役、高級芋焼酎。
 福沢諭吉さんが2人以上のお値段が・・・・そういえば東京のとある居酒屋で何も知らずネーミングだけで(魔王)ロックで注文。
 確かグラス一杯野口君が2人だったような?、とにかくまろやかで飲みやすく美味かったという記憶だけはある、そして支払いで考えていた以上に請求されたときに我に返ったという記憶も・・・・・大汗。

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三陸四季湯彩

2007-10-01 20:00:37 | 湯っこ・鉄道・旅・・・



青空が見え隠れするも曇り空の日、遠野では稲刈がピークを迎えておりますが、刈り取られる前にと青笹町中沢の例の場所へ(画像)・・・・。

 まだ稲刈りは済んでいないが、画像的には黄金色と空の青がほしいところ、遠野ブロガー達の期待通りのロケーションが先か、稲刈りが先か?


 さて、休みの一日、何をして過すか?・・・贅沢な悩みながら、休耕田土手や畑の草刈作業もしなければならないながらも、もう少し我慢して先延ばしにすれば、後一回の草刈で今年の分は終わりになりそうな感じ、そこで少し気になっていたところに行ってみようということで、今は上閉伊郡唯一の町、大槌町へ・・・・。


 先にエントリーした南部守行関連での縁の場所、大槌町金沢地区へ・・・。
 


 室町初期、大槌孫三郎が篭る大槌城攻めにて、戦傷死した南部守行縁の寺院、金澤山大勝院(臨済宗妙心寺派)・・・ 大槌町金沢

 ますます以って南部守行の存在、そして遠野への来援、大槌城攻めに関して疑念が湧き上がってきております。
 さらなる調べと共に、まずは別家サイト「奥州虎猫舘・遠野南部氏物語」に妄想含みですが、その疑念の数々を掲載したいと考えております。
 盛岡東禅寺での画像取材の後に取り組みアップの予定です・・・。


 

 そして、もうひとつ気になっていた場所・・・・こちらが本題となります。

 大槌町に先月初めにオープンした温泉施設、湯っこ好きながらまだ訪れておりませんでした。
 なかなかの施設、構想十年という話も聞かれますが、それだけの施設、設備も整いドライサウナ、ミストサウナ、露天風呂・・・内湯の浴槽も数種あってスーパー銭湯という感じ、また館内には理髪店、エステ、整体、食堂も完備しております。

 ちょっと残念というか、気になった点は、若い女性従業員2人が男湯に出現、湯温や泉質チェックかと思いますが、あれには当方もびっくり、水風呂に入っていた若い男性は出るに出られず、サウナから出てきた男性も驚きを隠せない様子、見られても自信がある方であれば問題はないかもしれないけど、やはり女風呂には女性の係員、男風呂には男性係員若しくはご年配の女性という配慮は必要なのではないでしょうか?若い女性従業員の2人もなるべく見ないようにとの配慮は感じましたが、でも違和感はございました。

 


 しかし、遠野、釜石地域では本格的施設、仙人峠道路も出来て、大槌にも行きやすい環境でもありますから、定期に利用したいと考えております。


 「三陸四季湯彩ますと乃湯」・・・上閉伊郡大槌町小鎚




 おまけ・・・

 ネネも我が家に来て丸3年、先月末で満3歳となりました。






 凛々しい若虎猫風に成長しておりますが・・・汗



 ネネ画像特集は、そのうち機会がございましたらエントリーしたいと考えております。




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