〇山種美術館 開館55周年記念特別展『奥村土牛-山﨑種二が愛した日本画の巨匠第2弾-』(2021年11月13日~2022年1月23日)
山種美術館の土牛コレクションは何度も見ているのだが、好きな画家なので、やっぱり見たくなって出かけた。全69件、だいたい制作年代順に展示されていた。第1章は、大正末年から昭和20年代、動物や草花を多く描いている。土牛の描くウサギや鯉は、奥行があって立体的な存在感がある。輪郭のふわふわしたアンゴラウサギでさえも。この時期に「土牛芸術の礎」を築いたと言えるのだが、明治22年生まれの土牛は、昭和28年にはもう還暦を過ぎている。礎(いしずえ)なんて、のんびりしたことを言っていていいのか?と思う。
しかし、ここからの開花がすごいのだ。昭和30年代、『城』『踊り子』『那智』『鳴門』など、代表作が立て続けに現れる。『鳴門』は、奈落に落ち込むような手前の渦潮よりも、その奥で大きな円形を描いて盛り上がる渦潮の縁が不気味。遠景に見える対岸の山との比較で、渦潮の果てしない巨大さが分かる。『那智』は白い滝水の下に透ける岩肌、岩と岩の間の緑に見とれた。『城』『那智』『鳴門』は、それぞれ写生や画稿が残されている。もちろん「写生」と「作品」には違いがあるのだが、基本は写実なのだなあと強く思った。姫路城の櫓門を描いた『門』は、作品の構図そのままの風景の中で、土牛が写生をしている(後ろ姿の)写真があって、だまし絵みたいで面白かった。『舞妓』『室内』も好き。
昭和40年代後半、80歳を超えた土牛は、いよいよ瑞々しい作品を生み続ける。桜の季節には欠かせない『醍醐』『吉野』は大好きな作品。たとえこの世から桜が全てなくなっても、この作品が残れば私は満足だ。土牛はずっと吉野の桜を見たことがなく、昭和47年(83歳)に初めて見て「華やかというより、気高く寂しい山」であることを知り、昭和52年に『吉野』を描いた。このとき、歴史画を描いている思いがしたという。世の中には、こんな幸せもあるのか…。私も長生きしたら、まだ見たことのない美しい風景に出会うことがあるだろうか。
一方で、長生きすることは、より多く人の死に出会うことでもある。『姪』は、自分より先に亡くなった姪のむかしの姿を思い出して描いたもの。作品を買い取ることで土牛を支援し、家族ぐるみの交際を続けた14歳下の友人・山﨑種二も、土牛より先に亡くなっている。貧乏画家だった土牛の家に電話がないと知ると、すぐに手配してつけてくれたというのも、ちょっといい話。こういう実業家、今の日本にはいるのだろうか。昭和41年作の『三彩観賞』は、山種美術館竣工記念に描かれたもので、同じ年に五島美術館で展示された陶磁器『三彩長頸瓶』と『三彩貼花龍耳瓶』が描かれていた(後者は現在、東博が所蔵)。
この展覧会を見ると、60歳やそこらで老け込んでる場合じゃない、と強く思う。土牛先生、白寿を超えても新しい絵画に挑戦し、精進を続けていたのだ。まだまだ、人生の喜びも悲しみもこれから。美しいものに出会うのもこれから。土牛が『醍醐』を描いた83歳までは生きてみたいかな。