見もの・読みもの日記

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袋小路の現在/学術出版の来た道(有田正規)

2021-12-26 22:54:44 | 読んだもの(書籍)

〇有田正規『学術出版の来た道』(岩波科学ライブラリー 307) 岩波書店 2021.10

 仕事の関係で読んだ本だが、せっかくなので感想を書いておく。本書は、一般にはほとんど知られていない(研究者ですらよく知らない)学術出版の特異な産業構造とその問題点を、歴史的な視点から解き明かしたものである。

 はじめに、学術出版のはじまり(17世紀~)が簡略に語られる。科学に興味を持つアマチュアだったオルデンブルグが自己資金で刊行を続けた、ロンドン王立協会の『哲学紀要(Philosophical Transactions of the Royal Society of London)』。オルデンブルグの功績は、むかし金子務氏の『オルデンバーグ:十七世紀科学・情報革命の演出者』で読んだことを思い出した。ちなみに王立協会は、名前こそロイヤルだが、王室からの資金提供は全くなかった。なお、『哲学紀要』に一歩先んじて、フランスでは『ジュルナル』が刊行されている。17~18世紀のヨーロッパでは、政治と一線を画し、科学者が自主的に運営するアカデミーが設立され、学問の成果は書簡ではなく、学術誌上で公開されるようになった。

 しかし20世紀に入ると、商業出版社が徐々に、やがて急速に影響を広げていく。商業出版社のはじまりは、早いもので18世紀末。20世紀初頭まで科学と学術出版の中心はドイツだったが、1930年代、ナチス政権下で、多くの優秀な研究者がドイツから米国へ移住する。戦後、学術出版社の勢力図は、ドイツ語から英語にシフトするが、ここに代表的な学術出版社エルゼビア、シュプリンガーの動向が大きくかかわっていることは初めて知った。

 そして「学術出版を変えた男」ロバート・マクスウェルの登場。マクスウェルも(彼が設立した)ペルガモンも出版社の名前としては認識していたが、その背後に、こんな怪人物がいたことは、全く知らなかった。スタイリッシュなデザイン、出版サイクルの速さなど、画期的なビジネスモデルで研究者の支持を得、瞬く間に事業を拡大する。通貨ごとに販売価格を設定したり、個人購読と図書館の価格差を大きくしたのもコイツなのか。結局、資本主義は「全ての人」を幸せにせず、どこかにひずみを生み出す気がする…。1960年代、西側諸国が基礎科学に国費をつぎ込む時代となったことを背景に、商業出版は、学会やアカデミーによる出版を圧倒して大躍進した。そして、1990年代、ペルガモンを傘下に加えたエルゼビアの急拡大が始まる。

 1950年代には、学術雑誌に付随するツールとして、ユージン・ガーフィールドらによって、速報サービス『カレント・コンテンツ』や引用索引『SCI(Science Citation Index)』が生まれ、重要な学術雑誌を選ぶ観点から、インパクト・ファクターという指標が編み出され、1970年代には、学術雑誌のランキングが発表(販売)されるようになった。

 1990年代、インターネットの普及に伴って、学術出版は大きな変革期を迎える。日本の大学図書館からは、電子ジャーナルのビッグディール契約開始→価格高騰(購読の破綻)→オープンアクセス運動、というトレンド変化に見えていたが、関連年表を見ると、英国のハーナッドが、研究者が自分の論文をインターネットに公開する(オープンアクセス)ことで、商業出版社を「転覆」させようと提案したのは1994年なのだな。これに対して、商業出版であるアカデミックプレスが、ビッグディールという「起死回生」の契約プランを提案したのが1996年。世界中の大学図書館がこれに飛びついてしまった。

 ビッグディール契約の何が悪いのかは、ぜひ多くの人に知ってほしい。ビッグディールを維持するため、図書館は書籍の購入や小規模出版社の学術雑誌の購読を徐々に縮小するようになった。その結果、図書館は「図書を失った」のである。出版界では、小規模出版社が大手に身売りし、ビッグディールの規模はますます大きくなり、大手出版社の利益率を知った投資家が参入するようになった。図書館連合やアカデミアによる抵抗運動は続いているけれど、その旗印であるオープンアクセスさえ、もはや商業出版社の金脈となっている。

 論文の中身よりも本数、被引用数、インパクトファクターなどの数値を競う(競わされる)研究者と、学問に貢献する気がない営利至上の学術出版社が共生しているのが、今日の学術出版の世界である。「今の学術出版の有様は、国家が科学につぎ込む資金を目当てにした政商に近い」という著者の言葉に、寒々とした気持ちになった。この悲惨な状況を変える途はあるのだろうか?

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