見もの・読みもの日記

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伊丹風から芭蕉へ/柿衞文庫名品にみる芭蕉(永青文庫)

2021-12-09 20:49:45 | 行ったもの(美術館・見仏)

永青文庫 秋季展『柿衞文庫名品にみる芭蕉-不易と流行と-』(2021年10月2日~12月5日)

 これも最後の週末に駆け込みで行った展覧会。柿衞文庫(かきもりぶんこ、兵庫県伊丹市)が所蔵する芭蕉の名品を一堂に公開し、あわせて飯尾宗祇や松永貞徳、西山宗因、鬼貫など連歌から俳諧に至る作品の数々を展覧する。「柿衞文庫」という名前には覚えがあるのに、自分のブログを検索したら何もヒットしなかった。おかしい、と思って調べてみたら、施設としての柿衞文庫は、伊丹市立美術館と一体になっているのだ。伊丹市立美術館には、2005年(耳鳥斎)と2008年(宮武外骨)に訪ねており、面白いテーマを扱う美術館として記憶していた。酒蔵通りのある街並みも好きだったのだが、現在は、大規模改修工事のため、両館とも長期休館に入っている。

 そもそも柿衞文庫は、酒造を家業とする岡田家22代当主・岡田利兵衞(1892-1982、号・柿衞)が蒐集した俳諧資料をもとに昭和57年(1982)に創設された。本展には、とても個人コレクションとは思えないような、貴重で多様な俳諧資料が出陳されており、特に芭蕉の真筆をこんなに見たのは初めてだった。同じ俳人でも、たとえば与謝蕪村は、半ば画家という認識があり、小林一茶は、ほぼ書の人だ。それに比べると芭蕉は文学史上の偉人のイメージが強すぎて、芭蕉の書や画に興味を抱く機会がなかった。なので、芭蕉による『旅路の画巻』を見ても、え?誰が描いた絵?と戸惑ってしまった。『旅路の画巻』は、さすがに巧すぎるという疑念があるようだが、自作の句に即興的な絵を添えた懐紙は、嫌みがなくて、嫌いじゃない。ちなみに近松門左衛門の『高砂人形遣い図』は玄人はだしに巧く、西鶴は巧くない(笑)。

 芭蕉の門人・森川許六は絵を得意とし、芭蕉に絵を教えたという。確かに展示の『「柴栗の」句自画賛』は巧い墨画だった。許六の『百華賦』は30余種の花を着彩で描き、女性に見立てた戯文を付したものだというが、たまたま目についた「かきつばたは野太き花なり/うつくき女のぬすみをして罪を知らぬに似たり」は、想定外だった。燕子花って、そういうイメージか!?

 芭蕉の書跡については、行成の書に似ており、平安の古筆を志向しながら洒脱味を加えている、という批評がとても腑に落ちた。柿衞翁には『芭蕉の筆蹟』という著書があるが、今回、その研究のもとになったノートも展示されていた。たとえば、いろはの「は」が、時期により作品によって、どのような書体で何度登場するかを一覧にした緻密な研究ノートである。柿衞翁は、鳥類の研究と飼育にも熱心で(そのノート類も展示されていた)、生物学の系統研究の方法論を、書跡研究に応用したのではないか、という説明も興味深かった。

 柿衞翁こと岡田利兵衞は、戦前には伊丹町長、戦後は伊丹市長を歴任し、カトリック教徒としてローマ教皇よりグレゴリオ・ナイト章を受け、聖心女子大学で教鞭をとるなど、実にマルチな活躍ぶりである。 俳諧資料の蒐集については『昭和23年度入庫品大番附』がすごかった。細かい字の番付が、1年以内に入手した資料でびっしり埋まっている。近世俳人だけでなく、芥川龍之介や泉鏡花の短冊も入っていた。いまの美術館や博物館も、こういう番付を公表してみたら面白いのに。

 なお、俳諧には伊丹風と呼ばれる一派があったこと、口語・俗語を駆使した「太くたくましき体」(悪く言えば、放埓異形)だったこと、代表格として伊丹生まれの上島鬼貫がいることも、初めて認識した。伊丹、また行ってみたいなあ。伊丹市立美術館を含む「みやのまえ文化の郷」再整備事業がうまくいきますように。

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