○フォーラムin札幌時計台「グローバル化に抗する人間とコミュニティ」第31回(柄谷行人、佐藤優、司会・コーディネーター:山口二郎)(2014年3月7日、18:30~)
ちょうど1年前、春から札幌暮らしを始めなければならないと分かったとき、私が最初にとった行動は、山口二郎先生のツイッターアカウントをフォローすることだった。そのツイッターで、先日、山口先生が「フォーラムin札幌時計台ファイナルシリーズ」の告知をされていたので、〆切迫る年度末の仕事を放り出して、聴きにいった。
檀上に、山口先生、柄谷氏、佐藤氏が並んだ状態で、柄谷行人の講演から始まった。不勉強な私は、柄谷氏の著作は雑誌エッセイや対談くらいで単行本を読み通したことがない。ナマ声を聴くのもお姿を拝見するのも初めてなので、伸び上がって檀上を注視していた。お話は札幌の思い出から始まり、この「フォーラムin札幌時計台」(2008年/第2期)で「日本人はなぜデモをしないか」について話したこと、2011年2月、東日本大震災の直前に北大で「災害ユートピア」について話したことに触れられた。
ソルニットの著書『災害ユートピア』について、私は荻上チキ『
検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書、2011)で知った。「不幸のどん底にある人々は、なぜか助け合う」という肯定的な側面でとらえていたのだが、柄谷先生の話を聞くと「国家の介入がない状態ではユートピアが生まれる。しかし、国家が介入したところでは暴動が起きる」という趣旨のことが書かれているらしい。これは読んでみたい。さて、東日本大震災でユートピアは出現しなかった。それは、あらかじめ原発という国家の暴力が存在していたからではないかという。ユートピアは起きなかったが、デモは起きた。日本は「デモをする社会」に変わった(変わりかけた)。
ここから、丸山真男の「個人析出の4パターン」について説明があった。
1 民主化:集団的政治に参加する個人
2 自立化:個人主義的であるが、政治参加を拒否しない個人
3 私化:政治参加に無関心な個人
4 原子化:「私」の核もなく、大衆社会の流れのままに動く個人。政治に無関心かと思えば、突如ファナティックな政治参加をする。権威に帰依しやすい。
ひとつの社会が1~4タイプのいずれか単独で占められることはないし、ひとりの人間も1~4のタイプを変化する。ということを前提とした上で、西洋社会は1や2が多く、日本社会は3や4が圧倒的に多いという話をされ(ちなみに同じ東アジアでも韓国や中国の傾向は異なるとも)、背景として、日本に中間団体(アソシエーション)の伝統が希薄であることを指摘された。
西洋では、ギルドに加えて、宗教(教会)が中間団体の役割を果たしてきた。近代日本では、大学が一種の中間団体(国家から独立したアソシエーション)だったという説は面白かったな。しかし民営化(法人化)とともに大学の自立性は奪われてしまった。90年代以降、日本社会の「原子化」は甚だしい。
続いて佐藤優氏は、緊迫するウクライナ情勢について解説。正直、目を白黒させながら聴いていたのだが、16世紀までさかのぼらないと、民族および宗教の対立構図が分からないことだけは分かった。そして、ウクライナ/ロシアの複合的アイデンティティを持つ人々がどちらかの選択を迫られている状態から、沖縄に目を転じる。沖縄の米軍基地移設問題も、沖縄/日本の複合的アイデンティティを持つ人々に選択を迫っている側面がある。彼らは、究極のところ沖縄を選ぶのではないか。そして、そのことは必ず北海道に影響を及ぼす。
このへんの緊張感を伴う議論は、不謹慎だけど非常に面白かった。世界はこんなふうに動いているのだ、ということを久しぶりに感じた。事務文書やマスコミの上を流れる「グローバル化」というお題目が、いかに空洞化しているかを痛感した。
それから山口先生が入って、質疑のやりとり。原子化した大衆は、選挙とは「王様」を選ぶ手続きだと思っているのではないか、という趣旨の発言があった。なるほど。選ぶときだけ関わって、あとの仕事(統治)は王様任せ、というのは、本来の民主政治ではない。安倍政権については、そのヤンキー的「反知性主義」を笑いながら嘆く。佐藤優氏の「外務官僚的」という見立ても面白かった。国際法は当事者自治が原則で、上位の準拠枠がない。しかし、我々が18世紀に捨ててしまった「上位の準拠枠」、宗教とか理性とか啓蒙には、もう一度拾い上げるべきものがあるのではないか。
日本の誇るべきものは憲法9条である、とおっしゃるとき、柄谷氏の声は自然と大きくなっていた。いまの日本社会の状況に対して、柄谷氏が感じている無念は察するに余りある。
いまは1890年代だという発言もあった。帝国主義の時代だ。帝国主義というのは「覇権国家が弱体化し、次の覇権をめぐって複数の国家が争っている状態」をいう言葉なのだ。だから帝国主義時代は繰り返す。
「尖閣」をめぐって、近い将来、本当に戦争は起きようとしているのか。愉快な知的興奮と、将来への苦く暗い見通しを混ぜこぜに抱えて、会場を出た。
今年度で北海道大学を退職される山口二郎先生には、最後に佐藤優氏がおっしゃったように、北海道との縁を切らずにいていただくことを、暫定道民の私も願っている。