■大和文華館 特別企画展『竹の美』(2014年2月21日~3月30日)
同館と黒川古文化研究所、泉屋博古館との三館が連携し、中国・朝鮮・日本の絵画・工芸品を多角的に紹介する『松・竹・梅』展の一環。ありそうでなかった、いい企画だなあと思った。大和文華館の展示室は、ガラスで囲われた坪庭に竹が植えてあるのがワンポイントだから、当然テーマは「竹」である。
見どころは、まず多様なスタイルの絵画。高麗仏画の『楊柳観音像』は泉屋博古館から特別出陳。昨年秋、大徳寺の宝物風入れで見た『楊柳観音像』と似ているが、ずっと小ぶり。しかし綺麗だ。観音の背景にしゅっとまっすぐな竹が生えている。竹葉の形が「馬遠系」(丸みがなく鋭角的)だという『竹燕図』(墨画淡彩)。そして、着色の「花鳥図」が3点並ぶ。いちばん右の図は、穴の開いた奇岩の上に横たわる雄の孔雀。頭が低く、尻尾のほうが高い姿勢をとっていて、よく滑り落ちないな、と思う。岩の下には、雌の孔雀と、仲睦まじいつがいの金鶏。背景に紅白の牡丹と桃の枝。明代。ただし「呂紀画風が定型化していく以前の作品」と見られている(図録の解説)。
その隣りは、水辺のつがいの雉(山鳥?)を描く。これも中国絵画だろうと思ったが「画絹は朝鮮絵画特有の絹目の粗いもの」だそうだ。ううむ、そう聞いて見直すと、前景の岩の粗いタッチとか、鳥の目つきとか、ああ朝鮮絵画(民画)ふうだ!と思うところがある。その左の『野雉臨水図』の、繊細でもの悲しい優美さは、日本の美学らしい。泉屋博古館の所蔵で、椿椿山の作だ。この中国・朝鮮・日本の対比は、それぞれの文化的性格が分かるかな~と問いかけられているようで、とても面白かった。
それから、探幽の写した大量の縮図(落款だけ大きめに写してある)、安信の唐絵手鑑。渡辺始興の『四季花鳥図押絵貼屏風』もよかった。「竹に(タケノコに)亀」って意外な取り合わせすぎる。いや目出度いけど。墨画はもっぱら中国と日本のみ。そして、こうして並べると日本人画家の作品は、中国絵画と全く見分けがつかないものだなあ(素人には)と思った。
最後に、展示室に人が多くなってきたなと思いながら冒頭に戻ってみると、若者(主に女性)の集団を連れた、少し年長の男性たちがギャラリーツアーをしていた。大学の先生か助手(助教)さんが、ゼミの学生を連れ歩いている雰囲気。この日(3/16)は午後に、黒川古文化研究所の竹浪遠氏、大和文華館の瀧朝子氏、泉屋博古館の外山潔氏の公開研究会が企画されていたので、関係者の方々ではないかと思う。上述の「花鳥図」のところで、「なぜこれが朝鮮絵画と言えるか」という会話をしているのが面白く、聞き耳を立ててしまった。「中国絵画では、水の流れをこんなふうに描かない」など。
■泉屋博古館 特別展『百花のさきがけ 梅の美術』(2014年3月8日~5月6日)
三館連携企画の二館目は「梅」。おなじみの名品、沈銓(南蘋)の『雪中雪兎図』は二本の梅が主役で、よく見ると萼(がく)が薄紅と薄緑の別品種である。さらに画面の隅には雪を被った竹も描かれている。連携先から、絵画だけでなく、焼きものやら古鏡やら刀の鍔(つば)やら、多様な作品が出陳されていた。ひとつ気づいたことは、中国・朝鮮の梅花の姿は「五弁」を明確に描くことがほぼ絶対条件だが、日本では、全体をぐにゃぐにゃした多角形でごまかすことが許されているっぽい。中村芳中の梅なんか、光琳菊みたいな一筆描きの楕円形である。織部のうつわには、横から見た梅花の図があって、チューリップみたいで可愛かった。大和文華館の「清水裂」は、もと清水寺の帳であったと伝える明代の織布だが、梅にサルって、どういう取り合わせなんだか…。
■藤田美術館 『開館60周年特別展-序章-』(2014年3月8日~6月15日)
たぶん一度も見たことのない、国宝の『曜変天目茶碗』が出ていると知って、駆け付ける。今回のポスターなど、写真で見ると、むちゃくちゃ華やかな印象だが、実物は地味だ。最近の美術館に多い、演出過剰な照明でなく、ほぼ自然光の下に展示されているので、余計にそう感じたのかもしれない。正面には竹内栖鳳の『大獅子図』が、茶碗を守るように睨んでいる。もうひとつ、重文の『白縁油滴天目鉢』も面白かった。ずいぶん大きいなあ、飯が食えるんじゃないかと、にやにやしながら見ていたのだが、そもそも「天目茶碗」ではなくて「天目鉢」だったのか。絵画では蘆雪の『幽霊・髑髏仔犬・白蔵主図』という謎の三幅対が面白かった。マンガみたいなキツネ顔の白蔵主が楽しい。
同館と黒川古文化研究所、泉屋博古館との三館が連携し、中国・朝鮮・日本の絵画・工芸品を多角的に紹介する『松・竹・梅』展の一環。ありそうでなかった、いい企画だなあと思った。大和文華館の展示室は、ガラスで囲われた坪庭に竹が植えてあるのがワンポイントだから、当然テーマは「竹」である。
見どころは、まず多様なスタイルの絵画。高麗仏画の『楊柳観音像』は泉屋博古館から特別出陳。昨年秋、大徳寺の宝物風入れで見た『楊柳観音像』と似ているが、ずっと小ぶり。しかし綺麗だ。観音の背景にしゅっとまっすぐな竹が生えている。竹葉の形が「馬遠系」(丸みがなく鋭角的)だという『竹燕図』(墨画淡彩)。そして、着色の「花鳥図」が3点並ぶ。いちばん右の図は、穴の開いた奇岩の上に横たわる雄の孔雀。頭が低く、尻尾のほうが高い姿勢をとっていて、よく滑り落ちないな、と思う。岩の下には、雌の孔雀と、仲睦まじいつがいの金鶏。背景に紅白の牡丹と桃の枝。明代。ただし「呂紀画風が定型化していく以前の作品」と見られている(図録の解説)。
その隣りは、水辺のつがいの雉(山鳥?)を描く。これも中国絵画だろうと思ったが「画絹は朝鮮絵画特有の絹目の粗いもの」だそうだ。ううむ、そう聞いて見直すと、前景の岩の粗いタッチとか、鳥の目つきとか、ああ朝鮮絵画(民画)ふうだ!と思うところがある。その左の『野雉臨水図』の、繊細でもの悲しい優美さは、日本の美学らしい。泉屋博古館の所蔵で、椿椿山の作だ。この中国・朝鮮・日本の対比は、それぞれの文化的性格が分かるかな~と問いかけられているようで、とても面白かった。
それから、探幽の写した大量の縮図(落款だけ大きめに写してある)、安信の唐絵手鑑。渡辺始興の『四季花鳥図押絵貼屏風』もよかった。「竹に(タケノコに)亀」って意外な取り合わせすぎる。いや目出度いけど。墨画はもっぱら中国と日本のみ。そして、こうして並べると日本人画家の作品は、中国絵画と全く見分けがつかないものだなあ(素人には)と思った。
最後に、展示室に人が多くなってきたなと思いながら冒頭に戻ってみると、若者(主に女性)の集団を連れた、少し年長の男性たちがギャラリーツアーをしていた。大学の先生か助手(助教)さんが、ゼミの学生を連れ歩いている雰囲気。この日(3/16)は午後に、黒川古文化研究所の竹浪遠氏、大和文華館の瀧朝子氏、泉屋博古館の外山潔氏の公開研究会が企画されていたので、関係者の方々ではないかと思う。上述の「花鳥図」のところで、「なぜこれが朝鮮絵画と言えるか」という会話をしているのが面白く、聞き耳を立ててしまった。「中国絵画では、水の流れをこんなふうに描かない」など。
■泉屋博古館 特別展『百花のさきがけ 梅の美術』(2014年3月8日~5月6日)
三館連携企画の二館目は「梅」。おなじみの名品、沈銓(南蘋)の『雪中雪兎図』は二本の梅が主役で、よく見ると萼(がく)が薄紅と薄緑の別品種である。さらに画面の隅には雪を被った竹も描かれている。連携先から、絵画だけでなく、焼きものやら古鏡やら刀の鍔(つば)やら、多様な作品が出陳されていた。ひとつ気づいたことは、中国・朝鮮の梅花の姿は「五弁」を明確に描くことがほぼ絶対条件だが、日本では、全体をぐにゃぐにゃした多角形でごまかすことが許されているっぽい。中村芳中の梅なんか、光琳菊みたいな一筆描きの楕円形である。織部のうつわには、横から見た梅花の図があって、チューリップみたいで可愛かった。大和文華館の「清水裂」は、もと清水寺の帳であったと伝える明代の織布だが、梅にサルって、どういう取り合わせなんだか…。
■藤田美術館 『開館60周年特別展-序章-』(2014年3月8日~6月15日)
たぶん一度も見たことのない、国宝の『曜変天目茶碗』が出ていると知って、駆け付ける。今回のポスターなど、写真で見ると、むちゃくちゃ華やかな印象だが、実物は地味だ。最近の美術館に多い、演出過剰な照明でなく、ほぼ自然光の下に展示されているので、余計にそう感じたのかもしれない。正面には竹内栖鳳の『大獅子図』が、茶碗を守るように睨んでいる。もうひとつ、重文の『白縁油滴天目鉢』も面白かった。ずいぶん大きいなあ、飯が食えるんじゃないかと、にやにやしながら見ていたのだが、そもそも「天目茶碗」ではなくて「天目鉢」だったのか。絵画では蘆雪の『幽霊・髑髏仔犬・白蔵主図』という謎の三幅対が面白かった。マンガみたいなキツネ顔の白蔵主が楽しい。