見もの・読みもの日記

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奇を好む人々/東文研公開講座「アジアの奇」

2010-10-25 23:50:10 | 行ったもの2(講演・公演)
東京大学東洋文化研究所 第10回公開講座『アジアを知れば世界が見える-アジアの奇』

■菅豊「中国の『奇』の文化誌」

 はじめに、中国・日本をフィールドに民俗学を専門としている菅先生から「奇とは何か」という総論的な講演。「奇」とは「普通とは異なる不思議な物事の状態」である。しかし「普通」から完全に離脱するのではなく、「普通」との間に微妙な距離感を保っている。この「普通とのずれ」が生み出す感覚である。「奇」には正負両方の価値観が存在するが、中国人は一般に、日本人よりも「奇」にポジティブな価値を認めようとする。

 中国人は、日本人ほどに、あるがままの自然を好まない。認知的加工(見立て)や物理的加工(亭を建てたり、岩壁に漢詩を刻んだり)によって、自然景観を人文的景観に変貌させることに満足を見出す。言われてみると、確かに中国では、絵画に描かれた自然が人工的(人文的)であるのと同じくらい、現実の自然も、必ず何かの手が加わっている。

 金魚、盆栽、纏足、中華料理、中国独特の巨大モニュメントなども全て同根。自然を乗り越え、支配したいというベクトルが、多かれ少なかれ働いている。衝撃だったのは「湖羊」という、極端な早熟・多胎に品種改良されたヒツジの話。奇形の発現などが怖くないのかと思ったが、仔羊のうちにコートやジャケットの衿にするため殺してしまうので、問題ないのだという。うわー。この合理精神はすごい。一方、日本人は、手を加えつつも、そのことを恥じて、手つかずの自然を演じたがるように思う。

■板倉聖哲「奇想の源流―伊藤若冲が見た東アジア」

 若冲が生前墓(相国寺)に刻ませた銘文には「宋元画を取りて之を学ぶ。臨移すること十百本を累(かさ)ぬ」ずなわち、千枚に及ぶ中国絵画を模写して学んだことが記述されている。では、具体的に、どんな絵を学んでいたか。若冲が宋元画(中国絵画)だと思っていたものには、意外と朝鮮絵画が混じっていたのではないか、というのが指摘の一。ただし、現在、朝鮮絵画とされている正伝寺の「猛虎図」は、18世紀の京都では中国絵画と思われていた。静嘉堂文庫とクリーブランド美術館に分有される「釈迦三尊図」は、一時高麗絵画と目されたが、現在は中国絵画に戻っているとか。ふーむ、絵画の国籍って分からないんだなあ。いまの認識だけで、あまり断定的なことを言うのはやめておこう。

 それから、若冲が宋元画の文学性を捨て、動植物の生き生きした形態、真に迫る技術を徹底して追求したというのが指摘の二。若冲の描いた3枚の鸚鵡図を時系列順に並べると、1枚目と2枚目の間に明らかな技法の差異がある。それは目に漆を塗り重ねる技法で、徽宗の『桃鳩図』も同じ技法を用いているという。

 若冲が最初に学んだ狩野派は、朝鮮絵画を中国絵画と鑑定することが多いが、雲谷派は「高麗画」を認識しているとか、中国絵画には線的な表現しかないが、朝鮮絵画には面的な表現があるとか、質疑応答の中に、ぽろぽろと興味深い発言があって、慌ててメモを取りながら、頭に叩き込んだ。

※参考:奈良県立美術館 特別展『花鳥画-中国・韓国と日本-』

 講師に「奈良、行ってきました」と申し上げたら「後期は全く変わりますよ」と言われた。はい、若冲を見に、もう1回行ってきます。あと「本当にやりたかったのは第1室の展示です」と聞いちゃったのは、ここだけの話。

■辻明日香「奇跡譚に見るエジプトのキリスト教徒・イスラーム教徒像」

 14世紀、コプト(キリスト教)聖人伝を題材に、キリスト教徒とイスラム教徒が隣人として共生していた時代があったことを紹介する。題材は奇跡譚だが、むしろ当時の人々の日常の姿が浮かび上がってくるように思った。

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