○孝恩寺(大阪府貝塚市)~慈眼院(泉佐野市)~日根神社、日根野天満宮(同)~願成寺(和歌山県海南市)~紀州東照宮、和歌浦天満宮(同)
前夜は貝塚駅前のホテル泊まり。『大阪府の歴史散歩』を読んでいた同行人から、このあたりは寺内町(じないまち)と言って、寺を中心に形成された古い自治集落であると聞く。そこで、ちょっと遠回りをして、願泉寺(伽藍修復中)を眺めてから駅へ向かう。
水間鉄道の終点、水間駅からバスに乗り継ぎ、「釘無堂(くぎなしどう)」で下りると孝恩寺だ。バス停の名前になっている観音堂は、秀吉の根来攻めのとき、周辺で唯一焼け残った貴重な国宝建築である。今日は法事が行われている様子だったが、奥様にお尋ねすると、「どうぞ、あとで中も御覧ください」とおっしゃって、まず、裏の収蔵庫に案内してくださった。
収蔵庫に足を踏み入れた瞬間、ずらり並んだ仏像に圧倒される。いずれも平安初期の木造仏だ。都ぶりの美形が多く「整った荒々しさ」を感じる。朽ちたり壊れたりしているものは少ない。この収蔵庫は折れ曲がった造りになっているので、最初に一望できる仏像は半数だけである。後半にも同じくらいの仏像がお待ちになっていると分かったときは、嬉しさでめまいがしそうだった。18件(19体)が国の重要文化財に一括指定されている。小さな博物館なら、これだけで十分、特別展が開けるだろう。
孝恩寺の仏像拝観は要予約である。電話で拝観をお願いしたとき、「できれば午前中に来ていただけませんか?」と言われて、最終的に、このスケジュールになった(和歌山と大阪を行ったり来たりしているのはそのためである)。何か法要でもあるのだろう、と思っていたら、収蔵庫を開けながら、奥様のいわく、「この収蔵庫、日が当たり過ぎると扉が膨張して開かなくなってしまうんです。だから午後の拝観はお断りしているんです」とのこと。貝塚市か大阪府、なんとかしてくれないかなあ。もともとお役所の工事だと言う。
水間鉄道→南海線→JR関西空港線を乗り継いで、JR日根野駅からバスで慈眼院へ。ご案内いただいたのは、緑の木立と柔らかな苔に覆われた奥庭である。丸く刈り込まれたツツジの植え込みを挟んで、金堂(重要文化財)と多宝塔(国宝)が並んでいる。まるで箱庭のようだ。ご住職のお住まいには、庭に面した縁側が設けられ、庭の築山を見るように、国宝建築を眺めることができる。この贅沢、ちょっと羨ましい。
このあたりは、中世の荘園「日根荘」として発達した土地である。往時をしのんで、日根神社、日根野天満宮を訪ねて歩く。
それから和歌山県の海南市まで一気に南下。タクシーで願成寺に向かう。元旦と4月18日にのみ公開される秘仏のご本尊を拝するためである。本堂では法要が始まっていたが、案内を請うと、「観音堂の扉は開いているから、外からお参りしなさい。あれ以上は開かん」とのこと。細かい金網が邪魔になって内側がよく見えないので、顔を擦り付けるようにして覗き込む。すると、暗闇の中に浮かび出たのは、巨大な千手観音坐像である。息を呑んだ。威厳を形にしたような巨像である。脇侍も荘厳もなく、殺風景な木の壁を背にしているだけなのに、王者の風格がただよう。
しばらく金網にしがみついていたが、タクシーを待たせていたので、そろそろ切り上げて、ご朱印を貰いにいった。すると、その間に観光バスの団体客が到着したらしい。同行人が目で招くので、観音堂に戻ってみると、正面の金網扉が開け放たれ、お客さんたちが狭い堂内に上がりこんでいる。なんだ、団体客には開けるのかー。ちょっと興覚めである。
最近、こういう秘仏ツアー(男女とも高齢者が多い)によく遭遇するが、彼らの拝観態度には、はらはらすることが多い。立派なカメラをお持ちのおじいちゃんたちは、何の躊躇もなく仏像の写真を取りまくる。撮影禁止とはどこにも書いてないけど、信仰の対象なんだから、常識として遠慮すべきなんじゃないの?
ともかく、これで2泊3日の秘仏と国宝建築の旅は終了。最終日は、とりわけ収穫が多く、楽しかった。ちょっと時間に余裕があったので、和歌山駅で途中下車し、和歌の浦を散策して、紀州東照宮と和歌浦天満宮(どちらも長い石段の上)に立ち寄って、帰路についた。
■釘無堂のバス停から孝恩寺を望む(門前に青いシートがかかっているところ)
■ようこそ貝塚へ(貝塚市のサイト):寺内町、孝恩寺
http://www.city.kaizuka.osaka.jp/kanko/index.htm
■泉佐野市観光協会:慈眼院、日根神社
http://www.city.izumisano.osaka.jp/section/kankou/kankoukyoukai/index.htm
(4月23日記)
前夜は貝塚駅前のホテル泊まり。『大阪府の歴史散歩』を読んでいた同行人から、このあたりは寺内町(じないまち)と言って、寺を中心に形成された古い自治集落であると聞く。そこで、ちょっと遠回りをして、願泉寺(伽藍修復中)を眺めてから駅へ向かう。
水間鉄道の終点、水間駅からバスに乗り継ぎ、「釘無堂(くぎなしどう)」で下りると孝恩寺だ。バス停の名前になっている観音堂は、秀吉の根来攻めのとき、周辺で唯一焼け残った貴重な国宝建築である。今日は法事が行われている様子だったが、奥様にお尋ねすると、「どうぞ、あとで中も御覧ください」とおっしゃって、まず、裏の収蔵庫に案内してくださった。
収蔵庫に足を踏み入れた瞬間、ずらり並んだ仏像に圧倒される。いずれも平安初期の木造仏だ。都ぶりの美形が多く「整った荒々しさ」を感じる。朽ちたり壊れたりしているものは少ない。この収蔵庫は折れ曲がった造りになっているので、最初に一望できる仏像は半数だけである。後半にも同じくらいの仏像がお待ちになっていると分かったときは、嬉しさでめまいがしそうだった。18件(19体)が国の重要文化財に一括指定されている。小さな博物館なら、これだけで十分、特別展が開けるだろう。
孝恩寺の仏像拝観は要予約である。電話で拝観をお願いしたとき、「できれば午前中に来ていただけませんか?」と言われて、最終的に、このスケジュールになった(和歌山と大阪を行ったり来たりしているのはそのためである)。何か法要でもあるのだろう、と思っていたら、収蔵庫を開けながら、奥様のいわく、「この収蔵庫、日が当たり過ぎると扉が膨張して開かなくなってしまうんです。だから午後の拝観はお断りしているんです」とのこと。貝塚市か大阪府、なんとかしてくれないかなあ。もともとお役所の工事だと言う。
水間鉄道→南海線→JR関西空港線を乗り継いで、JR日根野駅からバスで慈眼院へ。ご案内いただいたのは、緑の木立と柔らかな苔に覆われた奥庭である。丸く刈り込まれたツツジの植え込みを挟んで、金堂(重要文化財)と多宝塔(国宝)が並んでいる。まるで箱庭のようだ。ご住職のお住まいには、庭に面した縁側が設けられ、庭の築山を見るように、国宝建築を眺めることができる。この贅沢、ちょっと羨ましい。
このあたりは、中世の荘園「日根荘」として発達した土地である。往時をしのんで、日根神社、日根野天満宮を訪ねて歩く。
それから和歌山県の海南市まで一気に南下。タクシーで願成寺に向かう。元旦と4月18日にのみ公開される秘仏のご本尊を拝するためである。本堂では法要が始まっていたが、案内を請うと、「観音堂の扉は開いているから、外からお参りしなさい。あれ以上は開かん」とのこと。細かい金網が邪魔になって内側がよく見えないので、顔を擦り付けるようにして覗き込む。すると、暗闇の中に浮かび出たのは、巨大な千手観音坐像である。息を呑んだ。威厳を形にしたような巨像である。脇侍も荘厳もなく、殺風景な木の壁を背にしているだけなのに、王者の風格がただよう。
しばらく金網にしがみついていたが、タクシーを待たせていたので、そろそろ切り上げて、ご朱印を貰いにいった。すると、その間に観光バスの団体客が到着したらしい。同行人が目で招くので、観音堂に戻ってみると、正面の金網扉が開け放たれ、お客さんたちが狭い堂内に上がりこんでいる。なんだ、団体客には開けるのかー。ちょっと興覚めである。
最近、こういう秘仏ツアー(男女とも高齢者が多い)によく遭遇するが、彼らの拝観態度には、はらはらすることが多い。立派なカメラをお持ちのおじいちゃんたちは、何の躊躇もなく仏像の写真を取りまくる。撮影禁止とはどこにも書いてないけど、信仰の対象なんだから、常識として遠慮すべきなんじゃないの?
ともかく、これで2泊3日の秘仏と国宝建築の旅は終了。最終日は、とりわけ収穫が多く、楽しかった。ちょっと時間に余裕があったので、和歌山駅で途中下車し、和歌の浦を散策して、紀州東照宮と和歌浦天満宮(どちらも長い石段の上)に立ち寄って、帰路についた。
■釘無堂のバス停から孝恩寺を望む(門前に青いシートがかかっているところ)
■ようこそ貝塚へ(貝塚市のサイト):寺内町、孝恩寺
http://www.city.kaizuka.osaka.jp/kanko/index.htm
■泉佐野市観光協会:慈眼院、日根神社
http://www.city.izumisano.osaka.jp/section/kankou/kankoukyoukai/index.htm
(4月23日記)