見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

古典と対話する/これからの「正義」の話をしよう(マイケル・サンデル)

2010-07-18 23:55:46 | 読んだもの(書籍)
○マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳『これからの「正義」の話をしよう:いまを生き延びるための哲学』 早川書房 2010.5

 本書は、著者がハーバード大学で担当している学部向けの講義「正義(Justice)」(端的な名前だなー)を原案とする。オビに「ハーバード大学史上最多の履修者数を誇る名講義」というのは、折り込みの著者紹介を見ると「延べ14,000人を超す履修者数を記録」の意味らしい(長く続けているから)。「あまりの人気ぶりに、同大は建学以来初めて講義を一般公開することを決定」というのは、少し眉唾しながら読んでおく。私は知らなかったが、今春、NHK教育テレビでも放映された(されている?)そうだ。本書が5月末にAmazonでベストセラー1位になったのには、私も気づいていた。というわけで、映像と活字の両面で、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの作品なのである。

 確かに分かりやすくて面白い。学部生が食いつきそうだ。本書の宣伝に使われている「1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか?」という問題は、実際に本書の第1章(最初の講義)で取り上げられるジレンマである。著者はこの設問に対する解答は示さない。むしろ、われわれの道徳的ジレンマはどこから来るのかを考えようとする。道徳的ジレンマは、対立する道徳的原理から生じる場合がある。「できるだけ多くの命を救う」ことが正しいのか。「正当な理由があっても無実の人を殺すのは間違い」なのか。さらに現実の世界では、殺そうとしている相手が、ただのヤギ飼いなのか、敵対するタリバン兵なのか、結果の「予測がつかない」ことが、事態を複雑にする。

 とはいえ、ひとまず、われわれが最も拠って立ちやすい「正義」は「できるだけ多くの幸せ」、すなわちベンサムの功利主義だ。このベンサム批判を「自由擁護」の立場から展開したのがジョン・スチュワート・ミル。その末裔にリバタリアニズム(自由至上主義)と呼ばれる人々がいる。リバタリアンへの反論のひとつは、きわめて厳しい条件下に「自由」を定義し直したカント。別のひとつは、「無知のベール」(自分が何者であるかを知らないで結ばれる社会契約)を想定するジョン・ロールズ。また、アリストテレスは、ものごとはその自然な目的(テロス)に基づいた行為のみ「正当」と看做されると説く。

 本書は、日本語の題名が、いかにも今の時代にふさわしく前のめりな雰囲気になっているが、原題は「Justice: what's the right thing to do?」という、もうちょっと穏やかなものだ。「これからの」とか「いまを生き延びる」とか、どこから見つけてきたんだ、という感じがする。確かに例としては、アフガニスタンであったり、代理出産であったり、市場原理と格差是正、人種をめぐるアファーマティブ・アクションなど、「今日的」話題が多数取り上げられているが、本書が参照しているのは、上に略述したとおり、ベンサム、カント、アリストテレスなど、どれも骨太の古典的政治哲学である。ここは大きな声で注意を喚起しておきたい。「これからの正義」は、直近の100年や50年に生み出された著作だけ読んでいたのでは、絶対に答えは出ないのである。

 最後の9、10章は、「誰」という政治哲学者は挙げていないが、われわれが孤立した存在ではなく、共同体を背負った存在である(それゆえ「同意を超越した責務」というものがあり得る)ことを慎重に論じ、道徳から遠ざかり過ぎた政治を批判的にとらえている。このあたりは、逆に、現在のアメリカが抱える問題(「先祖の罪を償うべきか?」という問題設定は日本と似ている)が如実に見えてくるような気がした。
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対談・今、沖縄問題で問われていること(田仲康博、吉見俊哉)

2010-07-17 23:29:13 | 行ったもの2(講演・公演)
ジュンク堂書店新宿店トークセッション 田仲康博×吉見俊哉『今、沖縄問題で問われていること』(2010年7月16日)

 田仲康博氏の『風景の裂け目―沖縄、占領の今』(せりか書房)刊行を記念したイベント。対談は、両氏が全く異なる個人史を語りあうことから始まった。1954年、沖縄生まれの田仲氏は、父は米軍基地で働いていて、アメリカの豊かな物資をフェンスの内側から持ってきてくれる存在だったこと、母は復帰運動に関わっていたこと、ウィスコンシン大学に留学し、沖縄で身近に見ていたアメリカが現実のアメリカと決定的に異なること、「アメリカの日常生活には基地がない」ことに衝撃を受けたと語る。

 続いて、1957年、東京山の手生まれの吉見俊哉氏は、東京オリンピック(1964年)開催に向けて、町が変貌していくときに子ども時代を過ごし、工事現場が遊び場だったと語る。1970年の大坂万博を体験し(田仲さんも沖縄から修学旅行で行ったという)、演劇から盛り場研究を志し、渋谷の円山町の下宿(ラブホテルのネオンが見える中)で修士論文を書いていたとか…。これまで、完成に至らなかった研究がいくつもあるんだけど、実は90年前後に「日本の中のアメリカ」である東京ディズニーランドのことを考えていて、当時流行っていたシミュラークルなどの概念を使って書いていたんだけど(えー大塚英志みたいだ)、待てよ、「日本の中のアメリカ」を考えるなら、「消費文化」の象徴である東京ディズニーランドと同時に、「暴力としてのアメリカ」を表象する米軍基地、そして沖縄の問題に触れなければいけないんじゃないか、と思っていた、とおっしゃる。これを受けた田仲氏から、沖縄のアメリカンビレッジ(アメリカの雰囲気を売り物にしたアミューズメント施設)には、東京ディズニーランド(の構想に関わった人)が入っている、という話があった。

 それから『親米と反米』『ポスト戦後社会』『天皇とアメリカ』の著者として、日本近代史におけるアメリカの影を追って来た吉見氏から、東京の最もオシャレな街、六本木と原宿が、戦前は「陸軍の街」であり、占領下では「米軍の街」だったことが紹介された。つまり、東京(あるいは神奈川)と沖縄は、1950年代前半までは「米軍」というリアリティを共有していた。ところが、50年代後半に「本土」と「沖縄」は切り分けられた(ああ、やっぱり50年代後半がカギなんだな、と思った。→『戦後日本スタディーズ(1)』紀伊国屋書店、2009)。決定的だったのが60年安保で、反米、反基地闘争として立ち上がったものが、反「岸」闘争へと、アメリカの都合のいいようにすり替えられたのではないか。そうなんだよなあ、全共闘運動はやたらと回顧されているのに、安保闘争について、みんな口をつぐんでいるのは何故?と私も思う。

 吉見先生、田仲さんは、もともと「カルチュラル・タイフーン」という”批判的文化研究”の同志(?)でもあるわけだが、この日、話題にのぼっていたのは、グローバル・ミリタリー・ベース・プロジェクトみたいな研究をやりたい!という提案。もちろん、それは”批判的”な視点によるが、米軍基地が生み出した文化を、全てあってならないもの、否定すべきものと見るのではなくて、料理やファッションやエンターティメントの興味深いグローバリゼーションを解明しようというもの。吉見先生が、まずお金取ってこなくちゃ、と小声で付け加えていたのが、本気らしくて可笑しかった。大学の先生も大変なのである。

 最後に吉見先生は、テッサ・モーリス・スズキさんと考えた「時代の変わり目」の話をされて、第一が1890~1900年代、日清・日露戦争を通じて、中華秩序から日本帝国を中心とする秩序への転換、第二が1945~60年、アメリカ中心への転換、そして90年代から、東アジアは新しい時代に向かいつつあるが、その姿はまだ見えていない、とおっしゃっていた。と言いつつも、吉見先生の頭の中には、ソウル~中国沿岸部~上海を中心とする東アジアが見えているように思う。そうすると、沖縄はその「へそ」に位置し、東京は辺境に追いやられるわけだが、本当にそんな近未来がくるのか? 吉見先生の高揚感に比べて、沖縄人・田仲さんの反応は冷淡な感じがした。そんな未来予想は、これまで何度も聞いてきた、みたいな。

 東京(日本)は、やっぱり辺境化していくのかなあ。世界に興味をもたない日本の若者たちを見ていると、そんな気もするが、逆にアジアの各国から見ると、まだまだ東京は、彼らを引き付ける魅力を持っているようにも思う。

 と、尽きない話題で、あっという間の2時間。閉店時間が迫っていたので、著者サインタイムはなかったけど、田仲康博氏の『風景の裂け目』を買って帰りました。必ず読むので、紹介は読後に。この日、遅い夕食は、同行の友人と沖縄料理で。
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伊吾国・粟特城の章/西遊妖猿伝・西域篇(2)(諸星大二郎)

2010-07-15 21:43:26 | 読んだもの(書籍)
○諸星大二郎『西遊妖猿伝・西域篇』2 講談社 2010.6

 西域篇第2巻、悟空一行は伊吾国の東端に到達したもよう。と言っても、シルクロードの地図を見ると、伊吾城(ハミ)でさえ、まだトルファンの手前(東側)だから、先は長い。粟特城という架空のオアシス都市が舞台になっているが、粟特とはソグド人のこと。あれ?ソグド人って、もっと中央アジア寄りに居住していたんじゃなかったけ?なんて思ったが、読み返したら、「シルクロード沿いのオアシス都市には必ずと言っていいほどソグドの植民地がありまして」と講釈師が説明していた。西域篇では、講釈師さんの出番が増えそうだ。

 Wikiによれば、ソグド(人)は『魏書』西域伝においては粟特と記され、玄奘の『大唐西域記』においては窣利人と記されているそうだ。宗教は「ゾロアスター教をはじめ、マニ教、ネストリウス派キリスト教、仏教を信仰した」というが、本編の粟特城の人々は、ゾロアスター教の信者として描かれている。悟空が粟特城内に引きいれてしまった妖魔は「ドゥルジ・ナス」と呼ばれていて、ゾロアスター教の悪神の一らしい。この名前って、元世祖クビライの長男ドルジ(朶而只)あるいは朝青龍のドルジと関係がある?ない? いろいろ疑問が湧くのも西域篇ならではである。

 物語は、まだあちこちに妖しい布石を打っている段階で、どう動き出すのか全く読めない。次の巻が待ち遠しい。

 さて、本書が「読んだもの」投稿600件目。年100冊読破を続けてきたが、6年目の昨年は、ひと月半ほど遅れを取ってしまった。速読、多読がエライわけじゃないけど、読書は精神のエクササイズだから、怠け癖をつけないよう、頑張りたい。
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若冲の来訪記事をめぐって/完本蒹葭堂日記(水田紀久ほか編著)

2010-07-14 22:21:38 | 読んだもの(書籍)
○水田紀久、野口隆、有坂道子編著『完本蒹葭堂日記』(木村蒹葭堂全集;別巻) 藝華書院 2009.5

 まず、書誌来歴から確認しよう。近世大阪の知の巨人、木村蒹葭堂(1736-1802)が残した二十余年分の日記には、4万人(延べ9万人)の来訪者が記されているという。大阪市立図書館の羽間文庫本(24年間18年分)を底本とする『蒹葭堂日記 翻刻編』(水田紀久編集)が、索引つきで蒹葭堂日記刊行会(中尾松泉堂書店)から刊行されたのが、1972(昭和47)年。10年後、花月菴本2年分2冊が発見され、複製のかたちで、同刊行会から追加刊行されている。

 これら個別に公刊された旧本を時系列に整え、誤りは細大となく訂正して完本『蒹葭堂日記』と銘打ち、出版という「盛挙」に漕ぎ着けた――そのように冒頭に水田紀久氏自ら記されているのが、2009年、藝華書院より刊行の本書である。さらに、中尾堅一郎氏(「旧版発行に関わった者」と自己紹介されている)の「添え書」によれば、「このたび、東都で旗揚げなさいました藝華書院が、その処女出版物に弊社の代表的刊行物(略)『蒹葭堂日記』をもう一度、と白羽の矢をお立てになりましたことは」「まさに青天の霹靂」しかし「本音を申せば」「身の程を弁えぬ無謀蛮勇の挙とも思えたのでございます」云々。そうだろうなあ。何せ、1冊でお値段40,000円(+税)である。さすがの私も即買いができず、図書館に行って、中身を確かめてみることにした。そして、ページを開いて唸った。これはすごい仕事である。

 私は、木村蒹葭堂に興味を持っても、すぐに本書(の旧版)に手を出すことはできず、まずは中村真一郎氏の『木村蒹葭堂のサロン』(2000)を読んでみることにした。これだって、700ページ超、5,600円の単行本だから、ずいぶん大きな買い物だと自分では思った。中村真一郎氏は何を読んでいらしたのか? 本文を読みかえすと「昭和末年に公刊されたこの『日記』」とあるから、蒹葭堂日記刊行会刊行の旧版を手元に置かれていたのだろうと思う。しかし、蒹葭堂と画人たちの交流について「蘆雪、蕭白、若冲のいずれも『蒹葭堂日記』には痕跡をとらえられなかった」(559頁、第3部冒頭)という。

 しかし、2009年、MIHOミュージアム『若冲ワンダーランド』図録の巻頭で、辻惟雄氏は「若冲は、この年(※天明8年)の十月に大坂の木村蒹葭堂を訪ねている」と述べており、同図録収載の「関連年表」にも「天明8年(1788)10月21日、大坂の木村蒹葭堂宅を訪ねる」とある。2010年、千葉市美術館の『伊藤若冲アナザーワールド』図録の「略年譜」も、天明8年、大火により居宅焼亡のあとに「戸田東三郎忠行とともに大坂の木村蒹葭堂を訪ねる」と載せる。

 どういうこと? 真相を確かめたくて、本書の索引から本文の翻刻を確認した。すると、天明8年10月21日は「中食」のあとに「伊藤若仲(割注:戸田東三郎同伴来)」とあり、同29日にも割注(ニ行書き)で「戸田東三郎/伊藤若仲」とある。どちらも「若冲」でなく「若仲」で、索引にもこの表記で拾われている(旧版、新版とも)。うーむ、中村真一郎先生は、この表記を別人として見逃されたのだろうか(お弟子さんとかが検索していたのかなあ…)。

 このくらいの異字表記はよくあることで、『アナザーワールド』図録所収、福士雄也氏「伊藤若冲をめぐるニ、三の問題」によれば、壬生寺には若冲が奉納したと伝える狂言面が現存し、面裏には「施主 伊藤若仲/錦棚青物市四丁町中」とあるそうだ。それから、上方の狂歌師・九如館鈍水の狂歌集『興歌野中の水』の中に「若仲」の署名が付された挿図2点が掲載されているという。そうかーやっぱり若冲は蒹葭堂サロンに現れていたのか。どんな大家のいうことでも、原典に当たらず、鵜呑みにしてはいけませんね。久しぶりに初心に帰る心持ちだった。

 そして、繰り返すが、この4万人の人名を収載した索引つき『完本蒹葭堂日記』刊行という壮挙! 中尾堅一郎氏の文章をもう一度、引こう。「本日記翻刻編の新版公刊は必ずや人文研究への一層の寄与と相成りますこと、疑いございません。どうか内外江湖の皆様、一冊でも多く御発注、利活用下さいますよう偏にお願い申し上げます」。え、買おうじゃないか。この国の出版文化と人文研究に投資する気概があるなら。

完本蒹葭堂日記(版元ドットコム):画像あり
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気分は大和路、見仏旅行/奈良の古寺と仏像(三井記念美術館)

2010-07-13 22:42:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
三井記念美術館 特別展 平城遷都1300年記念『奈良の古寺と仏像~會津八一のうたにのせて~』(2010年7月7日~9月20日)

 週末、新潟で白桃美術館という小さな美術館を訪ねた。そこで、新潟出身の会津八一(※以下、この表記を使用)の書画を見て、この展覧会が始まっていたことを思い出し、上野で新幹線を降りた足で、そのまま三井記念美術館に寄った。”会津八一のうたにのせて”という副題が印象的だったもので、私は「古寺と仏像」と「会津八一」の比重は1対1か、むしろ後者のほうが重いんだろうと勝手に思っていた。だいたい「奈良の古寺と仏像」が、そんなに東京に運んでこられるものじゃないだろうし…。

 そうしたら、予想は大ハズレ。法隆寺、東大寺、薬師寺、唐招提寺など10数ヵ所の寺院から、時代も技法(金銅、木彫)も大きさも、さまざまな仏像が40体以上もお出ましになっていて、仏像好きなら歓喜まちがいなし。逆に、「会津八一」色は、ほとんど印象に残らないくらい薄い。買って帰った展示図録によると、新潟展・東京展・奈良展のいずれかで展示される「仏像・仏教美術」関係資料は120点。うち、61点が東京で見られる(数え違いご容赦)。一方、「会津八一」関係資料は172点だが、東京で見られるのは、展示替え分を含めて20点程度に過ぎない。えーこれ、同じ展覧会の巡回展と称することに無理があるんじゃないかなあ。私は仏像ファンであるが、会津八一の書画や自筆原稿にも興味があるので、ちょっと騙された気分である。

 という不満はひとまず措き、第1~2室には金銅仏と銅板押出仏14体が集結。金銅仏は、博物館や美術館で見る機会がわりと多いが、今回は、大阪市立美術館蔵の1件を除き、全て奈良の古寺から出陳された貴重なものだ。正暦寺の薬師如来倚像は有名だが、初見だろうか。思っていたより小さいことに驚く(深大寺の釈迦如来倚像くらいを想像していた)。鼻の先端に残る金メッキ?が鼻水のように光って可笑しい。座ったお尻のまわりを囲むレースのような衣がかわいかった。第2室の法隆寺の釈迦如来立像は、ずんぐりと小柄だが、姿勢のよさに威厳が感じられる。両手に挟んだ宝珠は、つぶれたあんぱんみたい。三山型の宝冠をかぶっているが、後ろにまわると髪をY型に結っているように見えた。

 第4室、東大寺の四天王像(鎌倉時代)は、顔の筋肉、指先、天衣の先まで神経のゆきとどいた優品。あんまり行き届きすぎて、後補?と疑われたが、図録の解説にも「やや神経質なきらいもある」と書かれているから当初の姿なのだろう。平たくつぶれた邪鬼もかわいい。西大寺の塔本四仏は、みんな何か言いたげな口元がおもしろいなあ。薬師寺の地蔵菩薩立像(平安時代)は、小さな頭部をこころもち傾げ、目しいたような静かな表情に心が洗われる。

 最後の7室は、展示ケースいっぱいの大きい仏像が多いが、圧巻は室生寺の釈迦如来坐像(~7/25)。うわわ、おいでになっていたのか!と慌てる。私の大好きな仏像なのである。それにしても展示ケースが薄い(奥行きがない)ため、ほとんどかぶりつき状態である。距離を置いてガラスなしで拝見するのも嬉しいが、こういう「接近感」も嬉しいものだ。失礼を承知で申し上げれば、旭山動物園の白クマを思い出してしまった。本像は「翻波式衣文」の代表作といわれるが、間近で見て、その堂々とした体躯の半身を包む、深く鋭い衣のひだの繰り返しに、ぞくぞくと総毛立つような力強さを感じた。頭部(もとは螺髪がついていたんだろうなあ)から胸のあたりの平板な印象と、きわめて対照的である。この弟7室は、橘寺の日羅像、秋篠寺の地蔵菩薩像など「濃い」(呪術性の強い)造型が多くて、息苦しいほどだ。

 「会津八一」関係資料は本当に少ないので、期待しないほうがいいと思うが、奈良の旅館・日吉館に掲げられていた「観仏三昧」の額が出ていたのは、思わず、にやりとしてしまった。なお、1階アトリウム(玄関ホール)にて、仏像写真家・小川晴暘没後50周年記念写真展『祈りのかたち』を開催中(~7/25)。せんとくんグッズのお店も出ている。あ、日本橋三越本店本館では『入江泰吉写真展~奈良・大和路巡礼の旅』(~7/20)も開催中だったのか。しまった、見逃した。

東京展公式サイト

新潟展(終了)公式サイト
新潟市美術館から新潟県立近代美術館への会場変更など、いろいろあったんでしたね。

奈良展(2010年11月20日~12月19日)公式サイト
図録を見る限り、逆に奈良会場は「会津八一」メインで、「仏像・仏教美術」関係の展示はすごく少なそうである。東京展+奈良展でひとつの展覧会ってことかなあ。
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初めてのアイスショー"Fantasy on Ice 2010"

2010-07-11 23:28:02 | 行ったもの2(講演・公演)
Fantasy on Ice 2010 in Niigata(2010年7月10日、18:30~)

 生まれて初めて、アイスショーなるものを見てきた。たまたま、このブログを開いてくださった方がいたら、期待しないでくださいね。当方、アイススケートには全くの素人である。

 いつも読んでくださっている方々はご案内のとおり、私は、2月のバンクーバー五輪で、男子フィギュアのプルシェンコにハマり、そのあと、ずーっとネットを通じて追っかけていた。ちょっと網を張っておけば、実に豊富な、新鮮な情報に接することができて、全く飽きることがない。プルシェンコ畏るべし、と同時にインターネット畏るべし。

 この新潟で開催されるアイスショーに、プルシェンコ出演決定のニュースが流れたのは4月末。新潟行くぞ!と気合いの入るファンの声を聞いて(読んで)いたら、だんだん自分も行きたくなってきた。会場となる朱鷺メッセは、昨年、仕事で行った縁もあるし。5月下旬、勇気を出して、ネットでチケット購入。SS席18,000円とS席14,000円で迷ったが、初めてなので、控えめにS席にした。仕事で行けなくなる可能性も皆無ではなかったので…。

 この時点で、ステファン・ランビエールの出演は決まっていたけど、6月、まさかのジョニー・ウィアーも出演決定。ほか、トマシュ・ベルネルにヴィクトール・ペトレンコにスルヤ・ボナリーなど。初体験のアイスショーが、こんな豪華メンバーでいいのか?と思って、嬉しいより、ちょっと困ったような感じだった。海外勢に比べて、日本人がちょっとさびしいと言われていたけど、いやいや、荒川静香、安藤美姫に加えて、私は若手の羽生結弦くんと村上佳菜子ちゃんが見られて満足です。

 最近の私の初体験といえば、2008年、東京美術倶楽部の展示即売会を思い出す(全く毛色違いですみません)。あれも、突然、知らない世界に飛び込んでオタオタしてしまったのだが、街のあやしい骨董屋とかでなくて、古美術即売会の最高峰を最初に体験できたのは、結果的にすごくラッキーだった。新しい世界に飛び込むときは、多少無理をしても、最高級品から試してみるのがいいみたい。

 そういう意味では、今回のFaOI(Fantasy on Ice)はベスト・オブ・ベストだったと思う。プルシェンコは、6月末の横浜"Dreams on Ice"を皮切りに、新潟、東京、名古屋と、日本のアイスショー出演が続くが、これだけの海外スケーターが大集結する公演は他にない。昨日、今日の公演内容については、既にたくさんのレポートがネットにあがっているみたいなので、私は詳しくは書かない。技術的に無知なので、すごかった、楽しかった、美しかった、しか書けないんだもの。

 とは言いながら、海外スケーターは2プログラムずつ(これもあまりないことみたい)で、プルシェンコは前半のトリでアランフェス(バンクーバー五輪のSP)。存在感が圧倒的で、彼が登場すると、急にリンクが小さくなったように感じられた。後半では、ゴスペラーズの生歌(星屑の街)とコラボ。しっとりした曲調に激しいステップで、合わないはずなのに、妙に合っていたのが不思議。「涙が出てきた」と感想を書いている人がいて、ああ、感激したのは私だけじゃないんだと思った。ランビは2日目だけ「椿姫」で歓喜!と書いている人が多かったけど、私は「椿姫」プロはあまり好きじゃないので(オペラの「椿姫」が好き過ぎるもので)、初日は紫シャツのレイ・チャールズ(Let the good time roll)でよかったと思う。ジョニーは後半の「ポーカー・フェイス」はコンサート並みの盛り上がりだったけど、個人的には前半のゴスペラーズとのコラボ(I LOVE YOU, BABY)の黒の上下(半袖)+白手袋の衣装が男前で、すっかりファンになってしまった。

 オリンピックなどで見る「競技」としてのフィギュアスケートとはまた別種の、エンターテイメントの世界があることがよく分かった。いいな、この世界。初めて見るアクロバットやエアリアルもほんとに面白かった。パンフレットによれば、choreographer(コレオグラファー、振付師)はアントニオ・ナハーロ氏。オープニング、エンディングの群舞は、もう一度、いや何度でも見たい。DVD出ないかなあ。もはや伝説になるんじゃないかと言われる今回の公演、現場にいても、見どころをたくさん見逃しているのではないかと思われる。でも、それでも現場にいられたことは幸せ!!
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子規の朝顔(根岸子規庵)

2010-07-09 23:58:40 | なごみ写真帖
子規庵(台東区根岸)『明治の朝顔復興プロジェクト』

 先週末、書道博物館に行ってきた目的のひとつは、向かいの子規庵で明治種の朝顔を入手することだった。詳細は上記ホームページで。

 子規庵の門の脇の小庭に朝顔の鉢が並んでいたので、そこにいた人に声をかけたら「こっちが明治の朝顔で、そっちは普通の朝顔です」と、大きく2種類あることを教えられた。「明治の朝顔」と教えられた鉢は、葉っぱが細くて、葉巻のようにねじれているものが多かった。だが、中には、葉っぱがねじれていないものもある。既に赤や青色の花が咲き始めているものもあったが、あえて何色が咲くか分からない鉢を選んで買ってきた。単色の古風な花だといいな、と思いながら。とりあえず、ベランダの洗濯機の上に据えた。



 あとで上記のホームページを見たら、「明治趣朝顔2,000円」「原種朝顔2,500円」とある。合計で200鉢らしい。私が「明治の朝顔」と教えられて買ったのは2,500円だったから「原種朝顔」のほうだ。??? ちょっと分かりにくいのだが、「根岸の里青年団」のみなさんが復元に取り組んでいる「明治の朝顔」というのは、江戸時代に人気だった変化朝顔(突然変異で生まれる品種で、葉が縮れたり細長いひょうたん形だったりと特徴ある形状で、花も小ぶりが多い)のことらしい。

※東京新聞:子規詠んだ明治の朝顔 台東・根岸の人たち復元へ(2010/7/10)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20100701/CK2010070102000068.html

 私は間違って買っちゃったかな? まあ、いいや。火曜の朝に、さっそく最初の花が咲いた。朝から曇り空で、はっきりしないお天気のため、恥ずかしそうな(まだ眠そうな)花つきだった。


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書道博物館+雑誌『Pen』「特集・書のチカラ」

2010-07-08 23:10:06 | 読んだもの(書籍)
台東区立書道博物館 企画展・中村不折コレクション『墓誌銘にみる楷書の美』(2010年5月18日~7月11日)

 絵画や彫刻・工芸に比べると、「書」の世界は敷居が高い。(茶人趣味の)古筆や墨蹟ならまだしも、この博物館のように、純粋に「書」の美学を追求したコレクションは、なおさらのことだ。それでも、いつも熱心な参観者の姿を見るので、何事にもファンっているんだなあ、と感心する。

 展示方法は、よく工夫されていて、奥深い「書」が素人にも分かりやすく解説されている。知識というほどもない豆知識のレベルだけど、「銘」という漢字を例にあげて、北魏ではへんはつくりより幅が狭いのに対し、隋ではへんとつくりが同じ幅となり、唐ではへんよりつくりの幅が広い、という解説は、よく分かった。北朝では激しい楷書、南朝では穏やかな楷書が生まれ、隋唐でこれが融合する、という見取図も、初めて頭に入った。これを知っているだけでも、あ、北朝の書だ、とか、これは南朝だな、というのが分かって嬉しい。大作『臨顔真卿裴将軍詩軸』はこれまでにも何度か見ているけど、やっぱりもとの顔真卿の書のほうがいい。検索してみたら、中村不折以外にも、さまざまな書家が臨模していることが分かった。

■『Pen』 2010年7/15号「特集・書のチカラ」 阪急コミュニケーションズ 2010.7

 さて、ときどき気になる特集を組む雑誌『Pen』が、最新号で「書」を取り上げている。これは冒険すぎるだろ~仏像とか茶の湯とか戦国武将ならともかく…と思いつつ、買ってみた。冒頭では、日・中・韓の現代書家をひとりずつ紹介する。日本は柿沼康ニ氏。2007年の大河ドラマ『風林火山』のタイトルロゴを手がけた書家だ。それ以上に「其疾如風…」という「孫子の兵法」の十六文字の美しさにあらためてうっとりする。「臨書に丹精を重ねてきた書家ならでは」という解説に納得する。

 「知っておきたい名作」に、顔真卿の『祭姪文稿』(台湾故宮博物院蔵)が挙がっているのは嬉しいな。王羲之、蘇軾は当然として、毛沢東はナイス・チョイス。日本の仮名では、伝公任筆『石山切』、光悦の『鶴図下絵和歌巻』などが挙がっている。え、でも、米芾はぁ~? 藤原佐理はないのお~?と、無理を承知で難癖をつけたいところもある。

 書跡だけでは売れないと判断したのか、後半には「とじ込み付録/水墨画とは何か」という関連特集あり。人気と実力の画家をバランスよく取り上げていると思うが、浦上玉堂を入れてほしかったな、私の好みでは。あと、ホセ・フランキーさんのイラストが、けっこう好き。
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巨龍、未だ死なず/清朝と近代世界(吉澤誠一郎)

2010-07-07 23:55:52 | 読んだもの(書籍)
○吉澤誠一郎『清朝と近代世界:19世紀』(岩波新書:シリーズ中国近現代史1) 岩波書店 2010.6

 岩波新書の「シリーズ日本近現代史」全10巻が完結したと思ったら、新たに「シリーズ中国近現代史」全6巻の刊行が始まった。おー楽しみだなあ。2巻以降のラインナップは以下のとおり(岩波書店のページから)。「日本」の執筆陣が、いま「旬」の研究者揃いだったのと同様、「中国」も期待のふくらむ面子である。

2 近代国家への模索:1894-1925/川島真
3 革命とナショナリズム:1925-1945/石川禎浩
4 社会主義への挑戦:1945-1971/久保亨
5 開発主義の時代へ:1972-2010/高原明生
6 中国の近現代史をどう見るか/西村成雄

 本書は、乾隆治世の末年、1793年、熱河避暑山荘(去年の夏、行った~!)におけるマカートニー使節団の謁見から書き起こし、おおよそ1894年の日清戦争までを詳述、エピローグとして、義和団戦争、辛亥革命にも簡単に触れる。中国近代史の中でも、とりわけ私の大好きな「時代」で、小説で、映画で、学術書で、繰り返し味わってきたので、さすがにもう驚くような発見はないだろうと思っていた。ところが、やっぱり新しい本を読むと新しい発見があるものだ。

 学術書はともかく、(中国製の)映画やドラマでは、この時代は、苦難の時代として描かれることが多い。苦難の原因は、悪辣な侵略者=西欧列強や日本であるとは限らず、統治者の身勝手、官僚の腐敗、民衆の無知などに力点が置かれることもあるが、ともかく19世紀の中国は、世界の潮流に乗り遅れ、なすすべもなく衰亡する過程だったと意識されることが多いと思う。これは、一面では、辛亥革命以降の近代中国の「リベンジ」をより輝かしく見せる効果をもっている。日本人にとっては、大国中国の「失敗」に対して、明治日本の目覚ましい「成功」という、心地よい物語を提供してくれる仕掛けでもある。

 本書は、この聞き慣れた物語に、丁寧な修正を加える試みである。たとえば、19世紀半ばには、太平天国の乱に続いて、安徽省では捻軍と呼ばれる武装集団の反乱が、雲南では杜文秀を指導者とする回民(イスラム教徒)の反乱が起きた。しかし、ともかくも清朝が、これらの大動乱を乗り切ることができたのは、外国貿易や商品流通の活性化を活かして、財政の仕組みを立て直し、巨大な軍費をまかなうことができたこと、統治の仕組みに修正を加え、各地の有力者を味方にできたことによる。

 後世の目からは後戻りできない衰退のはじまりにあっても、嘉慶帝や道光帝は、国家の立て直しを諦めず、財政・司法・運輸・治水など、あらゆる方面に、CEO(最高経営責任者)として努力を傾注している。ホントに偉いよ、この愛新覚羅氏の一族は。また、19世紀後半には東南アジアへの移民(華僑)が活発になり、彼らが稼いだ金を故郷に送金することで、清朝の輸入超過(貿易赤字)は相殺されるまでになっていたという。へえ~ほんとなのか。海外移民の経済的貢献って大きいんだな。

 近代における日本と中国(清朝)との関係といえば、日清戦争から説き起こすのが常道だが、本書は、1862年、徳川幕府が大陸との貿易を求めて、官船・千歳丸(せんざいまる)を上海に派遣したことを記す(高杉晋作が乗り込んだアレか)。この経験は、徳川幕府の瓦解によって部分的にしか継承されなかったが、1871年(明治4年)の日清修好条規が、おおむね両国の対等性という原則に沿って締結される基礎となった。ああ、どうしてその後の歴史は、この線で進まなかったのかなあ。

 なお、清朝は、1895年の下関条約では「大清帝国」と名乗っているが、これは「大日本帝国」の影響を受けた表現ではないかという。「帝国」という言葉は古い漢籍にはほとんど見られないのだそうだ。今日では、確か「大清帝国」という中国製時代劇もあったはずなのに…。でも”大清皇帝”は使っているよね。さらに、1908年、清朝が宣布した欽定憲法大綱の第1条には「大清皇帝は、大清帝国を統治し、万世一系、永久に奉戴される」とあるそうだ。ええ~これにはのけぞった。

 このほか、ロシア、新疆、ハワイ(!)、シャム(タイ)、ベトナムなど、近代中国史の始まりに多角的な視野を提供してくれる1冊である。
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対談・植民地主義の暴力(徐京植、高橋哲哉)

2010-07-04 22:23:04 | 行ったもの2(講演・公演)
○ジュンク堂書店新宿店トークセッション 徐京植×高橋哲哉『植民地主義の暴力-植民地主義はいまも継続し、増殖する-』(2010年7月1日)

 徐京植著『植民地主義の暴力:「ことばの檻」から』(高文研)の刊行記念対談。定員40名という案内だったが、もう少し多かったと思う。老若男女、バラエティに富む客層で、小さな喫茶スペースは満員札止めになった。10日前、6月21日に神保町の東京堂書店でもおふたりの対談イベントがあり、こちらも60数名の来場者で満員だったという。へえーまず、そのことに驚いた。世間的には、外国人参政権や朝鮮学校無償化に対する激しい拒否反応が目立つ現在、それに全く逆行する両氏の対談に、これだけの人が集まるということは、マスコミやネットを席巻している強硬意見だけが、日本人の総意でないことが分かり、私などは、まだ日本に自分の居場所があることが分かって、少し安心した。

 しかし、冒頭で高橋哲哉氏は、1990年代からこのかたの「記憶をめぐる闘い」を振り返って語られた。90年代初頭の日本社会には、多様な価値を受け入れ、(虐げられた者からの告発に)応答する可能性が見えていた。にもかかわらず、1995年を境に、歴史修正主義が勢力を増し、マスメディアがのっとられ、世論が変化していった。2000年代には、9.11、イラク戦争、日朝会談と拉致問題の顕在化等により、日本は応答責任(を果たすこと)に失敗して、今日に至っている。最近は、ついに在特会(在日特権を許さない市民の会)のような、”極右”的な市民団体が現れるようになった。ふむ、90年代初頭って、そんな可能性が開かれていたんだったけ? 大人だった私でさえ、もう忘れてしまっているし、いまの20代30代にとっては、全く記憶の埒外だろう。

 両氏がいう「応答責任」は、結局、素朴で実感的な倫理感に帰着する。謝罪を要求し続ける中国や朝鮮はうざい。教科書的なヒューマニズムの押しつけには反発を感じる。それはいい。それはいいとして、なお取り残されている被害者からの訴えに、君自身は耳を傾けないのか。ただそれだけを、個々人の内面に向けて、繰り返し、愚直に問い続けている。

 被害者の訴えに耳を塞ぎたいと思うのは、マジョリティの一員であるから。現状を変えたくない側にいるからである。しかし、いまの学生諸君は、本当にマジョリティ=勝ち組なのか。そこには何かが隠蔽されているのではないか。これは徐京植氏の言葉。自分に心地よいことを囁いてくれる他者は「もうひとりの自分」でしかない。ぎこちない関係を迫る他者の訴えにこそ、どう応答できるかが重要なのである。これは高橋哲哉氏の言葉。また、被害者の声に応えることが大局的には「国益」に適うから、という理由づけは、内なる植民地主義を克服することができない、という厳しい指摘もあった。

 高橋氏は、途中でかなり詳しく「沖縄」問題に触れられた。沖縄は「日本」にとって最初の植民地だった。2009年は沖縄にとって、琉球処分130周年、薩摩侵攻400年の節目に当たり、県内ではさまざまなイベントが行われたが、沖縄以外では、全くこうした動きがなかった。そして普天間基地問題は、鳩山総理の”迷走”で片付けられてしまうことになった。沖縄の基地問題をどうすればいいのかということに、私は解答が見いだせない。でも、マスメディアの鳩山叩きは、見ていて馬鹿馬鹿しかった。沖縄が「日本」の一部であるなら、日本人は、マスコミも世論も、もう少し違う方向に連帯すべきなんじゃないのか?と何度も首をひねった。

 韓国・中国に対して日本が何をしてきたか、歴史を知れば、何をすべきかは自ずと分かる筈でしょう、と高橋氏はおっしゃったけど、私は沖縄について、韓国・中国以上によく知らない。多くの日本人がそうじゃないのかな、と思う。「見えるはずのものが見えない」のは、植民地主義の暴力の本質であるという。それならば、まず、真実を学ぶことをもって、その克服に向かいたいと思う。

※本はまだ読んでいないけど。

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