○マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳『これからの「正義」の話をしよう:いまを生き延びるための哲学』 早川書房 2010.5
本書は、著者がハーバード大学で担当している学部向けの講義「正義(Justice)」(端的な名前だなー)を原案とする。オビに「ハーバード大学史上最多の履修者数を誇る名講義」というのは、折り込みの著者紹介を見ると「延べ14,000人を超す履修者数を記録」の意味らしい(長く続けているから)。「あまりの人気ぶりに、同大は建学以来初めて講義を一般公開することを決定」というのは、少し眉唾しながら読んでおく。私は知らなかったが、今春、NHK教育テレビでも放映された(されている?)そうだ。本書が5月末にAmazonでベストセラー1位になったのには、私も気づいていた。というわけで、映像と活字の両面で、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの作品なのである。
確かに分かりやすくて面白い。学部生が食いつきそうだ。本書の宣伝に使われている「1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか?」という問題は、実際に本書の第1章(最初の講義)で取り上げられるジレンマである。著者はこの設問に対する解答は示さない。むしろ、われわれの道徳的ジレンマはどこから来るのかを考えようとする。道徳的ジレンマは、対立する道徳的原理から生じる場合がある。「できるだけ多くの命を救う」ことが正しいのか。「正当な理由があっても無実の人を殺すのは間違い」なのか。さらに現実の世界では、殺そうとしている相手が、ただのヤギ飼いなのか、敵対するタリバン兵なのか、結果の「予測がつかない」ことが、事態を複雑にする。
とはいえ、ひとまず、われわれが最も拠って立ちやすい「正義」は「できるだけ多くの幸せ」、すなわちベンサムの功利主義だ。このベンサム批判を「自由擁護」の立場から展開したのがジョン・スチュワート・ミル。その末裔にリバタリアニズム(自由至上主義)と呼ばれる人々がいる。リバタリアンへの反論のひとつは、きわめて厳しい条件下に「自由」を定義し直したカント。別のひとつは、「無知のベール」(自分が何者であるかを知らないで結ばれる社会契約)を想定するジョン・ロールズ。また、アリストテレスは、ものごとはその自然な目的(テロス)に基づいた行為のみ「正当」と看做されると説く。
本書は、日本語の題名が、いかにも今の時代にふさわしく前のめりな雰囲気になっているが、原題は「Justice: what's the right thing to do?」という、もうちょっと穏やかなものだ。「これからの」とか「いまを生き延びる」とか、どこから見つけてきたんだ、という感じがする。確かに例としては、アフガニスタンであったり、代理出産であったり、市場原理と格差是正、人種をめぐるアファーマティブ・アクションなど、「今日的」話題が多数取り上げられているが、本書が参照しているのは、上に略述したとおり、ベンサム、カント、アリストテレスなど、どれも骨太の古典的政治哲学である。ここは大きな声で注意を喚起しておきたい。「これからの正義」は、直近の100年や50年に生み出された著作だけ読んでいたのでは、絶対に答えは出ないのである。
最後の9、10章は、「誰」という政治哲学者は挙げていないが、われわれが孤立した存在ではなく、共同体を背負った存在である(それゆえ「同意を超越した責務」というものがあり得る)ことを慎重に論じ、道徳から遠ざかり過ぎた政治を批判的にとらえている。このあたりは、逆に、現在のアメリカが抱える問題(「先祖の罪を償うべきか?」という問題設定は日本と似ている)が如実に見えてくるような気がした。
本書は、著者がハーバード大学で担当している学部向けの講義「正義(Justice)」(端的な名前だなー)を原案とする。オビに「ハーバード大学史上最多の履修者数を誇る名講義」というのは、折り込みの著者紹介を見ると「延べ14,000人を超す履修者数を記録」の意味らしい(長く続けているから)。「あまりの人気ぶりに、同大は建学以来初めて講義を一般公開することを決定」というのは、少し眉唾しながら読んでおく。私は知らなかったが、今春、NHK教育テレビでも放映された(されている?)そうだ。本書が5月末にAmazonでベストセラー1位になったのには、私も気づいていた。というわけで、映像と活字の両面で、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの作品なのである。
確かに分かりやすくて面白い。学部生が食いつきそうだ。本書の宣伝に使われている「1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか?」という問題は、実際に本書の第1章(最初の講義)で取り上げられるジレンマである。著者はこの設問に対する解答は示さない。むしろ、われわれの道徳的ジレンマはどこから来るのかを考えようとする。道徳的ジレンマは、対立する道徳的原理から生じる場合がある。「できるだけ多くの命を救う」ことが正しいのか。「正当な理由があっても無実の人を殺すのは間違い」なのか。さらに現実の世界では、殺そうとしている相手が、ただのヤギ飼いなのか、敵対するタリバン兵なのか、結果の「予測がつかない」ことが、事態を複雑にする。
とはいえ、ひとまず、われわれが最も拠って立ちやすい「正義」は「できるだけ多くの幸せ」、すなわちベンサムの功利主義だ。このベンサム批判を「自由擁護」の立場から展開したのがジョン・スチュワート・ミル。その末裔にリバタリアニズム(自由至上主義)と呼ばれる人々がいる。リバタリアンへの反論のひとつは、きわめて厳しい条件下に「自由」を定義し直したカント。別のひとつは、「無知のベール」(自分が何者であるかを知らないで結ばれる社会契約)を想定するジョン・ロールズ。また、アリストテレスは、ものごとはその自然な目的(テロス)に基づいた行為のみ「正当」と看做されると説く。
本書は、日本語の題名が、いかにも今の時代にふさわしく前のめりな雰囲気になっているが、原題は「Justice: what's the right thing to do?」という、もうちょっと穏やかなものだ。「これからの」とか「いまを生き延びる」とか、どこから見つけてきたんだ、という感じがする。確かに例としては、アフガニスタンであったり、代理出産であったり、市場原理と格差是正、人種をめぐるアファーマティブ・アクションなど、「今日的」話題が多数取り上げられているが、本書が参照しているのは、上に略述したとおり、ベンサム、カント、アリストテレスなど、どれも骨太の古典的政治哲学である。ここは大きな声で注意を喚起しておきたい。「これからの正義」は、直近の100年や50年に生み出された著作だけ読んでいたのでは、絶対に答えは出ないのである。
最後の9、10章は、「誰」という政治哲学者は挙げていないが、われわれが孤立した存在ではなく、共同体を背負った存在である(それゆえ「同意を超越した責務」というものがあり得る)ことを慎重に論じ、道徳から遠ざかり過ぎた政治を批判的にとらえている。このあたりは、逆に、現在のアメリカが抱える問題(「先祖の罪を償うべきか?」という問題設定は日本と似ている)が如実に見えてくるような気がした。