見もの・読みもの日記

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兄弟伝位の謎/宋の太祖と太宗(笠沙雅章)

2019-01-03 20:17:32 | 読んだもの(書籍)
〇笠沙雅章『独裁君主の登場:宋の太祖と太宗』(新・人と歴史 拡大版20) 清水書院 2017.8

 これも去年の読書。新刊ではないのだが、たまたま書店で目立つところに置いてあったので買ってしまった。本書の記述は宋の建国より少し時代をさかのぼり、五代十国と呼ばれる分裂の時代(907-960)から始まる。分裂抗争の中から次第に新しい統一王朝の姿が見えてくるのだが、そこに大きな役割を果たした人物が三人いる。後周の世宗・柴栄(921-959)、宋の太祖・趙匡胤(927-976)、その弟の太宗・趙匡義(939-997)で、かつて宮崎市定博士はこの三皇帝を織田信長・豊臣秀吉・徳川家康になぞらえたという。これは本書の「はじめに」に出てくる挿話。これだけで、ほとんど詳細を知らなかった三人が、急に身近な存在に感じられてくる。

 10世紀はじめ、唐朝が滅亡すると、華北地方にはその後継を自認する5つの王朝(後梁・後唐・後晋・後漢・後周)が興亡し、各地で独立を宣言した軍閥は前後10国にのぼった。五代の正史には新旧の両書が存在する。旧史は5つの王朝をほぼ公平に扱っているが、欧陽脩が執筆した新史は大いに褒貶を加えており、特に最初の王朝・後梁(朱全忠が建てた)に対する評価が分かれるという。しかし近年の中国では朱全忠に対して一定の再評価が行われているというのが興味深い。

 後梁を滅ぼした後唐は、トルコ系の沙陀族の建てた国で、全て唐朝に倣う復古政策を取った。その後、国内の反乱に乗じ、契丹と結んだ石敬瑭が後唐を滅ぼして後晋を建てた。しかし契丹の南伐によって華北地方は荒廃し、後晋の後を襲った後漢も短命王朝に終わった。その後、久しぶりに登場した漢人皇帝の王朝が後周である。五代は、漢人と異民族の激しい抗争が繰り返された半世紀であることが理解できた。

 後周の世宗は、軍隊を改編して精鋭無比の禁軍を整え、膨張しすぎた仏教教団を整理して国の経済を健全化した。次いで外征に乗り出し、まず南唐を大いに破り、北伐にとりかかったところで病没してしまった。このとき、まさに北伐に向かう夜営において、将校たちに推挙されて「革命」を起こし、帝位についたのが宋の太祖・趙匡胤である。この逸話は何度か聞いたことがあり、どう考えても「できすぎ」で、こうでなければ乱世の勝ち残りにはなれないだろうが、悪いヤツだなあと思った。が、後から登場する太宗に比べれば、かわいいものである。

 宋太祖は、後周の世宗が取り掛かっていた中央集権化・君主独裁体制への道を、引き続き、着実に進めたと著者は見ている。藩鎮から軍事・行政・財政・司法権を取り上げて、中央に回収する。その手足となったのが、中央から派遣された文官たちである。中央政府の行政機構でも、宰相を複数任命したり、次官を置き、政務は合議制として、皇帝自らが議長となって決裁することで、臣下に絶対権力を持つものが出現することを予防した。なんというか、憎らしいほどの政治手腕。しかし、こういう体制は、超有能で意欲にあふれた皇帝の存在がないと、機能しないのではないかと思う。

 太祖は在位17年、50歳で突然に没した。そして太宗が即位するわけだが、この不自然さは太祖即位の比ではない。「燭影斧声」の逸話を初めて知ったときの気持ち悪さは、深く記憶に残っている。「金匱預盟」も変な話だ。Wikiは「千載不決の議」を参照のこと。やっぱり古今東西、兄弟相続って謎と憶測を呼ぶんだなあ。また、古来、新帝即位の年は、革命によるのでなければ、翌年になって改元するのが常だったが(日本は違うんだな)太宗は年末に改元して、旧習を改革する決意を示したというのも興味深く読んだ。太宗は、太祖以上に厳しく軍閥の権限を抑制し、科挙を拡充し、宋四大書と呼ばれる大規模な文化事業を行うなどした。しかし対外的には契丹に加え、タングート族の西夏の独立を許すなど、異民族の侵入に悩み、最終的には弱腰の和議を求めるしかなかった。

 太祖は酒宴で国の大事を決するなど、酒豪であったことは事実らしい。太っ腹で寛大な心の持ち主としての逸話が残る一方、神経質で気の弱いところがあったのではないかと著者は見ている。色黒で肉付きのいい頬、太い下がり眉と豊かな涙袋が印象的な太祖坐像(故宮博物院所蔵)がカラー図版で掲載されている。年末の台湾旅行でこの肖像の原物と対面する機会にめぐまれたのは不思議な偶然だった。一方、太宗の肖像も掲載されているが、本書を読んだあとは、どこか酷薄そうに見える。太宗は下戸で、田猟や声色の娯楽を避け、倹約質素を旨とし、ひたすら政務に励んだそうだ。本来なら所管の官庁に任せてよさそうな些細な案件でも文書に目を通したというから清の雍正帝タイプである。直属の上司にはしたくないタイプだと思う。

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