■臨済宗・建長寺派大本山 建長寺
建長寺へ移動。2003年に改築された客殿(紫雲閣)の2階が第1会場、1階は喫茶・食事席。方丈(龍王殿)が第2会場であること、2011年と同じ。第1会場には伽藍神が座っていたり、三門楼上に安置されている五百羅漢の一部がいたり、絵画、工芸、版本など、だいたい記憶のとおりだった。最後の床の間には、伝張思恭筆『釈迦三尊図』を中央に、左右に伝牧谿筆『猿猴図』が掛かる。その前に、獅子形大香炉と、北条時頼坐像がいてびっくりした。いや開基だから、びっくりしなくていいのだが、国宝館でしか見たことがなかったので。
1階は、以前はお坊さんが接待してくれるお茶席だったが、セルフサービスのお茶サーバーとお菓子が置かれ、それとは別にけんちん汁の販売が行われていた。
続いて、大2会場(方丈)へ。手前の1室は『地獄十王図』に見覚えがある。建長寺の説明をする声が流れてくるので、観光バスのツアーでも来ているのかと思ったら、2室(室中)で、建長寺の法被を着た有髪の男性がマイクを握って説明をしていて、その声が左右の部屋にも流れてくる仕掛けになっていた。
「みなさん、円覚寺さんも行かれましたか? 建長寺と比べて、宝物の数、どうでした? 円覚寺のほうが多いって言われるんですよね。建長寺はずいぶん宝物が流出していて『建長寺流れ』と呼ばれるんです」「建長寺の開山は蘭渓道隆さん、円覚寺の開山は無学祖元さんですが、この方は建長寺の5代目住職でもありました」「無学祖元さんが、建長寺にあった宝物を、かなり円覚寺に移してしまったんですね」と言葉の端々に円覚寺への対抗心がのぞき(笑)、熱い建長寺愛を感じたけど、どういうポジションの方だったんだろう。
2室は、建長寺の寺宝としていちばん重要な国宝『蘭渓道隆像』や蘭溪道隆(大覚禅師)の墨蹟『法語規則』などがある。祥啓の『三十三観音図』も。廊下には古地図がたくさん。柱に『白沢図』も掛けてあった。
3室は、正面に大きな涅槃図(江戸時代)が掛けてあった。若いお坊さんが「先輩、ちょっと教えてください」と同輩のお坊さんを呼んで「あの摩耶夫人と一緒にいるのは、おつきの人たちと思えばいいんですか」と聞いていた。そのあと、質問をしていた若いお坊さんが、拝観客に「よろしければ、少しご説明いたしましょう」と声をかけて、解説役をつとめていた。いい試みだなあ。頑張れ、若者。
■鎌倉国宝館 特別展『鎌倉ゆかりの天神さま-荏柄天神社宝物と常盤山文庫コレクション-』(2014年10月18日~12月14日)
鶴岡八幡宮境内の国宝館に寄っていく。平常展示「鎌倉の仏像」は、見慣れた仏像に混じって、個人蔵の阿弥陀如来坐像(平安時代)など、私の記憶にないものもあった。岩座に座って片足を踏み下ろした地蔵菩薩(江戸時代)は、神武寺のものだった。長谷寺の三十三応現身からは、童子、老人、天王の3体がお出まし。
特別展は「天神さま」。初期の天神さんは、怒り全開モードで、怖い怖い。渡唐天神って、ほかならぬ無準師範に会いに行くんだったのか、と初めて認識。さっき、円覚寺と建長寺で見て来た、ちょっと垂れ目のいたずらっぽい和尚の顔が浮かぶ。同時に三井記念美術館の『東山御物の美』で見た、よろよろしたロバの図なども。
■鶴岡八幡宮 新宮(いまみや)
話は戻るが、巨福呂坂トンネルを下って、鶴岡八幡宮が近づいてきたとき、あれ、何か忘れている?と気づいた。10月に大阪の水無瀬神宮に行って、後鳥羽院の御霊にお参りしてきたとき、次に機会があったら、鶴岡八幡宮の北奥にある新宮(今宮)神社にも行ってみようと思っていたのだ。駐車場の横から、細い道を入っていく。片側は崖だが、片側はひっそりした住宅が建て込んでいるのが、いかにも鎌倉らしい。しばらく行くと、鬱蒼とした木立を背景に、朱色の鳥居が見えてきた。社殿の前で白い影が動いているので、ちょっとビビったが、神職らしい方がおふたり、落ち葉を払って、掃除をされていた。
こういう、よほどの数奇者しか来ない、小さなお宮もきちんと手入れされているんだなあ。鎌倉、奥が深い。
建長寺へ移動。2003年に改築された客殿(紫雲閣)の2階が第1会場、1階は喫茶・食事席。方丈(龍王殿)が第2会場であること、2011年と同じ。第1会場には伽藍神が座っていたり、三門楼上に安置されている五百羅漢の一部がいたり、絵画、工芸、版本など、だいたい記憶のとおりだった。最後の床の間には、伝張思恭筆『釈迦三尊図』を中央に、左右に伝牧谿筆『猿猴図』が掛かる。その前に、獅子形大香炉と、北条時頼坐像がいてびっくりした。いや開基だから、びっくりしなくていいのだが、国宝館でしか見たことがなかったので。
1階は、以前はお坊さんが接待してくれるお茶席だったが、セルフサービスのお茶サーバーとお菓子が置かれ、それとは別にけんちん汁の販売が行われていた。
続いて、大2会場(方丈)へ。手前の1室は『地獄十王図』に見覚えがある。建長寺の説明をする声が流れてくるので、観光バスのツアーでも来ているのかと思ったら、2室(室中)で、建長寺の法被を着た有髪の男性がマイクを握って説明をしていて、その声が左右の部屋にも流れてくる仕掛けになっていた。
「みなさん、円覚寺さんも行かれましたか? 建長寺と比べて、宝物の数、どうでした? 円覚寺のほうが多いって言われるんですよね。建長寺はずいぶん宝物が流出していて『建長寺流れ』と呼ばれるんです」「建長寺の開山は蘭渓道隆さん、円覚寺の開山は無学祖元さんですが、この方は建長寺の5代目住職でもありました」「無学祖元さんが、建長寺にあった宝物を、かなり円覚寺に移してしまったんですね」と言葉の端々に円覚寺への対抗心がのぞき(笑)、熱い建長寺愛を感じたけど、どういうポジションの方だったんだろう。
2室は、建長寺の寺宝としていちばん重要な国宝『蘭渓道隆像』や蘭溪道隆(大覚禅師)の墨蹟『法語規則』などがある。祥啓の『三十三観音図』も。廊下には古地図がたくさん。柱に『白沢図』も掛けてあった。
3室は、正面に大きな涅槃図(江戸時代)が掛けてあった。若いお坊さんが「先輩、ちょっと教えてください」と同輩のお坊さんを呼んで「あの摩耶夫人と一緒にいるのは、おつきの人たちと思えばいいんですか」と聞いていた。そのあと、質問をしていた若いお坊さんが、拝観客に「よろしければ、少しご説明いたしましょう」と声をかけて、解説役をつとめていた。いい試みだなあ。頑張れ、若者。
■鎌倉国宝館 特別展『鎌倉ゆかりの天神さま-荏柄天神社宝物と常盤山文庫コレクション-』(2014年10月18日~12月14日)
鶴岡八幡宮境内の国宝館に寄っていく。平常展示「鎌倉の仏像」は、見慣れた仏像に混じって、個人蔵の阿弥陀如来坐像(平安時代)など、私の記憶にないものもあった。岩座に座って片足を踏み下ろした地蔵菩薩(江戸時代)は、神武寺のものだった。長谷寺の三十三応現身からは、童子、老人、天王の3体がお出まし。
特別展は「天神さま」。初期の天神さんは、怒り全開モードで、怖い怖い。渡唐天神って、ほかならぬ無準師範に会いに行くんだったのか、と初めて認識。さっき、円覚寺と建長寺で見て来た、ちょっと垂れ目のいたずらっぽい和尚の顔が浮かぶ。同時に三井記念美術館の『東山御物の美』で見た、よろよろしたロバの図なども。
■鶴岡八幡宮 新宮(いまみや)
話は戻るが、巨福呂坂トンネルを下って、鶴岡八幡宮が近づいてきたとき、あれ、何か忘れている?と気づいた。10月に大阪の水無瀬神宮に行って、後鳥羽院の御霊にお参りしてきたとき、次に機会があったら、鶴岡八幡宮の北奥にある新宮(今宮)神社にも行ってみようと思っていたのだ。駐車場の横から、細い道を入っていく。片側は崖だが、片側はひっそりした住宅が建て込んでいるのが、いかにも鎌倉らしい。しばらく行くと、鬱蒼とした木立を背景に、朱色の鳥居が見えてきた。社殿の前で白い影が動いているので、ちょっとビビったが、神職らしい方がおふたり、落ち葉を払って、掃除をされていた。
こういう、よほどの数奇者しか来ない、小さなお宮もきちんと手入れされているんだなあ。鎌倉、奥が深い。