見もの・読みもの日記

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二人の天才皇帝/隋-「流星王朝」の光芒(平田陽一郎)

2023-11-09 23:23:56 | 読んだもの(書籍)

〇平田陽一郎『隋-「流星王朝」の光芒』(中公新書) 中央公論新社 2023.9

 581年の建国から618年の滅亡まで、約40年、実質的にはわずか二代という短命王朝の隋を中国歴史学界では「流星王朝」と評することがあるそうだ。なかなか洒落た命名である。私は隋の皇帝家の人々も、この時代の文化(彫刻・工芸)も好きなので、本書の刊行を楽しみにしていたが、そもそも新書1冊分も書くことがあるのか?というのを心配していた。しかしその心配は無用で、本書は、隋の建国に先立つ南北朝後期の動乱から説き起こす。しかも、東魏・西魏・梁から北斉・北周・陳へという「中国」内部の政権交代とともに、「中国」の外=草原地帯では柔然が衰退し、突厥が勃興してきたことに注意を喚起する。

 その後、北周の重臣だった楊堅が帝位の簒奪に成功して隋の文帝となる際にも、二代皇帝・煬帝の治世後半に起きた大乱にも、突厥は大きな影響を与えている。突厥内部にも対立・抗争があるので、どの集団と提携してどの集団を牽制するかは、「中国」の王朝の存亡を左右する重要な決断だった。同時に突厥の側も「中国」内部の勢力対立に付け込み、うまく利用するように立ち回っているように思われる。本書を読んだことで、少し突厥可汗の系図に親しみができた。中国古装ドラマにときどき登場する「阿史那」って突厥の姓(?)なのだな。突厥史についての簡単な本はないかなと思って探したが、手ごろなものはなさそうである。

 隋の皇帝一家のうち、楊堅・楊広(煬帝)のことはまあまあ知っているのだが、その先代・楊忠、および楊忠の兄貴分であった独孤信とその娘たちのことは初めて詳しく知った。長女は北周明帝に嫁ぎ、四女は李昞に嫁いで李淵を生み、七女は楊堅に嫁いで楊広を生む。これはドラマにしたくなるシチュエーションであるなあ。私は『鋼鉄紅女』の独孤伽羅を思い出しながら読んでいたけれど。

 ドラマ作品では、煬帝のキャラが立ちすぎているので、凡庸な皇帝に扱われがちな文帝だが、外交力も政治構想力も史上に抜きん出た人物だったのではないかと思う。突厥からは「天可汗」の称号を得、仏教を保護することで「海西の菩薩天子」(聖徳太子の国書)と尊称された。つまり儒教に基づく一元的な支配体制だけではカバーしきれない、多元的な統治のあり方を具体化したのである。隋こそは、北方に広がる草原世界、華北中心の中華世界、東南海域に連なる江南世界に発する三つのストリームを、はじめて束ねた帝国だったという。

 しかし、やっぱり私は煬帝が好きだ。新洛陽城の造営、大運河の開削、大規模な穀倉の建設。民に負担を強いた暴挙と批判されるが、目的は間違っておらず、またその先見性は図抜けていたという著者の評価は嬉しい。もう少しお遊び寄りの造営では、一度に数千人が着席できる大テント「大帳」とか、移動・組立式の宮殿「観風行殿」とか、移動式要塞「六合城」なんてのもある。楽しい。そして、親征の連続でどこか首都なのか分からない状態だったのは、運河と街道のネットワークによって、どこにいても常時執務を執ることが可能なシステムを構築しようとしたのではないかというのも面白い。

 この煬帝に「煬帝」という廟号を与えて、暴君のレッテルを貼ったのが唐太宗・李世民で、このおかげで唐はしばらく平和と安定を享受することができたというのは納得できる。まあ楊広と李世民、どちらもワルだし、あの世で並んで笑っているんはないかと思う。


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