見もの・読みもの日記

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サハリン旅行2015【2日日】ドリンスク、スタロドゥプスコエ

2015-08-11 22:44:32 | ■アジア(中国以外)
ホテルに荷物を預けたまま、専用車で、ユジノサハリンスクの北北東(オホーツク海側)に約43キロメートル離れたドリンスクに向かう。日本統治時代には落合(おちあい)と呼ばれた。チエホフの胸像のある公園、図書館に面した小さなレーニン広場などを観光。

ドリンスク駅は、列車の来る気配が全く感じられない田舎駅で、無人のホームでは大きな犬がくつろいでいた。しかしサハリンでは駅舎や列車の撮影は禁止。誰も見ていないと思って写真を撮っていたら、駅舎の二階からおじさんに注意された。



ガイドのオリガさんは日本統治時代の遺跡をよく知っていて、落合の学校にあった奉安殿がまだ残っているという。奉安殿とは、御真影と教育勅語を納めていた建造物である。戦前の小学校には必ずあったものと聞いているが、私は一度もホンモノを見たことがない。まさかサハリンでそんなものを見ようとは思いもしなかった。ユジノサハリンスク(豊原)の博物館の敷地にも移設された奉安殿がきれいに残っていたが、かつての「場所」に立ち続けているドリンスクの遺跡のほうが生々しかった。



↓ドリンスクに1軒だけあった「着物店」の遺構。蔵造りである。旧住民はよく覚えていて、懐かしがるのだそうだ。



旧・王子製紙落合工場も見学。びっくりした。冬場、町に温水を供給するボイラーとして、一部の設備は使われているそうだが、ほぼホラー映画の舞台になりそうな、完全な廃墟である。

↓スタロドゥプスコエ(栄浜/さかえはま)に向かう途中、「日本橋」(日本人が建造した橋)の遺構。ガイドさんの話では、昭和天皇が皇太子時代に南樺太を訪問したとき、この橋で撮った写真が残されているそうだ。



大正時代、詩人の宮沢賢治は、最愛の妹を亡くした直後、ひとりで樺太に渡り、大泊から樺太鉄道に乗って、豊原・落合を経て、終点の栄浜で下り、海岸を散歩し、さらに近傍の「白鳥湖」に寄ったのではないかと言われている。栄浜の駅舎は既に廃され、草むらだけが広がっていた。ガイドのオリガさんが「以前は線路の枕木があったんですけど…」というが、それすら土に還ろうとしている。駅灯だったかもしれない高い柱がぽつんと立っていて、私の好きだった童話、賢治の「シグナルとシグナレス」を思い出した。

白鳥湖を遠望し、栄浜海岸で砂粒のような琥珀を集めて拾う。盛りだくさんの半日を終えて、ユジノサハリンスクのホテルに戻り、昼食。午後はサハリン州郷土博物館を見学した。建物は日本時代に樺太庁博物館として使われていたもの。いわゆる帝冠様式である。博物館の庭には、日露戦争時代や第二次世界大戦時の大砲や戦車も展示されていた。



その後、町の中心部に残る日本時代の建築などを見て歩き、駅前のレストランで夕食。22:30発の寝台列車に乗り、日本ソ連の旧国境に近いスミルヌィフに向かった。

(8/17記)

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