見もの・読みもの日記

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サハリン旅行2015【3日日】スミルヌィフ、ポロナイスク

2015-08-12 07:00:21 | ■アジア(中国以外)
早朝5:34、スミルヌィフ駅で下車。待っていた別の専用車に乗って、北へ約30キロメートル移動し、旧国境線(北緯50度線)を訪ねる。70年前の8月には激しい戦闘が行われた地域で、さまざまな慰霊碑や戦勝記念モニュメントを見ることができる。ちょっと中国東北地方の旅を思い出した。

かつては北緯50度線上に、片面に日本語、片面にロシア語を刻んだ国境標石が並べられていた。その遺物は、前日、ユジノサハリンスクの郷土博物館で見ることができたが、この場所に残っているのは、標石を埋め込んだ土台の石組だけである。



周辺にはトーチカ(防御陣地)も多数残っている。のどかな田園風景に打ち棄てられていると、古代か中世の遺跡のようだが、つい70年前に多数の人の生死を分けた戦闘があったことを思うと、胸がざわざわする。南樺太の「戦争」は8月9日のソ連侵攻から始まり、8月15日を過ぎて、いよいよ激しさを増し、9月初めまで継続したことは、この旅行の帰途に札幌旧市庁舎の樺太資料室でおさらいした。



旧国境付近から車で南に下り、港町のポロナイスクへ。日本統治時代の敷香町(しすかちょう)である。ホテルで朝食。まだ朝の9時前だが、すでに半日くらい観光した気分。この日は1日ポロナイスク観光で、午前中は王子製紙工場(↓ここもすさまじい廃墟)と小さな郷土博物館へ。敷香は横綱・大鵬の出生地で、小さな公園にまわし姿の銅像がある(なぜか棒立ち)。



午後はポロナイ川の河口にある中洲島にフェリーで渡り、サハリン先住民の戦争慰霊碑を見る。ポロナイスク周辺には多くの先住民が住んでいる。この中洲島には先住民のための寄宿学校があり、父母がトナカイを遊牧して旅に出る期間(ウィルタか?)、子供は学校に留まるという話が面白かった。

19:00頃に夕食を済ませて、ホテルの部屋で休息。しかし今夜はここに泊まらないのである。深夜1:40に起こしてもらい、車でポロナイスク駅へ。2:34発の夜行列車に乗り込み、ユジノサハリンスクへの帰途につく。2日連続の寝台車。



では、おやすみなさい!

(8/18記)

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