見もの・読みもの日記

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政治学者vs文学者/戦後日本は戦争をしてきた(姜尚中、小森陽一)

2008-04-06 23:14:11 | 読んだもの(書籍)
○姜尚中、小森陽一『戦後日本は戦争をしてきた』(角川oneテーマ21) 角川書店 2007.11

 本書は、刊行後すぐに買ったきり、手に取る機会がなくて放置していた。気が付いたら、もう半年近くも経っている。いつもカレントな政治状況を捉えて発言しているお二人であるだけに、本書の内容はもう賞味期限切れかもしれないなあ、と思って、あまり期待を持たずに読み始めた。

 そうしたら、とんでもなかった。世の中には、1冊か2冊のセンセーショナルなベストセラーだけで消えていく(自称)評論家は数々いるが、この二人は、そういう輩ではない。本書は、2006年の11月、12月、2007年の1月、8月の計4回にわたる対談を基にしている(ちょうど安倍政権に重なる1年である)。最初の対談からは1年以上が経過しているが、それくらいでは、全く発言の鮮度が落ちない。それは、両氏とも、近代の始まり(あるいはそれ以前)まで届く長いスパンの「歴史」認識があり、それぞれの専門分野の「古典」をよく学んでいるからだ。ブッシュの「テロとの戦争」を考えるために、ドストエフスキーの『悪霊』を想起し、フランス革命のロベスピエールまで遡行する。

 私は、学者が現実の政治にコミットする際の、これがあるべき姿だと思った。たぶん「歴史」や「古典」に学ぶ態度だけが、目の前の現象(同時多発テロにしろ、北朝鮮問題にしろ)にヒートアップする人々を鎮静化することができる。にもかかわらず、逆に人々の恐怖心や敵愾心を焚きつける学者や有識者が多すぎると思う。

 小森陽一氏は、現代日本では例外的に深く政治にかかわってる文学者である。一方の姜尚中氏は、文学の価値をよく分かっている政治学者だと思う。いわく、「どれだけ悲惨な経験があったと言っても、人の心は動かない。しかし一人の横田めぐみという人がいれば、人は心が動く」。鋭い発言である。朝鮮戦争数百万、ベトナム戦争数百万という、人々の悲惨な経験。けれども政治学者は大状況しか語ることができない。そこで人の心が動くようなものを発見し、それを人々に突きつけることは「文学の仕事」ではないか、と姜氏は問う。これは、日本の戦後文学が積み残した問題に対しての、かなり本質的な問いかけだと思う。

 本書は、この手の政治・社会時評にありがちなペシミスティックな結論をとらない。面白いなあ。こんなに気に食わないことだらけなのに、どうして未来を肯定的に捉えられるんだろう。姜氏はそのわけを「(歴史の女神)クリオは必ず五割は微笑みかけてくれる」と語る。やっぱり歴史なのである。それから「実」のある人――有機的知識人(専門技師とか小学校の先生とか、専門職の人々)への期待と信頼も語っている。確かに、この階層がつぶされない限り、日本再生の可能性は残っているだろう。

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