〇慶應義塾ミュージアム・コモンズ センチュリー赤尾コレクション×斯道文庫『書物ハンターの冒険:小松茂美旧蔵資料探査録I』(2025年3月17日~ 5月16日)
年度末でもないのに、この週末は自宅で持ち帰り仕事に忙殺されていた。それでも土曜日は、この展覧会を見るためにちょっとだけ外出した。慶應義塾が運営するこのミュージアム、基本は週末休館で、土曜の特別開館が会期中に2回しかないのである。
本展は、2021年に慶應義塾に寄贈されたセンチュリー赤尾コレクションの調査成果を初めて紹介するもの。同コレクションの中核を成すのは、古筆学者・小松茂美(1925-2010)の約15,000冊におよぶ旧蔵書である。小松は、1988年、旺文社の創業者・赤尾好夫のコレクションを保存・管理する財団法人センチュリー文化財団の理事に就任、1990年、センチュリーミュージアムの館長となって、同館の運営ならびにコレクション拡充に尽力した。現在、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫は、小松の膨大な蔵書の再調査と目録化を進めており、本展では、その一端を紹介する。
センチュリーミュージアム(2020年閉館)は、地味だが好きなミュージアムだった。古筆や古経の名品を見た記憶が残っているが、今回は「小松茂美旧蔵資料」が中心なので、もっと雑多で、ある意味、玄人好みの展示だった。冒頭には『三迹画像』(室町・江戸初期)。嵯峨天皇、空海、菅原道真を描いたものだというが、この3名をひとくくりにした図像は類例がないそうだ。束帯姿の道真は、橘逸勢ではないかという説もあり、そうであれば、「三筆」(嵯峨天皇、空海、逸勢)を描いた最初期の図像ということになる。画幅はこれのみで、あとは文字資料が続く。
松平定信の旧蔵・自筆資料は、かなりまとまって入っているようだった。おもしろかったのは縦横とも10cm足らずの豆本。定信の自筆で、王朝時代の和歌や物語が筆写されている。解説によれば、定信作の豆本は160冊以上が現存しており、とりわけ隠居後の定信は、豆本歌書作りを楽しみとし、子供や孫たちに配っていたという。このひと、やっぱり面白い…。
「書札礼」(手紙のマナー)に関する多種多様な資料が収集されているのは、小松コレクションの特色と言ってよいだろう。文体だけでなく、使用する紙の寸法や料紙の種類にも気を配らなければならない。現役ではないが、かつて要職にあった人物にどのくらい敬語を用いるかというのは、今でも悩むところ。朝鮮国王の国書と日本からの返書に関する資料や、京都島原の遊女の和歌を集めた遊女手鑑もあった。
実用的な手紙の文例集『手本重宝記』は、微妙に異なる紙面を比較することで、何度も覆刻や修訂を施され、長期に渡って摺り続けられた様子がうかがえる。そうそう、版本って複製芸術なんだけど、ちょいちょい変化が加わるところが面白いんだよなあ。本文は同一なのに全丁にわたって版木が異なる(しかし版元は同じ)とか、内題・外題もない写本とか、目録作成者泣かせの資料も多いが、こういう資料の目録をとるのは楽しいだろうなあ…としみじみ思った。
書法に関する資料も多いのだが、その1つ『学書宝鏡』に掲載されている、某SNSのマークのような図が紹介されていた。黒い丸の中に浮かび上がる白い鳥のようなもの。実は「筆の止め」を描いたものという種明かしに笑ってしまった。資料調査の場で、誰かが見つけて盛り上がったのかな、と想像した。
入口の警備員(?)のおばさんに教えてもらったが、展示室内の係員に、アンケートを書きます、と申し出ると、立派なカラー図録冊子が無料で貰えて、図録を片手に展示を見ることができる。大変ありがたいシステムである。
文献資料の並びの中に、なぜか如意輪観音像の掛仏が混じっていて不思議だったが、解説冊子によると、額裏面に小松茂美氏の極書があるらしい。別の展示室には、大きな仏像が3躯(大日如来坐像、菩薩立像、天部立像)と小さな金銅仏(唐時代)が複数出ていた。いずれもセンチュリーミュージアムにあったものだと思い、なつかしかった。