見もの・読みもの日記

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デモクラシーの宿題/欧州複合危機(遠藤乾)

2016-11-08 21:48:58 | 読んだもの(書籍)
○遠藤乾『欧州複合危機:苦悶するEU、揺れる世界』(中公新書) 中央公論新社 2016.10

 なんだかEUが危ないらしい。大量の難民流入、頻発するテロ事件、排外主義の台頭、そしてイギリスの離脱決定と、不穏なニュースばかりが続く。あの輝かしいヨーロッパ共同体の理想はどこに行った…?というような、紋切り型の感想しか持てなかった私には、目の曇りをゴシゴシ拭われるような好著だった。

 はじめに2010年代に起きた複数の危機をおさらいする。第一に統一貨幣であるユーロの危機。2009年、ギリシャの膨大な財政赤字が明らかになり、ギリシャ国債格付けの引き下げとともにユーロの価値の下落を招いた。2015年、チプラス政権のもとで危機が再発し、一進一退が続く。第二に欧州難民危機。2015年以降、120万人を超える難民(経済的な理由で移動する「移民」も混じっている)がEU諸国に押し寄せている。特に問題なのは、シェンゲン協定の域内をテロリストが自由移動しており、その情報が各国政府に共有されていないことだ。第三は安全保障上の危機。2014年、ウクライナ危機に端を発するロシアのクリミア併合。ロシアはウクライナを脱争点化すべく、シリア危機への介入を強め、シリア空爆は、国境を接するトルコの不安定化と欧州へ向かう難民の増加を招いている。そして頻発するテロ事件。第四に2016年2月のイギリスのEU離脱国民投票。

 これらの丁寧なレビューに続き、EUの歴史を過去にさかのぼる。するとヨーロッパは、これまで危機の連続の中で「統合」という解決策を選んできたことが確認できる。欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立は、アメリカがかつての敵国ドイツを支援し始めたことを脅威と感じたフランスの行動から始まった。ドイツをヨーロッパにつなぎとめることを目的に、さらに東西冷戦の中で、西側諸国の一体化を望むアメリカの圧力に応じて、ヨーロッパの統合が選択された。通貨統合は、米ドルなど域外パワーに対抗してプレゼンスを強化するプロジェクトであった。つまり、当たり前だが、政治経済上のリアルなメリットが見えていたから統合が進んだのであって、崇高で美しい理想があったから実現したわけではないのだ。

 ヨーロッパ統合は、自地域の平和(Peace)、繁栄(Prosperity)、権力(Power)を確保するため、つまり自己利益のためにしてきたことだという言い方もできる。したがって、もともとEU域外からの流入は可能な限り制限することが前提であったことを著者は指摘する。もう少し普遍化すると、デモクラシーは原理的にも歴史的にも一定の領域と構成員を前提としており、領域やメンバーシップが流動的になると、デモクラシーは不安定化する(不寛容になる)と著者はいう。これは理想論だけでは反論できない、とても重要な指摘である。

 本書を読んで、EUの危機はデモクラシーの問題に帰着するように私は感じた。現代の先進国において「正しさ」はとりあえず「みんなで決めた」ことに由来する。問題は、その民主的正統性を確保するメカニズムが一国の中でしか作動しないことだ。国民国家の場合、政策やイデオロギーで対立していても、どこかで同胞感覚が残っている。だから、たとえば日本国内で東京に集中する富を地方に移転する社会政策はあり得るが、ギリシャの財政破綻のツケをドイツやフランスの国民が負担することを承服できるか?と考えると、難しいことが分かる。

 しかし伝統的な国民国家も絶対ではない。沖縄に不利な政策が、本土における圧倒的な人口比で決められ続けたら「同じ日本人」が「みんなで決めた」というデモクラシーの感覚は崩れていくかもしれない。その点で、非常に深刻な印象を受けたのは、EU離脱決定をめぐるイギリスの政治状況である。イギリスといえば、政党政治の教科書であり、二大政党(保守党、労働党)+第三党という図式が、多様な国民の声を吸い上げ、議会を通じて統治機構に接続する役割を果たしてきた。ところが、今回の国民投票では、デマや虚偽すれすれの言説がはびこり、議会制民主主義が機能不全にさらされているという。これはかなりショック。欧州複合危機は、より大きなもの――国や世界の秩序を人為により理性的に改編できるとするリベラルな政治(理念)に打撃を与えているのではないか、と著者は指摘する。

 ヨーロッパ政治史の専門知識のない者にも読みやすく、しかもヨーロッパ問題を超えて、いろいろな示唆を受ける本だった。今、大学の教員は、英文ジャーナルに論文を書かないと業績にならないらしいが、市民のためにこういう本を書いてくれる研究者がいなくなったら、国民の政治的教養がどれだけ劣化してしまうか、考えてみてほしいと思う。

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