見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

師弟の絆/下村観山展(横浜美術館)

2014-01-09 23:59:28 | 行ったもの(美術館・見仏)
横浜美術館 特別展『下村観山展』(2013年12月7日~2014年2月11日)

 あらためて横浜美術館の公式サイトを見にいったら「(下村観山)生誕140年記念」に「岡倉天心生誕150年・没後100年記念」が重ねてあって、謳い文句が「日本歴代屈指の筆技を観よ」であるのに笑ってしまった。「日本歴代」って大きく出たなー。あと誰が入るのか、教えてほしい。

 下村観山(1876-1930)の名前は知っていたが、まとめて作品を見るのは初めての機会で、紀州徳川家に仕える能楽師の家に生まれたことも、幼い頃から非凡な才能をあらわしていたことも知らなかった。入口を入ったところに、大礼服姿の観山の写真があって、秀でた額、高い鼻の西洋人みたいな容貌にびっくりした。もうひとつ驚いたのは、「ごあいさつ」パネルの陰に身をひそめるように、平櫛田中作の岡倉天心のブロンズ像が据えられていたこと。天心先生、なぜここにwと、笑ってしまった。観山とは対照的に、腫れぼったいアジア人顔の天心は、拗ねてふてくされているようにも見えた。

 展示は、観山が十代の頃の画稿から始まる。狩野派の伝統教育にしたがって、さまざまなお手本を写している。成長期の子供にとって、模写って意外と楽しいんだよなあ。自由な絵を描いてごらんと言われるより、数倍も楽しかったことを思い出す。

 明治22年(1889)、東京美術学校に第1期生として入学。卒業後、ただちに助教授に抜擢されたが、明治31年(1898)校長・岡倉天心が辞職すると、ともに美校を去り、「日本美術院」設立に参加する。この頃の作品で好きなのは『春日野』や『春秋鹿図』。明治34年(1901)、美校に教授として復帰し、その2年後、文部省の命により英国留学。当時の日本人にとっての「海外体験」の大きさを、しみじみ思う。ラファエロの油彩を、紙に水彩あるいは絹本着色で模写したものが残っているが、狩野派の「模写」教育、侮るべからずと言っておこう。

 岡倉天心の没後、観山は横山大観とともに日本美術院の再興を図る。この頃から「茫漠とした空間を特徴とする高い精神性に満ちた画面」を特徴とする名作が、次々と生まれる。東博でよく見る『弱法師』もこの頃。そして、李白、陶淵明など、観山が繰り返し描いた「中国の高士」像は、どれもよく似た顔をしており、師・岡倉天心の面影を宿しているという。『酔李白』(北野美術館)を前に、入口で見た天心のブロンズ像を思い出して、大きくうなずいた。

 それにしても、晩年の作品の美しさ。「精神性」というのは陳腐な言葉だけど、ほかに言い表しようがない気持ちの落ち着きと清々しさを感じる。妙に頂上が広くて平たい富士山も好きだ。それから「観山」のサインの文字も。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幼心、遊び心/Kawaii 日本美... | トップ | 2014年1月・関西旅行(志津屋... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

行ったもの(美術館・見仏)」カテゴリの最新記事