見もの・読みもの日記

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近代国家の設計図/試験の社会史(天野郁夫)

2007-03-02 23:55:59 | 読んだもの(書籍)
○天野郁夫『増補・試験の社会史:近代日本の試験・教育・社会』(平凡社ライブラリー) 平凡社 2007.2

 教育史は面白い。ちょうど1年前の今頃、竹内洋さんの著作にハマって、あらかた読みつくした。その後はおとなしくしていたのだが、平凡社ライブラリーの新刊に本書を見つけて、また性懲りもなく手を出してしまった。

 本書の原本は1981~82年に執筆され、1983年に刊行されたもの。明治初年、猛スピードで進められた近代化政策において「試験制度」がどのように取り入れられたかを、同時代の欧米の教育制度を視野に入れつつ論じている。竹内洋さんの著作が、「立身出世主義」「学歴貴族」をキータームに、制度に適応しようと務めた学生(受験生)のありさまを記述することに重点を置くのに対して、本書は、学監モルレー、大木喬任、森有礼など、制度を作った側に重点があるように思われる。しかし、どちらにしても面白い。

 何が面白いって、実現が「難航」しているところが面白いのだ。やっぱり、どんな産業を興すよりも、難しいのは人材の育成なんだなあ、と実感する。日本の急速な近代化を成功させるには、各種の「近代セクター」(その最たるものが行政機構)に安定的に人材を供給する制度を整えなければならない。それゆえ、国家の威信の象徴であり、欧米の一流大学にも引けをとらない「帝国大学」を整備するとともに、全国から選りすぐりの優秀な子弟が、小学校→中学校→高等学校という選抜試験の繰り返しを通じて、帝国大学に吸い上げられるシステムが構想された。

 しかし「頭ノ方」にあたる帝国大学の高い要求水準と「尾ノ方」小学校・中学校の現実の落差は、なかなか埋まらない。そのため、さまざまなバイパス(予備校)が生み出される。生徒の向上心を刺激しようとした試験制度は、たちまち無意味な過熱に陥る。また、私学には「役人学校」と異なる気風が長く残った。彼らは、法曹や医師の専門試験を突破するための「学力」を求めこそすれ、「学歴」にはこだわらなかった。家業を継ぐつもりの豊かな平民の子弟も同様だった。

 明治40年代に入って、大木喬任らの描いたピラミッド型の学校制度がようやく定着する。そして、日本の教育制度の特徴である、「過酷な入学試験」と「学歴による序列化」の問題も、このとき始まったのである。

 本書を読みながら何度か思ったのは、東京大学って、大木喬任や森有礼、あるいは井上毅が、近代日本の青写真とともに、何度も設計図を引き直したんだなあ、ということ。東京大学の公式史料は、彼ら官僚の関与に触れようとはしないだろう。公式サイトを見ても、当たり前だが「歴代総長」しか載っていないし。しかし、本書のような制度史を読んでしまうと、東京大学(帝国大学)って、ほとんど国家機構の一部だったんだなあと思う。

 同時に、立花隆氏の強調する「アカデミック・フリーダム」も、所詮は”カッコつき”だったのではないかと感ずる。学問に高い志を持った教員、総長が揃っていたことは否定しない。しかし、たとえば南原繁の語りかけていた学生も、こうした中央集権的試験制度を通じて供給されたエリート候補生だったということは、心に留めておきたいと思う。

 あと、「欧米の一流大学にも引けをとらない帝国大学」って、最近の東京大学が目指している(らしい)ところと、まるで同じなのが笑える。

■参考:文部省『学制百二十年史』
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz199201/index.html
1992年出版の『学制百二十年史』の全文(?)がhtml版で読める。なかなかありがたい試み。『学制百年史』も掲載されていて、記述には差異がある様子。読み比べてみると面白いんだろうな。

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