goo blog サービス終了のお知らせ 

見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

試される理性/原発プロパガンダ(本間龍)

2016-08-03 00:19:18 | 読んだもの(書籍)
○本間龍『原発プロパガンダ』(岩波新書) 岩波書店 2016.4

 2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故以前、国内のほとんどのメディアは原発礼賛広告または翼賛記事を大量に掲載・放映し、国民的洗脳に加担してきた。本書は豊富な事例に基づき、その実態を検証したものである。はじめに電力9社が、この40年間にわたり広告に費やした予算(普及開発関係費)の総額が2兆円を超えることが示される。完全な地域独占企業体である(あった)はずの電力会社が、なぜこのような巨額の広告費を必要としたか。電力会社は広告費を原価とみなし、すべて利用料金に転嫁することができたと聞いては、さらに腹立たしい。

 本書は原発プロパガンダの展開を五つの時期に分けて扱う。まず黎明期(1968-79年)。1970年の敦賀原発の営業開始を控え、1968年元旦に福井新聞に掲載された30段(見開き両面)の連合広告が原発広告の始まりだった。福島でも、福島第一原発の稼動開始(1971)と共に原発広告の連載が始まる。一方、全国紙は、原発広告に対して自主規制を堅持していたが、1974年、朝日新聞が原子力文化振興財団の意見広告を掲載すると、読売や毎日もこれに続くようになる。79年にスリーマイル原発事故が発生するが、「全国紙やテレビではその事故の深刻さが報道されたものの、福井や福島での事故の新聞扱いは非常に少なく、逆に事故を覆い隠そうとするかのように広告出稿が加速していった」という。これ、恐ろしい問題だなあ…。

 発展期(1980-89年)。80年代に入ると、全国各地で原発建設が相次ぎ、ローカル新聞への広告出稿は飛躍的に増加する。1981年には、敦賀原発1号機の放射能漏れを日本原電が隠蔽していたことが発覚。福井新聞は厳しい批判記事を掲載する。しかし福島の新聞には、福島第一原発所長の「敦賀とは違う。事故は絶対に起きない」という発言が掲載されていたりする。あ~あ。歴史の審判に恥じない行動をするって大事だな。1986年、チェルノブイリ原発事故発生。このとき、日本でも反原発の機運が高まったことは、私もよく記憶している。しかし、東電は事故の86年に121億円だった広告費を、翌年150億円に引き上げ、「日本では事故は起こらない」アピールに必死になる。原発推進に抵抗するローカルテレビ局などの動きもあったが、原子力ムラ(原発利権集団)によって粉砕されてしまう。

 完成期(1990-99年)。1991年に原子力文化財団が作成した「原子力PA(パブリック・アクセプタンス)方策の考え方」が紹介されているが、実に見事な「プロパガンダの手引き」である。反原発やリベラルの側も、こういう手法をきちんと学び、取り入れなければいけないと思った。「女性(主婦層)には信頼ある学者や文化人等が連呼方式で訴える」とか、「タレントの顔は人々の注意を引きつけるが、タレントの発言で人々が納得すると思うのは甘い」とか「短くともよいから頻度を多くして、繰り返し連続した広報を行う」とか、いちいち納得できる。

 爛熟期から崩壊へ(2000-11年)。2000年代前半には、東電など多くの電力会社でトラブル隠しや事故が発覚。しかし東電はイメージ挽回のため、さらに巨額の広告費をつぎ込む。原子力ムラは、民放テレビ局の報道番組に莫大なスポンサー料を支払うことで、原発に対するネガティブ報道を牽制する体制を手に入れる。2011年3月11日、東日本大震災発生。記憶に留めたいのは、原発プロパガンダに手を染めていた企業や団体が「脱兎のごとく証拠隠滅に走った」ことだ。それまでホームページ上に所狭しと掲載されていた原発広告の画像や動画は、一斉に削除されたという。こういうとき、ネットというのは便利な媒体だ。本書に掲載されている原発プロパガンダの事例は、ほとんどが新聞広告だが、いったん紙面に印刷されて出回ったものは、さすがに「隠滅」することはできない。

 復活する原発プロパガンダ(2013-)。今日、原発プロパガンダは確実に復活しつつある。さすがに以前のスローガン「原発は絶対安全な技術」「原発はクリーンエネルギー」は使えなくなった。そこで「原発は日本のベースロード電源(安定供給)」「火力発電は二酸化炭素を排出するので、環境に優しくない」「割高な原油の輸入は国富の流出」などの新しいスローガンが考え出された。見事である。こういう目端の利く策士たちに対抗するには、こちらも賢く、慎重にならなければならない。さらに事故の深刻さを伝える報道や発言を「風評被害だ」と叩きつつ、放射線の安全性を説明するリスクコミュニケーション事業が大々的に行われているが、かつての原発安全論と今の放射線安心論にどれだけ違いがあるのだろうか、と私も思う。

 気持ちが落ち込む記述の連続の中で、80年代に天野祐吉さんが雑誌「広告批評」で原発広告を批判していたり、90年代の「新潟日報」が大量の原発広告を掲載しつつも、記事面では公平性を貫いていたことなどは、希望を感じた。どんな巨大な権力にも狡猾な戦略にも、からめとられない思慮と理性の持ち主はいるのである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夏は笑いと血みどろ芝居/文... | トップ | 進化と適応と未来/クマに会... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読んだもの(書籍)」カテゴリの最新記事