2008年秋に始まった「西国三十三所結縁ご開帳」も足掛け3年、今月末をもって終了する。私も、いよいよ満願成就に向けてラストスパートの巡礼旅に出かけた。
■西国番外 華頂山元慶寺(がんけいじ)(京都市山科区)
5月2日朝、新幹線で京都入り。地下鉄・御陵駅から住宅地と畑が入り混じる細道をのんびり歩いていく。やがて突き当たった、車の流れの激しい通りが、実は三条通。そこから少し引っ込んだところに元慶寺がある。住職さんの丹精か、牡丹や藤が花盛り。花山法皇ゆかりの寺としては、築地塀に常夏(ナデシコ)を植えてほしいな、ぜひ。
■西国第六番 壺阪山南法華寺(壺阪寺)(奈良県高市郡)
京都から一気に南下して、近鉄吉野線の壺阪駅からバスで山中に入る。広大な敷地には、いかにも「今出来」の堂宇と、巨大な石像群が立ち並び、ちょっと新興宗教のアジトっぽい雰囲気で、たじろぐ。しかし、本堂(八角円堂)に祀られたご本尊、十一面千手観音坐像は、大きく見開いた目が異相ではあるが(眼病平癒の信仰を集めている)、ほどよく古色がついていて、それほど違和感がない。堂内には、姿勢のいい薬師如来像(鎌倉時代)や、宋風のずんぐりした執金剛神像など、けっこう楽しめる仏像が多い。
初日は2ヵ所拝観で終了。最後に奈良市内に寄り道し、春日大社の「砂ずりの藤」の開花状況を見に行く。が、ちょっと早すぎた様子。というか、木の下の立て札によれば、この数年、年々花房の長さが短くなっているようである。新大阪泊。
■西国第二十四番 紫雲山中山寺(兵庫県宝塚市)
2日目(5月3日)は、満願を期して、大阪(梅田)を起点にまず西へ。阪急中山駅を下りると、ほぼ目の前が中山寺。傾斜地にはりついた境内には、参拝者に配慮してエスカレターが設置されている。ご本尊の十一面観音は、腰から上はしっかり見える状態で公開されていたが、如何せん、距離が遠い。「優美」と評されるが、近眼の目には、威厳にあふれる古風な御像に思われた。両脇侍も同時代かな? 右手のお厨子には、水瓶をもった観音像。左手には色彩の剥落が激しいが愛染明王がいらっしゃった。
羅漢堂という別のお堂には、多数の小さな彩色の羅漢像が並ぶ。中央には、大きな宝冠を頂いた宋風の(楊貴妃観音ふうの)観音坐像。現代的な建築意匠(天井に梵字)もよかった。信徒会館では春季宝物展が開かれていたが、10時からというので、未練を残しつつ諦める。もうひとつ、レストラン「梵天」(ゆとりの108席w)の「蓮ご飯」にも後ろ髪を引かれた。
■西国二十二番 補陀洛山総持寺(大阪府茨木市)
次は、起点の大阪を通り越して東へ向かう。阪急京都線の住宅街の中にあるお寺。ここもあまり期待していなかったのだが、山門の立派な仁王像に感心する。拝観では、お厨子の前まで進んで、小さなご本尊を間近に拝むことができた。下半身がかなり傷んでいるなあと思ったら、諸堂が信長に焼かれたとき(茨木の合戦)、猛火の中で上半身だけは焼けなかったという「火伏せ観音」の伝説を持つそうだ。勇壮な伝説に反して、古拙でかわいらしいお姿である。
[5/6補足]ご本尊の脇侍が珍しかったので、お寺の方にお聞きしたら、頭上に龍を載せた男性像が善女龍王で、女性的な美形像が雨宝童子だと教えてくれた。「長谷寺式と言うのですよ」とのこと。ただし、大和の長谷寺の両脇侍は、善女龍王でなく難陀龍王(別名なのだそうだ)と雨宝童子と呼ばれている。
■西国二十三番 応頂山勝尾寺(大阪府箕面市)
続いて、モノレールで大阪市の外周をまわり、北千里からバスでさらに北上、箕面山中の勝尾寺へ。朱塗りの山門をくぐると、涼しげな池に新緑が映えている。ここが私の満願の札所となる。残念なのは、ほかの32ヵ所は全てご本尊のご開帳日にあわせて拝観したのだが、勝尾寺だけはそれが叶わなかったこと。この日も本堂の四方の扉はぴたりと閉ざされ、中ではご祈祷が行われている雰囲気だった。
とりあえず、50歳の誕生日を目前にして、満願達成。今後とも精進しますので、仏友の皆さん、お導きを(5/5記)。
■西国番外 華頂山元慶寺(がんけいじ)(京都市山科区)
5月2日朝、新幹線で京都入り。地下鉄・御陵駅から住宅地と畑が入り混じる細道をのんびり歩いていく。やがて突き当たった、車の流れの激しい通りが、実は三条通。そこから少し引っ込んだところに元慶寺がある。住職さんの丹精か、牡丹や藤が花盛り。花山法皇ゆかりの寺としては、築地塀に常夏(ナデシコ)を植えてほしいな、ぜひ。
■西国第六番 壺阪山南法華寺(壺阪寺)(奈良県高市郡)
京都から一気に南下して、近鉄吉野線の壺阪駅からバスで山中に入る。広大な敷地には、いかにも「今出来」の堂宇と、巨大な石像群が立ち並び、ちょっと新興宗教のアジトっぽい雰囲気で、たじろぐ。しかし、本堂(八角円堂)に祀られたご本尊、十一面千手観音坐像は、大きく見開いた目が異相ではあるが(眼病平癒の信仰を集めている)、ほどよく古色がついていて、それほど違和感がない。堂内には、姿勢のいい薬師如来像(鎌倉時代)や、宋風のずんぐりした執金剛神像など、けっこう楽しめる仏像が多い。
初日は2ヵ所拝観で終了。最後に奈良市内に寄り道し、春日大社の「砂ずりの藤」の開花状況を見に行く。が、ちょっと早すぎた様子。というか、木の下の立て札によれば、この数年、年々花房の長さが短くなっているようである。新大阪泊。
■西国第二十四番 紫雲山中山寺(兵庫県宝塚市)
2日目(5月3日)は、満願を期して、大阪(梅田)を起点にまず西へ。阪急中山駅を下りると、ほぼ目の前が中山寺。傾斜地にはりついた境内には、参拝者に配慮してエスカレターが設置されている。ご本尊の十一面観音は、腰から上はしっかり見える状態で公開されていたが、如何せん、距離が遠い。「優美」と評されるが、近眼の目には、威厳にあふれる古風な御像に思われた。両脇侍も同時代かな? 右手のお厨子には、水瓶をもった観音像。左手には色彩の剥落が激しいが愛染明王がいらっしゃった。
羅漢堂という別のお堂には、多数の小さな彩色の羅漢像が並ぶ。中央には、大きな宝冠を頂いた宋風の(楊貴妃観音ふうの)観音坐像。現代的な建築意匠(天井に梵字)もよかった。信徒会館では春季宝物展が開かれていたが、10時からというので、未練を残しつつ諦める。もうひとつ、レストラン「梵天」(ゆとりの108席w)の「蓮ご飯」にも後ろ髪を引かれた。
■西国二十二番 補陀洛山総持寺(大阪府茨木市)
次は、起点の大阪を通り越して東へ向かう。阪急京都線の住宅街の中にあるお寺。ここもあまり期待していなかったのだが、山門の立派な仁王像に感心する。拝観では、お厨子の前まで進んで、小さなご本尊を間近に拝むことができた。下半身がかなり傷んでいるなあと思ったら、諸堂が信長に焼かれたとき(茨木の合戦)、猛火の中で上半身だけは焼けなかったという「火伏せ観音」の伝説を持つそうだ。勇壮な伝説に反して、古拙でかわいらしいお姿である。
[5/6補足]ご本尊の脇侍が珍しかったので、お寺の方にお聞きしたら、頭上に龍を載せた男性像が善女龍王で、女性的な美形像が雨宝童子だと教えてくれた。「長谷寺式と言うのですよ」とのこと。ただし、大和の長谷寺の両脇侍は、善女龍王でなく難陀龍王(別名なのだそうだ)と雨宝童子と呼ばれている。
■西国二十三番 応頂山勝尾寺(大阪府箕面市)
続いて、モノレールで大阪市の外周をまわり、北千里からバスでさらに北上、箕面山中の勝尾寺へ。朱塗りの山門をくぐると、涼しげな池に新緑が映えている。ここが私の満願の札所となる。残念なのは、ほかの32ヵ所は全てご本尊のご開帳日にあわせて拝観したのだが、勝尾寺だけはそれが叶わなかったこと。この日も本堂の四方の扉はぴたりと閉ざされ、中ではご祈祷が行われている雰囲気だった。
とりあえず、50歳の誕生日を目前にして、満願達成。今後とも精進しますので、仏友の皆さん、お導きを(5/5記)。